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蒼き炎のジャヤシュリー  作者: 佐斗ナサト
第2部 魔女転臨
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第6話 仮の宿り

 天幕を透かす朝日で目覚めた。昨夜の老婆が言ったとおり、狼が襲ってくることはなかった。

 できる範囲で身だしなみを整え、ダルシャンとともに外へ出る。一座の人々はすでに野営地のあちこちで作業を始めていた。炊事の煙、天幕を解体して荷車に積む音。空き地全体が生活の気配にあふれていた。


「お姉さん、お兄さん」


 ぼさぼさ頭のアナンターが声を上げて駆け寄ってくる。ダルシャンが小さく微笑んだ。


「朝から元気だな」

「ん。僕はいつも元気」

「そうか、よいことだ」


 ダルシャンの大きな手がアナンターの髪をくしゃくしゃと掻き撫でる。くすぐったげに細められた褐色の瞳がこちらを向いた。ジャニは少し考えたのち、アナンターの頭の横で円を描くように両手を回し、自分に引き寄せて握り込んだ。よからぬものを(はら)邪視(じゃし)避けのしぐさである。アナンターはにっこりと微笑んだ。


「おお、起きてきたか」


 よく響く低い声の方を見やると、荷物を抱えたドゥルクが歩み寄ってきていた。アナンターが駆け寄り、父親の腕にしがみつく。ドゥルクは子の頭を撫で、ジャニとダルシャンの方を見やった。


「あんたたち、これからどちらへ向かうんだ?」


 ジャニはダルシャンと視線を交わす。ダルシャンが小さくうなずき、口を開いた。


「単刀直入にお願い申し上げる。しばらくの間、同行させてはいただけまいか」

「何?」


 ドゥルクが片眉を上げる。心臓が強く脈打つのを感じながら、ジャニも声を発した。


「……私たちを信頼していただけるならば、の話です」


 ディーパもやってきてドゥルクの隣に立った。一座全体の視線がこちらに向いているのを感じる。少年たち、それよりは年上の若者たち、娘たち、昨夜の老女。十数人にじっと見られて、いっそう緊張が高まった。


「私たちは――追われている身ですから。皆様にご迷惑がかかるようなら、無理にとは申しません」


 消え入りそうな声を懸命に押し出した。

 一瞬の沈黙ののち、アナンターがまっすぐ挙手した。


「はい。僕は賛成」

「こら、アナンター」


 ドゥルクが我が子をたしなめる。アナンターは口を尖らせたかと思うと、ジャニの腕をぎゅっと抱きしめた。予想だにしない行動にジャニは固まってしまう。ディーパが苦笑めいた表情を浮かべ、夫を肘でつついた。

 小さく溜め息をつき、ドゥルクが口を開いた。


「……あんたたちならば、信頼してもよさそうだとは思っている。長いこと人間を見てきたうえでの勘だがな」

「父さんの勘は当たる」


 ジャニの腕を抱きしめたままアナンターが言う。ディーパがその様子を見やり、微笑んだ。


「まあ、旅人に訳ありのやつは珍しくもないしね。あたしたち自身も似たようなものだ。ほとぼりが冷めるまで、うちにいたらいいさ」


 思いのほか簡単な展開に、ジャニはダルシャンと顔を見合わせる。ドゥルクが咳払いをした。


「だが、何かできる仕事はあるのか? 二人を養えるほど余裕はないんでね」


 すればダルシャンが小さく笑んだ。


「武術には覚えがある。護衛としてなら役に立てると思うが、いかがか」

「ほう、それなら腕前を見せてもらおうか」


 言うなりドゥルクは、近くにいた少年へ視線を送った。


「あれを持ってこい」

「はい、座長」


 少年は荷車のひとつに駆け寄り、荷物をほどく。中から出てきたのは鮮やかな朱に塗られた弓と矢筒だった。少年がそれらを抱えて小走りに駆け寄ってくる。ダルシャンが受け取ると、ドゥルクが空き地を取り囲む木のひとつを指した。


「実が()っているだろう。射落とせるか?」


 大きな葉が茂るその木は、どうやら野生の無花果(いちじく)であるようだった。色づいた実がいくつも固まるように生り、枝をしならせている。

 ダルシャンはそれを見やり、黙って弓に矢をつがえた。弓弦を引き絞り、放つ。空気を切り裂いた矢は、実の一房を根元から貫いた。

 一座の少年たちがわっと声を上げて、落ちた実に駆け寄る。次の一射でさらに実が落ちた。アナンターがジャニの腕を放して少年たちの方に駆けていく。大きな実をいくつか拾い、こちらへ戻ってきた。


「お兄さん、上手」

「まあな」


 ダルシャンが口の端で笑む。その黒い瞳がふいに悪戯っぽくきらめいた。


「ひとつ試したいことがある。アナンター、実をひとつ分けてくれるか」

「いいけど」


 アナンターが首を傾げつつ、実をダルシャンに手渡そうとする。ダルシャンはかぶりを振ってそれを制した。


「いや、違う。それを思いきり投げてくれ」

「……分かった」


 言われるまま、アナンターは無花果の実を振りかぶり、宙に高く投げた。軌道が頂点に達したところで、その中心を(やじり)(あやま)たず貫いた。矢の刺さった実が落ちる。見守っていた一座の若者たちがわっと歓声を上げた。


 ダルシャンが弓術に長けていることはジャニも知っていた。だが自らの伴侶が、王子であることを抜きにして、出会ったばかりの人々に称賛される姿を見るのは新鮮だった。

 とても新鮮で――そう、とても嬉しかった。


 ドゥルクが厳しげな口元をほころばせて頷いた。


「見事だ。護衛どころか、舞台にも上げられるかもしれんぞ」

「恐れ入る。だが目立つわけにはいかないのでな」

「はは、それもそうか」


 軽く笑い声を上げたドゥルクの目がふいにこちらへ向く。ジャニは背筋を伸ばした。


「で、あんたのお連れさんは?」


 小さく息を吸い、ジャニは答えた。


「私は……薬師(くすし)です」

「ほう」

「道具があれば野の草で薬を調合できますし、怪我や病気の治療も多少できます」


 視界の端でアナンターが首を傾げるのが見えた。そうだ、この子は自分が炎の力を使うのを見ているのだ。ここはどうか黙っていてほしい、という気持ちを込めて軽く目配せをする。アナンターは納得できないような表情をしていたが、何も言わなかった。

 ディーパが明るい声を上げた。


「いいね。曲芸師たちは打ち身やら擦り傷やらが絶えないからさ。あんたが手当てをしてくれるなら助かるよ」


 それを聞いたダルシャンが得意げに微笑んだ。


「我が妻は優秀だ。重傷を負った者の命を救ったこともある。全幅の信頼を置いてもらって構わんぞ」


 王族であることを知られないよう、なるべく丁寧な話し方を心がけているのであろう気配は何となく感じていた。ダルシャンにしては頑張っていたと思う。だが、微妙に素が出始めている。笑っていい場面ではなかったが、なんとなくおかしかった。

 幸いドゥルクには、そのあたりの機微を察した様子はなかった。彼は頷き、大きく笑みを浮かべた。


「いいだろう。ようこそ、我らが一座へ」

「あんたたち、名前は何ていうんだい?」


 ディーパに問われ、ジャニは思わずダルシャンの顔を見上げる。彼は軽くまばたき、ドゥルクたちの方に視線を戻した。


「……シャンカラだ」


 彼が誰より尊敬しているという、亡き第一王子の名だった。

 それを聞いて一瞬、考えた。ダルシャンがしたように、全く違う名を告げた方がよいのだろうか。だがこの国の人々に知られるに至った自分の名はそもそも本名ではない。であるならば、あまり迷うこともなかった。


「ジャニです」


 養父に与えられた名を口にするのは久方ぶりだった。

 ジャヤシュリーという名にも、いつしかそれなりに馴染んでいる。とりわけダルシャン相手であれば、もはやそう呼ばれなければ違和感があるだろう。それでいてやはり、森の植物を冠したこの名は、とても大切なものだった。

 ドゥルクが腕を組んで頷いた。


「シャンカラ、そしてジャニだな。よろしく頼むぞ」


 アナンターが小走りに寄ってきて、腕に抱えた無花果の実をひとつ差し出してくれた。

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