第15話 雨の会合
玉座の間に六人が集っていた。
王の座所の右には摂政サンジタがいつもの黒衣をまとって座っている。左側の椅子にはラマニー先王妃の姿があった。だが小姓が室内にもかかわらず傘をさしかけており、その顔は見えない。
階段の下にいるのはアラヴィンダ王子。その背後には蒼い炎の男――ルドラが控えている。
ダルシャンとジャニもまた、玉座を見上げるようにしてその隣に立った。
午前から降り続けている雨の音が、高い屋根に反響する。
口火を切ったのはアラヴィンダだった。
「改めてご紹介を申し上げます。これなるルドラは、西の辺境防衛にあたる兵士の一人にございます。生まれはラグ・クパの村、父の名はダクシャ、齢は二十一。今から一年ほど前に、炎を操る力が発現したと聞き及んでおります」
ルドラはじっと口をつぐみ、背筋を伸ばして立っている。ジャニやダルシャンの方は一顧だにしない。
「私の西域来訪にあたり、彼自ら〈炎神の験〉を名乗って面会に参りました。その力には疑義を挟む余地がございません。私自身の目で確認を重ねております」
ジャニの心臓が跳ねた。ルドラは堂々と〈験〉を自認できる人物なのだ。ひるがえって自分は――未だに恐れている。
「〈験〉の――まして人の形をとった〈験〉の出現は、我らが王国にとってきわめて重要な事態。ゆえにこうして王都へと連れて参った次第にございます」
そこまで言って、アラヴィンダは手を合わせる。
額に手を当てていたサンジタが、苦々しい声をこぼした。
「炎神が二人を選ぶなど、ありえざることにございますぞ」
褐色の目がこちらを向いた。ジャニは後退りたくなるのを必死にこらえる。
続くサンジタの言葉は、やはり自分に向けられている気がした。
「――少なくとも、どちらかは偽者でございましょう」
「サンジタよ。ジャヤシュリーに恨みでもあるのか?」
ダルシャンがきつく眉根を寄せる。その発言を断ち切るように、ラマニー先王妃が声を上げた。
「そもそも、なぜ〈験〉などという下らぬもので王を決めねばならぬのです?」
口元を華やかな扇で隠しながら先王妃は語る。どうあっても顔を見せたくないようだ。いったいなぜなのか、ジャニには想像がつかなかった。
「私のアラヴィンダは正統なる戦士階級の子。年齢も上で功績もございます。かくなるうえは、本人の美徳のみを鑑みて次王を決めるべきではございませんの? このようなならわしをとっている国など、周辺にございませんわ」
顔が見えなくても、先王妃の視線がダルシャンを刺したのが分かった。胸が苦しくなる。見上げたジャニのまなざしの先、ダルシャンは口の端だけで笑った。
「王妃様が私をよく思っておられぬことは承知の上。それについては何も申しますまい」
彼の手が突然にこちらを示す。ジャニは身を硬くした。
「だがジャヤシュリーを御覧じろ。我が妃こそ民の心を集める存在。『神に選ばれた』と称するにふさわしい女人にございましょう」
「……ダルシャン殿下」
サンジタが口を開こうとする。だが、ダルシャンが低い声でそれを制した。
「控えよ。女神もまた神であるぞ」
しばしの間、広間は沈黙に包まれた。
それを破ったのは聞き慣れぬ声だった。
「おそれながら」
全員の視線がルドラに向く。黒光りする鎧をまとった男は、一切の動揺を見せずに口を開いた。
「俺には神に選ばれたという自覚がある。ゆえにこそ力を鍛え上げ、自らアラヴィンダ殿下の元に馳せ参じたのだ」
ルドラの双眸が唐突にジャニを見据えた。その鋭さに、思わず息を止めた。
「それに対して、そこの女は何だ。昨日から、ただ震えているばかりではないか」
淡色の目がぎり、と細められる。婚礼の夜と同じだ。そこには明白な嫌厭が、敵意がある。
「女。〈炎神の験〉は王の刃だ。その役割を果たす気がないのならば、退け」
「貴様、我が妃に――」
怒りをにじませたダルシャンが前へ進み出ようとする。その瞬間、声がジャニの喉を突いて出た。
「わ、……私は!」
その場にいる全員のまなざしを集め、ジャニの足が震えだす。けれど彼女の舌は、すでに語るべきことを決めていた。
「……私は、退きません」
ダルシャンが瞠目する。黒い瞳がじっとこちらを見つめている。
それを見返しながら、ジャニは胸の前で両手を握り締めた。
「私の夫である、ダルシャン様の願いに――寄り添い立つと、自分で決めました」
再び沈黙が降りた。ルドラが小さく舌打ちをし、視線を逸らす。ややあって、ラマニー先王妃が吐き捨てた。
「……気分が悪いわ。私は下がります」
言うや彼女は立ち上がり、扇で顔を隠したまま階段を下りていく。傘を持った小姓が慌てて後に続いた。
サンジタが大きく頭を振る。片目の端がひくついているのがジャニには見えた。
「摂政よ。何か?」
アラヴィンダの問いにサンジタは大きく溜め息をついた。
「……私の申し上げるべきことは変わりませぬ。〈験〉の承認が行われるのは秋の祭礼。神々の思し召しにより、それまでに真なる選定が下ることでしょう」
ルドラが眉根をきつく寄せた。ジャニも息を詰める。
「無論、それまでにいずれかが、あるいは両方がその正体を現すことあらば。――この私が自ら、判断を下しまする」
アラヴィンダはしばらく黙していた。だがやがて静かに礼をとり、きびすを返した。ルドラもその後に続いて広間を去った。
ダルシャンがジャニを振り返り、黒い目を細めた。
「俺たちもいったん部屋に戻るぞ。来い、ジャヤシュリー」
※
二人の部屋に帰ると、パーヴァニーが発酵乳の飲み物を用意してくれていた。
先ほどの会合でひどく喉が渇いていたから、ありがたくいただくことにする。窓際に座って一口含む。とろけそうな甘さと酸い香りで、疲れ切った頭が少しよみがえる気がした。
やっと人心地ついたところで、ダルシャンが口を開いた。
「――文書の調査に本腰を入れねばな。少しずつ調べてはいたが、婚礼の準備であまり進んでいないのだ」
彼は器を小卓に置き、窓の外を見やった。
「ウッジェンドラの炎は蒼かったという記述を見て以来、何かがおかしいとは思っていた。昨日のルドラとやらの操る炎を見て確信に変わったがな。〈炎神の験〉の伝説には何かがある。表で語られる話とは違う事実が隠されていると思えてならん。それを明らかにしたうえで、サンジタと渡り合う必要があるだろうな」
ジャニは膝の上の器を両手で握り、ダルシャンの横顔を見つめた。
「私にも手伝わせてください。字は読めます。……古書体になると、あまり自信はないですけど」
ダルシャンがこちらを見返し、小さく笑んだ。
「よかろう。ついでに改めて古書体を教えてやるぞ。学ぶのは好きだろう?」
「……はい」
ジャニは首肯する。新しいことを学んでいるときは、胸をざわつかせるものがなくなっていく感覚がする。
「明日から数日は別件で慌ただしい。だが、そのあとなら時間が取れるはずだ。共に書庫にこもるとするか」
「分かりました」
ダルシャンは満足そうに頷き、器をもう一度手に取った。ジャニは窓の外に視線を移した。
雨はまだ続いている。曇天は静かに流れ、光の一筋もこぼす様子がない。
だがその雨の中、小さな鳥が飛ぶのが見えた。鳥は窓のすぐそばにある木の枝にとまり、濡れた羽根を繕い始める。
鳥は好きだ。養父を思い出す。両手に収まりそうな姿を見ていると、少しだけ口元がほころんだ。
ふと視線を感じて、ダルシャンに向き直った。彼もまた、何を思っているのか、かすかに笑みを浮かべてこちらを見ていた。




