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2-4 それぞれの家庭事情

アキテルがCafé Bereshitに着いたのは、放課後から一時間半ほど経ったころだった。木目調のアンティーク家具が揃った穏やかな店内には、香ばしいコーヒーの香りが漂っている。やや古めかしい内装で、ここがエデンであることを思わせない、独特の雰囲気があった。


「悪い、待たせたか?」


走ってきたのだろう、ダリウスが少し息を上げながら入ってきた。


椅子に腰掛ける彼に、僕は水のグラスを渡しながら尋ねる。

「そういや、用事って何だったのかい?」


ダリウスはごくごくと水を飲み切って、ぷはあと息をつき、口を開いた。

「家に寄って、親父のパソコンを拝借して、政府のデータベースをちょっと覗いてきた」


政府のデータベース……?

僕は思わず身を乗り出した。ダリウスがセキュリティを突破するのは、これが初めてじゃないが、それでも相当リスキーだ。


ダリウスは神妙な表情で画面をこちらにも向けた。


「ミオのことが気になってな。俺は彼女が“親の意向で改造された子”らしいって話を聞いたから、児童福祉省の通報履歴を探してみたんだ。正直さすがに、“児童虐待”に該当するんじゃないかと思ってさ」


ダリウスの指先が示した先には、“極端な遺伝子改変ならびに児童虐待の疑い”に関する通報記録が並んでいた。


ダリウスはそこから、2185年生まれの児童のセクションを開いて見せた。

「……これ、どれも僕らの同級生じゃないか」

思わず息を呑む。配慮が必要な“特殊ケース”が多いと聞いていたが、ここまでの背景があるとは知らなかった。


親によるデザイナーベビー技術の越権使用ならびに同意のない手術が疑われ、一度は児童福祉省が“一時保護”したが、ミオ本人の希望で家に戻っている。


他にも先天性白皮症(アルビノ)のスーリヤが「動画素材のため晴天下に何時間も連れ出され、皮膚炎で受診した病院から通報」、環境要因による知的障害を発症したカイジュンが「親にネグレクトされている」疑い、故意の軟骨不形成により引き起こされた低身長症のクリスピン……。


「エデン政府が“過度な改変は違法”としたのは、こういう子どもたちが産まれて、通報が相次ぐようになってからだ。――エデンは科学技術の発展を第一に掲げた国だ。だから、それを妨げるような法律は、今の今まで作られていなかったんだよ。それに、通報されても“本人の希望”ってやつで済まされる場合もあるみたいだ」

ダリウスは小さく溜息をつく。


「アルカディア学園は寮が併設されている。おそらく、こうした児童を保護する目的もあるんじゃないか?」


資料を読み進めながら、僕の胸にはざわざわとした罪悪感が込み上げてきた。

「……それに比べて、僕はこんなことで悩んでたのか、って思えてきたよ。『理想的な人間標本でお前は幸せだな』ってクラスでちょっと言われただけで。なんか……申し訳ない。」


手が震える。クラスメイトが軽く投げた「世界一幸せ者じゃん」という言葉に心を乱されていたが、今はそれがいやというほどに心にのしかかる。ここにある現実は、僕の安易な想像を遥かに超えた深刻さを映し出しているのだ。


「僕は、バビロンに行っている場合なのかな……」思わず呟いた。


ダリウスはコーヒーを一口飲んで口を開いた。

「お前が心の底からバビロンに行くのをやめて、慈善活動に人生をささげたいって思うなら、俺は反対しねえよ。……俺は、そんな義務感で生きるのは違うと思うけどな。」


「でも……僕が恵まれてるなら、それを活かして“誰かのために”なることをしなくちゃいけないんじゃないかな……なにかできることを……」


ダリウスは僕をじっと見つめて、ため息交じりに言った。

「“ノブレス・オブリージュ”とか言うやつだろ。富める者や力ある者が、弱者を助ける義務があるって。

……俺はああいう押しつけがましい思想が嫌いだ。自発的に優しくするのはもちろん尊いことだが、それを“恵まれてるんだからやれ”と強要するのはおかしい。そういう空気があるのも気に食わない。人の善意を“当然の義務”に仕立て上げて、やらないやつを責めるなんて筋違いだ。」


言い切るダリウスの瞳は鋭い。

「“世界が理想的でない”責任を、勝手に“お前は恵まれてるんだから直せ”と押し付けてくる人間がいるが、それこそ世界を変える足を引っ張る要因だ。恵まれていようがいなかろうが、誰にだって何かしらできることはあるんだよ。そいつを棚に上げて、自分が行動しない言い訳にする奴は、くそくらえだ。

……まぁ、お前が本当に慈善活動をしたいなら、俺も止めはしねえ。でも、『お前は幸せ者だから苦しむ人を助けるべき』なんて言う連中、胡散臭いと思わないか?」


「それはまあ……確かに」とつぶやく。ダリウスのいうことは分かる。でも、どうしてもクラスメイトの声が耳から離れず、これでいいのか、という思いが拭えないままでいた。


「で、どうする? もしお前が“エデンで誰かを助ける活動”に専念したいなら、俺はそれでもいいさ。けど俺は、バビロンへ行く。何が何でもな。」

ダリウスがきっぱりと言い切り、僕の目を真っ直ぐ見る。


その瞳に、僕は少し救われた気がした。少し考えてから、僕は意を決した。

「行くよ、僕も。そうした子に何かできるかは分からないけど、エデンに留まってやることが全てじゃない。それに、僕がエデンで何かしたところで、大して何も変わらない気がする。……なんたって、僕自身も、バビロンに行きたいし。」


「決まりだな。」ダリウスが嬉しそうに頷き、カップを差し出した。

その横顔には僅かな高揚と、どこか静かな決意がうかがえる。僕は心がじんわりと温かくなるのを感じながら、応えるように自分のマグを持ち上げる。

――ガラス同士が触れ合うカンという小さな音が、まるで今ここに新たな約束を刻むように響いた。

僕は微かな笑みを湛え、彼と視線を交わす。「やろう。」その瞬間、ダリウスの唇も同じように、ほんの少しだけほころんだ。僕たちは、この乾杯(やくそく)を胸に、未来へと踏み出していくのだと思った。


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