2-3 ミオ-MEOW-という少女
「ところで、俺の親父がさ、また国会中継で『極端な改変は取り締まるべき』って演説したらしいんだよ」
放課後、ダリウスは画面をなぞりながら言う。ニュース動画には、レオナルド・レイヴァン氏が議場で答弁する姿が映し出されていた。
「遺伝子編集がいくら先進技術だからといって、子どもの意思を踏みにじり、社会に負担をかけるような過度の改変は認められない……!」
拍手する議員たちを前に、彼はさらに主張を続ける。しかしその裏で、革新派の議員が「科学の進歩を否定するのか」とヤジを飛ばしていた。
「親父も苦労してるんだな」
ダリウスが皮肉っぽく笑う。
「俺は正直、親父の言うことに賛成だよ。ミオみたいな子を見てると、可哀想だろ? 親が無神経に改造したとしたらさ。もっとも、彼女がどう思ってるか分からないけど……」
たしかに。僕も同感だ。
「でも、革新派の主張にも一理あるかもよ。“世界に存在しない新しい人間を生み出すことで、人類に革新をもたらす”って……なんだか、エデンの理念に近い気もする」
「そりゃそうかもしれねぇけど、現実には苦しんでる子がいる。理想ばっか追いかけても、本人が望んだわけじゃないってケースが問題なんだろう」
ダリウスの言葉が鋭く胸を突く。僕らの学校には、改変に満足している子もいるのかもしれないが、要は“親の意思”だ。果たしてそれでいいのか――けど、最初から自分の意思で産まれてくる赤子なんているはずもない――
ぼんやりとそんなことを考えていると、ダリウスは「おっ、もうこんな時間か。今日は18時に喫茶店で待ち合わせな。俺はちょいと寄るところがあるから、じゃ。」と言って、どこかへ行ってしまった。
……まだ二時間もあるじゃないか。ダリウスめ。
日没前の夕陽が差し込む廊下。部活や帰り支度でざわつく生徒たちの声を背景に、僕はふと違和感を覚えた。いつもならメガネ型の支援デバイスを装着しているはずのミオが、素顔のまま廊下を歩いている。
黒い毛並みと猫耳、長い尻尾。いつ見ても不思議な光景だが、今日は特に元気がないようだ。背中を丸め、耳と尻尾もだらりと垂れている。まるで燃料切れになった猫型ロボットみたいに――いや、失礼なことを考えてしまった。
「ミオ……?」
いつもなら声をかけるか迷って通り過ぎてしまうところだけど、今日はなぜか胸がざわつく。何かあったのかもしれない。
意を決して、僕は小走りでミオの後ろ姿に追いついた。
「ねえ、大丈夫? 具合が悪そうだけど……」
彼女は少し驚いたようにピタッと立ち止まる。瞳孔が縦長に収縮し、僕を見上げた。猫耳もほんの少しだけ立ち上がる。
「あ……ごめん、私、そんなにやばい顔してる?」
その声は、自嘲的な笑みとともに微かに弱っているように聞こえた。
「いや、なんとなく、ちょっと心配になったから。いつもメガネのデバイス、つけてるよね。今日は外してるし、なにかあったのかなって……」
僕は気まずそうに言葉を探す。彼女の瞳は金色に光り、そこに疲労が浮かんでいた。
「うん、ちょっと頭が痛くて……デバイスが逆にうるさく感じたから外しただけ。別に大丈夫……だと思う」
ミオは視線をそらし気味に、ふわりと耳を動かす。尻尾が虚ろに左右へ揺れた。もしかして、彼女が改変されているのは、見た目だけじゃなくて、知覚の敏感さもあるのかもしれない。
「そっか。…よかったら、少し休んでいかない? 僕も、正直今日は色々あって気が滅入ってるし、一緒に屋上でも行ってのんびりしない?」
自分でも驚くほど自然に誘っていた。彼女はちょっと目を丸くして、浅く息をつく。
「うーん……屋上か。風があるかもしれないけど……」
彼女は一瞬耳を伏せかけるが、僕の顔を見て小さく笑う。
「……じゃあ少しだけ。ありがとう」
うちの学校の屋上は基本的に開放されている。もちろん安全フェンスは高く、ドローンがカメラで見守っているのだが、夕暮れどきの風は心地よい。
ミオはフェンスの手前で“ふにゃあ”っと小さく伸びをすると、長めのベンチに腰をおろした。耳が風に揺れ、尻尾がぴくりと動く。
「ごめん、……座っていてもいいかな」
「大丈夫。無理しなくていいよ。僕も座る」
そう言って、僕も少し離れたところに腰を下ろした。
風が吹き抜け、夕陽が西の空を赤く染める。ミオは丸まった背中をそっと伸ばすと、ふう、と長く息を吐く。
「なんか、変な日だね。私、外見が目立つから嫌な視線も多いんだけど……今日はそれ以上に疲れた気がする」
「……学園祭のホームルーム?」
「あれは、アキテルのほうが大変だったじゃない。私は……変に気遣われて、話しかけても貰えなかった。」
「そっか……」
「いつもと変わんないんだけどね。ちょっと、疲れちゃったかも。みんな“変わり者”を見る目は慣れてるって言うけど、実際は好奇の視線はずっとあるし、それを『仕方ないでしょ』って受け流すのも疲れるっていうか……」
彼女は自嘲気味に呟きながら、瞳孔を細めて西日をやり過ごす。
「ごめん。俺、何も知らずに喋ってたよな。『かわいい』とか、そういうのしか考えてなかったかもしれない……」
思い切って本音を言うと、ミオは少し驚いた顔をして、はにかんだ。
「ありがと。“かわいい”って言われるのは嬉しいんだ。
……けど、その先で『親がこうデザインしたから』って話になると、どう反応すればいいか分かんない。私自身、選んだわけじゃないし……正直、普通の女の子だったら、っていつも思ってる。けど、これが私の体なんだよね……手術できるって教えてもらったけど、成長期が終わってからだし、体への負担も大きくて、成功して普通になれるかは分からない、って言われちゃった。」
そう言って触れる耳や尻尾を見ている彼女の横顔が、妙に切なくて美しかった。
想像以上に複雑な背景のミオに、僕は何といっていいのかわからなかったが、何か言わなければと言葉をひねり出す。
「……もし迷惑じゃなかったらさ、僕、これからも気軽に声かけていいかな? その、なんていうか……君がしんどそうにしてたら助けになりたい、みたいな……大げさだけど……うまく言えないや」
言葉がもつれて情けなくなる。ミオは意外そうに小首を傾げ、クスリと笑った。
「ふふっ。アキテルって、人間標本って言われるから、もっと話しにくいと思ってた。」
ミオは安堵した表情を浮かべ、少し考えるように目をつむる。
「そしたら、もし今日みたいに調子が悪い時は助けてくれる?眼鏡のノイズがひどい日もあって、どこか静かなとこに逃げたいときがあるんだ」
「もちろん。いつでも言ってよ」
そうして僕とミオは、小さな笑顔を交わした。猫耳がふわりと揺れ、尻尾の力が少し戻ったように見える。
沈黙がしばし流れるが、不思議と居心地が悪くない。風の音と、見回りカメラが微かに旋回する電子音だけが、夕暮れの屋上を満たしていた。
僕は胸に広がる温かさを感じながら、遠くに暮れゆく街を見つめた。エデンだって、完璧じゃない。人にはそれぞれ抱えるものがある。それを穏やかに共有できるのが、きっとこういうささやかな瞬間なのかもしれない。