1-4 父親と息子
ダリウスの父親であるレオナルド・レイヴァン氏は、エデン連邦議会の下院議員という肩書きを持つ。そこそこの影響力がある政治家だが、忙しさゆえに、家庭内では中々話す時間がないらしい。
晩酌の時間、ダリウスは父親お気に入りのつまみを手に、ダイニングを訪れた。
「よっ親父、飲んでるのか?ここに美味い燻製チーズがあるんだけど、ウィスキーのお供に、どうかな?」
「おお、気が利くじゃないか。ありがとう。ふむ……なにか、おねだりでもあるのかね?」
父親に見透かされて、ダリウスはぎくりとした。
「あ、ああ、実は…」
ダリウスは、バビロンに興味を持っていること、そして、先日レオナルドが調査団のことを言っていたことを引き合いにだして、なんとか自分もバビロンに行ってみたいことを述べた。
「ふうん……バビロンに興味を持つのは結構だが、そもそも、お前たち学生が容易に口を出せる話じゃないんだぞ?」
レオナルドはウイスキーの氷を小さく揺らしながら、渋い顔をした。
「知ってるよ。でもさ、その……若者の視点が必要ってことも、一理あったりするんじゃないのか?」
ダリウスは苦し紛れに何とか穏やかに切り出すが、レオナルドは苦々しい表情を浮かべる。
「なるほど……“若者の視点”ね。まあそれを装飾に掲げる政治家もいるが、実務を考えればお前たちが同行する意味は薄い。お前たちが想像しているより、バビロンは未知で、交渉はずっとセンシティブな問題なんだぞ。『俺の息子』ってだけでほいほい入れるほど甘くない。そもそも、政府首脳も、まだ派遣自体を検討している段階だ」
「でも――」
「まだ早い。以上だ。」
交渉らしい交渉にはならず、レオナルドはあっさり切り上げる。ダリウスは食い下がりたそうだったが、父親が「以上」と言ったからには議論は強制終了だ。
レオナルドはウイスキーをあおり、背もたれに深くもたれかかる。
ダリウスは悔しそうに唇を噛んだ。
「くそっ……やっぱり門前払いだ」
晩酌を終えたレオナルドが寝室へ引っ込んだ後、ダリウスは悔しそうに呟いた。
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翌朝、出勤準備をしているレオナルドを確認して、ダリウスはドアを仰々しく開けた。画面を見せつけると、抑えた声で告げる。
「なあ、親父、こういう記事があるんだけど……もし本当なら、ちょっとまずいんじゃないの?」
“バビロン企業と裏取引? レオナルド・レイヴァン議員の汚職疑惑”
見出しをひと目見るなり顔が強張った。
「な、何だこれは。どこのデマだ? 俺がそんな真似をするわけないだろう……」
だがしかし、言葉とは裏腹に、その目はやや焦っているように見える。
「そりゃそうだよな。でも、噂って怖いだろ? 本当かどうかなんて世間には分からないから……下手すると大騒ぎになるかもしれない」
ダリウスは冷たい笑みを浮かべる。
「もしデマなら何よりだけど、こんなのがネットでさらに広まったらどうなると思う? 親父の信用、がた落ちだよな?ああ、親父がこんなことをしていたなんて、俺は正義感から手が滑って拡散してしまうかもしれねえ……だけど、ほら、この間の“バビロン調査団”の話があるじゃないか。もしそこに俺が同行するって話になったら、俺の手が滑ることはありえないっていうか」
レオナルドは大きくため息をついて、呆れたようにつぶやいた。
「お前なあ……」
一息深呼吸してから、続けて述べた。
「いい度胸をしてるじゃないか、ダリウス。そもそも調査団の話はまだ未定だと言ったろう、3年後、5年後、いや、もっと先の話になるんだ。」
「ああ、分かってるさ。でも親父が“俺たちを同行させる可能性はゼロじゃない”って言ったのは、本当だろ?だったら、少し前向きに検討してくれたら嬉しいな、って話さ。」
ダリウスが挑戦的な笑顔を浮かべると、レオナルドは長いため息をつき、両目を閉じて頭を振る。そして、気を取り直すように言った。
「……分かったよ。そんな下らないデマ記事に踊らされるなんて、不本意だが――少なくともお前たちを同行させる方向で、一考してやろう。だが、まだ派遣が決まったわけじゃないからな。調査団自体が何年先になるか分からんし、その時にお前たちが”相応の身分”になっていれば検討するってだけだ。いいな」
「それで十分さ。ありがとう、親父」
ダリウスがわざと軽く頭を下げると、レオナルドは苦々しげに口を結ぶ。
自室に戻ったダリウスは大きくガッツポーズをしたのだった。
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登校した僕は、まず、教室に入るまでに、女子たちが「今日のダリウス、どうしたんだろうね……」と噂しているのを聞いた。まさか、親父さんの説得に失敗して、ありえないほどに落ち込んでいるのか――?心配しながら教室のドアを開けると、ダリウスは画面を見ながらニヤニヤしている。確かにこれは、いつもの学校では見ない顔だ。
ダリウスに声をかけてから、「――ところで、親父さんの説得、うまくいったのか?」とひそひそ声で問うと、彼はニヤリと笑って指を振って見せた。
「ふっ、脅しがうまくいったんだよ。」と、ダリウスは僕の提案が通らなかったのを、それ見たことかとでも言いたげに、自慢げな顔をしてみせた。
「じゃあ、あの記事は――」僕が言いかけたところを、ダリウスが画面を見せる。
「もう消したよ。ほら、何度検索しても出てこない。俺が投稿した記事だから、当然だけどな」
「まさか、本当に実行したのか……」
アキテルは呆れたように嘆息する。
「親父さんは、まだ焦ってるかな?」
「ああ、焦ってるはずさ。それに、”どこ探してもその記事が見当たらない――どういうことだ?”って思ってるはずさ」ダリウスはおどけるように肩をすくめてみせた。
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――同じ頃、レオナルドは書斎でマウスを握りしめていた。
「なぜだ……あんな記事があったのに、どこにも見当たらん――」
そこでふとある考えに気づき、脱力する。
「これは、あいつに一杯食わされたか……身内だからと油断したな……」
そう呟く父親の瞳は悔しげに揺れているが、同時に、嬉しそうでもあった。
「成長したもんだよ、まったく……」微かな笑みを漏らし、呟いた。
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その翌晩も翌朝も、ダリウスは食卓で父と顔を合わせても、まるで何事もなかったかのように振る舞った。レオナルドもまた、普段と変わらぬ調子でニュースを追いながら、ちらりと息子に視線を投げかける。それは“いつか自分と同じように政に関わるかもしれない”という含みを帯びた、かすかな期待の眼差しかもしれない。
13の若者の道のりはまだ長い。実際にバビロンへ向かうのは何年後かになるだろう。しかし、エデンを出て外の世界を見たいという夢を叶える第一歩として、今回の“小さな悪だくみ”が奏功したのは事実だ。そして何より、父親は息子を“ただの子ども”としては見なくなった。
――これからほどなくして、ダリウスは外交官を、そしてアキテルはバビロンの研究者になることを心に決めるのだった。