1-2 エデン連邦共和国の歴史
喫茶店での出会いをきっかけに、僕とダリウスはつるむようになっていった。彼と過ごすと、理想的な人間標本とされる自身がちんけに思えるほどに、ダリウスは超人的だった。ダリウスはクラスメイトだったが、ホームルームや体育、学校行事などでしか顔を合わせることがなかった。どうやら相当勉強ができるようで、僕が受けている講義で彼を見かけることはなかった。僕だって、そこそこはできるはずなのだが。それでいて彼は、気さくで誰とでも打ち解けるのが早い。人間関係に悩むことすらないようだった。僕には、ダリウスの方がよほど、理想的な人間であるように思えたし、そんなダリウスが僕とつるんでいることが不思議なくらいだった。
ダリウスは博識で、政治家の息子だからというのもあるのだろう、僕らの国、エデン連邦共和国の成立と、ここでは、ほとんど話題にあがることのない外の世界、通称バビロンについて、よくこのCafé Bereshitで、コーヒーを片手に語ってみせたのだった。
お前さ、“エデン”がどうやってできたか、ちゃんと知ってるか?学校の教科書に載ってるやつなんてほんの一部だぜ。歴史の授業だと21世紀の後半くらいから急に世界が混乱して、いきなりエデン構想が出てくるだろ?でも実はもっと前――第二次世界大戦が終わった1945年以降から話を始めないと、結局はなぜ分断されたかが見えてこないんだよな。
第二次世界大戦後、メリカは豊富な資源と強力な生産能力を背景に“世界の中心”的存在になったんだ。エーロッパ諸国が戦争の影響で疲弊してるうちに、メリカだけががっつり成長したわけ。冷戦時代が始まって、メリカとリシアがお互いを核兵器で威嚇し合う時代になるけど、“実際に大規模な戦闘にはならなかった”とはいえ、いつ戦争が起きてもおかしくない緊張感が世界を包んでたわけ。
その間にメリカ国内では、戦後まもなく復員兵への教育支援とか住宅ローン制度の整備なんかが進み、多くの市民がマイホームを手にして“豊かな暮らし”を実感できるようになった。いわゆるメリカンドリームってやつだ。けどな、1970年代くらいになると石油危機やビトナム戦争、それに産業構造の変化なんかが重なって、経済成長は陰りを見せ始める。ITや金融は莫大な利益を生む一方で、工場労働者や海外に仕事を奪われた労働層はどんどん取り残されて、社会の中に“誰も助けちゃくれない”って不信感が育つわけさ。
で、テロ事件を境に、メリカは安全保障を最優先にした政策をとるようになる。エフガニスタンやダラクへの軍事介入だな。そりゃあテロへの恐怖は分かるが、長引く戦争は国民を疲弊させる。さらに2008年にリーマンショックが起きて、多くの人が仕事や家を失い“既存の政治や大企業は一部の人しか救わない”っていう不満が爆発。戦後の豊かな暮らしがあったからこそ、民衆の不満もでかかったんだろうな。結果、スペードが大統領に選ばれた。政治経験のない不動産王が、既存の政治家じゃ無理だっていう層の期待を背負ったんだ。
スペードは移民規制や保護主義を打ち出して、“メリカをもう一度偉大な国にする”って強烈なメッセージで盛り上がった。SNSを駆使して大衆の支持を集めるやり方は斬新でね。いわゆる既存のエリートやメディアを『フェイクニュース』扱いすることで、自分たちの支持基盤を強固にしたんだよ。だけどパンデミックの影響もあって次の選挙は敗北。続いたべイデン政権はパンデミックの封じ込めや経済再生に追われたけど、社会的・経済的な混乱はそう簡単に解決できるわけじゃない。格差も分断も思うように改善されなかった。それに、この頃の左派も人権意識がオーバーヒートしていてな、人間の性別がXX個あったんだ。そういうのも問題視されていた。そういう背景があって、再び“変化”を期待する声が高まって、2024年の大統領選挙でスペードが復活することになった――なんて流れは教科書にも出てくるな。
でもな、その後がヤバかったんだ。スペードが唱える『ディープステート論』――いわく、『科学者や富裕層が世界を裏から操ってるんだ!』っていう陰謀論――が広がりを見せたせいで、ワクチンや医療についても、『政府が庶民を操作しようとしてる!』って主張が真実味を帯びちゃった。実際は高度な医学技術を使ってコロナを抑えようとしてた科学者を、悪の組織扱いしたんだからね。そうなると、AIやバイオテクノロジーで格差を生む“科学者エリート”やら富裕層が憎まれていくわけだよ。巨大な権力に歯向かうレジスタンス、なんて言ってね、勇者気取りさ。
いろんな国の代表も、スペードの影響を受けて『ウチの国を裏で牛耳ろうとしている外国勢力がいる』とか言い出して、国際協調なんてガタガタ。AIやバイオ技術が進化した結果、産業革命のように業務効率が上がって、経営者である富裕層がますます豊かになる一方で、失業者が増加。貧困層は取り残され、反乱やテロが頻発する。その混乱を見かねて、科学者や企業オーナーが主導したのが“エデン構想”ってわけ。遺伝子編集や計算機技術をフルに使って、人類の生存を最優先に安定した社会をつくろう——要するに、“理想郷”を自分たちの手で築こうって話だった。この頃はLLMによる自動翻訳も結構な精度になっていたからな、それまで問題とされていた言語の壁はなくなって、「自分の理想の国に住みたい」って思いが、世界各地で広まっていったんだ。
それで遂に22世紀の中頃には、エデン構想に参加していた実験都市や研究都市がまとまって“エデン連邦共和国”をメリカ大陸につくった。なぜメリカ大陸かって?そりゃ、メリカ大陸が元々医療やAI研究でトップだったから、ってのもあるし、シャイナの影響もデカかったな。シャイナは元からAI産業が盛んだったんだが、そこの主導者が国力が落ちてきているのに無茶な侵略戦争と大規模な言論統制をやってな、それを嫌って、有識者層や技術者がこぞってメリカに亡命したんだ。メリカ側もそれを歓迎して手厚く迎えたしな。それに、スペード大統領になってもとくに状況は良くならなかったじゃないか、って一番思い知っていたのが、メリカ国民だったからな。
だけど、世界全体がまとまるなんて話には、当然ならない。レジスタンス勢力が『知識層や富裕層による大規模搾取だ!』って喧伝したんだ。まして『AI管理や遺伝子操作なんて御免だ』っていう層もいて、移住を拒否する奴らも多かった。思ったほど大挙して移住する事態にはならなかったんだよ。
熱心なスペード信者をはじめとして、エデンに参加しなかったりAI管理を嫌った勢力は、自然とシャイナやエーロッパ諸国といったエラシア大陸に集まる形になった。奇しくもメリカ大陸がエデン、エラシア大陸がレジスタンス―いまではエラシアのでかい商会の名前を取ってバビロンって呼ぶことが多いが―みたいに地理的に分かれたもんだから、そこまで大規模な武力衝突は起きなくて済んだ、という面もある。
エデン連邦はテクノクラート制だ。つまり、各学術分野のエキスパートが議会を支配して、遺伝子編集技術やAIで社会を最適化しようとしてるわけだ。人工子宮オルガノイドでデザイナーベビーを量産、インプラントでホルモンバランスを管理して、精神疾患や犯罪率を下げる。そうやって効率的で平和な社会を目指す。実際、今はかなり便利で治安も良いし、深刻な病気がほぼ撲滅されている。俺たちが暮らすこの国、エデンってのは、ある意味すごい成功例なんだよ。
でも外界――つまりバビロン側からすると、「エデンの連中は魂を捨てた家畜だ」って言われてる。養殖人間、なんて揶揄されてるらしいぜ、ウケるだろ。遺伝子操作とインプラントとAI管理で作られた幸福なんて“偽物”だ、人間じゃない、とね。ただし、バビロンの内情は混沌そのもの。闇市場や独裁者、宗教過激派が入り乱れていて、国家間の紛争も絶えないらしい。エデン政府はそこを『危険な無秩序』って言って、公式には一切関わらない姿勢をとっている。まあ、敵認定されてるしな、近づかないに越したこたあない。
ただ、俺もまだ詳しくは聞いていない部分も多いんだが、実は密貿易が結構存在してるんだと。公には否定されてるけど、噂は絶えない。エデンじゃ得られない希少資源や芸術文化を手に入れるため、裏でバビロンとの取引をしている企業もあるらしいぞ。だから表向きは『バビロンは放置してるだけ』と言いつつ、裏じゃ交流してるって話さ。バビロンはその対価に医薬品やら半導体部品を受け取っているんだとか。
……で、ここの問題は、一見平和で効率的なエデン社会も、得られないものがある、って話だ。希少資源は分かるんだが、エデン側が入手しているのは、娯楽作品や芸術作品だ。俺の親父は、エデンの創造性が低下しているんじゃないか、って言ってたよ。実際、芸術文化も停滞ぎみだしな。百年二百年前の作品のリメイク作品ばっかが流行る訳だ。
一方、バビロンでは生命や安全の保証が乏しい。暴力や腐敗が絶えないけど、そのぶん自由闊達で、多種多様な文化が生きているとも言われる。…バビロンのことは、実際よく分かんねえんだけどな。
ま、こうして世界は二分されたままなのさ——“エデン連邦”と“外界”に。
俺は思うんだがな、エデンはエデンで欠けてる部分があるのも事実。芸術や創造性は停滞してるし、我々若い世代が何を生きがいにすればいいか分からないって声も多い。そこをバビロンの闇市場や文化で補ってる企業もある――もちろん密貿易だから、政府は黙認してるだけで公には否定してるけどな。
――こういうわけで、今のエデンって一見完成された世界だけど、“本当にこれでいいのか?”って思う奴らが少なくないのは事実だ。お前が『理想的な標本人間なのに、何かつまらない気がする』って言ってるのも、その辺りに原因があるかもしれない。だから、もしもその真相を知りたければ、手がかりは、存外バビロンにあったりするのかもな。ま、バビロンなんかに行ってどうなるのかは、さっぱりわからないけどな。」
そう言ってダリウスは、少し笑うように一息つくと、カップのコーヒーをぐいと飲み干した。彼の瞳には、どこか冒険心にも似た光が宿っているように見えた。僕は、そのまぶしさに言葉を失いながらも、心の奥に疼く“物足りなさ”が、ほんの少しだけ形を得ていくのを感じていた。