2-7 人工知能ψ(PSI)
その放課後、僕らはいつもの喫茶店で落ち合っていた。
昼間に出来たささくれがまだ染みて気に障る。どうやら僕はダリウスの話を半ばうわの空で聞いていたらしく、彼に指摘されて気が付いた。
「なあ、今日なんかあったのか?いつものお前らしくないな、ぼんやりしていて。」
思わずぎくりとした。心当たりはある。
「あ、ああ、ごめんよ。実は、昼にローレンスたちに絡まれちゃってさ……」
僕は、ローレンスとの一部始終をダリウスに話した。ダリウスは、「ああ、そういうことか……」と深いため息をついて、ローレンスについて語り始めた。
「あいつはな、俺の幼馴染だったんだよ。最近力をつけて大手テック企業の仲間入りを果たしたψ(PSI)テックは知ってるだろう?」
「うん。人工知能ψ(PSI)――空気の読める人工知能で最近流行っているよね。僕は使ったことないけど……表情認識とブレイン・インプラントからこちらの感情の変化を推測して、返答を変えているって、聞いたことがあるよ。」
僕は母から聞いた記憶を辿って、話の続きを促す。
「そう、その開発者でψ(PSI)テックの創業者が、あいつの伯父であるトーマス・マドックスだ。トーマスが、俺の親父の大学院時代の同期でさ。昔うちで開いてたホームパーティーに、よくローレンスも連れて来ていたんだよ。ψ(PSI)の計画はトーマスもよく語っていたな。これからすげえ人工知能ができるぞ、って。」
ダリウスはそこまで言うと、なつかしそうに微笑むような、けれどどこか複雑そうな表情を見せる。
「トーマスは、野心家だけど、人懐こいおじさんでさ。よく俺とローレンスが遊んでいるところにやってきては、『おっ、仲良くしてるか?』って、俺らの頭をわしゃわしゃと撫でていったよ。けど、自分の姪であるローレンス――昔は“ローラ”だったな――には妙に厳しくてね。俺のことをこれ見よがしに大げさに褒めたりするもんだから、ローラはいつも睨んできてさ……そりゃあ嫌な気分にもなるだろうな。」
そう言いながらダリウスは苦笑する。その様子から、当時の雰囲気が伝わってくるようだった。
「あいつの両親は不仲だったし、仕事で家を空けがちだったらしい。だからトーマスが世話を焼いていたんだけど、結果的にローラにとっては色々こじれたんだろうな。あいつは俺を勝手にライバル視して、何にしても張り合ってきた。俺が勝てばめちゃくちゃ不機嫌になるし、負ければ負けたで面倒だし……トーマスも、もうちょっと穏やかに遊べないものかと、頭を悩ませてたよ。」
ダリウスは少し肩をすくめ、「でも、そのうちトーマスも妹のライザ・エインズワース――要はローラの母親が下院議員になって、疎遠になった。なんたって革新派の中心人物だからな、うちとは気まずくなったんだろう」と付け足す。
「久しぶりにローラと会ったときは、誰か分からなかったよ。昔は茶髪のくせっ毛だったのに金髪になっているし、なんか性別も変わってるしよ……」
その言葉に僕は少し驚いたが、ダリウスはあまり気に留めないふうに続ける。
「それで、ローレンスはψ(PSI)テックを継ぐつもりみたいだ。それはまあ実現可能だろうけど……目指してるのは、ただのビッグテックの後継者なんてヤワなもんじゃない。最終的には“全知全能の神”を仮想世界に造る、なんてことを本気で言ってるんだ。」
「全知全能の神を……仮想世界に?」
思わず聞き返すと、ダリウスは苦笑混じりにうなずいた。
「そう。トーマス本人は、そんなことは言ってなかったんだが……久しぶりに入学前に連絡くれたときには、『ローラを止めてくれ』って言ってたよ。あのときは何のことかと思ったけど、今のローレンスを見れば、ああなるほどってね。」
ダリウスはコーヒーをひと口すすり、憂いを含んだ目でテーブルを見つめる。
「……ま、お前がローレンスに絡まれたのも、あいつの過去を知れば納得だろ。昔からあんな感じで、負けず嫌いにも程があるんだ。絡まれても気にしすぎない方がいい。」
「でも、あいつ……」と僕が口を開きかけると、ダリウスはゆるく首を振る。
「あいつが何を言おうと、気にするだけ損だよ。それに、あいつこそ“何も見えてない”って思うときが俺はあるからさ。」
そう言いながら、ダリウスは大きく息を吐き、視線を落とす。どうやら“幼馴染”という一言では言い尽くせない何かがあるらしい。
「その――トーマスおじさんに頼まれたように、ローレンスを止めようとしたの?」
僕は恐る恐る聞いてみた。
「いいや。トーマスには、無茶言うな、って返しといたよ。」ダリウスは匙を投げた、という感じで大きく肩をすくめてみせた。
ディエゴとルーカスは、ローレンスの計画の始まりなのだろうか――僕はささくれの存在を忘れて、そんなことを考えていた。




