#66 最後の協奏曲――⑥
最後の一分は、普段のそれより誰もが長く感じた。
現実世界で魔術を使える術師=その身に龍神を宿すものが、死を覚悟し、だが誰一人として死なないために戦い抜いた。
そして――その時が来た。
「多次元構成、完了……ヴォルカ・セルティマ・カルディオラ……"リーズディルト"起動」
綾は、機械的な口調、声音で告げる。
直後、綾を中心に半径およそ数百キロという巨大な空間が、蒼金の雷撃が包む。
それは、確実にネットワーク・ウイルスだけを殺し、人間やその他の生物、街や都市を救った。膨大な数のネットワーク・ウイルスが、一瞬のうちに姿を消した。
人々が歓声に沸く中、綾は……――。
♪
リオナは走った。人の合間を縫い、全速力で走った。秀のことは未奈たちに任せ、リオナは走りに走った。綾の元へ。
綾は、まるで爆心地のような場所の中心に倒れていた。辺りの様子を見る限り、ここはどうやら小さな自然公園のような場所のようだ。学園内だが一度も来たことがない場所だった。
リオナは急いで救急車を呼ぼうとして、途中で手が止まった。
気付いたのだ。気付いてしまった。だが同時に、その事実が信じられなかった。信じたくなかった。
「なんで……」
何でこうなった?何がいけなかった?自分ならともかく、綾がなんでこうならなければならない?
綾は、冷たかった。綾は、動かなかった。綾の目は、開かなかった。綾の口は、何も言わなかった。綾の手は、握ってくれなかった。綾の足は、立たなかった。綾の心臓は、鼓動を刻んでいなかった。
綾は――死んでいた。
「うぅ……」
リオナの両瞳から、大粒の涙が次々と零れる。全身が震える。頭が真っ白になる。
「ぁぁあああっっ…………!」
涙は止まらなかった。金の瞳から、透明な雫が幾度も流れ、溢れ、綾の服を濡らした。
リオナは泣いた。声を上げ、涙が、あるいは声が枯れるまで。
♪
死んだのは、綾だけではなかった。
「どうして、私は生き残り、あなたは死んでしまったのかしら?」
エリディアは、虚空へと問いを投げる。無論、それに答える人物はいない。
エリディアの傍らには、栗原沙希が倒れている。心臓の鼓動はなく、息もしておらず、身体も冷たい。素人にもわかる状態だった。そして、いかなる手段を用いても蘇生できないことも、理解できてしまう状態だった。
こんな時に限って、己の身体に宿る龍神は何も言わない。否、言えない。この身体にはもう、龍神はいないから。恐らく、先ほどのネットワーク・ウイルスを消滅させる魔術によって、一緒に消し飛んでしまったのだろう。長いとも短いとも言えない時を過ごした者との唐突の別れに、エリディアは寂しさを感じずにはいられなかった。しかし、それよりも今は――。
「本当に、どうして私は生き残ってしまったのかしら?」
頬を何度も涙が伝う。
「どうして……っ」
問いは、虚しく響く。
♪
カールは、横たわるセラのもとに降り立った。
その表情を見た途端、やや呆れた。
「まったく……なんで幸せそうな顔して死んでんだか……」
カールには、その表情が笑みに見えたのだ。
「やっと、愛しのレイトのトコに行けるってか?」
はぁ……、とため息をつく。だがそのため息は震えていた。
「会ったのだって数えるほどでしかなかったのに……なんでこんな気持ちになるんだか……」
カールは空を見上げた。そこには雲などなかったが――
「こいつは……ベタすぎるが……大雨だな。豪雨だ、豪雨」
そんなことを、震える声で呟く。
この日、フィレネスの一部地域に悲しみの大雨が降った。