番外編/風邪――①
それは、私――栗原綾が中学2年の冬の頃。
フィレネス第三区は、どちらかと言えば平均気温は低い方で――でも、夏はやっぱり暑い――、冬には当然のように雪が降る。
そして、その日も朝から雪が降っていた。
「……39.7度…ケホッ………」
私は、中学――正確には私立アンジエスタ学園中等部入学と同時に一人暮らしを始めた。現代では、中学生でも十分一人で暮らしていけるし、なにより実家はアンジエスタ学園から遠い。学校には寮もあるけど、なぜだか利用する気にはなれなかった。
私は、ラーゼリッタのデスクトップを展開、"VT(Video Telphone)"というアプリケーション(2010年頃では"テレビ電話"などと呼ばれていたと思う)を起動する。
現在時刻、6時45分。学校に教員がいるか微妙な時間だけど、とりあえず私は連絡をする。
脳内にコール音が響く。……正直、脳内に直接鳴り響いているから――辛い。
4回か、5回か、そのくらいでコール音が止み、「はい」という男性の声が後に続く。
私は、その教員に事情を説明し、今日欠席する旨を話した。
教員は最後に「お大事にしてください」と言ってVTを切った。
ラーゼリッタのウィンドウをすべて閉じ、私はおぼつかない足取りで階下へと降りていく。
一人暮らしをするには広すぎる家だが、今はそれが普段よりも如実に感じられた。……トイレが遠い。
私は、食欲自体はなかったもののトーストを1枚何とか食べ、親が以前置いていった風邪薬を飲み、数枚の小さなタオルと氷をいくつも入れた水を持って再び2階自室へ。
ベッドの中へと潜り、冷たく濡らしてしっかり絞ったタオルを額の上に乗せ、目を閉じる。
眠気は、すぐにやってきた。
♪
「さぁ、どれでも自由に食べていいぞ」
姉の沙希が、回転する大きな丸テーブルをはさんだ向かいの席に座っている。
私は、ぼぅっとした頭をなんとか動かしながら、状況整理に努める。
私と姉さんがいるのは、内装見る限り、明らかに中華料理店だ。けど、今目の前のテーブルの上に並んでいるのはというと――。
チョコパフェ、ドーナツ各種、ケーキ各種、ミルフィーユ、ホイップクリームがのっているプリン、etc。
どう考えても中華料理には見えない――あぁ、そうか。これは、夢。マンガとかでよくあるパターンか。
「どうした?食べないのか?」
なぜかメイド服を着ている姉さんが、そんなことを訊ねてくる。
「そうか……食べてくれないのか…………」
あの姉さんが――しゅん、としていた。
俯く姉さんに合わせて、深碧のロングヘアは寂しく流れ、同色の瞳は潤み出す。
ドキンッ、と心臓が跳ねる。
これじゃあ、まるで私が姉さんをイジメてるみたいじゃ……。
「た、食べる!食べるから……!」
私は慌てて近くにあったモンブランケーキを手にとって、パクリと一口食べる。
姉さんの方を見ると――ぱぁっと姉さんの表情が明るくなっていった。
それはまるで小さな子供のようで、その表情があまりに無邪気で。
姉さんが、姉さんじゃないみたいだった。
これは夢だって分かっているのに、そのあまりのリアルさに夢と感じられなくて。
もしかしたら、これが本当の姉さんの姿なんじゃないかって感じてしまう。
そんなことを考えながら見つめていたら――姉さんは、輝くような笑顔を浮かべた。
♪
目が覚めたのは、昼ごろだった。
夢の中での記憶はしっかりと残っている。
姉さんは、可愛いものや人に目がない。けど、あの場で一番可愛かったのは、他ならない姉さんだったと思う。
私は、自分でも気付かないうちに、自然と笑みを浮かべていた。