#32 Autres
綾がリオナとともに、今回の事件について考えていたその頃。
フィレネス第五区、私立クラウスルズ工業大学の近くにある喫茶店に沙希はいた。
デザイン性重視の店内には、時間帯のせいかあまり客はいない。
「やっと1つ目……か」
沙希は、先ほど注文したブラックコーヒーに口をつけながら、この店の一番奥の席でボソリと呟く。
コーヒーの苦さに、僅かに顔を歪めていると、店内に新たな客が入ってきた。
灰色のジーパンに、これまた灰色のジーンズ生地のジャケットを着た、長身の男だ。
男――ステイル・ヴィダンは、膝辺りまで流れる黒のゴシック系フリルスカートと、髑髏がいくつも描かれている黒のTシャツの上に同じく黒のロングジャケットを纏った沙希の前の席に座る。
そして、店員を呼び、沙希が飲んでいるものと同じものを頼む。
見た目20代後半、あるいは30代前半のステイル――実は沙希と同年代で19歳。沙希はまだ誕生日を迎えてないので18だが――は、運ばれてきた湯気を立ち上らせる黒い液体を飲む――と同時に、沙希と同じように顔をしかめる。
苦手なら頼まなきゃいいのにと沙希は思ったが、それは私もかと目の前のカップに目を落とす。
「単刀直入に聞く」
不意に、ステイルが閉ざしていた口を開く。
「どうして、あんな回りくどいことをしたんだ?」
「綾にとって必要なことだったからだ」
沙希は、濁すことも問い返すこともせず、淡々と答える。
「必要なこと……ねぇ」
「あぁ、そうだ」
沙希は、テーブルの端にいくつも並んだビンの中から、"sugar"と書かれたビンを取り、ふたを開け、中の角砂糖をコーヒーの中へと落としていく。
「戦ってみて分かっただろう?綾は、対人戦闘で上位魔術を使用することに躊躇っている」
「確かにそういう節はあった。俺が促して、それでようやく上位魔術を1つ使ったが、攻撃魔術じゃなかったしな」
沙希は、5つ目を入れた所でようやくビンの蓋を閉じた。そして、それをステイルに渡す。
「フラグメントを取り出すには、一度身体構成プログラムを完全に破壊する必要がある」
「あぁ、バゼルから聞いた。より確実性を高めるために、あえて違法術師になったってな。ギルド全体を違法にするよう、電子統管評議会に働きかけたのもお前だろう?」
いくら死なないとはいえ、何の罪もない術師を綾が、というより護姫が攻撃することはまずない。特に綾の場合、まず不可能と言っていい。だが、その綾がやる、あるいは他の誰かが破壊する瞬間に綾が立ち会っていなければ意味がない。
「すべて知っていて、それでも協力してくれたのか?」
「ま、そういうことになるな。」
「これは、ますます感謝しなくてはならないな」
「当然のことをしただけだ。あいつと知り合っちまった時点で、こういう面倒に巻き込まれる覚悟はできていた」
ステイルは、そう言いながらコーヒーを一口飲む。と、再び顔をしかめた。今度は甘すぎたらしい。
「俺よりも、礼ならバゼルに……いや、ギルドのやつらに言え。あいつらは、俺たちの我儘に付き合ってくれたんだ」
「あぁ、分かっている。礼は、後で改めて必ず言う。それと、お前たち全員のアカウントを回復してやる」
「できるのか?」
「もちろんだ。それに、すでに評議会の許可を得ているし、術師管理局での手続きも済んでいる」
「ずいぶん仕事が早いな」
「まぁな」
沙希は、短く答えながら、湯気が薄くなりつつあるコーヒーに口をつけた。甘すぎた。
「さてと……実はもう一つ聞きたいことがあるんだが――シュカズってのは何なんだ?」
「シュカズは、電子魔術公館の中にあるネットワークウイルス対策局が開発した、強力なアンチウイルスプログラムの1つだ。バックアップデータがあるサーバーとの接続状態が使用許諾代わりになるから、違法術師は基本的には使えない」
「だから、それを取引材料に選んだのか」
「まぁ、そういうことだ」
「なるほどな。……と、もうこんな時間か。それじゃあ、俺は行くわ」
「ああ。――ステイル」
「ん?」
「その…なんだ…………ありがとな」
「――――あぁ」
ステイルは、短く答えると会計を素早く済ませ、店を出ていった。
沙希は、ラーゼリッタのデスクトップを展開、テキストファイルを1つ開く。
ちなみに、ラーゼリッタは脳量子通信システムによって、脳とダイレクトリンクしているため、開いているテキストなどが他の人には見えず、当然本人にしか操作することはできない。
もっとも、電子世界では別だが。
沙希は、ウィンドウをスクロールし、下へと下げていく。
そして、"2"と数字が割り振られた項目を見る。
それは、二つ目のフラグメントに関する記述を意味する。
「………………!?」
その名を見た瞬間、沙希は思わず呟いた。
「お前は……どこまで予測していたんだ……?」
そこに書かれていたのは、高槻詩織の仇敵の名だった。