#1 アオアゲハ
海の如く広がる砂漠は、夜月の光によって白に染まっていた。夜であるにも関わらず気温はいたって平常で、寒さを感じることはない。
見渡す限り砂丘が連なり、動物はおろか植物すらその存在を確認することはできない。
空を仰ぐと、まず目に飛び込んでくるのは、眩しく輝く満月だ。
しかし、空に浮かんでいるのは月のみで、星の瞬きはどこにもなかった。
そんな、風もなく、音もなく、冷たい様相を呈している砂漠に一人、深青の長い髪を二つに結った少女が歩いていた。
少女はその身に、その特徴から分かる私立アンジエスタ学園高等部の制服を纏っていた。さらに、少女の右手には学生用の革製カバンが提げられており、現在の時刻を考えると、明らかに下校途中だった。
ここが、『現実世界』ならの話だが・・・。
「・・・ログインしてから2時間。これだけ探して何も無いんだから、このサーバーはハズレね。そうと分かれば、さっさと帰りますか」
少女がそう呟いた時だった。
「・・・・ぁぁぁああ~~~ッ!」
どこか悲鳴めいた声を、少女は耳にした。
「ん?」
少女は、首を傾げながらも声のした方に顔を向けた。
すなわち、真上に。
「いっ・・・・!?」
回避する暇などあるはずもなく、少女は降ってきた『それ』と思いっきり衝突した。
「痛~~~~~ッ!」
派手に土煙が舞い上がる中、少女――栗原綾は若干赤くなっている額を押さえながら、半身を起した。
「何なのよ・・・・・もう」
こぼしながら辺りを見回すと、3メートル程離れたところに小柄な少女が転がっていた。
ショートヘアの両サイドに細い桜色のリボンを結んだ少女は、どうやら気を失っているようだ。
「・・・・・私にどうしろと?」
綾は、少女に失神以外の症状がないか確かめる。もっとも、ケガなどをしていたとしても現状ではたいしたことはできないのだが。
とりあえず、失神以外に異常は見られなかった。
と、唐突に地面が揺れた。
少し離れたところで、わずかに土煙が立ち上る。
「何?」
見れば、土煙の中にうっすらと複数のシルエットが確認できる。
「はぁ・・・。なんでこうなるのよ」
現れたのは、ここ『電子世界』ではよく見られる――のはマズイのだが――ネットワークウイルスの一種“クレイモア”だった。
体高3メートル程のそれは、両肩に突起があるのが特徴的な、〈01〉に類するウイルスだ。
「まぁ、こうなった以上、仕方ないか。・・・《電子魔術》起動」
綾がそう言ったのとほぼ同時に、綾の右手が雷を纏い、音が響き始める。
音色はギター。
音は、右手の青い雷とともに強さを増していく。
「リレイザ」
綾が唱えた瞬間、突き出した右手の平から、雷撃が迸った。
同時に、重低の雷音が響く。
雷撃は、三体いるうちの一体、中央のクレイモアを直撃した。胸から腹にかけて風穴をあけたクレイモアは、地響きとともに力なく倒れ、その後0と1の数字となって消滅した。
それには目もくれず、左右のクレイモアが剛腕を振り上げながら綾に突進する。
両腕や肩を使った物理攻撃のみを行うクレイモアだが、その威力は決して小さくなく、1stの術師にとっては油断できない。もっとも、4thである綾にとってはたいした敵ではないのだが。
綾は、最低限の後方へのステップでクレイモアの攻撃を避ける。直後、さっきまで綾が立っていた場所に巨大な砂柱が立った。
綾は、電磁力を利用して音も立てずにクレイモアが直線状に並ぶ位置へと移動すると、
「リレイザ」
再び雷撃を放つ。
綾の初級魔術である小規模雷撃は、体勢を立て直し切れていないクレイモアを二体とも貫通し、ただの数字の羅列へと変えた。
クレイモアの断末魔とも呼べる掠れた咆哮を最後に、辺りに再び静寂が満ちる。
「ぅ・・・ん・・・・・・・・・」
少女が、閉じていた瞼を、重そうにゆっくりと開ける。
「目を覚ましたか」
その様子を確認した綾はそっと呟く。
“Lucky”のロゴが描かれた淡い水色のTシャツの上に白いジャケットを纏い、デニムのスカートを身に付けた少女は、綾を見、辺りを見回し、再度綾を見て問いかけた。
「あの・・・・・・ここはどこですか?」
「ここは、TN(Terminal Number).000253。そしてアンタは、空から降ってきて、私と衝突したのよ」
綾は、事の経緯をかなり簡潔に少女に話した。それを聞いた少女は、空を見上げながら、
「空から・・・・・・」
ぼそっと呟く。
「000254にいたはずなのに・・・」
「あぁ・・・・・なるほど」
少女の言葉を聞いた綾は、ポンと手を打つ。
「ラインオーバーしちゃったわけか。納得」
この世界――一般的に『電子世界』と呼ばれている――は、最大規模のネットワークたるインターネットの最深層に存在する。そして、その『電子世界』を構成しているのは、4つの『世界』で成り立つ『現実世界(総称)』で絶賛稼働中のサーバー群、そしてそれらサーバーに繋がるターミナル。それらサーバーやターミナルには、“ライン”と呼ばれる境界線が設定されている。理由は、電子世界において無限に広がりかねないサーバー・ターミナルをきちんと区切るためだ。ラインオーバーとはつまり、その境界線の外へと出てしまうこと、そしてそれに伴う近隣サーバー・近隣ターミナルへの転送のことを指す。
「ラインオーバー・・・・・あ、そうか。あれ、じゃあ・・・ネルガは?」
「ネルガ?」
「あ、はい。何体かのネルガに遭遇しちゃって、それで逃げていたんです・・・・・・けど・・・。そしたら・・・・・」
「それでラインオーバーしちゃったわけか・・・」
と数秒考えたのち、
「・・・って、どうしてそれを早く言わなかったの?」
綾は若干怒鳴り気味にそう言いながら、少女の肩をがっしと掴み詰め寄った。
と、その時だった。
「はっ・・・・・・!?」
アカリは少女の手を掴むと、磁力を利用して右へと跳んだ。
直後、5つの火球が飛来し、二人がいた場所を焼いた。
火球が飛んできた方向を見れば、10メートル程離れた場所に5体のネルガが、ぐるるる・・・・と唸り声を発しながらそこにいた。
ネルガ――部類<00>に属する、四足獣型ネットワークウイルスだ。体躯は小型の方だが、その攻撃力と俊敏さ故に“リストY”に登録されている。主な攻撃は、先ほどの火球と前足に生えている鋭利かつ燃える炎爪だが、最近になって新たな攻撃パターンが確認されている。
「名前とコード、それからライセンスは?」
綾は、顔をネルガの方へと向けたまま少女に訊ねる。
「え?・・・えと、九重未奈、コードは《桜城の氷剣(エルナ・アイスレイド)》、ライセンスは2ndです」
「2nd・・・・・・確かに一人じゃ、あれを相手にするのは大変かもね」
綾はしばし思考した後、くるりと少女――九重未奈の方へ向き直る。
「わかったわ。どのみち、あれをなんとかしなきゃ帰れそうにもないし。危ないから、少し下がってて」
綾は未奈にそう言うと、再びネルガの方に体ごと顔を向け、そして呟いた。
「ラグゼ・ニア・シエラ」
直後、綾の足元に青く光る五芒星に二重の円と奇怪な文字列が組み合わさった、回転する円盤状のもの――“円環術譜”が現れる。
円環術譜の用途・効果はさまざまだが、基本的には術の制御に使われる。
そして、高位な術師ほど、この円環術譜は簡易なものとなる傾向がある。
もっとも、高位の術師でなければ簡易化は無理だし、そもそも円環術譜以前に術自体の構築ができない。
つまり、高度あるいは強力な魔術を使用すること、構築できることそのものが、高位術師の証たりえるのだ。
「わぁ・・・・・・・・・・・・」
未奈はその姿に半ば、いや完全に見惚れていた。
未奈の位置からは横顔しか見えないが、それでもその姿は、表情は十分に人を惹きつける力があった。
背中に生まれたアゲハ蝶のような青く輝く翅、術の余波によって解ける長く綺麗な髪、そして開かれた瞼のその向こうにある深い青に染まった澄んだ瞳。翅からは、青い光の粒子がキラキラと舞い、綾が立つその場所だけ雰囲気が、空気が幻想的なものへと変化していた。
それは、さながら妖精のようだとミナは思った。
美しさとともに確固たる力も備えている、まさに妖精。
そんな綾の右手に、青い稲妻がバチバチという音とともに纏わりだす。同時に、ギターの音色が大きさを増していく。次第にギターの音は単調なものから複雑化していき、曲を織り成す。
先に動いたのは綾だった。
さっきまでとは比較にならない速度でネルガへと迫ると、これまた比較にならない強力な雷撃を叩き込む。
「リレイザ」
にもかかわらず、それはクレイモアに使用したものと同一の魔術だった。
それを見ていた未奈は、静かに呟く。
「これが、“形状固定”の本当の力・・・・・・」
形状固定――物理的形状の存在しないもの(雷や水、炎など)の形状を固定する、文字通りの能力。他の能力に比べて極めて稀な能力だが、同時に軽視されている能力でもある。というのも、そもそも形状を固定する必要がないからだ。もともと形状のないものに形状を与えるのだから、氷などにくらべて脆弱になってしまうのは必然的だし、そもそもこの能力は難易度が高い。
しかし、綾はそんな厄介といってもいい能力を見事に使いこなし、高機動を発揮する翅のような“武装”として活用している。
無論、これは綾の力の、ほんの一部でしかないが。
栗原綾、《華焔の雷撃(バースト・ボルテッカー)》――この名は、ここ『電子世界』ではかなり有名だ。
もちろん、未奈も知っていた。
そして、今目の前で戦闘を繰り広げている少女こそがその人であるということもすぐに分かった。
護姫・第三格位。ライセンスは4th。綾に関する情報は、調べればすぐに出てくる。それくらい有名人だということだ。だが、彼女を示す最も有名な情報はやはり通称だろう。
――アオアゲハ。
それが、栗原綾に付けられた通称だ。
どこからきたのかは、今の彼女の姿を見れば、一目了然。
そう、背中のアゲハ蝶のような翅だ。
“形状固定”の能力で雷を翅に変化させるのは、この広い世界を探しても彼女くらいだろう。そして、それが可能なのも。
故に、その翅は唯一無二の存在だと言えるし、だからこそ通称なんかに使われるのだ。
そんな彼女の戦闘を少し離れた所で見ながら、ふと自分は戦闘を傍観しているだけでよいのだろうか、という疑問が未奈をよぎった。
だが、ミナ未奈は改めて考え直す。
ネルガは、複数いるが比較的小型のウイルスだ。対して、綾の魔術――にかかわらず、単体への攻撃から範囲攻撃まで速度のある多彩な攻撃ができる《雷撃》ならば、むしろ自分が加われば邪魔にしかならないのではないか?
もちろん、《雷撃》も人間だ、得手不得手はあるだろうし、基本的に近接戦闘は弱い。だから、近接戦闘ができる自分が入れば、もう少し楽になるのではないだろうか?
だけど、その場合綾の攻撃の射線上に立たないように上手く立ち舞わなければならない。戦闘経験、とくに連携が重要になる集団戦に慣れていない自分に、そんなことが果たしてできるだろうか?
未奈が、半ば暴走気味にそんなことを悶々と考えていると、
「ふぅ・・・・・・やっと終わった」
隣からそんな声が聞こえてきた。戦闘は離れた所でやっていたはずなのになぜ?
首を傾げながら右へと90度顔の向きを変えれば、そこには髪を結いなおす綾の姿があった。
見れば、いつの間にやら戦闘は終了しており、どうやら自分は途中から周りが見えなくなっていたらしいということに、遅まきながら気づく。
再度彼女を見れば、今度は目が合った。その相変わらず綺麗な瞳は、深い青に染まり、輝きを宿していた。
「それじゃあ、帰ろっか」
半分ばかり砂に埋もれた学生用カバンを拾うと、ニコリと笑みを浮かべながら綾は未奈にそう言った。
「あ・・・はい」
「転送座標は?私はフローネ・ステーションなんだけど・・・」
「あ、私も同じで大丈夫です」
「わかったわ。VCC(Voice Control Command)、同時転送――九重未奈。座標指定、登録PN(Point Number).004(Rekalta/ヘルゼネル/フィレネス第三区0081)――ログアウト」
直後、二人は光に包まれたかと思うと、その場から姿を消した。
とりあえず、一話目。設定やキャラの紹介等、あらゆるものをすっ飛ばしております。
まぁ、その辺は、二話目以降を読んでいただければわかると思うので、どうか・・・・・・・どうか。あきらめずに、切り捨てずに、読んでほしい所存です。
では。