いのせんと 〜パワー・ハラスメント〜 その2
【固定】
始めまして、三軒長屋 与太郎です。
ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。
大学への進学と共に、坂本は家を出た。
それは、坂本自身の考えというよりも、父親の勧めであった。坂本の父親は、何よりも効率を重んじる人間であり、通勤や通学といった隙間時間を極端に嫌った。家族の住む横浜の家には居つかず、職場近くの蔵前駅に自分専用のマンションを借り、週末だけ横浜に帰ってくる……そんな人間像。
しかし、この時父親が一人暮らしを勧めてきた理由が、単に効率を重視したからではないことくらい、坂本にも分かった。
いくつかの事実として、母親を失った横浜の家に、存在価値が無くなったのもある。それに、東京の蔵前駅から、坂本が通うこととなる神奈川県の日吉駅が、そこまで近くはないのも確かではあった。
ただ、父親は、坂本と暮らしたくはなかったのだ。男二人のアンバランスな生活を嫌ったのだ。さっさと横浜の家をたたみ、自分の匂いだけが充満する蔵前の家に、引きこもりたかったのだ……と。
坂本は、そんな見え透いた父親の思惑ごと、笑顔で呑み込んだ。
日吉駅のすぐ近く、綱島駅と大倉山駅の間に最低限のアパートを借り、大学へは自転車で10分と少し、何不自由のないキャンパスライフ。
大学三年生になり、通うキャンパスが東京の三田駅に変わった時も、坂本はすぐ近くの泉岳寺駅で安い賃貸を探し、移り住んだ。よもや、父親の住む蔵前駅には電車で20分ほど。乗り換えすらいらない。それでも、坂本は一人暮らしを選んだし、父親もなんら反対しなかった。やはり、大学へは自転車で10分と少し、何不自由のないキャンパスライフ。
大学に入って以降、月に一度、父親と晩御飯を食べる日があった。
交わされる会話は定例文。生活の具合、勉強の具合、就活の具合。それは、父親としての最低限の施しであったのだろうし、坂本も、父親の仕送りによって保たれる自身の生活に、至極まっとうに感謝していた。
言いつけ通りにバイトはせず、勉学に集中し、余計な出費は控え、厳選した人間関係を構築した。そのおかげで、坂本の就活は無限大の可能性を帯びた。
当初こそ、自身の勤める銀行への就職を進めていた父親も、いつしかそれをしなくなった。“息子を守る必要はない”——大学に対する坂本の真摯な姿勢が、父親にそう判断させたのであろう。
それもあったのか、坂本が大学四年生になってすぐのこと、父親は再婚した。
顔合わせも兼ねた食事。むず痒い立派な料亭での数時間。
そこでもやはり、交わされる会話は定例文。お互いのこれからの事、お互いのこれからの姿勢、お互いのこれからの人生。
全てを説明されなくても、坂本には十分理解出来ていた。
(大丈夫だよ、父さん。父さんたちの新しい生活に僕は顔を出さないし、勿論、邪魔なんてしない。恨みや憎たらしさなんてこれっぽっちも無いし、むしろ心から祝福しているよ。それに、お母さん。戸籍上は、貴女が新しい母さんで、僕が新しい息子。でも、その前にひとりの大人と大人。書類では紡げない赤の他人。これからは、父さんも息子という重りの鎖を外し、自由に生きればいい。父さんは十分に、頑張ったのだから)
以降、坂本が父親や新しい母親と会うことはなかった。
連絡もせず、それでも、初任給までの間、しっかりと仕送りは振り込まれた。
そして、初任給と共に、全ての関係は絶たれた。
繰り返しにはなるが、坂本は感謝していた。父親にも、父親に新たな人生を与えてくれた今の母親にも、家族を崩壊へと導き、横浜の家を、自分の中の幼い記憶ごと荒廃させた昔の母親にも。
坂本は、池袋にあるシステム会社へと就職した。
一流大手とまではいかないが、それでも十分に大きな会社だ。無論、そこには坂本の狙いがあった。余計なライバルは作らず、肩ひじを張らずとも出世が出来る。
実際、坂本の狙い通り、彼は入社一年目から目立ちに目立った。企画部に配属された坂本は、新卒という肩書を一切恐れず、様々な新企画を提案した。
この男に抜かりはない。悪目立ちして鼻については意味が無い。
坂本は、自分が仲良くするべき先輩をピンポイントで見抜き、攻略していった。自身の仕事の傍らで、先輩たちのプレゼンを積極的に手伝い、煽て、称え、時には励まし、その効力は部署の垣根を超えた。
さらには、会社内における“女性コミュニティ”にも敏感なアンテナを張り、地雷を見極め、時には先輩の弱みを握り、会社全体を掌握せんとする勢いであった。
特に、特出するべきは、坂本の“飲みにケーション”能力であった。
中心となって盛り上げる一方で、アルコールで緩む相手の思考から、巧みに本音を誘い出し、目の前に出された真意のパールを、ピカピカに磨いてみせた。
時には自身の悩みや弱さを撒き餌とし、先輩たちの制圧欲求を満たし、女性たちの母性を擽った。
そんな坂本に、太刀打ちできる同期はおらず、入社四年目の春には早々に、主任へと出世して見せた。
同期の誰もが坂本を愛し、誰もが坂本に媚びた。
ただ一人を除いては……。
坂本が《影山》と出会ったのは、入社三年目を迎えてすぐの事。
連日連夜の飲み会が祟り、坂本にしては珍しく出勤時間ギリギリに出社した日。
影山は、水色のビアンキに跨って、颯爽と登場した。
街乗りに不向きなマウンテンバイク仕様。男の小柄な身体が、水色のボディから伸びるごついサスペンションを、より頑丈に見せる一方で、より場違いな空気を漂わせる。
大きなヘッドホンで耳を覆い、伏し目がちなこの男が、休日に山へと走りに行くとも思えない。しかし、妙に気になった。坂本自身も、このイタリアの老舗メーカーを通勤時に愛用していたのもある。男とは違い、スマートなスポーツタイプではあるが。
「良い自転車に乗っていますね」
坂本の世辞を、影山は無視した。違う……聞こえていないのか。淡々と駐輪場を去る影山の背中を、坂本はぼんやりと見送った。
初対面ではあったが、“この男が影山である”ことを、坂本は知っていた。同期に限らず、様々な人間から、噂で聞いていた。
システム部の変わり者。誰にも挨拶せず、パソコン上の仕事のやり取りでしか会話もしない変人。ただし、圧倒的に仕事ができる——
同期の飲み会でも見たことが無いし、実際、これまでにこの駐輪場で、水色のビアンキのマウンテンバイクなども見たことが無い。
しかし、この理由も容易に理解できた。影山が毎日、出勤時間ギリギリに出社し、誰よりも早く退勤しているからであると。
それ以降の坂本は、影山の事が気になってしょうがなかった。
その他大勢は皆、自分の手鏡となるのに、影山という男には、自分が映らなかったから。
影山の持つ圧倒的な孤独、圧倒的な自我に、坂本は惹かれたのであった。
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