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ハラス・メメント 〜嫌がらせ記念日〜  作者: 三軒長屋 与太郎


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22/27

いのせんと 〜パワー・ハラスメント〜


【固定】

始めまして、三軒長屋サンゲンナガヤ 与太郎ヨタロウです。

ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。



 まず間違いないことは、あなたが産まれたという事実。

それは、仮想現実やメタなどと呼ばれているいずれでもないし、そもそもに、あなたが今の世界をどう捉えていようが関係ない。今、私の話を聞いている時点で、あなたは私と同じ次元に息をする住民であり、即ち、あなたは十数年前にこの世界に産声を上げたのです。


ここで問いたいのは、あなたがそれを選択したのか?

あなたはこの世界に産まれ落ちることを自ら望んだのか?

ごく一部のぶち抜けた頭でない限り、自ずと答えは「No」であるはずです。選べるはずがありません。よもや、指先にも満たない命だった頃から意志を宿していたと……ささくれにも満たない身体で、神秘の大海を泳いでいたなどと言うまいに。

“あなた”という生命の誕生を決める最終ミーティングの卓上に、あなたは存在しない。

ピンと天高く伸ばし上げる腕など持ち得ないし、抗議の為に力強く立ち上がる脚もあるはずがない。


それでは、“そこ”にあったのは何でしょうか——

父親と母親です。男と女です。欲望と願望です。

逆らいようのない先輩。絶対的な先祖。

それが真剣な議論の上の営みだったのか、一夜の過ちだったのかすら分かり得ない。

この不公平、この不条理を、『パワー・ハラスメント』と言わずに何と言いましょうか?


大勢はこう言うでしょう。

それは、“愛”……と。



◆◇◆



 坂本さかもとは、俗に言う“出来る男”であった。

爽やかな身なりに整った顔立ち、スラッと伸びた長身に、心地よい低音ボイス。

型にはめて焼き上げたクッキーのように容姿端麗であり、まさに焼きたての香りを振りまくように、周りの人間を魅了する笑顔を持ち合わせていた。

男女関係なく気が利き、傍から見るに、彼の人生に欠点など存在しないように思えた。

しかし、彼の心の中には、人知れず閉じた大きく歪んだ扉があり、ごく最近新設された小さな窓の外には、暗雲が立ち込めていた。


 坂本が今の性格に至ったのは、間違いなく父親の影響が大きかった。

銀行員として、一端のバックオフィス担当から、本部長にまで上り詰めた堅物は、その在り方を自身の息子にも求めた。

幼少期より坂本は、何事にも歪んだ誠実さを追求させられ、それは幼心の“友達選び”にまで干渉した。習い事は当たり前に、遊びよりも勉学、友情よりも人脈。他人とどう付き合うかではなく、他人をどう使っていくのかを、徹底的に叩き込まれた。

そこには“自我”など存在せず、全ては他人という手鏡にどう映るか。いや、どう映すか……どう見せるか……どう思わせるか。


坂本はこれを“愛”であると受け止めた。“すべては僕のためにである”と、必死に抱きしめた。

そんな彼に、母親からの手は差し伸べられず、母親はただ、父親の意思に従順であった。それは、敬意であったのかも知れないし、恐れだったのかも知れない。ひとつの愛であったのかも……。

とにかく、そんな日々の中で、坂本の母親は、彼を見なくなった。坂本の心の中で閉ざされた扉の中にも、母親の顔は無い。そこにはただ、小さく肩を震わせながら縮まる背中だけが、油絵のようにへばりつき、嫌な臭いを出していた。


 坂本が初めて違和感を覚えたのは、高校一年生の冬だった。

思考が大人びたからか、街の外にも友人が出来たからか、一人の女性を深く愛したからなのか。理由は定かではなかったが、鮮明に“違う”と思った。今まで自身に向けられてきた愛が、“ごく普遍的な愛情”ではないことを理解した。

それでも坂本は、腕の中で脈打つ“塊”を、強く強く抱きしめた。この腕を解いてしまうと、自分が自分ではなくなってしまう気がしたから……。


街を行き交う同年代の若者たちが、一瞬の煌めきを謳歌するように笑顔を輝かせながら、坂本がまだ行ったことのない場所へと向かう。

カラオケボックス、ボウリング場、ゲームセンター、遊園地。

もっと知らない場所、もっともっと知らない場所へも。

そんな背中を見つめるたびに、坂本の心の中の扉が軋んだ。心臓の鼓動を邪魔するように、激しい叩音こうおんが響き渡った。

そして、坂本は足を止める。目を瞑る。自分自身に言い聞かせる。

(父さんが正しい。皆が遊んでいる間に、僕は早く立派な大人になる。大人になって、偉くなって……遊ぶのなんて、その後でもいいじゃないか。父さんが正しいんだ)


 高校三年生の夏が過ぎた。

母親がいなくなった——

坂本は何も聞かされなかった。離婚の説明も、母親から言葉を掛けられることも。

ただ、母親がいなくなった——


そして、坂本の父親は、いつもは飲まないウイスキーを不慣れに揺らしながら言った。

「お前は何も気にしなくていい。もとより、学費は全て私の金だ。バイトなどせずとも、十分な仕送りはやれる。K大学に入って、沢山の事を学びなさい。私は学歴が薄く、銀行に入ってから相当苦労した。お前にはそうあって欲しくないし、K大学でしっかりとした結果を残せば、私の銀行に来ても誰も文句は言うまい。全て……お前を想ってのことだ。頼むから、お前だけは私を、失望させないでくれ」


 坂本の中で、何かが爆ぜた。

気づいてしまった。あの時感じた違和感の根幹に。

自分は“この人”に、名前を呼ばれていない。

“この人たち”が決めた名前のはずなのに。

自分自身が使えない特権を利用して、与えられたはずの名前なのに。

僕の名前は、正幸まさゆきなのに……。


心の中の扉を、もう一度しっかりと、より厳重に施錠する。

今、自身の中で起きている革命を、決して表に滲ませまいと、強く目を瞑る。

怒れる感情も、あてどない悲しみも、拳の中で握りつぶす。

奥歯がすり減る程に、自身の過去をすり潰す。


それでも坂本は、父親を恨んだりなどはしない。

自分がかつて愛情だと思っていたものが、“無”であっただけだ。

自分自身が、父親の手鏡に過ぎなかっただけのことだ。


坂本はそっと、腕に抱きしめていた“塊”を解き放つ。

“それ”は、自由を得て飛び立つわけでもなく、ただ、力なく、コトリと床に転がった気がした。


(これからは僕が、父さんを手鏡にする)

坂本は、鏡に映る自分の顔をキリっと引き締め、ほのかに微笑む。

「大丈夫だよ。お父さん」

坂本の言葉に、父親は深く息を吐き出しながら、小さく、小さく、縮んだ。


【固定】

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