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ハラス・メメント 〜嫌がらせ記念日〜  作者: 三軒長屋 与太郎


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21/27

嘘つきは婚約の始まり 〜メモリー・ハラスメント〜 完結


【固定】

始めまして、三軒長屋サンゲンナガヤ 与太郎ヨタロウです。

ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。


 ――何故、私がこのような過去を語っているのか……。


まず先に、その後の私たちは、不気味なほどに喧嘩もせず、また、私が南から目を背けることもなく、至って順風満帆です。


二人ともに、東京の神保町にある大学に合格し、上京とともに同棲を始めました。南の両親は、最初こそ反対してはいましたが、セキュリティの万全な部屋を選び、二人で説得。加えて、万が一の時は私がその家を出ていくことを条件に、何とか了承してくれました。


それでもやはり、南の両親と私との距離は縮まらなかったし、それは今も変わりません。年に2回、お盆と年末年始には、南は決まって実家へと帰り、その間は最低限の連絡しか取れませんが、それくらいです。

私が「たまには一緒に帰って挨拶しようか?」と尋ねても、南は優しく首を振るだけですし、私としては出来ることもなく、ただただ、これが丁度良い距離感なんであろうと……。


 ただひとつ、今でも私の心に引っ掛かり続けているものがあるとするならば、それはやはり、南と私の中の記憶のズレです。

彼女はいまだによく、昔の私との思い出を話してくれます。しかし、南の中に現れる“英明くん”を、私はことごとく思い出せません。“英明くん”が南に向けて放つ素敵な言葉たちも、自認できません。

それでも良いのです。いや…その方が良いのです。

私の知らない“英明くん”のお蔭で、今の二人の生活があるわけですし、この先の道が続くのです。


 私たちはこの春、大学を卒業し、新たな季節を迎えるとともに婚姻届を提出します。

南の記憶の中にしか存在しない嘘つきな“英明くん”と、南を純真に愛する今の英明。

二人で南を幸せにすると誓い、4月1日をもって。


私はただ、確認したかったのです。

南との思い出を振り返ることで、今の自分の気持ちが本心であるかを。あの頃の自分の嘘を受け入れ、事実へと昇華出来ているかどうかを。今後は“二人の記憶”として、全てを背負える覚悟があるかどうかを。

俯きがちな白いユリに、世界を素晴らしく見せられるように。


              北原 英明



        ◆◇◆



 わたしは、昔から、記憶することが好きでした。

教室の窓際で揺れるカーテンの形や、季節ごとに移り変わる風の香り。

あの子の机に増えた傷。あの日の黒板に、うっすらと取り残された文字。誰かが何気なく発した言葉の、語尾の揺れ方。

みんなは、そういうものをすぐに忘れてしまう。けれど、わたしの中では、それらはずっとそこにある。消えずに、形を保ったまま。


 英明くんが言った言葉も、そうだった。

小学校3年生の、あの夏の日。秘密基地で……皆の前で、少しだけ背伸びをして言った声。


 ——俺は将来、南と結婚するんだ——


あの時、みんなが笑ったことも覚えている。一人の男の子が「結婚式に呼んでくれ」と囃し立てたことも。英明くんが、照れたように笑って、それでも最後まで否定したり、撤回したりしなかったことも。


 でも、5年生のとき。

廊下の角の向こう側で、英明くんが友達と話しているのを、わたしは聞いてしまった。

「え、南? あー……あれは、その頃のノリだろ。覚えてねえよ、そんなの」

冷たい廊下に反響する甲高い笑い声。ひどく軽い声。何でもないことのように、笹馳川に流し捨てられた思い出の言葉。


ああ、と思った。

わたしの中で、ずっと大事にしてきたものは、英明くんの中では、もう存在していないのだ……と。


 その日から、世界の見え方が少しだけ変わった気がする。

人は、簡単に言葉を捨てるし、簡単に忘れるってことを知った。

わたしと違って、みんなは簡単になかったことにするのだと理解した。

それが、とても怖かった。だから、わたしは今までよりも明確に、より詳細に覚えていようと思った。


少なくとも、わたしだけは。

英明くんの言葉を。

英明くんの表情を。

英明くんが、わたしにだけ向けてくれた、恥ずかし気に揺れる優しい声を。


 中学3年の7月。

わたしは、教室のドアの外で、わたしのことを見つめる英明くんに気づいていた。

今までで一番長い時間、私を見つめ続けてくれたから。

ずっと、このままでありたい……と、夕暮れの風に願った。


放課後の教室で、二人きりで話すようになってから、英明くんはたくさんの言葉をくれた。

「放課後の教室は、時間の流れが違う気がする」

「南と話してると、なんだか落ち着くんだ」

「……最近綺麗になったお前から、目が離せない」


どれも、わたしの中では、嘘じゃなかった。少なくとも、その瞬間の声は、とても煌びやかな真実だった。

でも、わたしがその輝きに手を伸ばすと、また笹馳川に流されてしまう気がした。


だからわたしは、この宝物を私の中だけに閉じ込めようと、自分の部屋に引きこもった。

たとえ、英明くん自身が忘れてしまっても。たとえ、英明くんが「子供の頃のノリだろ」と笑っても。

部屋から出さえしなければ、失うことはないと信じたかった。新たな記憶に塗りつぶされることもないと思いたかった。

わたしの中に残っている限り、それは、存在し続けるのだから。


高校生になって、大学生になって、同じ部屋で暮らすようになっても、英明くんは、ときどき不思議そうな顔をする。

「そんなこと、俺言ったっけ?」

そのたびに、わたしは笑う。笑って、「言ったよ」と答える。

だって、言ったのだから。わたしは、嘘をついていない。


 ただ——

もしかすると、わたしの記憶の中の英明くんは、現実の英明くんよりも、少しだけ優しすぎるのかもしれない。でも、それでもいいと思っている。

わたしは、英明くんの言葉によって、ここまで来た。生き延びてきた。

確かに、救われてきた。


だからこそ、わたしが覚えていればいい。わたしが信じていればいい。

たとえそれが、どこまでが現実で、どこからがわたしの願望なのか、もう分からなくなっていたとしても。


 4月1日。

婚姻届に、ふたりの名前を書く。

私は北原 南になる。

私は英明くんと家族になる。


きっと、英明くんは言う。

「なんかしっくりこないな」とか、「不思議だな」とか、そんな言葉を。

わたしは、その声の調子も、はにかむ表情も……ずっと覚えておく。

ひとつ、またひとつ、大切な記憶として、この脳裏に焼き付ける。


英明くんが、どんなに忘れてしまっても、もう大丈夫。

私たちの暮らすこの街に、笹馳川は流れていないのだから。


【固定】

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