嘘つきは婚約の始まり 〜メモリー・ハラスメント〜 完結
【固定】
始めまして、三軒長屋 与太郎です。
ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。
――何故、私がこのような過去を語っているのか……。
まず先に、その後の私たちは、不気味なほどに喧嘩もせず、また、私が南から目を背けることもなく、至って順風満帆です。
二人ともに、東京の神保町にある大学に合格し、上京とともに同棲を始めました。南の両親は、最初こそ反対してはいましたが、セキュリティの万全な部屋を選び、二人で説得。加えて、万が一の時は私がその家を出ていくことを条件に、何とか了承してくれました。
それでもやはり、南の両親と私との距離は縮まらなかったし、それは今も変わりません。年に2回、お盆と年末年始には、南は決まって実家へと帰り、その間は最低限の連絡しか取れませんが、それくらいです。
私が「たまには一緒に帰って挨拶しようか?」と尋ねても、南は優しく首を振るだけですし、私としては出来ることもなく、ただただ、これが丁度良い距離感なんであろうと……。
ただひとつ、今でも私の心に引っ掛かり続けているものがあるとするならば、それはやはり、南と私の中の記憶のズレです。
彼女はいまだによく、昔の私との思い出を話してくれます。しかし、南の中に現れる“英明くん”を、私は悉く思い出せません。“英明くん”が南に向けて放つ素敵な言葉たちも、自認できません。
それでも良いのです。いや…その方が良いのです。
私の知らない“英明くん”のお蔭で、今の二人の生活があるわけですし、この先の道が続くのです。
私たちはこの春、大学を卒業し、新たな季節を迎えるとともに婚姻届を提出します。
南の記憶の中にしか存在しない嘘つきな“英明くん”と、南を純真に愛する今の英明。
二人で南を幸せにすると誓い、4月1日をもって。
私はただ、確認したかったのです。
南との思い出を振り返ることで、今の自分の気持ちが本心であるかを。あの頃の自分の嘘を受け入れ、事実へと昇華出来ているかどうかを。今後は“二人の記憶”として、全てを背負える覚悟があるかどうかを。
俯きがちな白いユリに、世界を素晴らしく見せられるように。
北原 英明
◆◇◆
わたしは、昔から、記憶することが好きでした。
教室の窓際で揺れるカーテンの形や、季節ごとに移り変わる風の香り。
あの子の机に増えた傷。あの日の黒板に、うっすらと取り残された文字。誰かが何気なく発した言葉の、語尾の揺れ方。
みんなは、そういうものをすぐに忘れてしまう。けれど、わたしの中では、それらはずっとそこにある。消えずに、形を保ったまま。
英明くんが言った言葉も、そうだった。
小学校3年生の、あの夏の日。秘密基地で……皆の前で、少しだけ背伸びをして言った声。
——俺は将来、南と結婚するんだ——
あの時、みんなが笑ったことも覚えている。一人の男の子が「結婚式に呼んでくれ」と囃し立てたことも。英明くんが、照れたように笑って、それでも最後まで否定したり、撤回したりしなかったことも。
でも、5年生のとき。
廊下の角の向こう側で、英明くんが友達と話しているのを、わたしは聞いてしまった。
「え、南? あー……あれは、その頃のノリだろ。覚えてねえよ、そんなの」
冷たい廊下に反響する甲高い笑い声。ひどく軽い声。何でもないことのように、笹馳川に流し捨てられた思い出の言葉。
ああ、と思った。
わたしの中で、ずっと大事にしてきたものは、英明くんの中では、もう存在していないのだ……と。
その日から、世界の見え方が少しだけ変わった気がする。
人は、簡単に言葉を捨てるし、簡単に忘れるってことを知った。
わたしと違って、みんなは簡単になかったことにするのだと理解した。
それが、とても怖かった。だから、わたしは今までよりも明確に、より詳細に覚えていようと思った。
少なくとも、わたしだけは。
英明くんの言葉を。
英明くんの表情を。
英明くんが、わたしにだけ向けてくれた、恥ずかし気に揺れる優しい声を。
中学3年の7月。
わたしは、教室のドアの外で、わたしのことを見つめる英明くんに気づいていた。
今までで一番長い時間、私を見つめ続けてくれたから。
ずっと、このままでありたい……と、夕暮れの風に願った。
放課後の教室で、二人きりで話すようになってから、英明くんはたくさんの言葉をくれた。
「放課後の教室は、時間の流れが違う気がする」
「南と話してると、なんだか落ち着くんだ」
「……最近綺麗になったお前から、目が離せない」
どれも、わたしの中では、嘘じゃなかった。少なくとも、その瞬間の声は、とても煌びやかな真実だった。
でも、わたしがその輝きに手を伸ばすと、また笹馳川に流されてしまう気がした。
だからわたしは、この宝物を私の中だけに閉じ込めようと、自分の部屋に引きこもった。
たとえ、英明くん自身が忘れてしまっても。たとえ、英明くんが「子供の頃のノリだろ」と笑っても。
部屋から出さえしなければ、失うことはないと信じたかった。新たな記憶に塗りつぶされることもないと思いたかった。
わたしの中に残っている限り、それは、存在し続けるのだから。
高校生になって、大学生になって、同じ部屋で暮らすようになっても、英明くんは、ときどき不思議そうな顔をする。
「そんなこと、俺言ったっけ?」
そのたびに、わたしは笑う。笑って、「言ったよ」と答える。
だって、言ったのだから。わたしは、嘘をついていない。
ただ——
もしかすると、わたしの記憶の中の英明くんは、現実の英明くんよりも、少しだけ優しすぎるのかもしれない。でも、それでもいいと思っている。
わたしは、英明くんの言葉によって、ここまで来た。生き延びてきた。
確かに、救われてきた。
だからこそ、わたしが覚えていればいい。わたしが信じていればいい。
たとえそれが、どこまでが現実で、どこからがわたしの願望なのか、もう分からなくなっていたとしても。
4月1日。
婚姻届に、ふたりの名前を書く。
私は北原 南になる。
私は英明くんと家族になる。
きっと、英明くんは言う。
「なんかしっくりこないな」とか、「不思議だな」とか、そんな言葉を。
わたしは、その声の調子も、はにかむ表情も……ずっと覚えておく。
ひとつ、またひとつ、大切な記憶として、この脳裏に焼き付ける。
英明くんが、どんなに忘れてしまっても、もう大丈夫。
私たちの暮らすこの街に、笹馳川は流れていないのだから。
【固定】
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