噓つきは婚姻の始まり ~メモリー・ハラスメント~ その2
【固定】
始めまして、三軒長屋 与太郎です。
ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。
気まずい沈黙の中、私は自分のロッカーから水泳用の水着が入ったプールバッグを取り出す。
乱暴に扱ったせいか、生乾きの水着と塩素の匂いが混ざり合って鼻先を擽る。まさにその時の私の心情を表すかのような、アンニュイな香り……夕日に彩られた教室とは真反対な、ひどく現実的な鋭さ。
外を眺めるのを止めて俯く南。
そのまま去る訳にもいかず……あたかも、この空気を創り出したのは彼女で、自分がそこへ救いの手を差し出すかの如く、ぶっきらぼうに声を掛ける。
「お前が話しかけられないのなら、今後は俺が話をしに来てやるよ。この教室はテニスコートからよく見えるから、今日みたいに窓を開けてカーテンを揺らしていてくれていたら、お前が居るって気づけるはずさ。俺も幼馴染として、お前には学校を楽しんで欲しいと思っているしな」
当然ながら、これも嘘だった。
ただただ自分が、彼女と話す口実を作りたかっただけだ。
それでも南は昔と変わらず、それを私の優しさや面倒見の良さとでも思ったのか、健気に喜んだ。
「分かった……きっと……」
それからというもの、私は部活動の時間になると、教室のカーテンをチェックした。
どうやら南は毎日教室に残っているわけではなく、カーテンが揺れるのは、週に2回ほどであった。
校舎の3階、白い布が紅く揺れる。その度に、私の心も、赤く揺れた。
逆に、カーテンが揺れていない日には、皆よりもひと足早く、私の心の夕日は沈んだ……。
「やっべぇ……学年主任の刈谷に呼び出されてたのを忘れてたわ……」
私は様々な嘘をついて、部活動の友人たちを撒いた。毎日ではなかったのが助けとなり、友人たちがこれを訝しがることはなかった。
放課後の教室……私と南……二人だけの時間。
特段なにか盛り上がるといったわけでもなく、ただ私が話す学校や芸能人の話題を、彼女がクスクスと笑いながら聞いているだけであった。
ひとつ間違いないのは、南との放課後の時間は、私の青春の中で最も輝いていたし、それに、夏休みが来て欲しくないと願ったのも、この時が最初で最後であった。
中学3年生の一学期も、土日を挟んだ月曜日の終業式で終わり。そんな金曜日の放課後、私は南と教室にいた。
「来週から夏休みになっちまうな……家族でどっか行ったりするのか?」
南が寂し気に首を振る。
「私の両親はこの街から一歩だって外に出ないわ。だから私も夏休み中、家から一歩も出ないと思う。でもそれは、昔からずっとそうだから……」
今になって思えば、私はこの時初めて、南の内側をノックした気がする。自分のことばかり話をして、南のことなど何も知らない。ただ自分をよく見せたかったし、自分を知って欲しかった。私はここで初めて、“球”が返って来ていなかったことに気が付く。
「英明くん覚えてる?」
急に打ち出された“球”を、舌を出しながら懸命に追う。
「小学校3年生の夏休み。英明くんが急に私の家に来て、外に連れ出してくれた。川の淵の秘密基地に案内してくれて、他の男の子たちは(なんで女なんか)とか、(よりによってこんな地味女)とかって反対してたのに、英明くんが(うるせぇ!)ってかばい続けてくれて、私はあの時のことが嬉しくって、つい昨日のように覚えてる。今でもあの秘密基地が、私の中で一番の“夏休みの冒険”だなぁ」
「なんだよ……あんなのすぐ近所の笹馳川じゃないか。どこが冒険なんだか……」
嘘だ。そんな話など覚えていない。
確かに、笹馳川の堤防の藪に、皆で秘密基地を作ったのは覚えている。
その中で週刊誌を読み合いしたのも、台風で崩れた基地を皆で直したのも……。
しかし、私の記憶の中の秘密基地に、南が顔を出すことはなかった。
彼女が両手で大事に包んで見せてくれた思い出は、私の中では随分前に破けて空気の抜けたゴムボール。
記憶の藪に入り込んで見失ったみすぼらしい“球”の代わりに、新品でピカピカの“球”を咥えて戻る。
「高校に上がったら、街の外だっていくらでも連れて行ってやる。それに、高校を卒業したら、あの家からも連れ出してやるさ」
見栄や欲にべっとりとまみれてテカテカに光る“球”を、無心で喜ぶ南。
私は自分の中の罪悪感を、南の笑顔で拭った。
【固定】
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