噓つきは婚姻の始まり ~メモリー・ハラスメント~
【固定】
始めまして、三軒長屋 与太郎です。
ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。
小学生の時分から、南は、実に騙されやすい性格でした。
両親が新興宗教にのめり込んでいた家庭環境からなのか、元々彼女が生まれ持った透明感からなのか……あまりに純粋無垢であり、周りから聞かされる言葉の全てを、真実として受け止めているように見えました。
そんな南を誂って楽しんでいたのが、幼馴染である私、北原 英明です。
幼少期の私は、実に沢山の嘘をつきました。ですが、UFOを見た、人気ゲームの最新作を持っている、週刊連載漫画の続きを知っている……といった、幼い嘘はついていません。
これは大人になった今でも思っているのですが、嘘というのは、他人につくのではなく、自分自身につくものです。そう考えれば、自ずと嘘は洗練されます。一つの目標となり、未来へと昇華されます。
小学生当時の私の嘘は、大人すらも騙せました。親、先生、近所のおじさんやおばさん、スポーツクラブのコーチ……皆、私を純真の塊のように可愛がってくれました。
そんな周りの反応が、当時の私は、ただ楽しかったのだと思う。今になって振り返ると、それを快感と呼ばずに何と呼ぶのか分からない。
私は、息をするように嘘を積み重ねました。そんな私の嘘を、南が見破れるわけもなく、子供ながらに、私の掌の上で見事に転がっている彼女が、とても愉快で、健気で、愛おしくもありました。
しかし、まだ子供だった私が、それが恋であるなどと気付くはずもなく、何事にも目立ちたがり屋な私と南との間には、必然的な空白が生まれました。
実際、私の記憶の中に、小学5、6年の南の記憶はありません。
中学に上がると、私は、同学年の中で中心的な立ち位置にいたのもあり、綺羅びやかな学生生活を愉しんだ。特段やんちゃな訳でもなく、部活動と学業を卒なくこなし、内申点も欠かすことなく、いたって普遍的に恋愛もしました。
南はというと、相変わらず目立つこともなく、クラスの隅でひっそりと時が流れるのを待っているようでした。1年生の頃に多少話した記憶もあるが、以降、廊下ですれ違っても声を掛けることは無くなりました。
それは、中学校生活の流れの中で、私の周りに人が集まり過ぎたのもあります。友達は勿論、後輩、当時の恋人……一方で、いつも伏し目がちに一人で歩く南。私は、当時の私の“立ち位置”を守るためにも、この陰気な女子中学生に、声を掛けるわけにはいかなかったのです。
私たちの“ちぐはぐ”な時の流れは、予想だにしない変化をもたらした。
1年、また1年と、南は、みるみる美しくなった——
それでも、彼女が目立つということはなかったし、本人も自覚していなかったでしょう。
そもそも根本的に、中学時代というものは、活発で声の大きな者がゼラニウムであり、自分に自信のある者が薔薇となり、不躾な香りを振りまく世界。クラスの隅の影で咲く一輪の白いユリなど、絶滅危惧種に分類される。
忙しなく色鮮やかな思春期の学生生活に於いて、この地味で細やかな変化に、皆が気づくわけがありません。
ひとり、私を除いては……。
私がそれに気づいた日……それだけは今でもハッキリと覚えている。
夏休みが差し迫る中学3年、7月の放課後。テニス部の部活動が終わり、部室へと戻った私は、水泳用の水着を教室のロッカーに忘れていることに気がついた。同じ部の友人たちに少し待ってくれと懇願し、私はひとり、教室へと急ぐ。
教室のドアを開けようとした時、私はそれに息を呑む。夏の夕暮れに染まった教室。その窓辺に、南が座っていた。
控えめに開かれた窓から吹き抜ける風に、たなびく白いカーテンと黒髪。外を眺める彼女の表情は見えない。それでもただ、美しかった。
彼女が毎日このように放課後を過ごしていたのか、当時の私には知る由もありません。何故なら私は、あの日あの瞬間に、南が同じクラスであることを思い出したのです。それほどまでに、この時の私の日常には、南が存在しなかった。
しかし、教室のドアのガラス越しに彼女を見つめるうちに、小学生の時に感じていたあのむず痒い感情が、私の胸に返り咲いたのです。幼すぎて気づけなかった恋が、くっきりと輪郭を持ったのです。
ハッと、友人たちを待たせていることを思い出し、ゆっくりとドアを開ける。南の時間を邪魔してしまうのが申し訳なかったから。これは、本当です。
ガラガラと妙に響くドアの音に驚き、南が振り向く。いったいいつから手に入れていたのか……大きく見開きながらも、決して鋭さを崩さぬ目。夕日を反射させるかのような紅い唇。そこだけ成長を止めたかのように、大人びた顔を頼りなく支える細い首。
なぜ自分が、今まで気づかなかったのか不思議でならなかった。同じクラスに、毎日過ごしてきたこの教室の中に、こんなにも美しい生き物が、同じ時を刻んでいたことに……。
「英明くん……なんだか久しぶりな感じ。同じクラスなのに不思議ね」
確かに、久しぶりに聞く南の声に、私の心臓は持ちこたえられそうになかった。南も同じように思っていたことに、得も言えぬ喜びを感じたから。
「そうだな……不思議だ」
正直、私はこの時救われた。鏡を見ずとも、自分の顔が真っ赤に染まっているのが分かった。夕暮れ時でなければ、その無様な紅潮を、南に見られてしまったかもしれない。
「いつも放課後は教室にいるのか?」
恥ずかしさを紛らわすように質問を飛ばしながら、自分のロッカーへと向かう。
「うん、私は部活動をしてないけど、あんまり早く家に帰りたくもないし。それに、私は英明くんみたいにうまく皆に馴染めないから、こうやって部活に励む皆を窓から眺めていると、なんだか私も仲間に入れてもらえた気がするの。皆と同じ学校の、皆と同じ中学3年生に……」
「“あほらし”。
皆と馴染めないなら、俺に話し掛ければいいのに」
嘘だった。
避けていたのは自分なのに、偽りの優しさを振りかざしてしまった。
「今の英明くんに話しかける勇気なんて、私にはないよ。より皆に嫌われちゃいそう。それに、英明くんだって、こんな地味な子に皆の前で話しかけられたら困るでしょ?」
なんだか、彼女の方が私の心の中に詳しい気がした。
私は、南のこのセリフに、答えを返すことが出来なかった。
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