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ハラス・メメント 〜嫌がらせ記念日〜  作者: 三軒長屋 与太郎


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16/27

ナマエノカタチ 〜ネーミング・ハラスメント〜 完結

【固定】

始めまして、三軒長屋サンゲンナガヤ 与太郎ヨタロウです。

ゆっくりと物語の中の世界を、楽しんで頂けると幸いです。


 次の瞬間、目の前で起きた現象に、ムギは、感情の居場所を失ってしまった。

ムギの目をじっと見つめる十四章の瞳から、ひとすじの涙が零れたからだ。


この事実を、自分はどう捉えればよいのか。

そもそも自分は、相原 十四章に会って、何を言って欲しかったのだろうか。

どんな思いでいて欲しかったのだろうか。

床に張り付く皮と骨を、望んでいたのではないか?

自分と同姓同名の人間と対面し、後悔の涙を流して欲しかったのではないか?

いや、涙なら今、流れているじゃないか。

それでは何故、自分の心はそれを否定しようとするのか……。

自らの人生を賭してでも憎まなければいけない相手の涙を直視出来ず、ムギはギュッと目を閉じた。


そんなムギの様子を心配して、編集長が何かを言い掛けた時、面談室に全くもって相応しくない、甲高い笑い声が響いた。

笑い声の主は十四章であり、これには冷静を貫いていた編集長も不意を突かれ、大きく丸い身体を強張らせた。


ムギはゆっくりと瞼を上げると、畏怖と憎悪の入り交じった目線を、十四章へと向けた。

「長年暇をしていると、こんな芸当も出来るようになる。

人間とは斯くも素晴らしい生物だよ」


込み上げる怒りに従い、立ち上がろうとするムギを、編集長が何とか御したのだが、吐き出される言葉までは、止めることが出来なかった。

「僕はずっと、自分の名前に苦悩し続けて来た。

それは僕の両親も同じだ。

お前には、他人の人生を歪めてしまったという謝意や、懺悔の気持ちが微塵も無いのか?」

小刻みに震えるムギに対し、十四章は即座に、そして、最も簡潔に答えた。

「無いな」


どうにかなってしまいそうだった……。

心の何処かで願っていた。

自分が憎み続けた『相原 十四章』の正体が、真の聖人君子であり、巨悪に立ちはだかった勇敢な戦士であることを。

この日をきっかけに、自分の名前に誇りを持てることを。

そうでなくても、自分の犯した罪を心の底から悔いて、ムギの憎しみすら掻き消す程に、衰弱しきっている事を。


しかし、現実はそのどちらでもなく、そもそもに、相手はムギの考えが及ぶような生物では無かった……。


冷たく温かい沈黙が続く中、編集長が問い掛けた。

「せめて、この青年に謝って欲しかった。

お前という存在が歪め続けるこの青年の人生に、ひとつの句読点を打ってあげたかったのだが。

どうやらお前は、巷が想い馳せているような、正義の味方では無いようだな」


これに、十四章は含み笑いを浮かべながら応えた。

「名前が嫌なら変えれば良いだけだ」

再び口を開こうとするムギに、相原は言葉を被せた。

「態々言わなくても想像出来る。

君は自分の名前を変えない事で、己の宿命みたいなものと闘おうとしているとでも言いたいのだろう?

実に馬鹿馬鹿しい理念だ」

自らの思考を見事に言い当てられたムギは、次に紡ぐ言葉が思い付かず、ただ硝子越しの死刑囚の言葉を待った。


 十四章が、世にも珍しき“死刑囚の説法”を説く——

「名前とは“サイン”だ。

名前とは、個々を判別する為の目印だ。

囚人番号よろしく、それ以上でもそれ以下でもない。

私が付けている番号と、貴方たちが崇高に掲げる名前と……何が違う?


違わないね。どちらも只の記号だ。

その為に人生を賭すなど、甚だおかしな話だと思わないか?

現に、私はここへ来てから、“アイハラ トシアキ”などとは呼ばれてはいない。

私の今の名は“33番”だ。

今や名前も違うのに、勝手に引き摺り続けたのは、貴方たち世間の問題だ。

それに、仮に私の名前が全く違ったのであれば、私の犯した罪とこの青年の人生が交わる事もなかった訳だ。

ただの偶然の為に、何故そこまで必死になる必要があるのか……。

理由はひとつ。


【君に、それ以上の個性が無いからだ】


そもそも、凶悪犯罪者と同じ名前を背負って生きるという苦悩が、そのままアイデンティティになってしまっているのだよ。


人間とは波のようなもの。

自らと同じ悩みを抱く者と、より親密な関係を築き、其処に安堵を見出す。

皆が平穏を望む一方で、人間は不思議と人生に波紋を欲する。

殆どの人間は、波ひとつ立たぬ静水面に幸せを感じ得れないし、そもそも自分ひとりでは小さな波すら起こせない。


それ故に、人間は必死に人生を波立たせる。

苦悩を愛し、同調を求め続ける。

親、学校、仕事、家庭、更には、犯罪や芸能ゴシップ。

他者が起こしてくれた波を、無理矢理に自分の人生と結び付け、さも自分自身の人生が豊かであると想いたいのだ。


だからこそ、1度も会った事も無い、なんなら本名すら知らない“何処かの誰か”のスキャンダルに、一喜一憂する。

何故なら、自分ひとりでは波ひとつ起こせないから。

所詮、羨ましいのだ。

波乱万丈が妬ましいのだ。

波が立たねば他人との関係も築けない程に脆弱だから。


そんな連中の人生に波を起こして金に変えるのが、正しく貴方たち週刊誌の仕事じゃないか。

だからこそ貴方たちは、既にその答えを知っている。

世間が欲しているのは波そのもの。

その波が高ければ高い程に熱狂する。


人気歌手の脱税の金額。政治家が料亭で使った金額。

浮気の人数。死者の数。

大事なのは数字の大きさではない。

“一般庶民との乖離”だ。

この“乖離”こそが、貴方たちの胃袋を膨らませるのだよ。


波が落ち着いた後の“凪”な日常など、1円にもならんだろ。

それが週刊誌の本質であり、理念である以上、今日私から貴方たちに話せる事など何も無い。

私の起こした波は、もう既に静まろうとしている。


もし、貴方たちがそれでも謝って欲しいと言うのなら、幾らでも謝ろう。

そして記事にすると良い。

日本史上最悪とされる事件の凶悪犯の謝罪と銘打って、小さなさざ波を起こせば良い。

だが、そこの青年が名前を変えない理由は私ではない。

いざ名前を棄てた時に、全てを失ってしまうかもしれないという、自分自身への恐怖だ。

己の人生が“凪”に戻ってしまう事への拒絶反応だ。

故に、私がこの青年に謝る事は何もないし、人とは違うアイデンティティを持ち、常に水面を揺らし、人生に於いて最も重要な“苦悩”という名の“幸福薬”を捧げた事に、感謝をして欲しいくらいだよ。

きっと今まで、その名前の御蔭で築き上げることが出来た素晴らしい人間関係があるだろうからな。

君は心の何処かで、その関係を築き上げたものが、自分自身ではなく、自分に付けられた“名前”である事に気づき、嫌悪と共に、胸の奥で大事に護っているのだよ」



 「そろそろ時間です」

立ち会いの警務官の冷めた台詞を合図に、編集長は最後の質問をした。

「貴方が死刑を宣告されてから、実に17年の時が過ぎた。

何故まだ自分に刑が処されないのか分かるか?

また……いや、もう答えは分かっているが、この17年にも及ぶ刑を待つ時間が、貴方の心に何か変化をもたらし、死刑よりも重たい刑に変貌したと感じはしまいか?」


十四章は淡々と答えた。

「私を刑に処すと、与党の支持率に影響でもあるんじゃないか?

何れにせよ、国にとっても触れられたくない事件なのだろう。

私の刑の執行は、きっと政治的意図の上で処されると思っている。


もうひとつの質問に関しては、もう分かっている通りだ。

“何も無い”よ。何も感じない。

至って平穏な“凪”そのものさ

今これから、刑が執行されようとも、それは変わらない。

私は自分の人生に、誰にも真似できない大きな波を起こした。

その自負がある。」



 警務官に誘導されながら退出していく十四章の背中を、2人は静かに見つめた。

帰りのタクシーの中でも、殆ど会話は無かった。

2人共に、想像を絶する虚無感に襲われていたからだ。


移動手段を新幹線に移し、東京へと帰る途中、ほんの少し形式的な会話をした。

今回の取材についてや、東京の編集室に戻ってやる事など、会話はすれど、2人の心が元あった場所に戻って来ることはなかった。


東京駅での別れ際、編集長は実に彼らしい言葉をムギに送った。

「今回、この取材を取り上げる決定を下したのは私です。

哀原くんにとっても、良きものになると確信していました。

しかし、実際は違いました。

哀原くんにより強い心労を掛けてしまった事を、後悔しているよ。

本当に申し訳ない。

明日、明後日と、しっかり休んで、実際記事にするかどうかは、月曜日の哀原くんに任せるよ。

それまでは一旦、今日の事を忘れましょう。

良いですね?」


必ず記事にしますし、大丈夫ですよと微笑みと共に返しながら、ムギは編集長と別れた。

そして、そのままその足で、セイの店へと向かった。


仙台での取材で相原が言った台詞を、セイにも聞かせてやった。

ムギは、セイが“静”でなくなることを望んでいた。

十四章の言葉を強く否定するのを願っていた。


実際には違った。

「確かに、僕も名前を変えた時、解放感と共に、妙な喪失感に襲われたんだ。

今思えば、それからは必死に、何者かになろうとしていた。

そして僕は、小さいながらにバーを開き、此処で“バーのマスター”と云う新たな自分の名前を手に入れた。

実際、僕のことを康司こうじと呼ぶのは家族くらいだしね。

お客さんの話す苦悩に応える事で幸福を得ている点では、僕も、相原 十四章が言うように、自分では波ひとつの立てられない人間なのかも知れないな」



家に帰ってもムギの虚無感は消えず、どんよりと曇っているはずなムギの心の海原は、何故か、驚く程静かな“凪”であった。

このまま一生、波が起こる事はない気がしていた……。


後日ムギは、相原 十四章への取材の記事を無事に脱稿し、次週の週刊誌で見事なさざ波を起こした。

民放2社も、報道番組で軽く触れてくれた。

しかしその翌週には、おしどり芸能夫婦の壮絶離婚と、人気ミュージシャンの大麻使用という大波に、呆気なく呑み込まれ、ムギの記事は只のあぶくと化した。

少しずつ波打ち始めていたムギの心の海原は、またしても、どんよりと曇った“凪”へと戻ったのだ。


それからというもの、ムギの心が波打つことはなかった。

ただ無心に政治スキャンダルを追い、その結果や行く末などには興味が無かった。


ある日、ムギが手に入れた特大の政治スキャンダルによって、世間の水面は荒れに荒れた。

ムギはそれをただ傍観していた。

遂には、ムギの起こしたこの波を利用して、野党第一党は政権交代を成し遂げ、前政権の諸悪の根源として……また、その象徴として、相原 十四章への刑を執行した。


あの日硝子越しに取材した男が死刑に処されたニュースを耳にしても、ムギの海原は晴れることも荒れることもない。

何故か行方知れずとなった編集長の代わりにやって来た男に、「良くやった!」と声を掛けられても、政治デスクの仲間にこれでもかと褒め称えられても、むしろより一層に、ムギの心は“凪”となった。


あの日吹き止んだ風が、再びムギの穂を揺らすことはなかった。


【固定】

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