第1部 Night Flight - 9 - A
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共辰者の複雑な心境を他所に、デンゲイは相変わらず夜の闇に入り混じった雲海の上を悠々と飛翔していた。
その頭上には、この高度になっても尚、幾つかの雲が浮かんでいた。
それは別に珍しくもないことだったが、後方から追いかけて来る熱帯低気圧の影響か、いつもより数が多く、厚みもあるように観えた。
幸いなことに、デンゲイの後頭部に装着されたブレードアンテナに仕込まれた紫外線カメラは何ら問題なく作動し、雲の隙間から、あるいは薄い雲そのものを通して、天球上に輝く星々の並びを観測していた。
その観測データを全天候型自動六分儀の名目の下に、演算処理を行ったスターゲイザー測位システムがARプロジェクションに重ね合わせて、セージたちの現在地、その緯度・経度を小地図に表示する。
強烈な熱帯低気圧の分厚い積乱雲の下に潜ってしまえば十分な精度では動作できないシステムで〝全天候型〟とは良く言ったものだが、そういうことにしておかなければ予算取りも難しかったのだろう。
占星術師は占星術師だ。確実な未来など誰にもわからない。
だが、それでも進むべき先への手がかりが欲しい時はあるだろう。
元々デンゲイに航法装置とリンクした自動操縦の仕組みがあるわけでもなく、おおまかでも今、自分がいる場所がわかればセージにとってはそれで十分に用を為すものだった。
そして、その占い師の託宣によれば、まもなくセージたちは八丈島の上空に差し掛かることになる。
そこまでやって来たというのであれば、東京は目と鼻の先だろう。
空況は安定している。
落ち着いている、と言うよりは、後背に控える熱帯低気圧を考えれば、まさに嵐の前の静けさと言ったところだろう。
なんにせよ、嵐より先に空港へ辿り着くメラ・デンゲイにとって、気流や天候が乱れていないというのは良いことだった。
デンゲイの知覚や認識にとっては問題ないことであっても、空港側の管制官はあくまでヒトの知覚と認識において判断をしているのだ。齟齬がないに越したことはない。
星々が小さく遠く燦めく夜空と、灰ばみた暗い雲海との狭間に走る見えざる消失線をセージは見つめていた。
普段なら知覚野に入る雲の容貌を様々に眺めることもしたが、月も昇らない曇った夜空ではデンゲイに同調したところで、曖昧な塊がそぞろに浮いているくらいにしか観えなかったし、そもそも、そんなことをしている余裕もなかった。
知らず、セージはデンゲイとの同調を深めていた。
そうして、自分たちはまもなく雲の下に降りるだろうが、その時、最初に観える灯火が何処のものなのかを、竜と共に飛行へ集中する意識の隅で考え始めていた。
それはトーキョーのものなのか。
あるいは、そのトーキョーの外港にあたるヨコハマのものなのか。
それとも、母艦の入港先であるヨコスカのものだろうか。
そもそも、街の光が見えるのだろうか。
竜星群が降り始めた当時、それらが可視光、光の集積地を狙って落下しているという説がSNSを介して、まことしやかに囁かれ(科学者たちは今日でも、この説を明確に否定しきれてはいない)ため、一時期、世界中の各都市が夜間に灯火管制を敷くという事態に至った。
そこには、大竜星群によって電力供給インフラをズタズタに引き裂かれた大都市圏が計画停電を行う必要性に迫られていたという事情も重なっていたが、多くの人々は電力のためというよりは、無差別に落ちて来る災難から我が身を隠すために自ら消灯を選んだようだった。
もっとも、一部の〝気骨のある〟人々や、商業区の大企業は夜中までオフィスビルの蛍光灯を点灯していたし、飲食店街は初めこそおとなしく従っていたが、やがて貯蓄が尽きる頃には、そっと間接照明を灯して自主的に営業を再開し、社会全体に蔓延る経営や経済を省みない態度に無言で反発してみせたという。
少なくない評論家たちは、2020年代のパンデミック、2030年代の竜星群という、相次ぐ世界規模の経済的な打撃から復興ということを考えるのであれば、実際に都市部へ落下するかもわからない上に、その実効性も定かではない灯火管制を敷くという方針は実に馬鹿馬鹿しいと罵ったが、地球温暖化というイシューを優先して電力の使用に反対する環境活動家や富裕層はむしろ、この事態を歓迎していたらしい。
一般家庭はおろか、商業施設や工場、港湾施設に空港、病院や警察、消防までもが電灯を消し、世界は再び近代以前の暗闇に覆われた。
これによって現代社会や科学技術が生んだ歪みから人間が解放されると主張した自然主義者たちの楽観的な物の見方とは裏腹に、数多くの問題が時間を待たず噴出した。
火事や事故が発生した時に、救急がおぼつかない。
目に見えて犯罪件数は増加した。
窃盗や強盗、暴行や性犯罪、果てには殺人まで。
中でもっとも活発に行われていたのは、竜星群によって生産と流通のインフラを一挙に失い、物資不足に陥っていた市井の人々による闇取引だった。
こうして竜星群から身を守る以前に治安の悪化を招いてしまった灯火管制であったが、わずかながらメリットもあった。
大都市の光害がなくなったことによって、人口密集地にも日没後の夜空に星々の輝きが帰って来たのである。
天文学者たちは、この事態を洒落て(あるいは半ば自嘲地味に、なにしろ天文台も電気を使用できなかったのだから)〝銀画の再掲〟と呼んだが、大半の人々は星空を恐がるか無関心を決め込んでいて、そうでない数少ない人々にも不謹慎と非難されてしまい、その後すぐに「涙の洪水」によって天体観測自体を忌避する風潮が広がってしまったので、その言葉が浸透することはなかったようだ。
兎にも角にも、セージが物心ついた時には、世界は既にそのような在り方をしていた。
保護された彼がデンゲイと共に船に乗せられ、国連竜星群機関の本部があるフィンランドへ連れていかれた時も、その途上でナントやブルージュ、キールにリガ、それにヘルシンキといった港町を訪れ、あるいは留まったが、埠頭には大勢の人々が限られた仕事を求めて詰め寄せていて、あぶれた人々は辺りに勝手に住み着いていたし、街は街で、ごく短な夕刻の間だけ電灯を点けて、日が暮れる頃には競うように明かりを消して、軒先を閉じてしまっていた。
帰る家の無い移民や難民は仕方なく、港の隅で焚き火を熾して輪になって、厳しい夜の寒さを乗り切ろうとしていた。(竜星群の裏側で着実に進行していた地球温暖化が海流に影響を与え、奇妙なことにヨーロッパ北部では局地的な寒冷化現象が生じていた。)
まだ幼かったセージは、桟橋から港の端に見える赤々とした炎に目を引かれて、興味本位で彼らの焚火へよたよたと近づいてしまったものだが、その移民か難民かも分からない、今となっては何処の国の民族だったか人種だったかも思い出せない人々に知らない言葉で声をかけられ、その頃はまだ日本語どころか英語さえ覚束なかったので何も答えることができなかったのだが、きっと家も親もない子供だと思われたのだろう(それは決して間違いではなかった。)、招き寄せられるままに、焚火を囲む人々の輪に迎え入れられ、火の良く当たる場所へ座らせてもらい、暖をとらせてもらった。
セージが焚火の火に見入っている間、人々は皆、スマートフォンの充電を切らしてしまっていたので、仕方なしに夜空の星々を眺めては、円座の中でもっとも年長の者が粛々と語る何事かに耳を傾けていた。
セージは分からない言語で陶然と語られる物語をぼんやりと聞き流しながら、揺れ動く炎を眺めていた。その時の路火はどうしてか神秘的な輝きを帯びていたように記憶しているが、それは多分に美化された郷愁のようなものだろう。
デンゲイのことがなかったら、あるいは、アイノが息を切らして探しに来てくれなかったら、当時はまだインターンの学生だったアイノが顔を青くしながら見知らぬ人々の輪に分け入って来て、彼の手を引っ張って連れ出してくれなければ、セージは今もあの人たちと一緒にいたのかもしれない。
あの後、セージはアイノやテルミをはじめとした国連職員たちに、知らない人たちについていってはいけないとこっぴどく注意されたものだった(その頃は、大人たちが怒っても殴ったり蹴ったりしないことを不思議に思っていた。)が、それはともかく、無法地帯と化した港湾都市の風景はリスボンであろうと、マルセイユであろうと、シラクサであろうと、どこでも似たようなものだった。
そして、比較的、経済的な豊かさを有していた北西ヨーロッパでそうだったのだから、赤道へ近づけば近づくほど、状況はより深刻になっていった。セウタやアルジェ、チェニスにトリポリ。どこの港でも、少しでも条件の良い生活環境を求めて、ヨーロッパへ脱出しようとする人たちでごった返していた。クレタやキプロス、ベイルートであっても同じだった。通り過ぎようとする人たちと住んでいる人たちとで、街が一触即発の剣呑な空気に包まれていることは幼いセージにも理解できたし、セージたちも立ち寄っただけの人たちの一人に過ぎない以上はあまり長居もできなかったが、かといってすぐに出発できるわけでもなかった。
あの頃のスエズ運河は設備の一部を竜星群に破壊されたまま、再建工事が遅々として進んでいなかった。ポートサイドはまだ入港制限を行っていて、その影響で、船舶の渋滞が発生していたアデン湾は通った二度とも海賊の被害が続出していて物々しい雰囲気であったし、その後でまた通ることになったマラッカ海峡でも大人たちは常に緊迫した面持ちで、セージもデンゲイの中にずっといるように言われていたくらいだ。
竜星群の影響で、世界中の物流網、交通網が麻痺し、海運・海路においても混沌とした様相を呈していた。
セージたちの船は完全にその混乱と混雑へ巻き込まれた格好になり、来た時と同様に、バルト海から地中海から至るまでにも数々の港に寄港せざるを得なかったが、更に紅海を出てインド洋に至ってからは、それらの事情に加えてサイクロンを避ける意味でも意図しない停泊を余儀なくされ、そうして船が錨を下ろした港町はどこも悲惨、というよりもはや凄惨の一言に尽きる状であった。
ソコトラという変わった島や対岸のドゥクムの港はまだ穏やかな方だった。インド亜大陸に近づき、ゴアのモルムガオ、スリランカのコロンボや、ベンガル湾のヴィシャカパトナムといった港町では、竜星群そのものや、その後の高潮によって港湾設備がひどく破壊されていた。
良く整備されている港湾でもそうなのだから、近隣の海岸沿いにある街々の被害は表現しようもなかった。
元々は浜辺に立ち並んでいたであろう簡素な店舗や家屋の残骸が積み上がったまま誰にも片づけることができず、まるでゴミ捨て場のようにそのままになっていた。まだ幼かったセージにも、そこで多くの人命が失われたことは理解できたから、彼がその光景を初めて見た時、自分が横たわっていたあのアパートの残骸のことを思い出してしまって、何の言葉も思い浮かべることができなかった。
それでも、竜星災害から辛くも逃れることができた人々は生きなくてはならなかった。
ツナミに全て飲み込まれ、失われてしまった生活環境を求めて、被災者たちは小舟に乗って近隣の大きな港町に押し寄せていた。