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第1部 Night Flight - 6

 *


 人間がつくった機械の航空機が風向きの影響を受けて機首方位とは違った飛行経路を辿るように、デンゲイもまた竜子場の粗密や、デンゲイ自身の気まぐれ、飛行時の癖、それに微弱とはいえ気流の影響もあり、なかなか真っ直ぐには飛べないものだ。

 放っておけば、いつの間にか予定コースを大きく外れてしまっているということにもなりかねないので、折に触れて針路(ヘッディング)を修正してやる必要があった。

 セージはデンゲイの飛行方位に補正をかけた。

 とは言っても、それは頭というか体の向きを変えるようなもので、ヒトが走っている時に進行方向を変えるのと同じくらいには日常的な動作であった。

 むしろ、問題はこれからだろう。

 今はまだ慣性航法装置(ⅠNS)が機能し、それによって航跡トラックを把握できているが、その誤差は時間が進めば進む程に、距離を稼げば稼ぐほどに大きなものとなる。

 本来なら、その誤差を較正するためにGPSだとか、VOR/DMEなりTACANなりといった無線標識を併せて利用することで、〝自機〟の位置や進行方向、それに基点との距離を確定している。

 マナの谷間にあっては、そのような予備的な航法装置もささやかながらに機能していたが、マナによる飛行を前提とするデンゲイにとって、それらはあくまで補助的な計器にせざるを得ない。マナ密度が高まってくれば、デンゲイの飛行にとっては有利でも、特に波長の長い電磁波(つまり電波)を利用した通信は容易に阻害されてしまうことからだ。

 やはり、どこかで星を見る必要がある。

 その為には、雲を超えなければならない。

 いくら、国連竜星群機関(UNOO)が苦心の末にスターゲイザー測位システムを開発したといっても、これだけ強力な熱帯低気圧の中で膨大な量の雲に蓋をされてしまったのでは如何ともしがたい。

 折しもマナの密度は回復傾向にあった。

 既にデンゲイはその兆しを捉えていて、飛行を続けながら身じろぎし、その佇まいの中で、その瞬間を今か今かと待ち構えていた。

 普段のセージたちだったら、すぐにでも上昇を始めていただろう。

 だが、今は自分たちだけではない。

 セージは有線通信でコンテナ側に雲を抜けることを伝えた。

 乱気流による振動や揺動が予測される。コンテナに表皮効果を利用した対策は施されているとは言え、場合によっては雲中放電による医療機器への影響もあり得なくはない。

 医療班は「少し待て」と言ってきた。患者の容体次第ということだろうか。

 返答を待つ間、セージは唾を飲み込み、心臓の鼓動を感じていた。

 二人だけだったら、ずっと気は楽だった。

 二人とは言っても、セージとデンゲイのことだから一人と一匹くらいが正しい表現だろうし、もっと言えば、合わせて一体くらいが正確なところだろうが、今はそんなことはどうでも良い。

 とにかく、このメラ・デンゲイだけなら、マナ密度の低下なんて気にしないで、多少時間がかかっても、強引に雲へ突っ込んで、それが積乱雲(キュムロニンバス)だろうと入道雲(サンダーヘッド)だろうと、いつでも好きな時に潜ることも抜くこともできたのだ。

 コンテナ側がいつ患者の急変や機器の異常を訴えて来るかなんて気にする必要はなかったし、後方カメラにケーブルの切断が映り込んでしまうみたいな事態を心配することもなかった。

 もっと言えば、もしマナが途切れてしまったら、などとありもしないことを心配したり、空中で錯誤に陥り、姿勢指示器も認識できず、意図せず鉄板のような海面へ飛び込み、コンテナと中の人々ごと深い海の底へ沈んでしまうようなことを憂慮する必要もなかった。

 イニシエイト・ロコラに来てから、セージとデンゲイを取り巻く状況は大きく変わった。艦そのものが新しくなったので設備はまともに利用できるようになり、排水量も大きくなったせいか船室も専用の部屋を割り当ててもらえたが、良いことばかりではなかった。

 幼い時分から彼がずっと長いこと乗船していたタイロー・ノアという古い調査船を改装した急場しのぎの観測船では、セージはとりあえずデンゲイと一緒に、あるいはデンゲイとして飛んで、ただその様子を見せていれば良かったし、時折頼まれたことをやってみせればそれだけで喜んでもらえた。

 しかしロコラに来てからは、まず技術者という人たちがやってきて、大量の機械をデンゲイの中(ヌクレオ)へ積み込んだ。

 自分の身体の周りや下手をすると内側へ、機械をごてごてと貼り付けられたら、共辰者(ルミナス)ならずとも言いようのない気分になる。

 前の船(タイロー・ノア)では精々ジンバル式のシートくらいしか持ち込まれなかったし、それのおかげでデンゲイが空中で姿勢を転じてもセージは転がらずに済むようになったので、それは良かったが、各種航法装置に加えて難燃性の亜鉛バッテリーだのIFFトランスポンダーを組み込んだソフトウェア無線だの、こうも大量の機械を乗せられてしまうと、自分の体の中に無理やり異物を差し込まれたような気がして良い気持ちはしなかったし、だいいち、十分に余裕があったヌクレオが急に手狭になってしまったのもいまいちだった。

 彼が唯一、気に入ったのはデンゲイの後頭部にヘッドセットの要領で装着された無線素子や紫外線カメラを束ねた双つのブレードアンテナくらいのもので、それに関しては確かに竜という感じが増して良かったが、とにかく他のゴチャゴチャと張り付けられた様々な機器はどうしても鬱陶しく感じられた。

 だいたい、航空計器だの航法装置だの通信機器だの、そんなものがなくたってセージは飛べるのだ。

 一度は、導師(マスター)ホクレアと共に、ハワイのオアフ島からグアムまで途中にある環礁での野営を交えながら、近代的な機器に一切頼らずに飛んだことだってある。

 あの時は、導師ホクレアが星の位置を頼りに、良く晴れた空に道筋をつけてくれた。ポリネシア人たちがかつて双胴(カタマラン)式の外洋航海カヌーに乗り込み、パプアニューギニアの先にあるメラネシアの島々から太平洋上のポリネシアの島々へと拡散の航海へ滑り出した時に、星の標を頼りに方角を見定めていたように。

 あまりにもはしゃぎ過ぎて着水してしまったりもしたが、それは導師ホクレアも一緒になってはしゃでいたからで、最終的には危うげなく目的地のリティディアンビーチへ辿り着いて、大成功の飛行(フライト)になった。

 そういう晴れやかで楽しかった飛行(フライト)のことを思い浮かべると、今の飛行は天候とはまた別に重苦しいものではあった。

 もちろんUNOOが長年構想し、準備を進めていた計画がいよいよ実現段階に入ってきたからこそ、最新設備の数々が配備されるようになったわけだろうし、それはそれで良いことなのだろうが、その代わりにセージも新しく憶えなくてはならないことがたくさんできたし、一緒に移って来たアイノだってテルミから多くのことを押し付けられてしまった。

 もしセージのためにアイノに余計な負担をかけてしまっているとしたら、というのもアイノから見ればセージはまだ子供だろうし、ボルネオあるいはカリマンタン島の時からアイノはセージを見ていてくれたから不憫だと思われてしまって無理に同行してくれているのだったら、やりきれないことだった。

 それは今、コンテナに乗り込んでいる医療班のマリアたちにも同じことが言えた。セージがロコラにいなければ、余計な負担を背負わずに済んだかもしれない。

 母島で受け入れた患者だって、もっと安心できる通常の航空機の方が良かったはずだ。少なくとも、周りにいた家族の人たちはきっとそう思っていただろう。

 だが。

 通常の航空機だったら、あの雷雨の中を飛行し、着陸できただろうか。

 セージの杞憂とは別に、島の人々は手を振ってくれたのだ。

 いい加減に言い訳はやめるべきだった。

 全ての飛行(フライト)がいつも上手く行くわけではない。

 それでも、課せられた役割は果たさなくてはならない。

 それはロコラの乗組員(クルー)になったのなら、皆そうだ。

 発艦前にラダマが言っていた冗談を思い出した。

 ドクターデンゲイ。子供騙しみたいな話だ。

 セージはもう子供ではない。まだ大人ではないかもしれないが、別に十八歳やら二〇歳やらになったからと言って、ある日突然オトナというものになれるわけでもないだろう。

 日々、期待される責務を果たしていくこと。

 オトナになっていくということはきっとそういうことのはずだった。

 なら、いつまでも餌を与えられることを望んでいるわけにはいかない。

 そして、セージたちは何も知らない一羽の小鳥などではなかった。

 竜なのだ。

 セージは改めて上空へ意識を向けた。

 彼の懊悩は長いようで、実際には短い間のことだった。

 有線通信に回答があった。マリアからだった。「行ってください(ゴーアヘッド)

 セージは気負うこともなければ卑屈になることもなく、ただ明瞭に答えた。

了解(ロジャー)。メラ・デンゲイ、上昇する」

 セージはデンゲイにより移入を深め、意識を完全に同調させた。

 メラ・デンゲイはこの時を待っていたとばかりに翼を目いっぱいに広げ、自身から放出される竜子場に弾みをつけると、厚みを取り戻してきた海と空の竜子場に重ね合わせて、より多くのマナを得た。

 積荷(カーゴ)を牽く竜の姿は、快調を取り戻したマナによって弾みをつけて、なめらかに、実に調子良く、そして力強く、一挙に上昇し、さしたる気流の抵抗も受けず、というより寄せ付けず、振動や揺動の時間も与えず、あっという間に雲を突き抜け、闇一色の海を後にした。

 それから、鈍色に浮かぶ雲の海を高空の底にしたデンゲイは、星々の輝きに満ちた墨色の空に躍り出すと、その光と闇の舞台がまるで広大な水槽であるかのように悠々と遊泳を始めた。

 暗夜のカーテンに、流れ星は見えない。

 それはきっと良いニュースだろう。

 かつての人々は流れ星を見ると大急ぎで願い事を唱えたという。

 それだけ貴重な経験だったのだろう。

 現代ではもう、そういうことはしない。

 人々は出来る限り、流れ星を見ることがないように祈っている。

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