第2部 Tokyo Ophionids - 32
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加速する。
立ち込める墨色に空と海の境界を塗り潰された暗闇の只中で、
マナの輝跡で画線を刻み入れ、世界に再び意味を与えていく。
およそ一ヵ月ぶりに、力の限り翔べることをセージの竜は喜んでいた。
心なしか、エンベロープの外縁は強く輝き、時折、翼が発する閃光(高密度の竜子場と大気中の分子が干渉することで生じる可視光領域の電磁波である。)でさえ、いつもより明度も頻度も高い程だった。
もっともデンゲイに、一ヵ月なんて随分と人間的な時間感覚があるのかどうか、セージは知らない。どうでもいい。今はそこどころじゃない。
どこにいる?
後にした艦は既に遠のき、いつの間にかアイノからの激しい呼び出しも途切れていた。
発艦とほぼ同時、再活化した竜星群の第10波が落下を開始した。
星景測位システムは夥しい流れ星を目の当たりにして、即座に立ち眩みを起こした。
既知の天体図を覆い隠してしまう程の星量、光度、煌道。
極度に密度を増した竜子場は電波の往来を遮断する。
それより迅く、竜の観覚は天蓋にスケールをもたらす列星を捉えている。
北極星、こぐま座の二等星は天の御柱、空の軸。
廻る七星、巡る双子のひしゃげたV字サイン。
麒麟と龍蛇、エチオピアの王が踊る円舞曲。
頭上には、未だ冷めやらぬ夏の大三角。
東の方角に、邪眼を掲げる勇者と、鎖で封じられた巫女姫が観えた。
西の空は、試練を超えた英雄と、偉大なる蛇使いを冠している。
そして、南方で口を開いて喘ぐフォーマルハウト。
どこだ?
どこから来る?
背景に、大量の噴射炎。
打ちあがる垂直発射ミサイルの数々。
夜空を翔ける黒竜が背負った赤黄色の花火群。
母艦の対星対応が始まった。
「来るなら、このタイミングだ」
自分に、半身に、言い聞かせる。逸るな、焦るな、見逃すな、と。
刹那。
音より先に、セージは竜の観覚で光を捉えた。
悪意のぎらつき、敵意のちらつき、殺意のひらめき。
無論、それは正確には光ではない、竜子場の揺らぎ、マナのささくれである。
なればこそ。
くじら座の方角、水平線の向こう側、垣間見えた不知火。
波間を縫って、大気を裂いて、竜子場を掻き分けて。
迫り来る陰影。
「対艦ミサイル!?」
先取りされた微かな違和感が、メラ・デンゲイをアプリオリに衝き動かす。
セージの意志に共辰し、竜の両掌に竜子場の力動が集束する。
それは光基、光輪、そして光波。
無限遠に届く勢いで放たれた閃線の耀めき双つが、迫る飛翔体を貫き、爆破する。
だが、その奥に。
低く、遅く、静かに、けれど観に障る不穏な唸り。
確実に、着実に、不実に。
邪心を覗かせ、忍び寄る気配、その脅威。
セージは竜の翼を縮めた。
エンベロープの強度を緩め、翼が発する竜子場の、一階の微小時間におけるそのベクトルを逆順にしてまで急減速をかけると、竜の腕から迸るマナの奔流を光の刃に換えて、邪念の方位を撃ち祓った。
「ドローンか!?」
灼き斬られ、感情もなく下方の海へ墜ちていく金属屑を観ながら、セージは気づいた。
「そう、自爆ドローン」
セージの推測を肯定したのは、光学通信機に届いた音声だった。
ラダマの言に従って、オープンにしておいたチャンネルだ。
今、それを介して整備班クルーであるフィトリの言葉が聞こえてくる。
「気をつけて、徘徊型ドローンならまだ他にもいるかもしれない」
インドネシア出身の航空電子技師がドローンに詳しいとは初耳だったが、無論、今はそれどころではない。促されるまでもなく、周囲を観渡す。
他に観じるプロペラ推進の気配はない。
撃ち漏らしてはいない。だが、次はどうなるか。
「対艦ミサイルの数はきっと多くない。そこをドローンで補っているはず」
高精度で高速だが、高価で重量もあるミサイル。
精度は低く、低速でも低廉で、相対的に軽量な特攻ドローン。
両者を組み合わせた上で、攻撃を仕掛けてきている。
「ミサイルなら発射母基がいる。徘徊型ドローンなら回収して燃料を補給する母機がいる。どっちにしても元を断つしかない」
徘徊型ドローンがまだ複数この空域に滞留しているなら、その全てを叩き落とさなくては艦への脅威を取り除くことはできない。だが、大量のドローンが群集型戦術をとるのであれば、メラ・デンゲイ一翼だけでは、まとめて網にかけられるようなものでもない。
セージは呻いた。
ドローンの一機や二機なら、訓練で撃ち墜としたことも捕らえたこともある。
積んできた対機特装は元来、そのためのミッションモジュールだ。だが、艦が飽和攻撃に晒されてしまえば、その用途は限定的にならざるを得ない。
そもそもイニシエイト・ロコラは、竜星群観測と調査研究、そして対星対応や竜星災害への支援のために建造された艦だ。戦闘用ドローンとの対空戦は想定していない。
だったら、守りに入る方がむしろ危険だ。
艦にその能力がなく、クルーにその準備がないなら、自分達がやるしかない。
セージは、彼のデンゲイは、揃って観覚を研ぎ澄ました。
舞うように高度をとり、高空から海面を、水平線を、マナの流れを観据える。
黒い波飛沫、灰雲の切れ間、天上に閃く雷光。
また、暗い空に光が満ち始めた。
流れ星は竜星である。それは隕石であって、天より地に降りしきる。
数多の輝き、小夜の太陽、さざめく火球が流れ落ちる。
光彩陸離に立ち眩み、我に返ったばかりの機上占星術師がまたも卒倒した。
一方、背中越しの海の向こうで、幾つもの炎が揚がった。
対星ミサイルの放出。艦にはまだ在庫がある。
セージは観覚を引き締めた。来るとすれば、このタイミングだ。
そして。軌跡、軌痕、軌道。軌を一にして。
対艦ミサイルの曳光。
それはセージにとって、マナの循環を波立たせる加害性の発輝として観ぜられた。
「水平線に隠れたつもりか!?」
放たれる竜の光爪、双つ。
視野外の爆裂、炸薬の炎上。
続いて来たる緩慢な危険、潜伏する無人機の振動する敵意。
セージは急加速した。
広げた翼がマナの光輪を置き去りにして、メラ・デンゲイが前進する。
竜の両掌が掲げた星彩の剣、二振り。
自爆ドローン複数と擦れ違いざま、黒き竜は空中で一転し、ことごとくを薙ぎ払った。
セージと黒竜は小爆発の魚群を翔け抜け、ドローンが辿って来た夜空の道筋に光痕、その動態のマナへの反響を観付けて、その先にある空と海の間に観出すべきものを探し出す。
「観えた!」
「何が?」
通信越しに聞き返すフィトリに、セージは人間の言葉に置き換えなければならない煩わしさを拭い切れずに叫んだ。
「ドローンの母機だ、おうし座にいる!」
昴の後に続くもの、橙色に輝く牡牛の眼。水平線に交わり光る。
青白い星団は元より、一等星の燦めきすら、日頃は都市の人工灯火に消え入り、今は流星と火球と隕石の悪辣とした輝きの前に、あえなく滅入る。
然れど、知覚と認識と記憶の境に、共辰する竜光の思考は裏返しの天球儀を先験する。
|セージが観想する牡牛の頭。静かに、確かに、厳かに瞬く。
その陰に小さく、薄く、微かに、五月蠅なす脈拍なき機塊。
モーターの回転子が捻り出す羽音、幾つものプロペラが織りなす見せかけの翼。
潜み、眩ませ、付け狙う。
意思なき故意、思惟なき追跡、示威なき危害。
デンゲイにとって、音とは大気の振動ならば、その振動がもたらすマナとの干渉はやはり光なのだ。それが例え、地球上で進化を重ね、現に生育した有機的生命が捉える可視光領域の電磁波とは、その本質からして全く異なる環-世界であったとしても。
竜星が降る。大鉈を振るって空を割る。
火球が燃える。烙印を押し付け、海を焦がす。
隕石が落下する。鉄槌の如くアスファルトを陥没させる。
垂直性のエネルギーが荒滝のように降り注ぐ。
異形の光が眠らない夜を歪曲する。
真昼のように照らされた低い空を、
ただ一翼、黒い竜が水平に翔ける。
熾烈な竜星雨をかき分け、隕石雲の帳を切り裂く一条の流光となって。
「おうし座にいるって、どういうこと?」
フィトリの声が困惑気味に言っている。
「東北東だよ、オリオンがまだ昇ってないんだ!」
「なら、最初からそう言って。待ってて、相手の位置を予測するから」
「それは分かるから良い、それよりも!」
ミサイルの炎が真っ直ぐに艦を目指す。
ドローンの音が時機をずらして翼元を掬いに来る。
「やっぱりだ!」
竜の体でマカナーの光条を放ち、セージは襲い来る擲弾を断ち切った。
「ミサイルとドローンで侵入角が違う!」
「なに、どういうこと?」
「発射母機のドローンは複数機いる。少なくとも、ミサイルを撃って来るヤツと、自爆ドローンを抱えてるヤツは位置が違う。戦闘用ドローンの戦術で、複数ノードから仕掛けて来るって考えられることなのか!?」
「あり得るでしょ。それに、発射母機だけじゃなくて、眼の役割を果たす観測機だって、いたとしても何もおかしくない」
「上にもいるってことか!?」
セージは咄嗟に高い空を一観した。
大気圏の更に上層、宇宙から引きも切らずに竜星が落ちてきている。
もちろん、こちらも竜だ。地を這う蜥蜴や蛇ではない。
観測ドローンにできて、デンゲイにできないはずはない。
上昇することは考えた。造作もないことだ。すぐに標的の眼を射抜けるだろう。
だが、その間に、海面すれすれを対艦ミサイルが、その少し上を自爆ドローンが素通りしていくことになる。それでは意味がない。
逡巡は一瞬、回光は一縷。相手も時間も待ってはくれない。
事態の全容が掴めぬまま、再びの敵意が迫る。
遅いものは艦に向かう軌道、だが速いものは。
「対空ミサイル!?」
知覚、認識、思考の弁証法に一瞬も必要ない。意志するは須臾の狭間に。
一切の遅延なく、竜の腕から放たれた光刃が、彼方より飛来する擲弾を撃ち貫く。
北に近づく東の空に、次々と爆散するミサイルとドローンが、炸薬由来の花を添えた。
もっとも、それは竜星の夜にはあまりに目立たない、色褪せた輝きに過ぎず、天文現象からは程遠い、まがい物の星明かりでしかなかった。
「ミサイルはこっちに向いた!」
なら、これで良い。このまま進めば良い。
「フィトリ、相手は対艦ミサイルだけじゃない、対空ミサイルまで持ってる。モードを切り替えてるのか両方積んでいるのか知らないけど、そういう装備を搭載できるドローンってあるのか!?」
認識なくして、観ること能わず。
セージが叫ぶように尋ねると、フィトリは思案気に答えた。
「ミサイルのことはよく知らないけど、そこまで多用途に使われる航空機なら、搭載量を考えると、かなりの大型機になるはず。そんなサイズのドローンなんてあったかな」
「なんでもいいんだ。可能性がありそうなドローン、全部教えてくれ!」
「ねぇ」
「なに!?」
「さっきからなんでもかんでもドローンにしないで。手持ちの情報だけなら、無人戦闘航空機《UCAV》って呼ぶ方が適切じゃない。いい加減な知識では正確な理解なんて遠く及ばないから」
「どっちだっていいよ、そんなの! 英英辞典にだってドローンは雄アリ、雄バチ、雄スズメバチだけじゃなくて、無人機も意味するって書いてあったよ!」
「前々からちょっと思ってたけど、君って結構めんどくさい」
「それはこっちの台詞だよ!」
人と人同士で争っている場合ではないのに。
竜の翼で翔けるセージの気がかりは地を這っていた。
竜星群は一向に降り止む気配を見せない。
イニシエイト・ロコラは依然としてミサイルや自爆ドローンに狙われている。
相手は想像以上に用意周到で、重武装だった。
今は、それがどこの誰かなんてことは問わない。
もちろん、学校で起きたことを考えれば、一つの名称を言いたくもなるし、SNSでシェアされていたショート動画は虚実ないまぜの伝聞でも、それを裏付けるような情報は確かにあった。他の国連職員と同様に、信じたくない自分がいることも確かだ。
それでも、あのテルミでさえ、目の前の竜星群対応に集中すると言っている。
だったら、自分たちも艦載竜としての務めを果たすまでだ。
「直進する!」
セージは飛翔速度を増した。
発射母機は移動している。
徘徊型の自爆ドローンはいざ知らず、ミサイルが撃ち込まれる方向は毎回違う。
陸の狙撃手が射撃後に必ず移動するように、ドローンのAIアルゴリズムも必ず退避行動の時間を挟んでいる。止まっていてくれればマカナーで撃ち抜くだけの簡単な話だったが、その一方で、到達までの猶予が生まれているという見方もできる。
なんにせよ、次のミサイルか、あるいはドローンが襲来するまでに発射母機の許へ辿り着き、せめて標的を変えさせなければならない。
「どうするつもりなの!?」
「先に捕捉すれば、艦よりこっちを狙うだろう!」
「それじゃあ、君たちが危険じゃない!?」
「それでいい、無防備の艦が狙われるより、ずっと良い!」
わざわざ羽ばたき、排光してみせるのは敵意をこちらに向けさせる為だ。
「君たちが撃墜されたら、テルミが絶対うるさいよ!」
「なら、こっちが先に墜とせばいいだろう!」
火球が降る度、竜星から溢れ出す光は眩く、空は昼と夜を瞬く間に繰り返す。
明滅する暗空に、灰色の隕石雲が幾筋も浮かび上がり、簾のように垂れ込める。
セージはその天然のヴェールを遮蔽物に、さながら身を覆うマントのように、時には光を隠すシェードのように利用しながら、黒いデンゲイは擲弾の主を指向して、砲弾のように落下する竜星を左右に躱しながら、マグナム弾よりも疾く翔け抜ける。
そして、雑兵のように群がる低速のドローン群を蹴散らし、
明暗分かたれぬ空と海の間に、光柱の如き一線を画して、
人と竜が共辰して羽ばたくその一翼が駆け抜けた先に。
「観つけた!」
それは人間の視覚では豆粒のようにしか捉えることのできない機影。
呼吸なく通電するバッテリー、鼓動なく回転するモーター、脈拍なく作動するアクチュエーター。風切る羽音は多数の回転翼が捻り出すモスキート音。
意思なき害意、自動的な悪意、投じられる敵意。
放たれる自爆ドローンは無造作にデンゲイの吐光が切り払う。
その奥にある一つの機塊。基盤のが緻密に響く合うエコーチェンバー。
ドローンの発射母機。
「待って、まだいる!」
ノイズが混じり始めたフィトリの注意喚起は正しい。
竜子場の揺らぎを感知するデンゲイの観覚だけでなく、光学レーダーもまた、もう一つの機影を捉えている。
次いで来襲する対空ミサイル。
黒い竜は燐光を焚いて搔い潜り、迎撃する。
姿を現したミサイルの発射母機はドローン母機へ接近する。
「わざわざ集まってくれるのか!」
「上空、ちゃんと見て!」
更に、降下する機影。単眼があらぬ方向へ動く。複眼が生気なく蠢く。
三つ目は舞い降りる。センシング技術の発展は時に、人のために人を殺す。
「手間が省ける!」
観測ドローンまで揃って集合した空中の一点にマカナーを撃ちこもうとしたセージに、自爆ドローンとミサイルが時間差攻撃を仕掛けて来る。
「思い出した」
フィトリの呟くような通信は掠れていた。
音質の劣化は本人の体調や感情によるものではない。
光学通信の有効距離は限界を迎えつつあった。
「従来期待される遠隔攻撃能力を実現しながら、対デンゲイを想定した空中での近接格闘性能を拡充した一連のドローンシステム。ユーラシア大陸のドローンメーカーが国際展示会で公開したデモ機であった。マナ密度が濃い空域では通信能力が制限されるからって複数のドローンを分離合体させるってアイディアは、普通に考えれば非効率だから、技術力の誇示か、そうでなければ隠蔽目的だって評価されていたのに、まさか実証実験どころか、実地投入されていたなんて」
フィトリが一人語りする裏側で、光学レーダー上の三つの機影は一つの点に重なり合っていく。
もちろん、デンゲイの観覚は単に光点として捉えてはいない。
三つの大きなマナの揺らぎ、即ち三機の大型ドローンは複雑に接近し、錯雑とした接続をして、煩雑な接合を遂げ、正確に一つの機巧を組み上げる。
翼と嘯く背部の機構は、小さな回転翼の多数の集合体に過ぎない。
鋭く尖った観測ドローンの頭部が無機質にカメラを光らせる。
今や腕のない頑強な胴体と化したドローン母機は狡賢く構え、
尾を垂らしたようなミサイル発射機は二脚のスタビライザーを下ろす。
その全容は、もはや蜂や猛禽の陰影には喩えられない。
それは地球上の何かというより、むしろ星より来たる竜のシルエットに近く。
「亜龍型のメガ・ドローン……!」
いつもスカーフで髪を覆っている航空電子技師が殆ど独り言のように告げる。
セージにはそれで十分だった。
フィトリは尚も早口で説明しようとしたが、光学通信の音声はノイズに吞まれていた。
それもセージには気にならなかった。
形相さえ観えれば、実体を掴めれば、存在を知ることができれば、メラ・デンゲイは認識し、把握し、捕捉することができる。
通信が途絶する直前に、セージは母艦のクルーたちに自分たちの最後の動向を伝えた。
「メラ・デンゲイ、交閃する!」




