第2部 Tokyo Ophionids - 30
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落下を開始した竜星群は当初、その大半が海上へと降り注いだ。
報告を受けた政府関係者の中には、その時点で先行きを楽観視する者さえいたと言う。
陸上の、それも人口密集地帯への影響は軽微であり、このまま落下が収まるのであれば、これまでの警戒や準備はいずれも取り越し苦労に過ぎなかったことになるだろう、と。
もっとも、希望的観測とは所詮、願望に過ぎない。
竜星群は時間経過と共に衰えるどころか、むしろその強度を増大させていった。
落下地点のボリュームゾーンは太平洋上から徐々に陸地へ接近していき、ボウソウ半島の先端やミウラ半島の外縁部を掠めて、やがて首都圏の市街地へと到達した。
艦隊の警戒網を潜り抜け、ミナト区の都立高校へ落着した竜星は不幸にして唯一の例外などではなく、大規模落下に先立つ嚆矢でしかなかった。
そうして、事態の深刻化に気づいた政府が官邸連絡室を対策本部へ格上げしている間にも、海上に展開する日本とアメリカの艦隊は既に必要な対応を開始していた。
光学観測から軌道計算によって、陸上への落下が予測される竜星。
それらを迎撃する対星ミサイルの発射措置である。
国連竜星群機関から派遣された多目的艦イニシエイト・ロコラもまた、複合作戦司令官である天野テルミが当番・非番を問わず全乗組員に「第一種対星配置」を発令し、対星レーダーや光学観測による側面支援を実施していた。
これは流出点に収縮傾向が見られない状況では、ロコラ前方甲板の垂直発射管に収められた対星ミサイルはまだ温存すべきである、という事前の申し合わせ通りの行動だった。
開始された多国籍艦隊による竜星群迎撃作戦は当初、ほぼ成功していたと見られている。
流出点の捕捉以前に落下を開始していた第一波こそ対応は遅きに失したものの、続く第二波が運良く海中へと没している間に、艦隊は本格的な迎撃態勢へと移行した。
竜星群の第三波のうち、カナガワ県にある工業都市への落下軌道にあった一つを、日本のイージス艦こんごうが対星ミサイルを発射して対処に成功、更に第四波でサイタマ県を流れるアラ川沿いの市街地へ落下が予測された竜星をアメリカのアーレイバーク級巡洋艦が放った対星ミサイルが破壊している。
また、イズ大島への落下途上にあった竜星の一つをイニシエイト・ロコラの対星ミサイルが迎撃しているが、これは予定にないイレギュラーな対応であったものの(一説によれば同艦の司令官が先走ったためだという。)、結果的に被害は最小限に食い止められた。
その後も、断続的に地上へ落下する竜星群に対して、多国籍艦隊は効果的な対応を続けていたが、一方で、陸上に設置された数少ない対星アセットの実稼働回数は、時間が経つにつれて有意に増加していた。
そして、協定世界時8時11分(現地時間17時11分)。
流出点の現出が観測されてから二時間以上が経過した頃。
市街地に、隕石の衝突という明確な被害が発生した。
艦隊と陸上の対星迎撃網を擦り抜け、不幸にも空中での星体崩壊が完遂されず、十分な質量が残ってしまった竜星が、サイタマ県内の変電所付近を直撃し、周辺一帯が文字通り"消滅"した。
その"跡地"には、ただクレーターが残されただけではなかった。
落下時の衝撃波が付近の建造物を切り裂き、衝突時の破壊的エネルギーは土壌を波のように伝わって建物を根底から崩壊させ、爆風が傾いた家屋やガードレール、信号機や電柱の類を薙ぎ倒し、広がる火災が塀やフェンスだけでなく、直撃を免れた住人や通行人を飲み込み、あたかもクレーターを相似拡大するかのように同心円状に被害の輪が広がった。
この一件を皮切りに、人口密集地における被害は一挙に拡大した。
これまでの散発的な落下は序の口に過ぎなかったとでもいうかのように、竜星群はその規模と密度を急速に強め、陸上へ、それも首都圏へと襲来する頻度を加速度的に高めた。
洋上に展開する艦隊は、日本側の虎の子である超大型浮体に対星アセットを多数設置したイージス・メガフロートをフル稼働させ、アメリカ側もスクラップ行きだったアーセナル・シップを呼び戻してまで対応にあたったが、もはや多勢に無勢であった。
竜星群は何の予告も、余裕も、猶予もなく、都市部を襲撃した。
飛来する竜星群から逃げ惑うバルク船が東京湾を脱しようとしたが、硬翼帆の折り畳みが間に合わず、湾の横断橋に激突する二次災害が発生した。
偶然、停泊していた豪華客船にも、上層デッキに隕石の一部が突入し、大きな損傷を受け、乗客にも多数の死傷者が出る最悪の航海となった。
比較的小型の船舶などは、至近の水面に竜星が"着弾"した結果、激しい圧力と動揺に曝され、転覆するものが相次いだ。間一髪、海へ飛び込み、後に救助された者もいれば、船体と共に海底へ沈んでしまった者もいた。
航空無線は竜子場によって阻害されていた。
残る光学通信設備も、他の空港施設や滑走路同様に物理的な被害が生じ、二つのトーキョー空港を筆頭にカントー地方への着陸を予定していた航空便は全てターンバックかダイバートを余儀なくされ、機内はブーイングに包まれた。
離陸間近であった便は、より悲惨だった。退避が間に合った機もあれば、離陸決心速度を超えて降り注ぐ隕石に満ちた空を飛ばざるを得ない機もあった。滑走路上で待機していた機内でも、外に飛び出そうとする者が現れ、乗客のパニックは避けられなかった。
陸上では、道路や送電線の損壊は枚挙に暇がなかった。
一般道は分裂した隕石の衝突によって、あちこちが陥没し、車両がまともに走行できない状況となった。ひどい場合には、走行中の、あるいは渋滞に巻き込まれたクルマをそのルーフごと竜星が圧し潰してしまう惨事が多発した。
自動車道の高架が破砕される被害もあり、運悪く直上を走っていた大型トラックを巻き込み、崩落していく様を撮影したショート動画はメディアで大きく拡散された。
鉄軌道も架線も破壊された以上、地上の鉄道輸送網は完全に麻痺していた。
飛来する竜星の衝撃波に煽られ、脱線した車両に別に車両が激突するというあまりにも痛ましい事故は平時であればトップニュースとして連日、当時の状況や犠牲者について繰り返し報道されるような性質のものであったが、この竜星群による一連の災害下にあっては、一つのケースでしかなかった。
一方、地下鉄の損害は相対的に軽微ではあったが、やがて収容可能人員を遥かに超過する避難民、帰宅難民を抱えることになり、駅のホームも車両内も、トラブルと怒号と悲鳴が引きも切らない修羅場と化して、圧死者まで出ることとなった。
こうして、首都圏の超過密人流を成立させていた交通網は完全にその機能を果たせなくなり、結果として、あまりに多くの人々が、二次災害の温床でしかない高層ビルが立ち並ぶ市街地へ釘付けとなった。
空中で次々と崩壊爆発する竜星は、衝撃波と熱線をアスファルト上に振り撒き、軽重問わず外傷や火傷の類を一つも負っていない人などごく稀だった。
林立する雑居ビルは爆裂した隕石の欠片に破壊され、飛散した建材やガラスが更なる死傷者を積み増した。インパクトの直前に、咄嗟に伏せたり、物陰に隠れたりして、難を逃れることができた人は少数派だった。
また、仮にそうできたとしても、竜星の破片が直撃してしまえば、命を落とす結果に変わりはなかった。決して多くはない出来事とは言え、クレーターの一部と化して骨すら残らないこともあった。
都心部のオフィス街に隣接する居住エリアの被害もまた甚大だった。
湾岸の埋め立て地に多数建設された高層マンションの一つに竜星が突入し、中腹に黒く大きな穴を開けた高級複合住宅が付近の建物を巻き込みながら、ドミノ倒しのように倒壊していく、およそ現実のものとも思えぬ光景は、しかし近隣住民のスマートフォンによって撮影され、この災害を象徴するシーンとして永らく語り草となった。
これに加えて、付随的に発生した火災がビル風等に乗って大きく燃え上がり、火災旋風となって、内部の人々ごと建物全体を蒸し焼きにしたことで、犠牲者の数は一挙に積み増しされた。
市街区から離れた郊外のベッドタウンに目を向けても、住民やその住居に降りかかった直接的な被害は俄かに把握し難いものだった。
二階建て住宅の屋根を突き破った隕石の欠片が一階部分を壊滅させたものの、たまたま二階の隅の部屋にいた住人は一命を取り留めた、という事例は極めて幸運なだけの、稀な状況だった。
多くの住宅や商店、そこに至る道路が竜星そのものに、あるいはその衝撃波によって破壊された。内部にいた住民も無事では済まなかった。
戸外に設置されたプロパンガスのボンベに竜星片が衝突し、爆発炎上する事故があった。
火災は住宅街を飲み込み、黒炭と化した住人が発見されたのは二週間後だった。
変電所の被災や、電信柱の倒壊、電線の切断によって広域にまたがる停電が発生していた。まもなく日の入りを迎える現地において、この事態はより大きな混乱をもたらした。
インフラの復旧作業に支障が生じただけに留まらず、医療機関や福祉施設に重大な影響を及ぼした。老朽化していたにも関わらず、資金不足のため更新が滞っていた非常用電源が機能せず、入院患者の生命維持装置が意図せず停止してしまった病院さえあった。
数少ない地下シェルターは瞬く間に満員となった。
特に都心部の学校や勤務先に通う人々は交通インフラの麻痺によって帰れなくなり、荒れ狂う火の粉のように降りかかる星の雨から逃れようと、退避先を求めてシェルターへ殺到したため、入り口ではトラブルが続出し、暴行事件すら頻発した。
安全地帯から炙れたから人々は恐怖の一夜を過ごすこととなった。
火災を避け、建物の陰に隠れ、時には強盗から逃れ、隕ちる竜星だけでなく、飛んでくる瓦礫に怯え、衝撃波や爆風が脳や内臓にもたらす傷害を恐れて、頭を抱えて、身を小さくして、汚れた地面に服と肌を擦り合わせ、黙って伏している他なかった。
その夜、トーキョーの人々は、思い出した。
文明の灯火により忘却の彼方に押しやった、あの暗い時間を。
夜道も歩けぬ闇の深さを。
地上を灼く焔の叢を。
そして、
月すら隠れる、満天の星々を。
降り注ぐ、光の嵐を。
星降る夜、という言葉の意味を。
思い知ったのだ。




