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第2部 Tokyo Ophionids - 26

 *


 流れ星にしろ隕石にしろスペースデブリにしろ、あるいはセージが物心つく頃には打ち上げが禁忌とされていた宇宙機にしろ、何らかの物体が宇宙空間から大気圏内へと突入すれば、音速の何十倍にもなる速度によって前方の空気は逃げ場もなく押し潰され、断熱圧縮の行程に達する。

 その結果、圧縮された空気の温度は太陽の表面温度を遥かに上回る温度に達し、その激しい高温に曝された物体の表面物質は気化どころかプラズマ状態へと遷移し、晴れた日中でも良く判る程に、強く眩しい光を発する。

 物理法則は本来、例外をつくらない。竜星とて、この宇宙に産み落とされた以上は、その法則の中で振舞わなくてはならない。

 首尾よく星体崩壊を起こさずに地表まで接近してきた竜星が、それが帯びる竜子場、つまりマナ・エンベロープの反作用によって落下速度を緩め、落着に成功したとしても、竜星体の表面がひどく加熱されていることに変わりはない。

 高温により本体から剥離した竜星物質の粉塵(ダスト)は空気中に漂い、それらは太陽光の当たり方によっては雲のような白い、または黒い煙に見える。

 更に、加熱された周囲の空気が気温との落差から急激に冷却され、浮遊する竜星塵を核に氷滴となったら、それこそ雲のようになるだろう。

 落着後、間もない竜星の元へ向かえば、必ず見られる光景だ。

 だから、今こうして窓ガラスを破壊された教室の中が、うっすらと煙く思えたとしても不思議はない。地階に降りて、落着地点へ行けば、もっとガスがかっているはずだ。

 そう、行かなくては。

「おい、起きろ」

 誰かが言った。

 セージが自分自身に言ったのかもしれない。

 もしかしたら、彼の半身が言ったのかもしれない。

 少なくとも、ラダマの声ではない。

「行くぞ、星が来た。運命がオレをスターダムに伸し上げるということだ」

 セージの体を誰かが蹴り飛ばした。

 セージの傍で、誰かが腕を引っ張られて、よろよろと立ち上がっていた。

 二つの足音が遠ざかっていき、周囲からは呻き声やすすり泣く声が聞こえた。

 セージは思い出した。

 自分自身の使命(ミッション)を。

 UNOOのメンバーとして、イニシエイト・ロコラのクルーとしての責務を。

 セージは意識を取り戻し、手を突いて立ち上がった。

 いやな頭痛がした。体の節々、特に背中が痛んだ。

 上空ではしゃいでいる自分がいることはわかっていたが、今はそれどころではない。

 制服のジャケットを脱いでみれば、使い物にならないことがわかった。

 念のため裏地にちょっとした防護シートを仕込んでいたのだが、それが無ければ窓ガラスの破片はジャケットやワイシャツを貫いて、彼の皮膚を直接傷つけていただろう。

 どれだけ笑われようが、備えというものは常に行っておくべきものだった。

 セージは切り刻まれたジャケットをその場に捨て置き、辺りの様子を伺った。

 庇った安海ナオの姿は既になかった。

 あの声は確か、なんとかという、学校やSNSでは有名な3年生だったはずだ。

 ガラスが割れて、ただの枠組と化した窓から、黒く大きな影が窺える。

 白い雲のカーテンを纏って、校庭に鎮座する巨大質量体。

 落着した、竜星。

 運が良いというよりは、殆ど奇跡だった。

 空に上がっている半身がずっと浮ついているのは、この成果を誇っているのかもしれない。だが、本当に上手く行ったのならそもそも竜星は地表に到達していない。

 あるいは、単に竜星群が降り始めて、マナが一気に濃密となったことに小躍りしているのかもしれないが、今はそんなこと、どうでも良かった。

 結果だけを見れば、収束マナ放射(マカナー)を使った迎撃に自分たちは失敗したのだ。

 対星特装(ドラゴンフライ)の有無以前に、共辰すらまともにできない状況ではあったが、何であれ空中で爆散させることができなかったのであれば、最悪の事態を想定せざるを得なかった。

 それにも関わらず、竜星は校舎にも、周りのビルにも衝突せず、上空から見れば猫の額のような校庭に見事に落着した。これは天文学的な確率の事象だろう。

 いずれにせよ、竜星は落ちた。

 状態の良し悪しにもよるが、星の竜(デンゲイ)は孵化するだろう。

 そうなれば、竜星カルトの計画は挫かなければならない。

 すぐにでも、安海ナオたちを追いかけたかった。

 だが、クラスの惨状をそのままにもできなかった。

 教室には割れた窓ガラスや蛍光灯の破片が散乱し、机や椅子が幾つも倒れて、怪我をした同級生たちが何人もうずくまり、床には少なからず血が流れていた。

 セージは通学用のバックパックから救急キットとラグドタブレットを取り出し、周囲に声をかけていった。

 クラスメイトたちは半ば放心状態となっていた。

 何が起きたか理解できてない者が殆どで、自分の置かれた状況が一変してしまったことにただ泣くか、悄然としていた。

 中には怪我をした手で必死にスマートフォンを操作する人もいた。

 だが、すぐに電話もSNSもビデオ通話アプリもインターネットブラウザも通じないと分かって、しきりに嘆いたり、口汚く罵っていた。

 ひとたび、竜星が降れば周辺のマナ密度は増加する。

 セージのスマートウォッチが緊急呼び出しコールを諦めているのは濃密なマナによって電磁波障害が起きているからだ。電子機器が正常に動作しなくなることだって考えられる。民生用のスマートフォンでは一溜まりもないだろう。

 この竜星が一発だけではないことは分かっていた。

 自分の時ははぐれ竜星だったが、今回はそうではない。

 竜星群は続けてやってくる。陸地(おか)に辿り着くのはこの一撃だけだと思うのは、あまりに都合の良い解釈、希望的観測でしかない。

 そうとなれば、このまま教室に残り続けることは危険だった。

 同級生たちのうち、特に窓際の席にいた生徒たちは負傷の程度が重い傾向にあったが、不幸中の幸いというべきか、衝突(インパクト)までには全員が周囲に倣って机に潜り込んでいたので、少なくともセージが見る限り、適切な応急処置を施せば大事に至ることはなさそうだった。

 問題は教壇の上にあった。

 セージは手早くラグドタブレットにあらかじめダウンロードしてあった応急手当の方法を表示して、まだ元気が残っている生徒たちに救急キットと共に、手渡した。

 UNOO支給品のラグドタブレットは、インターネットや無線通信が望めずとも、竜星災害の被災者へ必要最低限の情報共有を行うことを目的とした代物だ。

 屋外使用を前提とした堅牢性に加えて、竜子場環境を想定したコーティング処理が為されているから、少なくとも皆が持っているスマートフォンよりは頼りになるだろう。

 比較的軽傷の生徒は他の生徒たちに手当を任せ、セージは教室の前方に向かった。

 教壇には、最後まで教卓にもどこにも身を隠すことをしなかった担任の教師が全身血まみれで、泡を吹いて倒れていた。

 衝突時の爆風か、その後にやって来た衝撃波で、あるいは転倒したことによって脳震盪でも起こしているのかもしれない。

 だが、それ以上に砕け散ったガラスの破片を全身に受けてしまっていることが視覚的にあまりに生々しく、痛々しく、見るに堪えないもので、特に首と肩の間に突き刺さった大きな破片は無理に引き抜こうとすれば致命傷になりかねなかった。

 セージは手持ちの装備と自身の技術で出来る限りの手当を行い、更に手が空いていたクラスメイトをつかまえて、職員室にある有線の電話で救急車を呼ぶように頼んだ。

 もっとも今頃、他の場所にも竜星が落ちていて、救急や消防の人員が出払っているかもしれない。そうなったら、あとは本人の運と体力次第だ。

 窓の方を一瞥したセージは見切りをつけ、クラスメイトたちに避難を勧めた。

「学校の地下にシェルターがある。竜星群はまだ降って来るから、皆はそこへ行った方がいい。他の人にも伝えてあげて、一緒に行くんだ」

 クラスメイトたちは怪訝な顔つきで、セージに問い返した。

「お前は行かないのかよ」

「竜星のところへ行ってくる。共辰を止めないと。そのために日本へ帰ってきたんだ」

 セージがパックの奥底から取り出した所属艦(ロコラ)のクルー制式ブルゾンを羽織ると、それを見た同級生たちは一斉にどよめき、セージは小さく微笑って教室を飛び出した。

 しかし扉の外は、先に動き始めていた他学年、他クラスの生徒でごった返していた。

 混乱の一言では、とてもではないが表すことはできなかった。

 怒号と悲鳴、罵声が飛び交い、殺伐というより一触即発といった雰囲気だった。

 特に、校舎の中心にある正面階段はいつも皆が利用している階段だったが、そこは降りようとする生徒と昇ろうとする生徒で今にも将棋倒しになりそうだった。

 大方、学校の外へ逃げようとする人たちと、校庭へ出たは良いものの竜星を見て恐れを為して校内へ戻って来た人たちとで、鉢合わせてしまったのだろう。

 その中へ分け入って、無理に階下へ降りようとするのはあまりにも危険だった。

 そう判断したセージが踵を返すと、すぐ後ろにいた二人組にぶつかりそうになった。

 咄嗟に身を翻して事なきを得たが、二人組の側も驚いていて、見れば太田と細川だった。

「二人とも、どうしてここへ?」

 セージが目を丸くしていると、二人は「いや、その」と要領を得ないことをぶつぶつと言っていた。

「見ての通り、こっちの階段は使えないんだ。二人は別のルートを探して、シェルターへ向かった方がいい。自分は下に行かなきゃならないから」

 セージが少し早口で言うと、太田がぼそぼそと口を開いた。

「あのさ、そっちのことはよくわかんないけど」

 横にいた細川も口を添えてきた。

「一緒に行った方がいいと思う」

 セージは即座に否定しようとして、だが二人がわざわざ自分を追いかけてきてくれたことに気づいて、思い直した。

「ありがとう、気持ちは嬉しいんだけど」

 社交辞令を遮って、太田が切り出した。

「下に行った人たち、デンゲイが出たって言って戻って来てる」

 それを聞いて、セージは居ても立っても居られなくなった。

 咄嗟に辺りを見回して、飛び降りることまで考えた。

 別の階段を探す回り道はあまりに悠長に思えた。

 逸るセージに細川がおずおずと告げた

「竜子場で頭がおかしくなるかもしれない、ってみんな言ってる」

 オレたち大丈夫なのかな、と二人の目が不安を訴えていた。

 自分の感情を押し込んで、セージはできるだけゆったりと頷いてみせた。

「大丈夫だよ、UNOOの最新の研究結果がそれを保証する」

 セージが最近読んだ報告書(レポート)概要(アブストラクト)を簡単に説明すると、二人はどことなく力の入っていた肩を下ろして、ある程度は安心してくれたようだった。

 セージもその間に少しだけ考え込んだ結果、やはり二人に助力を乞うことにした。

「悪いんだけど避難する前に少しだけ手伝ってもらえないかな」

 これから懸垂下降の準備をするなら人手は欲しかった。

 二人は明らかに戸惑い、何を言われるのかと顔色は難色を示していた。

 セージは言葉を重ねた。

「一緒に牛丼、食べに行っただろう。オレたちはTGD、チームギュードンだ。日本式に略せば、えぇと、そう、チーギュウだ。オレたちはチーギュウなんだ!」

 太田と細川は口をぽかんと開けて、互いに顔を見合わせた。

「こっちだ、頼む!」

 セージは有無を言わさず、二人を伴って一番近い特別教室へ向かった。

 ありがたいことに、二人は何が何だかよく分からないままに、ついてきてくれた。

 幸いにも特別教室に、他の人はいなかった。

 セージは太田と細川に机と椅子を積み上げてくれるように頼み、自分は机を窓に寄せて、その上に乗ってカーテンを次から次へとレールから外して床に落としていった。

 自分も椅子から飛び降り、バックパックの救急キットに入っていたスイス製のマルチツールから、刃体8cmに満たない折り畳み(フォールディング)ナイフを引き出し、カーテンを必要な幅に切り裂いていった。

「これでいいの?」

 刃物のサイズが物足りなく、ロック機構もないので、セージが作業に苦慮している間に、窓の近くへ机と椅子を積み終えた二人が様子を見に来た。

 カッターでもハサミでもなく、ナイフを使って布地を裂いていくセージを、太田も細川も珍しいものでも見るように眺めていたが、セージが切り出した数本のカーテンをなんとか止め結(オーバーハンドノット)んで、一本の即席ロープに仕立て上げるまで、そう長くはかからず、見学時間は案外短いものに終わった。

「あぁ、十分だよ。助かった!」

 セージは顔を上げて、二人に謝意を伝えた。

 その間も手は止めず、制式ジャケットから引き出したハーネスの留め具にカーテンロープの一端を八の字結びフィギュアエイトノットで繋ぎ、続けてもう一端を積み上げてもらった机に止め結んだ。

「二人ともありがとう。付き合わせて悪かったね。先に退避してて」

 破砕したガラスに手指を切らないよう注意して窓枠を開け放ったセージに、二人は露骨に顔をしかめた。

「これで降りるつもりなの?」

「そうだよ。これが手っ取り早い」

 太田と細川は再度顔を見合わせてから、即席ロープを顎で示した。

「いいよ、これ持ってればいいんでしょ」

「いや、二人は地下のシェルターへ」

「なんか外れたりしたらイヤな気分になるからね」

「気持ちは嬉しいけど、次の竜星が降ってくるかもしれない」

「そんなの、落ちた竜星を見にいこうとする方が危ないでしょ」

「でも、オレは」

「チームって言ったのは、そっちでしょ」

 太田も細川も渋い顔をしていて、そんなに嫌なら無理に付き合ってもらわなくても良かったのだが、確かにもっともらしいことを言って手伝わせてしまったのは自分だった。

 それに、本当にチームだと思ってもらえたのだとしたら断る理由なんてなかった。

「わかった。二人とも本当にありがとう」

「いいから、そういうの」

 セージは笑って、仏頂面の二人に確保(ビレイ)の手段を簡単に教えた。

 太田と細川は前後に並び、慣れない手つきと及び腰でカーテンロープを確保した。

 窓の縁に登ったセージはトーキョーの友人たちに手を上げて、懸垂下降を開始した。

 

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