第2部 Tokyo Ophionids - 21 - ②
父はその時のことを思い出そうとしているのか、目を瞑って少し上を向いていた。
興味がある風に装うこともできないナオは俯いていた。
「お父さん、それを聞いて感心しちゃってね。世界には、こんな立派な心掛けを持った人がいるんだ、って。社会の逆風に負けず、他に流されて、みんなと同じことを言うんじゃなくて、ちゃんと自分たちの頭で考えて、目覚めた真実をはっきりと言えるなんて本当に素晴らしいことだよ。それに何より、そういう人たちとお父さんたちが一緒にやっていけるなんて間違いなくスゴいことだからね」
父は他にも、共辰者の人も普通の人と同じところで笑ったり感動したりしていて何も変わらないことがわかったし、お互いに理解し合うことができたとか、最後にV.V.の幹部から貰ったコメントが良かっただとか、とにかくオンラインミーティングが成功裏に終わったのだと誇らしげに説明してくれたが、さっきから何も声を発していないナオに気づくと慌てて言葉を付け足した。
「もちろん、共辰者の人は男の人ばかりじゃないんだよ。そうそう、確かカナダとブラジルだったと思うけど、若い女性の共辰者の方が出席しててね。若いとは言っても、ナオよりは少しお姉さんになるのかな。二人とも星祭りを見に行きたいって言ってくれたし、特にミモザさん、って言ったっけ。カナダの方なんだけど、しっかりとした雰囲気の人でね。近々、日本へ来るらしいんだ。V.V.の勧めで、セミナーの、いやR神州の活動を見てみたいって。本当に光栄なことだよ。まさか、お父さんたちの活動を海外の人に勉強したいなんて言ってもらえる日が来るなんて」
父は言い訳でもしているみたいに、口早に、饒舌にしゃべり続けた。
「ミモザさんは一人で船に乗って来るんだってさ。V.V.の助けも借りてだけど。というより、V.V.からの親善大使的な、そういうお役目をもらってるらしくて。こんな若い子が、ってお父さん驚いちゃったし、嬉しくなっちゃった。ナオとそんなに変わらないくらいの年頃の女の子が世界で活躍してるんだからね。ナオだってできると、そう思わないかい。お父さんはそう思っちゃったから、ついついナオの話をしちゃってね。私にも娘がいて、あなたと同じくらいの年齢で、とてもいい子なんです、って。本当のことだからね。そしたら、ミモザさんも笑顔を見せてくれてね。是非会ってみたいです、ってそこまで言ってくれたんだ。世界で活躍する共辰者の女の子がナオにも会いたいって言ってくれたんだよ。こんなこと、なかなかあることじゃないよ。スゴいことだと思わないかい?」
父は身を乗り出して、そう言った。
何がスゴいのはあまり分からなかったが、やっとナオのことを話してくれたので、ナオも少しだけ顔を上げて笑顔をつくってみせることはできたが、それはどこまでもぎこちないものでしかなかった。
ナオはすぐにまた俯いてしまって、期待していたような反応を得られなかった父は更に何かを言おうとしていたが、思い留まったのか、言葉を飲み込み、椅子を引いた。
「うん、ナオは頭のいい子だからわかっちゃうよね」
父は先ほどまでの勢い込んだ様子から打って変わって、静かな口調で言った。
「お父さんが最近、共辰者の人たちと色々話してるのはね。教祖様がやっぱり巫女が、みんなを導いてくれる竜のお星さまの巫女が必要だって言うからなんだ」
ナオは体を震わせることすらできなかった。
頭の中では、ビルと海の夜景がいつに間にか布良セージの話になってしまっていて、それは何かの手違いで不意にスマホが再生してしまった動画みたいにループしていた。
「もうすぐ竜のお星さまがこの東京にもやって来る。そしたら、お父さんたちR神州や、V.V.の人たちみたいな、心がキレイで純粋な魂を持った人たち以外はみんな洗い流されるから。ようやくだよ。でも、その時、心がキレイな人たちが巻き込まれないように導いてくれる巫女様がお父さんたちには必要なんだ。ナオにはこれまで何度か、巫女の代わりをやってもらったことがあるけど、やっぱり本番の時には、本物の巫女が、星の竜の共辰者になった女の子にいてもらう必要があってね。それもただ共辰者ってだけじゃダメで、本当に純粋な心を持った子じゃないとダメらしいんだ。教祖様も自分で直々に確かめるって言うくらいだしね。一応、カナダのミモザさんや、ブラジルのミラさんにもダメ元で頼んではみるつもりだけど、外国の方だから巫女っていうのは馴染みがないかもしれないし、そもそも教祖様のお眼鏡に適うとは限らないからね」
ナオだったら、そこのところはまず大丈夫なんだろうけど。
父は笑っていたが、ナオは何も言えず、じっとしていた。
ダイニングはしんとして、いつもの誰もいない部屋みたいになっていた。
やがて、父がぽつり、ぽつりと言った。
「だからね、お父さん。しばらく、海外に。行かないといけないかもしれない」
日本にいたんじゃ共辰者の人には会えないからね。
巫女になってくれる人を外国へ探しに行かないと。
「もちろん、今すぐってわけじゃないよ」
決まったわけでもないしね。
父は口角を上げて、そう取り繕った。
「でも、そうなったら」
またナオに寂しい思いをさせてしまうよね。
「友達と遊びに行ったりして良いからね」
お父さんも我儘を言ってるんだから、ナオも我儘を言っていいんだよ。
もしかしたらナオは思い違いをしていたのかもしれない。
そうでなくても、ナオは自分で自分に気づかない振りをしていただけかもしれない。
帰っても誰もいない家だから、ナオは早く帰らないといけないって思っていて。
でも、父は帰っても誰もいない家なら、帰りたいとは思わないのかもしれない。
父が今夜の話だけでなく、何か月も前からずっとしてきた話で、何が言いたいのか。
それが分からないほど、ナオも子供ではなかった。
ただ、それをはっきりと言わないし、言えないのが、父のやさしさであり、母が嫌っていた弱さだった。
脳裡をよぎる記憶という名の動画は、いつの間にか地下鉄の線路の向こうに際限なく続く暗闇を移していた。
そして、布良セージの言葉だけがどこまでも反響していた。
デンゲイの共辰者にはならない方が良い、と。
そんなこと、ナオだってわかっていた。知っていた。そうできるならしたかった。
「お父さんだってどこか別の場所に泊まるんだから、ナオだってお友達の家にお泊りしにいったっていいんだよ」
家族が誰も帰ってこないなら、それは家と呼べるのだろうか。
そこはナオが居るべき場所なのだろうか。居ても良い場所なのだろうか。
「それに、もうすぐ竜のお星さまがやって来て、やさしくない、間違ったこの世界を終わらせてくれるからね。東京だって人が住めないところになる」
それから父はR神州の教義について滔々と語り始めた。
「日本はもうおしまいだよ。お父さんたちみたいな目覚めた人たちが今まで何度も親切に教えてあげてきたのに、全く聞こうとしないんだから」
母が居なくなってR神州のセミナーへ通い始めた父に、周囲がどれだけ言っても、父はセミナーの人たちと同じことを言い続けて、その度に人が離れていった。
友だちも、親戚も、おじいちゃんおばあちゃんも。
みんな、小さなナオの顔を少しだけ見て、悲しい顔をしてから、そっと立ち去っていった。父だけは終始笑顔で、いつの間にか家に残されていたのはナオと父だけだった。
「ナオも下手に東京にいない方がいいかもしれないね」
冗談めかして父が言った。
ナオは弱々しく唇を噛んで、それを聞いていた。
頭の中で、布良セージが言っていた。
さっきも言ったように、自分は奨めないよ。
それでも、ナオは。
だからこそ、ナオは。
「私、」
俯いたまま、絞り出すように。
「巫女になる」
震える声を均して。溢れ出しそうな何かを必死に圧し殺しながら。
「デンゲイの共辰者になるから」
ナオはそう言った。
父は黙って立ち上がった。
座ったままでいるナオの傍へやって来て、そっと抱きしめてくれた。
「ありがとう」
父は泣いていた。
「本当にありがとう、ナオ」
声を上げずに、涙を流していた。
「ナオには、いつもつらい思いをさせて、本当にごめん」
父もずっとつらかったのだ。
ナオだって、前から知っていたはずだ。
もっと早く言ってあげたかったし、言うべきだったし、言わなくてはならなかった。
ただ、怖かった。
今までと違ってしまうことが。
取り返しのつかないことになってしまう気がして。
今となっては、どうしようもなかった。
そうしなくては、どこにも居られるところはなかった。
「ナオはお父さんにとって、最高の子どもだよ」
子どもの頃、転んで怪我をした時。
犬に吠えられて怖い思いをした時。
勉強が分からなくて母に怒られ、ぶたれた時。
「お父さんたちを放って出て行ったお母さんとは全然違う、本当に良い子だよ」
ナオがつらい時は、いつも父が抱きしめてくれて、やさしい声を聴かせてくれた。
それで安心して、眠ることができた。
でも、今は。
ナオは父の腕の感触を覚えながら、別の言葉を思い出していた。
もし巡り合わせでそうなってしまったとしても。
それは布良セージの声をしていた。
別に望みを捨てるようなことじゃないから。
父は感慨深げに言った。
「今年の星祭りは大成功するよ。そう、ナオのおかげでね。お父さんたち、一緒に沖縄へ行こう。そこで二人とも生まれ変わるんだ」
たとえ、父がどう思っていようとも。
この先、ナオがどうなってしまうのか見えなくても。
それでも、今は。少なくとも、この瞬間だけは。
ナオの家族は家にいるのだ。




