第2部 Tokyo Ophionids - 20 - ②
竜星天文学者はすぐには疑問に答えず、代わりに鼻を鳴らした。
「別に俺たちは、この国がテルミやお前の出身地だから予定を早めて、日本へやってきたわけじゃない」
「もちろん、そうであってほしいし、実際はそうなんだとは思ってるよ。でも、クラスメイトに竜星カルトの子がいるのは知ってたけど、教師がおかしな陰謀論者だったり、他の同級生たちとも今一つ話が嚙み合わないし、教わることもだいたい知ってるような話ばっかりだしさ。だったら、無理に学校なんて行かずに、艦の仕事を手伝ってた方がよっぽど有意義だったんじゃないかって」
ステファンは首を振ってセージの言葉を遮り、口を挟んできた。
「個別のケースはあるだろうが、そういったデメリットを考慮しても、やはりチャンスを逃すべきではないだろうな」
「チャンス?」
「考えてもみろ。丸一日どころか数年間、勉強や研究だけしていたって文句を言われないような環境はそうそうないぞ。何かを学ぼうというなら、これ以上はないだろうな。戻れるなら戻りたいくらいだ。生活と身の安全が保証された上での話だが」
「そりゃ研究者はそう思うかもしれないけどさ。でも、ステファンみたいな学者になっても、まだ勉強したいなんて思うんだ」
「当たり前だ。仕事を始めてしまえば、どうしたってそちらに時間も体力も集中力も持っていかれるからな。こんなことなら学生時代にもっと他の分野のことも学んでおくべきだったと、今になって後悔している。今更どうにもならないが」
ステファンの話がどこまで本当なのかは分からなかったが、暗に窘められているということはセージにも理解できた。誰もかれも言うことは一緒で厭になりそうだったが、それはそれとしてセージも、段々と自分の言っていることが子供じみたものに感じられてきて、急に恥ずかしくなってきた。
「そういえば、これ、預かってたやつ」
話の流れを切って、セージが手に持ったままだった小包を示すとステファンは頷いた。
「そうだったな。届けに来てくれたんだったな」
手渡すなり、ステファンは包装を荒っぽく剥いでいった。
届け物はかなり厳重に梱包されていたようで、それなりの大きさだった小包がみるみるうちに小さくなっていき、やがて掌にすっぽりと収まるくらいのサイズになってしまった。
「それと、これもだ」
ステファンはデスクの引き出しから似たような別の小包を取り出し、開封していった。
直に、竜星天文学者の両手に、岩のような素材の小さな円盤と、それと同じ程度の大きさのアルミニウムと思しき金属質の光沢を放つ馬蹄状の装置が収まることになった。
「二人の設計が確かで、製作の精度が十分なら」
ステファンが二つの装置を近づけると、小気味の良い、軽快な音をたてて、円盤がしっかりと馬蹄に嵌まり込んだ。
「いい出来だ」
口笛を吹きつつ、天文学者は馬蹄から円盤を引き抜いた。
「もしかして、それって竜星物質?」
円盤の素材にセージは見覚えがあった。
「あぁ、チェンが送って来た」
「チェン?」
それは、以前知り合った、というより向こうからやってきて質問攻めにしてきた、少々変わってはいるが優秀なエンジニアの名前だった。
「ということは、そっちは」
セージが馬蹄状の装置を見遣ると、ステファンはやはり頷いた。
「ペクからだ」
ペクも、チェンとたまたま同時期にセージとデンゲイのところへやって来たエンジニアだ。共辰がどのようなものか、あるいはデンゲイや竜星それ自体を構成する竜星物質について、共辰者であるセージ自身にも分かっていないことばかりなのに、根掘り葉掘り訊かれてしまった時は、二人に悪意がなく、純粋に学術的な興味関心から言っているということが分かるまでは、大いに困惑したものだった。
あの二人がステファンの友人とは知らなかったが、それ以上に、これらのものが何なのかはセージとしても気になるところだった。
「聞いてもいいかな。これって、なんなの?」
「試してみろ」
ステファンは円盤と馬蹄を順に放り投げてきた。
「おっ!」
急に飛んできたものの、結果的には危なげなく受け取ることができた。
「竜子通信の原理は理解しているな?」
「一応ね、基礎的なところはさ。でも、実験室レベルですら安定しなくて、実用化どころか小型化さえ夢のまた夢って聞いたけど」
その前日までは初対面だったチェンとペクが次の日に二人揃ってニコニコしながらセージのところへやってきて、タブレットに表示させた竜子通信機の概念モデルと実験的な設計図を見せてきた時は、どう反応したら良いのか分からなかった。
「普通の人間ならそうだろう。だが、単純な信号を送るだけなら、お前が言う実用化は十分に可能だと、ペクとチェンは考えた。もっとも、そんな信号で意味のある交信ができるとすれば、デンゲイと共辰者だけなんだから、そう大して価値のある発明とも思えないが」
言われてみれば、二つの装置はあの時の図面にそっくりだった。
「蹄の方は、艦の制式のスマートウォッチにアジャストするはずだ」|
促されて、実際にやってみると、馬蹄状の装置はスマートウォッチの時計盤を囲うようにぴったりと被さった。少々無骨な感じはするし、嵩張ってはいるものの、元々こうだったと言われれば、納得できる範囲内ではあるだろう。
「ペクに言わせれば、設計以上に製作所を見つけるのが大変だったらしい。竜星津波に襲われたインチョンで、水没していない、しかも腕の良い町工場を探して、引き受けてもらうのは大変だったと、愚痴だか武勇伝だか知らないが、長文でメッセージを送って来た」「ペクらしいね」
セージは笑いながら、手首を回して手の甲へ干渉しないか確かめていた。
ちゃんと見ておかないと、咄嗟に伏せた時などに非常に痛い思いをする羽目になる。
そんなセージに、ステファンは更に円盤を差し込むように言った。
「これを嵌め込めばいいの?」
「あぁ。さっき見せたとおりだ」
時計盤に重ねるように、馬蹄の形状を埋めるように、セージは竜星物質の円盤を押し込んだ。それは意外な程すんなりと収まり、スマートウォッチと二つの装置は、あたかも初めからそうであったかのように、セージの手首に鎮座した。
「いいね、ずっとこのままでも良いくらいだ」
「時刻が見えなくてもいいならな」
ステファンらしい返し方にセージは思わず口角を上げてしまった。
「笑いごとじゃない。二人は提供の見返りに、使用感のレポートを要求している」
思ってもいなかったことを言われて、セージは目を丸くした。
「これ持っててもいいの?」
「あくまでフィードバックは前提だ」
「それはわかるけど、でも竜星物質なんて簡単に手に入るものじゃないだろう。一体どこから調達してきたんだろう?」
「さぁな」
ステファンは素知らぬ顔で言った。
「大竜星群が降ってから、世界の秩序も物流網も未だに混乱したままだ。どこの国でも、人材や物資は常に不足しているし、どこの組織だって体制の維持やガバナンスには限界がある。カオシュン郊外のの山岳地帯に落ちたはぐれ竜星の調査で、研究チームが採取した竜星物質のサンプルの一部が、調査結果の発表後にいつの間にか行方知れずになったとしても、チェンは何も言わないし、俺たちは何も聞いていない」
いかにも大人らしい口振りに、セージは首を傾げてしまった。
「それと、これはオレからだ」
ステファンは引き出しから、また別のものを取り出して投げ渡してきた。
今度も落とさず、無事受け取ることができたセージが手の中に入って来たものを見ると、それはレザー製のディスクホルターだった。
「これって何の革?」
「仙人掌だ。図面を見て、ジャストサイズだったからな。とっておいた」
「本当に、いいの?」
「構わない。少なくとも俺が使う予定はない」
言葉に甘えて、セージはディスクホルダーを制服のスラックスを留めるベルトに通しておくことにして、ひとまず礼を言った。
「助かるよ。円盤をどこにしまったらいいか、ちょうど迷ってたところだった」
こうして、手首のスマートウォッチに合わさった簡易的な竜子通信機、その発振体となる竜星物質の円盤、ベルトに提げたディスクホルダー、と思いがけず装備が追加される形となり、だからといって何かが大きく変わるわけでもなかったが、妙な頼もしさを感じるのもまた確かだった。
「いい具合だね」
「そう思うなら、二人にちゃんと礼を言っておけ。レポートを送る約束も忘れるな」
「あとで言っておくよ」
「動画で済ませるなよ」
「わかったよ、ちゃんとメールを書けばいいんだろう」
「あぁ、そうだ」
ステファンは頷きつつ、マグカップを手に取った。
きっと中身はすっかり冷めてしまっているだろう。
「ステファンにもレポートを送った方がいい?」
ぬるくなったコーヒーを飲みながら、ステファンは首を横に振った。
会話が途切れて、沈着した空気が滞り始めた。
セージは言葉を探したが、すぐには適した話題を見つけられなかった。
「あのさ」
セージは何も思いつかないまま声をかけた。白衣の天文学者は顔を傾け、耳を向けた。
「ステファンはさ、どうして竜星天文学者になろうと思ったの?」
マグカップが卓上に置かれた。
「それしか天文学を続ける方法がなかったからだ」
ステファンは白衣のポケットに両手を突っ込んで、朴訥と語り始めた。
「俺は黒海に程近いミコライウという街で生まれ育った。今のお前とそう大して変わらない学生の時分に、故郷を脱出せざるをなくなった。それでも、昔から彗星のことをもっと知りたいと思っていたし、将来はそういう方向へ行きたいと考えていたから、せめてそれくらいは簡単に諦めたくなかった」
ステファンの昔話を聞くのは初めてだった。
「だから、避難先で天文学の研究を本格的に始める準備を進めていた」
その矢先に大竜星群だ。
ステファンは深く息を吐きつつ、そう言った。
そこからの話の幾つかは、大人たちと違って実際に経験したことがあるわけではないにせよ、セージも知っている。
地球規模の大災害を事前に予見できなかった責めを負わされ、天文学は現在でもタブー視されている。
近年はだいぶ薄らいで来たとは言え、当時の風当たりは筆舌に尽くしがたく辛辣なもので、宇宙開発はおろか、天体観測まで実質的に禁じられた多くの研究者たちが志半ばに、その道を離れざるを得なかった、という。
その一方で、各国の政府は常態化した竜星群への対策を名目として、世界中の人々から非難されながらも、竜星天文学への資金投入を少額ながらも続けていた。
残された研究者たちが天文学を続けるためには、否が応でも竜星群の研究をする他なかった。裏を返せば、天文学に対するバッシングのきっかけとなった竜星群が皮肉にも天文学の継続を要請したのである。
天文学を志望する若手の研究者たちからすれば、そこに複雑な心境があるのだろう。
それくらいはセージにも察することができた。
「後悔してる?」
「さぁな。だが、もし、あの時、あの場所、あの状況に戻ることができたとして。もちろん全くもって無意味な仮定だが。それでも、俺はきっと同じ選択をするだろう」
「どうして?」
ステファンは静かに、それでいて、はっきりと言った。
「どんな理由であろうと、つい昨日まで、それどころか数分、数秒前まで、多くの人たちが当たり前に住み、平和に暮らしてきた都市が、ごく普通に過ごしてきた平凡な日常が、一瞬で廃墟に変わってしまうなんて、どうあっても耐えられないことだ」
皮肉屋の天文学者は向き直り、艦内に一人しかいない学生に正対した。
「セージ、さっきお前は、ロコラがそこまでする必要はあったのか、と訊いたな」
視線を真っ直ぐに受け止めたセージは、しっかりと頷いた。
「それに対して、俺なりの答えを言おう」
ステファンの声は低くとも、静かな観測所に確かに響いている。
「やりたいからでも、やるべきだからでも、やらなくてはならないからでもない」
セージ、と。
イニシエイト・ロコラの天文班クルーはもう一度、艦内唯一の共辰者の名を呼んだ。
「やるしかないんだ、俺たちは」




