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第2部 Tokyo Ophionids - 20 - ①

 *


 セージが艦に戻ると、ちょうど当直(ワッチ)交代で航海士たちが入れ替わる頃だった。

 顔見知りのクルーとも、そうでないクルーとも気さくな挨拶を交わしながら、一旦、自分の船室に戻ったセージは、そのまま学校の制服の上からクルーの制式ジャケットだけを羽織り、机の引き出しにしまっていた小包を手にすると、艦上構造物の最上階へ向かった。

 この小包を預けてきたステファンが艦に戻ったというので、届けに行くつもりだった。

 イニシエイト・ロコラでは他の艦船同様に、当直のクルーが交代制で二十四時間の稼働を維持しているが、機関部など夜間には原則的に無人となる区域もある。

 その一方で、セージが現在向かっている場所は、ちょうどこれからの時間帯にピークを迎えることになる。

 幾つかの通路を渡り、エレベーターに乗って、それなりの時間をかけて、ようやく天体観測所に辿り着いたセージはブザーを鳴らし、自身の来訪を告げた。

「開いている」

 不機嫌そうな男性の声が聞こえたが、それはいつものことなので、セージは特に気に留めることもなく、気軽に入室した。

 艦の物理的な〝頂点〟に位置する天体観測所は縦に広く、数階建ての建物を吹き抜けにしたくらい天井が高い空間である。

 きっと最大クラスのジンベエザメが縦泳ぎをしても、すっぽりと収まってしまうだろう。

 そんな艦上の天文台でセージを真っ先に出迎えたのは、疲れた顔をした天文学者ではなく、見上げずには全貌を見渡すことすら叶わない、カラフルなジャングルジム然とした2メートル級の天体望遠鏡だった。

 これは、元々、地上に設置された各地の天文台の死角を埋めるべく、移動可能な洋上の天文台として計画されたイニシエイト・ロコラを同艦たらしめる主鏡である。

 この名実ともにロコラの〝主力〟となる竜星群の観測装置は、艦の初航海メイデン・ヴォヤージュと同時に、観測開始(ファーストライト)を迎えてから現在に至るまで、二基の副鏡(赤外線あるいは紫外線望遠鏡)と、そしてクルーの天文学者たちとともに、休むことなく稼働を続けてきた。

「忙しいんでしょ?」

 セージが少々声を張り上げて一応は気を遣ってみせると、望遠鏡の〝足元〟でタブレットと睨めっこをしていた白衣の男性が顔を上げた。

「あぁ、お前が来るまではな」

 皮肉屋で知られるウクライナ出身の竜星天文学者は無愛想にそう言ったが、それでもデスクとPCが並ぶ別室にセージを招き入れた。

「あれ、他の人は?」

 普段、このオペレーションルームには常に数人の研究者たちが詰めていて、いつも忙しそうに観測データの分析や、竜星と思しき落下体の軌道計算を行っているのだが、今日に限っては他に誰もいない。

「今は俺以外、副鏡に回ってる。雲が多すぎるんだよ。こんな時に限って」

 見えない何かに向かって憤然としながら、白衣の竜星天文学者は自分のデスクの上にある黒い液体の入ったビーカーを手に取った。

「飲むか?」

 ステファンには、別に化学の研究者でもないのに、わざわざビーカーでコーヒーを淹れるという変わった趣味があった。

「それってディーカフ?」

 念のためセージが尋ねると、カフェインの入ってないコーヒーに価値など無い、といった具合にステファンは大袈裟な肩のすくめ方をした。

「じゃあ止めとくよ。休めなくなるのは困るからね」

「そうか」

 ステファンはそれだけ言って自分のマグカップにコーヒーを注いだが、ビーカーを傾ける手指は微かに震えていて、露骨に疲労が見てとれた。

「ステファンも休んだ方がいいよ」

「そうしたいのはやまやまだが、自分が悠長に寝ている間に竜星群が降ってきたらと思うと、おちおち休んでもいられない」

 若手の(とは言っても、セージから見れば十分に大人だが)竜星天文学者が窶れた顔でマグカップの中身に口をつけるところを見ていれば、セージも言わずにはいられなかった。

「そりゃ気持ちはわかるよ。オレだって本当はずっと起きてて、艦の仕事なんでもいいから手伝いたいって思ってるし。でも、休むのも仕事だって言われてきたからさ。睡眠だけは取れる時に取るようにはしてるんだ」

「お前はそれでいい。竜星群が降ってきたら誰かに起こしてもらえば良いんだから。俺たちは竜星群が降ってきたら、真っ先に他の誰かを起こさなきゃいけない」

 ステファンらしい口振りではあったが、だからといってクルーの健康問題が蔑ろにできるわけでもなかった。

「そんなこと言ったって竜星群が降ってくる前にステファンが倒れちゃったら、どうするんだよ。天文班だって交代制なんだろ。他の人たちもずっと起きてるの?」

「あぁ。ここ一週間は総出でやっている。観測作業に、データの分析。各地の天文台との情報共有に会議。やることはいくらでもある」

「全員そんな調子で、大丈夫なの?」

「大丈夫も何も、とっくの昔に天文学者(俺たち)は大丈夫じゃない。今度また竜星群の発見が遅れてみろ。禁忌(タブー)を犯してまで天体観測をしていたのに竜星群をまたしても予測できなかった、と大バッシングになるぞ。プロだろうとアマチュアだろうと天文屋に、何も理解できない知能の低いマスメディアや、碌に知りもしないくせに事情通ぶりたがるSNS評論家にわざわざ叩かれたい、なんていう物好きはいないからな」

 十数年前、大竜星群が襲来した折。

 天文学者たちが予見できず、時に警察沙汰になる程の非難、というより誹謗中傷や脅迫に晒されたという話は歴史の教科書の一ページのような話だったが、ステファンが言っているのはまさにそのことなのだ。

 そういうプレッシャーがあるということはセージにも理解できたので、別の言葉を探そうとしていたが、ステファンはそれより先に苛立たしく口を開いていた。

「がんばっているのは、何も俺たちロコラのクルーだけじゃないんだ。各国の学術機構や政府機関、天文台、観測所、スペースガード連盟。世界中から丸一日中、ひっきりなしに観測データの提供や共有依頼が来ている。データを送ってくれれば分析は代わりにこっちがやる、と申し出てくれている観測台だってある。もうこっちでは対応しきれないから、国際天文学連合に間に入ってもらったくらいだよ。それどころか、アマチュアの天体写真家まで、夜中にこっそりレンズを持ち出して観測してるんだ。考えられるか。俺たちのように組織が守ってくれるわけじゃない。周囲に気づかれでもしたら、天体観測禁止のルールを破ったと非難されるだけで済んだら良い方だ。まったく、涙ぐましい努力だよ。それでも俺たちは今度こそ観測を成功させようと、必死なんだ」

 ステファンが感情的になるところをセージは初めて見た。

 おそらく、それはステファン自身にとってもそうだったのだろう。

 疲労困憊の天文学者は震える手でマグカップを傾け、中身がとっくに空になっていることに気づくと、それをデスクの上に置いては、何か言葉を探すような素振りを見せつつ、またマグカップを手に取った。

「お前が言う通り、少し疲れているようだ」

「そうみたいだね」

 セージが小さく笑って見せると、ステファンは何よりも自分自身に困惑した風に、それを誤魔化そうとするかのように、まだ中身が残っているビーカーを掲げてみせた。

「コーヒーはもういいのか、あぁ、いや飲まないんだったな」

「ごめん、実は今日、お茶をたっぷりと飲んできちゃったんだ」

「お茶?」

 ステファンは、その単語が何を表わす概念だったのか思い出せないかのような顔で、首を傾げた。

 きっと、ここ最近は世界中の研究者たちと竜星群や天文学の話しかしていなかったから、日常的な単語の意味にさっぱり辿り着けずにいるのだろう。

 ややあって、ステファンはようやく目的の単語に辿り着いたようだった。

「抹茶か?」

「紅茶だよ」

「紅茶? どうして日本まで来て紅茶なんだ?」

「色々あるんだよ。付き合い、っていうのかな」

「付き合い?」

 ステファンは再度首を傾げたが、直にセージがクルー共通の制式ジャケットの下に、学校の制服を着ていることに気づいたようだった。

「あぁ、学校に行っているんだったな。クラスの友達か?」

「うぅん、まぁ、クラスメイトであることは確か」

 ステファンは「そうか」とだけ言って、それ以上は追及しなかった。

 代わりに、もう何十回と訊かれたようなことを言ってきた。

「それで、学校はどうなんだ?」

「皆、それ訊くね」

 アイノやラダマだけではない。通路ですれ違ったり、食堂で相席になったりしたクルーはそれこそ前もって示し合わせているのかと疑いたくなるほど、一様にそんなことを訊いてきて、セージも初めの頃は丁寧に対応していたが、段々と面倒になってきていた。

「今のお前に他に何を訊くんだ」

「誤解してほしくないんだけど、オレは別に自分から進んで学校へ行っているわけじゃないんだよ。行けって言われたから行ってるだけで」

「だから訊いてるんだろう」

「確かめようってこと?」

「そうじゃない。よりメタレベルの話をすれば、誰もそんなことを本当に訊きたいとは思っていない。お前と共通の話題を探しているだけだ」

 今度はセージが盛大に肩をすくめる番だった。

「だったら、もっと他のことを訊いてくれればいいのに。デンゲイの対星ミッションモジュールは調整が間に合うのか、とかさ」

「それこそ、お前に訊いたってどうにもならないことだろう。それで、学校はどうなんだ?」

 結局、元の問いに戻ってしまったことにげんなりとしながら、セージは不承不承答えた。

「別に。普通だよ。学校ってこんなところか、ってくらい。まぁ、社会勉強ってやつなのかな。ただ、どうしてもね。(ロコラ)での生活を知っていると、なんとも言えない気分になるよ」

「なんとも言えない気分?」

 なんだそれは、とステファンは怪訝な顔をしたが、セージもセージで返答に窮していた。

「説明しづらいんだけどね。ほら、オレたちはさ、近いうちに日本の周辺に竜星群が落ちる蓋然性が高いって予測したからこそ、艤装だってまだ全部終わってないし、クルーの慣熟だってまだ途中だったのに急いで出港して、トーキョーまで来たわけだろう」

 まぁ、ここはヨコスカなんだけどさ。

 セージは正確さを期して余計な補足を入れながら、歯切れの悪い話を続けた。

 ステファンは何も言わず、コーヒーを飲みながら静かに聞いていた。

「それなのにだよ。肝心の現地の人たちが、その辺のところにどうにも興味がない、関心もない、というか関係ない、みたいな態度でさ。そりゃ、オレやテルミはまだ自分が生まれた国だから仕方ないとしても、他のクルーまで巻き込んで、ロコラ全体でここまでする必要があったのかなって。ちょっと考えちゃうんだよね」


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