第2部 Tokyo Ophionids - 18
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放課後の学校は苦手だった。
他クラスの子と名前を呼び合い、連れ立って部活に向かう子たち。
教室で友達同士で輪を作って、お喋りに興じている子たち。
グラウンドに響く運動部のかけ声。特別教室から聞こえてくる文化部の歓声。
ざわついた雰囲気から逃れるように、ナオは一日の授業が終わると即、教室を出る。
冷蔵庫の中身を思い出しながら真っ直ぐ駅へ向かって、日によっては夜ご飯のお買い物を済ませてから帰宅する。
でも、今日は違った。
よりにもよって校門を過ぎて、しばらく歩いたところで、ふとお昼休みに成瀬アケルののせいで落としてしまったお箸をそのままにしていたことを思い出したのだ。
ナオは小走りで学校に戻ろうとしたが、すぐに息が切れてしまって、胸の辺りが痛くなり、肩で息をしながら歩いていった。
一日に三回も見たくなかった校門をくぐり直して直接テラスへ向かったのに、そのせいで校舎の周りをぐるぐると走り込みしている運動部の集団に鉢合わせみたいになって、その人たちが巻き上げた塵埃をかぶってしまう羽目になった。
本当に運が悪かった。最悪だった。
走ったせいで呼吸は苦しいし、汗もかいてしまうし、土埃で汚れるし、さんざんだった。
そのあげく、イチョウの木の下に白いお箸は見つからなかった。
焦って、できるだけ土になっているところは触らないように、辺りを探してみても、やはり見つからない。
先生か他の誰かに拾われて、捨てられてしまったのかもしれない。
本当に最悪だった。
もっと探したかったが、誰かに出くわしてしまうかもしれないと思えば、あまり悠長なことはしていられない。
そうこうするうちに、どこかの部活所属らしき数人の話し声と笑い声が聞こえてきてしまって、それが近づいてくるとなると、もうどうしようもなかった。
ナオはまた別の日に探すことにして、足取りも重く、テラスを離れた。
本当なら学校なんてさっさと出てしまいたかったが、走って疲れてしまったし、気分もすぐれなくて、体を無理に動かしたいとは思えなかった。
でも、最悪なことは続くと最悪ではなくなってしまうらしい。
靴箱の前を通り過ぎた辺りで、ナオは誰かに呼び止められた。
振り返るまでもなかった。
クラスのいわゆる一軍の人たち。
教室で一番目立っているグループで、ナオのことが嫌いな人たち。
普段なら避けて通るのに、出くわしてしまったのだから本当に最悪だった。
「待てよ竜星信者、おい」
一番背の高い男子が上から目線の大声で言った。
「逃げんなよ、カルトの巫女さん」
脇にいる男子たちが茶化してきて、本当にイヤだった。
「ねぇ、なんでアケル先輩のこと知ってんの?」
数人の女子まで一緒になって出てきて、ナオに詰め寄って来た。
さっさと立ち去ってしまえばよかったのに、最初に大きな声を出されて、反射的に立ち止まってしまったのが良くなかった。
「アケルさんがエグい優しいからって、あんま近寄るんじゃねぇぞ」
「なぁ、学校では何も喋んないのに、カルト団体に行ったらめちゃくちゃ明るいっってマ?」
「ってか、リアルに巫女さんとかやってんすか?」
「アケル先輩に変なイメージつけないでくれる?」
誰も彼も勝手に怒ったり、笑ったり、睨みつけてきたりして、最悪だった。
ナオは無視して校門の方へ逃げようとしたが、取り囲まれてしまって無理だった。
「黙ってねぇでなんか言えよ、竜星信者」
「お前がアケルさんと話してるとこ、見てたヤツがいるんだよ」
「アケルさんを信者にしようとか考えてねぇよな」
「アケルさんは皆にやさしいから、お前みたいな竜星信者とも話してやってんだぞ」
「アケル先輩だって本当はヤダって思ってるよ!」
なにも知らないくせに。
一方的に言われ続けて、ナオはそう言いたくなかった。
成瀬アケルがどういうつもりかなんて、この人たちは全然知らないのだ。
それになにより、セミナーの人たちが、ナオの父が、ナオが。
これまでどんな思いを抱えて生きてきたのかなんて、クラスメイトどころか、世の中の誰だって知りもしないし、知ろうともしないのだ。
そうして、ナオはふと思い至った。
竜星群が降ってきてしまえば、きっとこんな人たちから消えていくのだろう。
だったら、早く降ってきて欲しい。今すぐに。
ナオのことを嫌いな、この人たちをこの場で消し去って欲しい。
「日本の古い伝説では、あるカミが川のほとりを歩いていると箸が流れてきて、それを辿っていったら、最後には頭が8個もある竜と戦うことになったらしい」
それなのに、聞きたくない声は一番聞きたくない時に聞こえてきてしまう。
「不思議なのはどうして箸が川を流れてきたのかってことなんだ。昔はそういう風習があったのか、それとも川そのものが自分たちの知っている川とは違ったのか。確かに、カミが行き交う川なら地上の川じゃなくて天空の川、例えば天の川だったのかもしれない」
後ろからいきなり現れた転校生は、例によって変なことを言いながらナオを取り囲むクラスメイトたちの輪の中に分け入ってきた。
「布良、お前なにしに来たんだ」
「なんの用だよ、転校生」
露骨に顔を顰めた背の高い男子に、転校生は涼しい顔で手に持っているものを示した。
「さっき校舎の外で、こんなものを拾ったんだ」
転校生が持っていたのは白い小ぶりなお箸で、本当に何から何まで最悪だった。
「さすがに屋外に箸が落ちているというのがよくあることとは思えないし、日本では自分のお箸を持ち歩くというサステナブルな文化があるって聞いたから、きっと持ち主に想定外の出来事があって困ってるんじゃないかと思ってね。探してたんだ」
にっこりと笑った転校生はクラスメイトたちに箸の持ち主かどうかを順に尋ねていった。
「自分は箸を使うのが少し、いやかなり苦手でね。小さい頃、日本にいた時もまともに使い方を教えてもらえなかったんだ。そのまま海外へ出ることになったから使う機会もなくなって、今まで不自由はしなかったんだけど」
順番の最後に、転校生はナオへお箸を差し出した。
「これ、キミの?」
ナオは返事をしなかった。
「おい、転校生。お前なんのつもりだよ」
「海外から転校してきたヤツには、コイツがどんだけヤベーヤツなのか分かんねぇんだよ」
「何も知らねぇなら黙っとけ」
痺れを切らした男子たちが凄んでも、転校生は顔色を変えずに言った。
「知ってるし、わかってるよ。この人が竜星カルトの子だって言うんだろ」
あまりにもあっさりと言うので、ナオだけでなく、クラスメイトたちも開いた口が塞がらなかったが、転校生は事も無げに話を続けた。
「別に竜星カルトなんて世界的に見て珍しくもなんともないよ。現状に不満がある人や、何かとうまく行ってない人たちが極端な結論に飛びつくのはよくあることだからね。そういう人たちは竜星群が降って来るまでは、パンデミックの時代にはワクチン陰謀論を唱えていたし、それより前にはUFOを信じていたらしいよ」
UFOって分かるかな。Unidentified Flying Objectの略で、元々は空軍用語だったんだけど、いつのまにか異星人の宇宙船を指す言葉になったんだってさ。知り合いに当時の動画を見せてもらったけど、なんていうかなかなかチープな出来だったよ。それでも、今みたいに簡単に動画を撮れる時代じゃなかったから、信じる人も多かったみたい。
「それが何だってんだよ。これと何の関係があるんだ?」
「一般論を言っているだけさ。人間は信じたいものを信じるし、見たくないものは見なくていい理由を考えるものだから。だから、竜星カルトは色んな国で発生してるし、それらは同時多発的に発生しただけで、それらが全部繋がった一枚岩の組織だって考えるのは早計というか、陰謀論を非難するつもりが逆の陰謀論に嵌っていくパターンだろうね。実際は、どこの国だろうと人間の考えることなんて一緒ってだけだと思う。もちろん、それが良い傾向だとは思ってないけど、それでも竜星群が終末世界論と相性が良いのは実際その通りだからね。ただ、竜星群で世界が滅びるって信じてる人たちには悪いけど、そんなことにはならないよ」
「はぁ? なに言ってんだよ、お前」
「これまでの地球の歴史を考えてみなよ。約4億4千年前、約3億7千年前、約2億5千年前、
約2億年前、約6600万年前。大量絶滅のイベントは有名なビッグファイブに限らないし、隕石衝突が原因と考えられているものは中生代の終わりに限らない。約40億年前に後期重爆撃期を仮定するなら、地球に巨大隕石が降り注ぐ時代を原始的な生命体は生き残ったかもしれないし、もしかしたらそんな隕石の衝突こそが生命の形成を手伝った可能性すらあることになる」
「地球とか、なに言っちゃってんの?」
「巨視的な視点も時には必要だよ。特に、竜星群なんていう、これまでの人類の歴史にはなかった惑星規模の天体災害を考えるなら尚更ね。それでも地球史を紐解けば、酸素の増加、全球凍結、超大陸の形成と分裂、大規模な火山活動に多雨事象、海洋無酸素状態、カタストロフィックな環境変動は今までいくらでもあったし、それによって様々な生物が栄えては滅びてきたけど、生命そのものはその都度、長い時間をかけて多様性を回復しながら、しぶといくらいに生き残ってきたんだから、竜星群くらいのことで生物が滅びたりするわけないし、まして地球がどうにかなんてなるわけない」
「何なんだよ、コイツ。意味わかんねぇ。そんなのオレたちに関係ねぇだろ。竜星群くらい、じゃねぇんだよ。お前、そういうのいい加減にしとけよ!」
転校生の話は本当に意味がないとナオも思っていた。
誰もそんなこと話題にしていないし、関心もない。
なのに、転校生は勝手に話を大きくして、自分の知っている事だけを話している。
だから、クラスメイトたちだって、ナオだって苛々する。
UFOがどうとか言っていたが、宇宙人は転校生の方なのだ。
転校生はそれがわかっていない。
「そんな簡単に世界は滅びたりしないし、そうはさせないってだけさ」
「厨二病かよ、笑える」
「できんのかよ、そんなことお前に。イキってんじゃねぇぞ布良!」
「その俗語は良く分からないし、前にも言ったかもしれないけど、国連機関に知り合いがたくさんいてね。そういう人たちの仕事を知っているから、言いたくなることもあるんだ。気に障ったなら謝るよ。でも本当に関係ないって言うんだったら、この人だってそうだろ」
転校生はそう言って、ナオのことを示した。
正直に言って、このまま転校生とクラスメイトたちが言い合っている間にナオはフェードアウトしたいくらいだったから、もやもやとした気持ちになった。
そんなナオのことを考えもせず、転校生は言った。
「誰だって自分が生まれる家を選べるわけじゃない。竜星カルトを信じてる親の下に生まれた子供だっていれば、育児放棄で死にかけた子供だっている。家族も住むところもない人だっている。好きでそうなったわけじゃない。自分で選んでそうなったわけじゃない。自分が悪いわけでもないのに、どうしてそんな目に遭わなくもゃいけないのか。誰にも説明できない。それとも自分なら説明できるって人はいる?」
転校生はそう問いかけたが、答える子はいない。
別に感心しているわけじゃなくて、勝手に途方もなく話を大きくしている転校生に呆れているだけだ。誰も相手にしていないだけだ。
「親が竜星カルトの信者だったとして、別にそれ以外の何かがあったとして、その子供までそういう目で見るべきなのかな。親が信じているものを、自分は信じないと言える子供がどれだけいると思う? 仮にいたとして、それを許してくれる親がどれだけいるのかのかな。そして、本来、親の責任であるはずものを子供にまで求めるのは正しいことなのかと言えば、少なくとも自分はそうは思わない」
ナオは耳を塞ぎたかった。
何も知らない誰かに言われるようなことじゃなかったし、聞きたくもなかった。
それも、やって来てまだ一ヵ月も経っていない転校生なんかに、上から目線の訳知り顔で一方的な思い込みを押し付けられたくなかった。
ナオはどこかへ消えてしまいたかった。
というより、転校生とナオのことが嫌いな人たちに、ナオの知らないところに消えてもらって、そこで幾らでも言い合っていてほしかった。
「ゴチャゴチャうるせぇんだよ。竜星信者が何なのか分かってねぇなら引っ込んでろ」
「日本の竜星カルト、R神州だったかな、そこが強制捜査されたっていう話は知ってるよ。政権幹部に多額の政治献金や労働力を提供しながら、公共交通機関を妨害したんだってね。野党が議会で追及してるのを連日マスメディアが報道してるから、さすがの自分だって耳に入ってくるからね」
「だから、そういうのがいちいちキモいんだよ、お前!」
「さっきも言っただろ、国連機関に知り合いが何人もいるって。それに」
何かを言いかけた転校生はそこでナオのことをじっと見つめてきた。
当然ナオはすぐに目を逸らしたが、転校生はそうしなかった。
「やっぱり、こういうのはアンフェアだな」
一人で勝手に納得した転校生は同級生たちに向かって、信じられないことを言い出した。
「実は、自分も国連の職員みたいなものなんだ。色々あってね。詳細はまぁ、興味ないだろうから省くけど、とにかくそういうことだから竜星群は他人事じゃない、自分事なんだ。そして、それはに誰にとってもそうだと思ってる」
クラスメイトたちは互いに顔を見合わせて、あからさまに溜め息をついてみせた。
「あのさ、布良。オレたち、もう子どもじゃないからお前の妄想には付き合ってやれないんだけどさ。オレら、そんなこと言ってんじゃないんだ」
「別に難しい話したいんじゃないんだ。ただ、リスペクトしてる先輩がインフルエンサーだからって、おかしなヤツらに付きまとわれるのをなんとかしたいってだけだから」
クラスメイトたちはもう話を打ち切ろうとしているのに、転校生はまだ言い合いを続けしていた。
「もちろん自分だって、ミクロな視点を否定はしないよ。まず自分が助からなかったら、他の誰だって助けられないんだから。でもだからって自分や、自分の周りのことばかり考えて、身近な世界観に拘り続けたって何も変わらないだろう」
「悪いけど、そんな教科書みたいな話より、アケルさんがSNSで発信するストーリーの方が千倍おもしろいし、一万倍くらいオレらの心に響くんだ」
「それが分からないな、どうして論拠も査読もない個人の意見をそこまで尊重できるのか」
首を傾げる転校生を、クラスメイトたちは鼻で笑った。
「まっ、どうしてもって言うなら、そこの二人で話してみたらいいんじゃねぇの?」
「そうだよね。ウチら一応、忠告ってか言ってあげたからね」
ナオのことが嫌いで取り囲んできた人たちは、転校生の言動の全てがバカバカしいといった態度で輪を崩して、校門の方へ去って行った。
「あ、ちょっと」
転校生が呼び止めても、誰も立ち止まらないし、振り返らない。
いい気味だったが、後に残されたのはナオと転校生だけになった。
転校生は遠ざかっていく背中の数々から、こちらの方へ向き直った。
そして、ナオを真っ直ぐに見て、白くて小さなお箸を差し出してきた。
「竜星群とデンゲイについてキミと話したいことがある」
こんなことなら、すぐにこの場を離れてしまえば良かったのだ。
「さっきも言ったけど、自分は国連機関のメンバーみたいものなんだ」
何も言わないで欲しかった。
転校生がせめてそのまま黙って、いなくなってくれていたら、ナオは何も知らないと父に言うことができたし、成瀬アケルにひどいことを言われたり、されずに済んだのに。
「正確には国連竜星群機関の、とある実証プロジェクトに関わる先任パートナーとかなんとか、そんな位置づけかな。ちょうどキミがRyu神州の巫女だったりするみたいに」
そう言われてしまったら、そうと知ってしまったら。
ナオはもう知らない振りをできなくなってしまう。
放課後の太陽は沈みかけでもまだ熱くて眩しくて鬱陶しくて、ナオは目を逸らしながら、差し出されたお箸を微かに震える手で受け取った。




