第2部 Tokyo Ophionids - 17
*
午前中の授業がやっと終わって、ナオはいつものようにお昼ごはんを食べるために、あるいは教室の喧騒から逃れるために、校舎の外れにあるテラスにいた。
ここ最近は連日のように、校内に生えている木の周りで何やら作業をしていた用務員の人も転校生も今日は姿が見えなくて、代わりに、刈り込まれて枝を減らしたイチョウの木(別に木なんて興味なかったのに転校生が連呼するから憶えてしまった。)が少し寂しい見た目になっているのに心なしか青々とした葉を茂らせているように思えてしまって、それだけがわずかに苛立たしいくらいで、他は静かで安心できる場所だった。
でも、その落ち着いた雰囲気も長続きはしてくれなかった。
「おい、お前なに既読スルーしてんだ」
高い足音を鳴らして、髪を明るく染めた三年生の男子がテラスへ踏み込んできた。
成瀬アケルだった。
「だから、なんでテメェはシカトしてんだよ」
ナオが顔を伏せて誰とも顔を合わせないようにしていると、成瀬アケルはわざわざナオの目の前までやってきて仁王立ちした。
「クソ忙しいのにテメェのために時間割いてやってんだぞ。少しはそれなりの態度ってものを見せろや」
成瀬アケルの腕が伸びて来て、ナオの頬を掴んで、無理やり上を向かされた。
三年生の手は大きくて、ナオの顔は簡単に挟まれてしまって、力も強くて痛かった。
ナオが思わず身を捩って振りほどくと、お弁当に載せていたお箸が転がって、アスファルトの地面に落ちてしまった。
すぐに拾おうとしたが、ナオの手より成瀬アケルの足の方が速かった。
ナオのお箸は上履き越しに踏みつけられてしまった。
「結論から言え。アイツは黒だな」
「知らない。興味ない」
ナオは腕を引き、小さな白いお箸を見ながら、それだけを言った。
「はっ、それでも教団幹部の娘なのか、お前。隣の席なんだろ。探る機会なんていくらでもあっただろうが。自分の立場がわかってんのか。それとも、竜のお星さまの巫女とかいうのになると、自分の仕事もやらなくていいのか?」
せせら笑いが頭の上にこぼれ落ちて来て、ナオは唇を噛んだ。
「まっ、どうせこんなことだろうとは思ってたさ。だから、先にお前のクラスにいるヤツらから聞いておいたのよ。さすがはオレだな。周りのヤツらが全く使い物にならねぇってところまで織り込み済みなんだからよぉ!」
成瀬アケルは勝ち誇るように言った。
「お前、オレのフォロワー数、知ってるか。今朝の時点で、お前ら雑魚キャラがいくら頑張ろうが一生かけても追いつけないような数字になってんだよなぁ。実力の差がそのまま数字に表れてるってことなんだけどよ。まっ、それもしょうがねぇか。生まれた時からオレは違ぇんだよ。お前らザコどもとはな」
お箸がぐりぐりと上履きに踏みにじられていた。
「だから、オトコだろうがオンナだろうが、どいつもこいつもセレブのオレに近づきたがんのよ。なんか訊いてやったら、訊いてねぇコトまでべらべらと喋りまくってさ。誰もそこまで訊いてねぇのになぁ。アイツら言ってたぜ、クラスに竜星信者のキモい女子がいるってさ。まったく、誰のことだろうなぁ。まぁ、かわいいヤツらだよ。主人の歓心を必死に買いたがるイヌみたいでな。それも仕方ねぇか。アイツらからすりゃ、オレは雲の上の天上人、トクベツな存在なんだからよ。まっ、オレから見りゃ、アイツらなんて全部同じに見えるモブみたいなもんだけどな。神の視点で、より高い次元から下々を見下ろすっていうのは、こういう気分なんだろうなぁ。どいつもこいつも小せぇ、弱ぇ、無能で、取るに足らない雑魚キャラばかりさ。だが、それでもお前よりは役に立つ」
ナオがおずおずと見上げると、成瀬アケルはニヤリと笑って、踏みつけていたお箸をおもむろに蹴飛ばした。お箸は軽い音を立てて、木の下まで転がっていった。
「あのウゼぇ転校生、やたら竜星群の話に食いついてくるんだってな。国連がどうとか、そんなことも言ってたらしいじゃねぇか。バカなのか、アイツは。丸わかりだろ。隠す気がねぇのか。フツーはもっとこそこそとやるんじゃねぇのかよ。それともスパイとして自覚がないのか、ただのアホなのか」
転校生のことなんてどうでもよかった。
どうして成瀬アケルがこんなひどいことをするのか、それが分からなかった。
セミナーを、というよりR神州を嫌っている子たちがナオに嫌がらせをするのは今に始まったことではなかったし、だからこそ理由だって分かった。
でも、セミナーの人たちはみんなナオに優しくしてくれたし、そもそも穏やかな人たちばかりだったから、どうして成瀬アケルみたいに怖い人がセミナーどころかRyu神州の本体にいるのか全然分からなくて、それが余計に怖かった。
「R神州、じゃなくてセミナーって言ってんだっけか、えぇ?」
成瀬アケルが口角を釣り上げて、ナオの様子を見ながら半笑いで言った。
「まぁどっちだって良いか。ロンダリングしてるだけで中身は同じだもんなぁ。つまんねぇ真似しやがって。そんなんで引っかかるヤツなんざ頭の弱いヤツらしかいないだろ。まぁ金儲けするんだったらバカなヤツらをテキトーに利用するのが一番だろうけどな」
周りに誰もいないとは言え、わざわざそんなことを大きな声で言うなんて信じられなかった。でも、成瀬アケルはそうやってナオの嫌がる様子を見て楽しんでいるみたいだった。
「そのセミナーとやらの情報が正しいなら、あの転校生はデンゲイの共辰者ってことになるらしいがバカバカしいなぁ。共辰者に慣れるのは、このオレのように選ばれたヤツだけなんだよ。悪いが、アイツはそんな器じゃない。帰国子女だろうとなんだろうと、要はちょっと英語ができるだけの凡人だよ。それに英語くらい、ガキの頃からネイティブのアメリカ人に教わってきたオレからすりゃ、簡単なもんだ。自慢するようなものじゃないね。今時、英語なんざ、できて当たり前なんだよ。お前もそうだろう?」
成瀬アケルはナオを一瞥してから鼻で笑った。
ナオは英語が苦手だから、それを知っていて言っているのだろう。
「オレがお前ら竜星信者に顔を貸してやったのは信者なんかになるためじゃねぇんだよ。VVの連中に顔を売るためだ。どう考えたってオレはこの国で収まっているような器じゃねぇからな。だが、海外進出するにしたって使えるハコは必要になる。いくらオレが有能なセレブのインフルエンサーだからといって、手っ取り早くブレークスルーするなら踏み台はあった方がいい。歌って踊れるってだけのヤツなら腐る程いるんだろうが、所詮は使われる側なのよ。オレみたいに頭も良くて、人として優れていて、真に実力のあるヤツは使う側になることを考えるし、まぁそうなるだろうな。竜星がこのオレを選んだ以上は。VVはちょうどいいハコさ。世界規模でシェアされてるし、やってることのスケールもデカい。幹部をやってるお前のオヤジも、オレがお前を見てやってるんだったら文句は言えないだろうしな。お前ら竜星信者には、このままステップアップのための踏み台になってもらうぞ」
そう言って、成瀬アケルは意地の悪いサメのような笑みを見せつけてきた。
「このタイミングでオレが共辰者になったということは、竜星群は必ず来るってことだ。国連のスパイがこそこそと蠅みてぇに周りを飛び回ろうと関係ない。全てはこのオレを中心に動いているんだよ。天動説こそが正しかったのさ。このオレが望みさえすれば、この世界は思うがままだ。だからよ、お前。足を引っ張るような真似だけはするんじゃねぇぞ」
ナオはまた頭を掴まれて、無理やり顔の向きを変えられた。
「お前はあのオヤジのお人形でしかねぇんだ。竜のお星さまの巫女だかなんだか知らねぇが、頭の弱い竜星信者たちの都合の良いお飾りでしかないんだよ。おだてられて調子に乗ってんじゃねぇぞ。神輿は軽い方が良いんだからな。ただのアクセサリーに頭なんて要らねぇし、求められちゃいない。お前はそういう中身スカスカの空っぽオンナで、どうせ何もできやしねぇよ。間違っても、あの転校生とつるんで碌でもないことを考えたりするんじゃねぇぞ。もう碌でもない話は何個も聞いてんだ。わかったな?」
成瀬アケルがどうしてナオのところまでやって来たのかようやく分かった。転校生のことはほとんどついでみたいなもので、初めからナオに釘を刺すつもりだったのだ。
でも、そんなのは杞憂でしかなかった。
「別に関係ない」
ナオはそれだけを言った。それでも意地の悪い三年生男子に意味は通じたようだった。
「そうだろうな。お前みたいにアクセサリーの分際で愛想笑いの一つもできねぇような感じ悪いオンナに興味を持つようなオトコはよっぽど程度の低いオトコだろうからな」
成瀬アケルはまた鼻で笑った。
「まっ、今更誰が何をしようと、オレをどうにかできるわけねぇさ」
竜星群みたいなもんなんだよ、オレは。
今更、足掻こうが藻掻こうが結果は変わらない。
選ばれてるかどうかなんだ。才能も、実力も、運命さえも。
それは生まれた時からもう決まってる。
お前ら雑魚キャラはせいぜい死なないように祈っておけよ。
言うだけ言って、せせら笑うだけ笑って、成瀬アケルは去って行った。
ナオは痛む顔をさすりながら、ゆっくりと立ち上がった。
もう、お昼ご飯を食べる気分にはなれなかった。
お弁当箱をしまって、それからテラスを出た。




