第2部 Tokyo Ophionids - 15
*
隣のクラスは席替えしたらしい。
ナオのいるクラスで、そういう話が出たことはない。
席替えなんて誰もしたがらないから。
今よりイヤな席になるかもしれないのに、わざわざしたいとは思わないから。
だから、ナオの隣の席は未だに転校生のままだ。
その転校生のせいで、ナオはひどくイヤな思いをした。
本当だったら視界にも入れたくもなかった。
でも、父からも、セミナーの人たちからも、汚い気持ちを持ってはいけない、純粋な心を忘れてはいけない、と言われていたから、転校生が相も変わらず無神経に朝と帰りの挨拶をしてきたり、ナオが先生に呼び出されて怒られたことがいつの間にか広まっていて、クラスの子たちがこれ見よがしに噂話を交わしていても、ナオは無視した。
何も考えないようにして、できるだけ余計な感情を持たないようにした。
ただ、父が言っていた言葉がどうしても頭の隅から離れなかった。
十年以上前に落ちた竜星と、そこから生まれた星の竜。
その共辰者になった子供が今になって国連の船に乗って帰ってきて、それが転校生?
そんな偶然はありえないと思った。けど、もしかしたら?
父に転校生のことを言うべきか、言うとしてもどう言ったらいいのか。
できれば、ナオの知らないところでイヤなことや変なことはなくなっていて欲しかった。
何の不安もなく、何にも悩まされず、怖がる必要もなくて、安心して毎日を過ごすことができたら、どれだけ良かったことだろう。
そんなナオの心境を全く知らないで、転校生は自由だった。
昼休みの時間になると、ナオはやっぱりいつものテラスにいるのだが、転校生はそこへはぷっつりと現れなくなって、せいせいしたし、ほっとした。
それなのに、たまにしか見かけない用務員の人に、転校生が何やら話しかけているところを本当に偶然見かけてしまった。
何をしているのかと思って、ナオが警戒しながら様子を見ていると、どういう成り行きなのか、奇特にも転校生は用務員の仕事を手伝っているみたいで、脚立の上に軽々と登ってはLED管を交換したり、葉っぱを園芸鋏で切ったりしていた。
「高いところ怖くないのか?」
不運にも、用務員の人と転校生がテラスへ近づいてきた時、話が聞こえてきてしまった。
「マストの上によく昇ってましたから」
昼休みくらい、ナオは誰にも近くにいてほしくなかった。
それが転校生なら尚更で、いかにもな口振りまで聞こえてしまった以上、いっそのこと立ち去ってしまおうかと思ったが、まだお弁当は食べきれていなかったし、そうして迷っている間に、用務員の人と転校生がすぐ近くまでやって来てしまった。
「これです。葉が黄色くなってるんです」
転校生が担いでいた脚立を木の前に降ろした。
年をとった用務員の人はナオの方をちらりと見てから、転校生に言った。
「ただの黄葉なんじゃないの?」
「最初は自分もそう思いました。でも、辺り一帯を調査してみたらそうじゃなさそうなんです。最近の気象状況を加味すると、塩害で弱っていると見る方が自然です」
診てもらえませんか、と転校生は大袈裟なジェスチャーをしてみせたが、案の定、用務員の人はちょっと困った顔になっていた。
「診てくれって言われても、オレは樹医じゃないんだぞ」
「もちろん正確な診断が今すぐに必要というわけじゃないんです。ただ、実態として樹は弱っていて、だったら適切な処置をしてやらないと、樹は苦しいまま放置されているだけで、現状は何も変わりません」
「樹が苦しいって言われてなぁ」
子どもみたいな擬人法に用務員の人も首を傾げていたし、たまたま耳に入っただけのナオだって思わず顔をしかめてしまいそうになって、そもそも、こんな奇妙な取り合わせの二人に元から興味なんてなかったし、関わっているなんて絶対に思われたくなかったから体の向きをずらして背中を向けてしまうことにした。
「そっちが詳しいんだったら、そっちでやってくれたっていいんだけど」
「基本的な動作は教わりましたが、実際にどういう葉を剪定していったら良いかなんてところまでは良く知らないんです。それに、あくまで管理を担当している人の監督・指揮の下で作業した、としておいた方が見立ては良いと思います」
「責任をこっちに持てって言いたいのか?」
「そういう意味で言ってわけじゃありません。最近は欧州や大洋州でも、恒常的になった温暖化の影響で既存の植物種が生息数を減らしているので保護政策が進められています。日本でも、あるいは東京の地方政府でも同じような政策案が出てきた時に、何の対応もしていなかったという事実だけが残ってしまうと悪い評価に繋がりかねません」
背後で用務員の人と転校生が言い合っていたが、ナオはできるだけ何も聞かないようにしていた。静かにお弁当を食べたいだけだったから、さっさと離れてほしかった。また巻き込まれたりしないように、それだけを考えていた。
なんだったら、転校生はテキトーに言い負かされて、すごすごと逃げ帰って欲しかった。
「そんなことオレの知ったこっちゃねぇし、お前が気にすることでもねぇだろうよ。それに、どうせ竜星群とかなんとか降って来て、東京は終わりだって言うんだろ。隕石でぺっしゃんこになって、全部なくなっちまうんだったら、ちょっと樹を手入れしたところで何も変わりゃしないだろ」
そのとおりだとナオは思った。
どうせ竜のお星さまがやってきて、何もかもやり直しにしてくれるなら。
なにをしたってムダだった。なにをしたって意味がなかった。
それなのに、転校生はまだ言うのだ。
「確かに竜星群が降ってくる蓋然性は高いですが、まだ確定できる段階じゃありません。仮に降ってきたとしても、うまく対応できれば多くの人や施設が助かるかもしれません」
「無理だろ、空からバカみたいに落ちて来る星に地上からミサイルを当てるなんて」
「できるだけのことをできるだけやっています」
「なんでそんなことがお前に分かるんだよ」
用務員の人は明らかに苛立っていた。
「知り合いに対応している人が沢山いるんです。だからこそ自分たちも自分たちにできることをやりたい。運良く、この学校とイチョウが竜星群から生き残った時、この樹は生存と復興の象徴になるかもしれない。そういう後のことまで考えておきたいんです」
イチョウは東京のシンボルなんでしょう。
転校生はそう付け加えたが、用務員の人は険しい表情のままだった。
「こっちはな、余計なことすんなって言われてんだよ。ただでさえ、作業は遅れてんのに勝手なことして、それで評価なんて下げられて、査定に響いて給料まで下げられた日にゃ、やってられないんだよ!」
「竜星群が降ってきて、本当に全てが終わってしまうと思うなら、どうしてこの仕事をしてるんですか?」
「なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだよ!」
「いえ、あなたの言うとおりなんです。確かに竜星群対応の最優先は人命救助です。でも、実際にはそれだけじゃ足りなくて、生き残った人たちがそれでも生きていくためには色んなものが必要なんです。食べ物、衣服、日用品。お金が要ります。収入が必要です。そのためには経済の生態系が成立していなくては。人や生き物の生命だけじゃなく、生きていくための生活基盤としての人間の土地を守れなくては。この樹だってもしかしたら皆の憩いの場になるかもしれません。鳥や小動物に餌や巣を提供するかもしれません。ギンナンは人間だって食べられるでしょう。だったら尚更、こういう自分たちの日常を維持していく努力には意味があるんです」
「ゴチャゴチャうるせぇな。余計なことして怒られるのはこっちだって言ってるだろ」
「このまま何もしなくても、後でせっかく助かったのに、何でやってなかったのか、と怒られるかもしれません。どうせ怒られるんだったら、イチョウが元気になった方が良くないですか。竜星群が降って来て、それでもなんとか生き残ることができた時、この樹も無事で、それでこの樹が有名になったりしたら、あの樹を手入れしてやったのはオレなんだって自慢話にできるなら、それはそれで悪くないと思いませんか?」
転校生の言い方に用務員の人は絶句した。
不穏な沈黙に、用務員の人は今度こそ怒鳴り始めると思って、ナオは肩を強張らせた。
最初に二人が近づいてきた時にすぐに逃げてしまえば良かったと後悔した。
ナオは何も悪いことをしていないのに、どうしてまた大人の男の人が怒るところに居合わせなくてはならないのか、本当にこわくてイヤだった。
「お前、なんかおもしろいヤツ、というか変わったヤツだなぁ」
予想に反して、用務員の口からは怒鳴り声ではなく笑い声が漏れてきた。
「怒られ慣れてるんです」
転校生の少し不貞腐れたような声が聞こえて、心底愉快そうな笑い声が起こった。
「なに言ってたんだ。オレの方が怒られてるよ。もっと長く生きてんだからな」
「じゃあ、一番怒られてる人と二番目に怒られてる人で怒られる前にやっちゃいましょう」
二つの笑い声が木の根元の方へ移って行った。
ナオは別に見たくなんてなかったけれど、精一杯に横目を使って一瞥した。
脚立の上に登った転校生が、脚立を下で支える用務員の人の指図に従って(ナオはこの時初めて用務員の人が右足をかばうような立ち方をしていることに気がついた)、園芸作業をてきぱきとこなしていて、しかも会ってから時間も大して経っていないはずなのに用務員の人とも楽しそうに談笑しながら作業を進めていた。
枯れた葉っぱが柄を失って、ひらひらと舞い落ちてきた。
それは頼りなく、寄る辺なく、甲斐もなく、コンクリートの地面に付着した。
土と埃にまみれた汚れは否応なく、ナオの視界に入り込んできた。
ナオはまだ食べきっていないお弁当に蓋をかぶせた。
立ち上がって、足早にその場を立ち去った。




