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第2部 Tokyo Ophionids - 13 - ②

「嘘なんてついてどうするの。本当よ」

「なんで、そんな?」

「なんでって、艦が沖に出ている間にあなたに何かあったら困るからでしょ」

「困るって、そういう問題じゃないだろ。というか本当に大丈夫なの? 日本の空にデンゲイを飛ばしておくなんて。空港から艦まで移動するだけでも半端なく時間かかったんだよ。それまで、ずっと滑走路の端っこに留まらされてたんだ。でも、そんなの今に始まってことじゃなくてさ。ずっと前からそうだったんだよ。受け入れらないって。デンゲイの受け入れには反対だからって、だからオレずっと船に乗って」

 堰を切ったように言葉を並べ立てたセージが最後には口を噤んでしまうと、アイノはいつものように微笑んで言った。

「情勢は変化するものよ。テルミの横槍だってあるんでしょうけど。実は私も詳しい経緯は分からない。協議が始まる前の段階で、もう話はついてたみたいだから。テルミがどんな交渉材料を使って日本側に要求を呑ませたのかは私も知らないわ。でも、決定事項であることは確かよ。竜星群警戒体制に付随しての期限付きとはいえね」

「やっぱりテルミか」

 一転して、セージは頭を抱えたくなった。

 日本国内にいられなかったセージを国外へ連れ出したあの〝おばさん〟、今はちゃっかりと司令官の座に収まっているあの人はいつも無茶苦茶をやるが、時折こうした〝ミラクル〟も起こしてしまう。

 もっとも、それによって発生する滅茶苦茶なリスケジュールで大変な目に遭うのは事務方であり、現場の作業員であり、あるいはアイノであり、そしてセージだった。

「良い方向に考えましょう。確かに小さな一歩だけど、それでも前進は前進よ。日本側も受け入れたということは少なくともその必要性を認めたということでしょ。だったら、堂々と飛べばいいのよ。今まで飛べなかった分まで」

 アイノはそう言うと、セージの代わりに胸を張って、腰に拳を当てるジェスチャーを交えてドリンクに口をつけた。

 そういうコミカルな仕草をしてみせる理由は子供にだって分かるから、セージもなんということはないみたいに腕を横に振ってみせるしかなかった。 

「まぁ、別にもういいよ。決まったって言うんだったら今更どうしようもないしね。だけど大丈夫かなぁ。マナが薄くなったからって勝手に降りて来なきゃいいけど」

「それはあなたの仕事よ、セージ。ちゃんと飛んでいるように言い聞かせて」

「そりゃやろうと思えばできるけどさ」

「安心して、校庭の面積は確認済みよ。テルミだって、日本政府だって離着陸の可否を考慮して、この措置に踏み切ったんでしょうしね。あなたが自分自身に関して命の危険を感じたり、それが必要であると判断される場合には、迷わずあなたの(デンゲイ)を喚んで」

 セージはまたしても耳を疑った。

「ちょっと待って。デンゲイを学校に降ろせってこと?」

「そうよ。他に街中で開けた場所なんてそうそうないでしょ。況して、竜星群が降り始めてしまった状況なら余計にそうでしょうね」

「冗談でしょ」

 セージはもはや驚くより先にげんなりとした。

「あまり深刻に捉えないで。あくまで緊急事態における選択肢(オプション)の一つになったというだけよ。必ずしもそうしなきゃいけないわけじゃない。でも、やらないというのと、できないということでは大きな隔たりがあるんだから、やろうと思えばできるってことだけは憶えておいて」

 アイノが諭すような口振りで言っても、セージは身を投げ出して天井を仰ぐだけだ。

「もうそこまでするくらいなら無理に学校なんて行かなくてもいいんじゃないかな」

「それはダメよ。テルミがあなたになんて伝えたのかは知らないけど、今回の通学任務はあなたの母国に、国連竜星群機関(UNOO)の未成年共辰者(ルミナス)保護プログラムが正常かつ有効に機能していることを示す目的だってあるんだから」

「それは表向きの理由なんじゃなかったの?」

「だったら、なおさら体裁は整えなければならないでしょ。形式は大切よ」

「官僚主義だよなぁ、そういうの」

「事務処理が滞りなく進むから、お金も品物も私たちのポケットに入って来るの。杜撰な管理をしていたら何を判断の根拠にしたら良いのか、そんなことすら判らなくなるんだから、ちゃんとやるべきことはやらなきゃダメよ」

 柔らかい口調でも有無を言わせないアイノの態度に、セージはテルミの悪いところが移っているんじゃないかと心配になったが、セージはもはや徒労感を覚えてしまって、あえて口に出したいとも思えなかった。

 セージがどれだけ各方面のことを考えて、あれやこれやと配慮しようとしたところで、周りの状況がそんなセージに構うことなく、どんどん勝手な方向へ進んでいってしまう。

 それは今に始まったことではなかったが、その感覚は子どもの頃から決して気持ちの良いものではない。ただ、うかうかしていても、船が海原に流す白い航跡のように置いて行かれてしまうだけだ。

 船乗りたちは暇を見つけては、所在なく佇んでいる幼いセージをロープワークの訓練に誘ってくれた。あまり好きというわけでもなかったが、今は無性にもやい結びフィッシャーマンズノットの練習をしたくなった。もっとも、アイノはその時のことを知らないから、セージが気落ちしている理由を別に探してしまう。

「なぁに、学校はそんなに行きたくないところ?」

「別にそんなんじゃないよ。ただ、思ってたより楽しいところじゃないなってだけ」

「それは皆、思ってることよ」

 冗談めかすアイノに、セージはお手上げのポーズをしてみせた。

「それで、テルミは協議の後なにか言ってたの?」

「もちろん、たくさん言ってた。ずっと文句をね。日本側に当事者意識が感じられない、閣僚クラスも一名だけだったし、所管している部局の担当官はともかく、国民全体に危機意識がないせいか、政治家にも全くやる気を感じられないって」

 今度はアイノが肩をすくめる番だった。

「なんでも数か月前に竜星群落下のアラートを誤報で流してしまったそうよ。それで、今度のもまた誤報とか噂だけなんじゃないかって日本の人たちも疑心暗鬼になってるみたい」

「きっと一度だけじゃないんでしょ。オオカミ少年効果だよ」

「慣れてない職員がテストしようと思って、間違って発砲しちゃったって話はどこの国でもある話だけど。それにしたって、一般市民と対応する側で、ここまで意識の差に違いがあると、もしこのまま竜星群落下当日(ゼロデイ)を迎えてしまったら悲惨なんてものじゃない、っていうのがテルミの見方。この国は相変わらずリスクコミュニケーションが全くなってない。パンデミックの時の経験を全く生かせてないって零してたわ。外国人の私には残念だけど深い内情まで見えるわけではないいら、テルミのその観測が正しいかどうかまでは分からなったけど」

 テルミの話に易々と同意するのはセージとしても不本意ではあったが、テルミが言わんとすること自体は理解できた。

「学校でもそんな感じだったよ。言っちゃいけないみたいな雰囲気になっててね。部屋の中のゾウと一緒でさ。気づいてても気づいてない振りをしないといけないんだ。日本には、言葉にして口に出すと本当にそのものが来てしまう、なんて民間信仰があるって何かの論文(ペーパー)で読んだことあるから、きっとそういう影響もあるんじゃないかな。確証はないけど」

「どうでしょうね。でも、学校までそういう雰囲気なの?」

「うん、まぁね。生徒はの方は、なんていうか、自分たちには関係ないし、興味もないし、どうせどうにもできないんだから、余計なこと言ったり言われたりしてイヤな気持ちになりたくないって感じだから。それはそれでどうかと個人的には思うけどさ。でも、まさか教師の方がおかしな思想に嵌ってるなんて思ってもみなかったよ。竜星群は宇宙開発をしたがってるNATOの陰謀だとか、デンゲイは国民に黙って開発された天体兵器で、共辰者はその人体実験の犠牲になった子供ばかりなんだってさ。もう聞いてられなかった。こっちが何も知らないと思って、いい加減なことばかり言って。本当にイヤになるよ」

「そんなことを言う先生がいるの?」

 アイノが信じられないとばかりに目を丸くした。

「いるんだよ、信じられないだろうけど。オレだって、実際に自分が遭遇するまでは信じられなかったくらいだからさ。きっとSNSを間違った使い方して変な影響を受けたんだろうけど、こっちからしたらやってられないよ。ああいうのって規制できないの?」

「ケースバイケースね。もちろんパレンバン条約は竜星被災者や共辰者に対する差別的取り扱いや待遇を禁じているから批准国はそれに対応する法制度を整備しているはずだけど」

「日本だって批准はしてるよ。国内法がどうなってるかまでは知らないけどさ」

「なら特定の個人に直接的な被害を与える制度や行為は規制されているはずね。ただ、陰謀論をSNSで吹聴しているだけなら、それはきっと通信や思想の自由、つまり世界人権宣言の範囲になるわ。自由主義社会のジレンマね」

「はいはい、自由主義のコストってやつでしょ。知ってるよ。でも、テルミじゃないけど、今この段階になって、そんなこと言ってる場合なのかな。何も考えないで、何も準備してないで、それで、いざその時になっちゃったら大丈夫なのかって思っちゃうけど」

「現実に竜星群が降って来たら、みんな考え方を変えてくれるでしょう。少なくとも、そう期待しておきたいところだけど」

「それはそう願いたいし、それを望むのもどうかとは思うけどさ。でも、ああいう人たちは結局変わらないんじゃないかな。意地でも自分たちの間違いを認めなさそう」

「そういう人たちの頭の上に竜星が落ちて来なければいいけど」

 珍しくアイノが辛辣な物言いをしたのでセージは思わず笑ってしまった。見ると、アイノも自分で言っておきながら、あるいはセージに吊られて吹きだしていた。

 ひとしきり笑い合ったところで、アイノは諭すように言った。

「あなたの場合とは違うでしょうけど、イヤな先生なんていつの時代も、どの地域にもいるものよ。私だって、テルミだって、学生時代に嫌いな先生はいたんだから」

「アイノが他の人をそんな風に思うっていうのはちょっと想像できないかな。でもテルミの場合は、テルミが嫌いというより、テルミが嫌われてたんじゃないの?」

「そんなことないでしょう。テルミだって私だって昔は思春期ティーンで学生だったんだから。苦手な先生や、合わない人がいるっていうのは自然なことよ」

「それにしたって、あの担任は度が過ぎてるよ」

「相手にしてはダメよ、セージ。どうせ論理的に反論したって聞きはしないんだから。無理に説得しようとしても気疲れするだけ。それよりもっと建設的な方向に考えてみて。その方が、あなたの精神的な健康にとっても良い方向に働くから」

「建設的な方向性って?」

「そうね。例えば、学校の友達が出来たとか?」

「あぁ、そういう話」

 セージは拍子抜けしながらも、周囲を意味もなく見回した。

「問題ないよ。一応ね」

「良かった。昔から船の上にはあなたと同年代の子がいなかったから、それがずっと気になってたの。でも、ちゃんと友達ができたみたいでちょっと安心しちゃった」

 今一つ歯切れの悪いセージの様子に気づかなかったのか、アイノは目尻を下げた。

「どう、やっぱり同年代の子と話すのは楽しいでしょう。私もヘルシンキのハイスクールに通っていた頃は一日中、友達とお喋りしたり、休みの日はカフェに入り浸って話してから分かるなぁ。セージはもう新しい友達と日本のカフェには行ったの?」

「いや、その、まだ行ってないんだ」

 セージは歯切れ悪く答えた。

「どうして? 日本の高校生は友達とカフェに行かないの?」

「どうなんだろう、行くんじゃないかな。ちょっとタイミングが合わなくて、まだ良く分かってないんだけど。でも、あぁ、そうだ。代わりに牛丼を食べに行ったよ」

「ギュウドン?」

「うん、牛丼。わかるかな。スライスした薄いビーフをオニオンと一緒に醤油ベースのソースで煮込んで、ライスボウルにかけた日本のファーストフードなんだけど」

「それは知ってる。あなたが小さな頃つくってあげたことがあったじゃない」

「あぁ、あの、醬油味のビーフシチューみたいなやつのこと?」

「そうよ、美味しかったでしょ?」

「いや、うん、そうだね。個性的で、他では食べたことのない味だったかな」

「そうでしょう!」

 アイノは悪気もなく(実際、純然たる厚意だったのだが)満面の笑みを見せた。

「でも知らなかった。日本の高校生は親交を深めるのに、友達同士でギュウドンを食べにいくのね」

「まだ分かってないことも多いんだけど、どうやらそうみたいだね。少なくとも男子の間ではかなりポピュラーみたいだったよ。学校終わって、(ジュク)っていうのに行くまで、夕方の時間帯に普段から食べに行くんだってさ」

「なに、ジュクって?」

 セージは自分だって良く知らない概念を、聞いた話を頼りに説明する羽目になった。

「じゃあなに、日本の学生は学校終わった後にもう一度学校へ行くの?」

「らしいよ。随分と熱心だから驚いたけど」

「私だったら考えたくもないかな。学校で勉強して、その後また別のところで勉強なんて」

 自分の腕を抱いたアイノがいかにもゾッとするというような仕草で言うので、セージは思わず笑いを漏らしてしまった。

「アイノでも勉強したくないなんて思うんだ」

「それはそうよ。学生の時だったら尚更ね。大人になったらもうずっと勉強してなきゃいけないんだから、子供の時くらい勉強したくないわ」

 大袈裟な口ぶりに二人は吹き出してしまった。アイノも自分で言っておいて、笑っていた。もちろん、アイノが努力家であることは彼女の友人であれば皆知っていることだった。

「それで、日本のギュウドンはどうだった?」

「ううん、どうだろうね。ちょっと思ってたのとは違ったかな。知ってる? 日本の牛丼ってさ、チーズが載ってるんだよ。出て来た時、どうしようかと思っちゃった」

「チーズ、いいじゃない。おいしそうで」

「いや、ライスにチーズだよ。パンにチーズとは少し違うよ」

「でも日本のギュウドンなんでしょ。故郷の味よ」

「故郷の味って言われても、何も知らないよ」

 そうね、とアイノは少し柔らかい言い方で合間を保った。

「テルミと一緒にロンドンへ行った時、日本式(カツ)カレーを食べたことあるでしょ」

 その時のことはセージも印象に残っている。理由は同行者だった。

「あぁ、あったね。テルミが大騒ぎした時のでしょ」

「そう、それよ」

 ロンドンは金融街でつとに知られる都市だが、それと同時に、あるいはそれ故に、世界中の料理店が集まる街でもある。とあるシンポジウムのために三人でロンドンを訪れた際、折良く時間に余裕が生まれ、市街でランチをとる機会に恵まれたのだが、アイノの希望で日本料理のレストランに入ることになった。

「オレは別になんでも良かったのに、箸の練習にもなるからって連れてかれてさ。それで結局、日本人の国民食だからってカレーライスを注文させられたけど、それ箸は使わないからっていう。それでやっと料理が出て来たと思ったら、いきなり『違う、こんなものはカツカレーではない!』って叫ぶんだもんね。びっくりしたよ」

 出て来た皿を見るなり、血相を変えたテルミが強い調子で給仕とシェフにポークフライを要求した一幕はなかなか忘れようと思っても忘れられるものではない。

 実は、以前にもテルミはカリフォルニアロールという一般的なスシのメニューを「これは寿司ではない」と申し立てたことがあり、数多くある彼女の悪名、異名、綽名の中に「スシポリス」に次いで「カツポリス」が加えられる切っ掛けとなった〝事件〟でもあった。

「そんなに大事なことだったのかな」

「それは大事でしょう。故郷の料理だもの。私だって外国で、サーモンが入ってないロヒケイットが出てきたら、ちょっと文句を言いたくなるかもしれないし」

「美味いサルミアッキでも?」

「あれは臭う方が健康にいいのよ」

 わざとらしく自信満々に告げるアイノに、そう言った本人も含めて二人は吹き出してしまった。


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