第2部 Tokyo Ophionids - 13 - ①
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国連竜星群機関が建造した複合任務執行艦イニシエイト・ロコラは、誰でも一目見ればそれと分かる程度には特徴的な艦である。
無論、同艦の全長300mクラスに迫るサイズは、船舶一般の中では大型の部類に入るものの、単に排水量というだけなら同格以上の艦船は既に存在している。
例えば、軍用船でいえば航空母艦や強襲揚陸艦、商船に限ったとしても、これ以上のサイズになるタンカーやコンテナ船、それに豪華客船は竜星群以前どころか二〇世紀の頃から航海を続けている。更に、海底資源の探査船や採掘船などを含めるのであれば、ロコラより大きな船などいくらでもあると言えるだろう。
それにも関わらず、イニシエイト・ロコラが船舶に詳しくない者の眼にも唯一無二の艦船として映るのは、三胴船方式の甲板全幅に跨る幾何学形状の艦上構造物、平たく言ってしまえば海に浮かぶ巨大な四角錘というユニークなシルエットであるがためだろう。
そのピラミッド状の艦上構造物の頂点には、当然ロコラ第一の任務であるところの竜星群観測に最適化された艦上天文台が設けられているのだが、更にその一つ下の階層にはクルー向けに、展望台を兼ねたカフェが設置されていた。
どんなに胸躍る航海であったとしても、息抜きは必要だ。
それが夢であろうと、野望であろうと、はたまた別の思惑があろうとも、漕ぎ出した海は初めこそ新鮮に見えるだろうが、いずれは変わり映えのしない灰色になっていく。
あとは青い空と白い雲が延々と続いていくだけで、たまに航路を見誤った海鳥が横切っていったり、ひどく暗い嵐が吹き荒れていくくらいが変化と言えば変化だが、後者は決して望ましいものではないし、それも含めていずれは見慣れてしまうものだ。
大都市に住んでいた者なら、洋上で望む満点の星空に感動を覚えることもあるだろうg、それもまた最初の数回が関の山だ。現代人なら尚更、不確かな星の光よりも頼りないWifiの電波を欲しがるようになるまで、そう時間はかからないだろう。
よって、長期の航海を行う大型の船舶なら娯楽施設は不可欠のものとなる。
このカフェラウンジがクルーから人気があるのも、世界中の食文化を反映した多種多様な(アルコール類を除く)飲み物や軽食を提供しているという理由の他に、特に港に停泊している時にはやはり展望が良いから、という理由もあるだろう。
もちろん、各クルーにあてがわれた船室にも小窓はあるにはあるのだが、艦体の耐久性を確保するためと、それ以上に頭上の天文台から発せられる電波と干渉しないために、必要最小限度の面積となっており、艦内に港町の夜景を愉しめるだけの水平連続窓を探すとなると、この場所をおいて他にない。
その展望カフェに、セージは二人掛けの席をとっていた。
時刻は夜八時を過ぎた辺りで、夕食を済ませた当番あがりのクルーが何名も、ささやかな憩いを求めて静かな時間を過ごしている。
セージはカフェラウンジの壁面いっぱいに広がる窓から横須賀の夜景を眺めていた。
日本に来てからずっと学校へ通う羽目になっていたから東京ばかりで、横須賀の夜景を海からじっくりと眺めるのはこれが初めてだった。
とはいえ、日本へ飛行してした時に、目の前の光景を実は空から見ていたのかもしれない。その時は、トーキョーとヨコスカがこんなに離れているなんて思いもしなかったが。
夜の空から見渡せば、墨溜まりの海と光の堤防にしか見えない都市の夜景も、こうして海から臨めばまた少し違った相貌を見せる。
黒い岬や山、そして影の塊となった幾つもの建物で輝く穏やかなオレンジ色の光が、そこに人が生きて、住み、暮らしている証を灯している。
カフェラウンジは夜間、照明を絞って、このせっかくの水平連続窓が粗末な鏡になってしまわないよう気を遣っていた。
それは都市の輝きを求めるクルーにとっては粋な計らいだったが、そのおかげで待ち人がやって来たことに気づけなかったというのは些細なデメリットになるだろうか。
「セージ」
窓に薄く映ったアイノが手を挙げて、セージはすぐに振り返った。
カウンターの傍で良く見知った顔が口元を緩ませて、こちらを見ていたのでセージも笑い返しながら手を挙げて応えた。
ほどなくして、アイノはマイカップを手に向かいの席に座った。
「待った?」
「さっき来たところだよ」
「そう、それなら良かった。あなたは何にしたの?」
「オレはカフェモカ。なんだか甘いものが欲しくて。アイノは?」
いつものコーヒーなのか、と尋ねると、アイノはカップの中身を見せてくれた。
「さくら味のクリームは日本にいる間の限定メニューだそうよ」
「いいね、面白そう」
カフェラテに盛られた薄桃色のソフトクリームを見遣りつつ、セージは肩をすくめた。
日本に来たからと言って桜のフレーバーというのは随分と安直な発想だ。
他に幾らでもあるだろうだろうに。この調子では、次はMt.フジかスシのどちらかだ。
どうせ誰もそれをおかしいとも思わない。
自分に関係のない国へ対するイメージなんてそんなものだろう。
自分が知らないもの、興味のないもの、関わりがないものなんて、そこまで厳密に求めようとも、把握しようとも、理解しようとも思わないものだ。
だいたいセージだって、アイノの出身地であるフィンランドについて詳しく知っているわけじゃない。美しい森と湖、壮大なカレワラ。キシリトールにモータースポーツ。精密機械メーカー。地政学リスク。それから、えぇと、カバみたいな妖精?
ラダマの出身地ならどうか。高原と雨林。バオバブとタビビトノキ、キツネザルとカメレオン。それと幼い時分に訪れた街で見かけた、羽虫が飛び交う焼き鳥の屋台。
セージ自身を含め、誰だって、何に対してだって、案外そんなものだ。
そうして、そこはかとなく不服の色を隠し切れないセージに対して、アイノはいつものように柔和な表情で笑いかけた。
「それにしてもセージ、なんだか久しぶりね。元気だった?」
「それなりにね。アイノはどう? 忙しかったんだろうけど」
「えぇ、それはもう本当に」
アイノはそう言うと、何を思い出したのか急に肩を揺らして笑い出して、口につけたばかりのカップを慌てて遠ざける羽目に陥っていた。
旧知の国連職員が相変わらずの調子でいるのを見て、セージも気がほぐれてきた。
「テルミに無理やり〝多国間協議〟に連れてかれたんだってね」
「そうそう、そうなの。あぁ、ううん、そうじゃなくって。無理やりというのは誤解ね。ほら、日本語がわかるスタッフなんて艦内にはほとんどいないでしょ。私だって前に少しだけ学んだだけだし、あなたもすぐに英語を話すようになったから、日本語を話せるってほどではないけど、それでも全くわからないよりは良いでしょう。少なくともAlphabetは分かる訳だし。なんとなくそうなるだろうなとは思っていたから」
「テルミはさ、アイノに頼り過ぎなんだよ。いくらフィンランド時代から良く知ってるからって、なんでもアイノに言えば済むと思ってるんだ。この艦に乗ってからだって、管制官の仕事までやらされてるのに、それでまた前と同じ感覚で秘書みたいな仕事を回してくるんだからさ。アイノも気を遣わないで無理なら無理って言った方がいいよ」
セージがそう勢い込んでも、アイノは嗜めるようにゆっくりとかぶりを振ってから、小さく口角を上げた。
「セージ。心配してくれるのは嬉しいけど、管制官のことは私が自分で選んだことよ。もちろん、UNOOの職員としての仕事だってあるから忙しくなったのは事実。でも、折角こんな素晴らしい艦のクルーになる機会に恵まれたんだから、自分のできることをもっと広げたい、もっと別の世界も見てみたいって思ったのは私の意志。だから、そんな風に考えないで」
「それならいいんだけどさ」
セージは顔を斜めに背けて頬杖をつき、アイノはそんなセージを微笑って見ながら桜色のクリームをすくったスプーンを口へ運んだ。
「それで、協議はどんな感じだったの?」
アイノはわずかに身を乗り出し、声をひそめて言った。
「難しいところね。少なくとも出席者を見れば錚々たる顔ぶれだったと思う、私はね。テルミはそれでも気に入らなかったみたいで後で文句を言ってたけど」
「アメリカ側も来てたんでしょ」
「えぇ。事務方の高級幹部だけじゃなくて、西太平洋艦隊のトップまで。それに駐日大使も一緒になって来てたのよ。今まで見たことのない事例ね」
「偉い人がいくら集まったって、どうせ何もできやしないよ」
「何言ってるの。偉い人が話をつけてくれるから私たち現場の人間も動けるんでしょ」
「そうかな」
「そうよ」
セージは肩をすくめてみせたが、アイノは笑いながら話を続けた。
「それでね。その大使の方っていうのがなんというか、かなり独特な方でね。今日は通訳で来ました、なんて最初に言って皆を笑わせてたけど、その後も本人がずっと発言してたのよ。日本側にも、こうした方がいい、どうしてそうしないのか、理由がないならそうすべきだ、なんてことまで色々言っちゃって、日本政府の人も明らかに困惑してたし。しかも、テルミまでそれに同調しちゃうんだから大変よ。西太平洋艦隊の司令とマニー首席補佐官が抑えにかかって、相当頑張って軌道修正してたところを見ちゃうと、もうどっちが文官で、どっちが武官なのか分からなくなるくらいよ」
アイノはマグカップを片手に、上機嫌だった。
「そう、これは意外なニュースなんだけど、マニー首席補佐官はその艦隊司令と顔馴染みだったんだって。なんでも共同訓練で知り合ったそうで、かなり親しそうにやりとりしてて、ちょっと驚いちゃった」
「へぇ、それは知らなかったな。他のクルーも知らないんじゃない?」
「きっとそうでしょうね。なんだか得した気分」
昔から少々ゴシップ好きの側面があるアイノはセージの相槌にもにっこりと笑って、上機嫌に話を続けた。
「でも、日本とアメリカ、どちらもの本気度も確かなものよ。日本側は虎の子の対星メガフロートを稼働させる具体的なプランを練っているようだったし、アメリカもアメリカでスクラップ行きだったアーセナルシップを呼び戻してるってことだったし。テルミはそれでもまだ不満だったみたいだけど、さすがに口には出さなくて、そのおかげで竜星対応の段取そのものはかなりスムーズだったんだけどね。ただ」
アイノはそこで急に表情を引き締めて、殊更、声をひそめて言った。
「会議中の空気はすっごいピリピリしてた。周りの国から飛行機が飛んで来てるみたいでね。会議中にもひっきりなしに連絡が入ってきて、中断したこともあったし」
セージは眉をひそめて、マグカップに口を付けた。
「まぁ、そうだろうね」
どこの国へ行ってもだいたいそうだった。今回もまた同じらしい。
「竜星群は世界共通の問題なのにさ」
「あなたの前であまりこんなことは言いたくないけど、誰かの悲劇は誰かの喜劇なのよ」
「なんだよ、それ」
「そう考える人もいるってこと。もちろん、そうじゃない人もたくさんいるし、少なくとも私たちはそうだと信じているけど。それでも、困った人たちが一定数いるのも現実なの」
「じゃあ、多国間協議なんていうのも無意味に終わるってこと?」
「そうは言ってないでしょ。そもそも今回は、竜星群が落下を始めたらどう対応していくのか、基本的なフローを互いの高級幹部が確認し合うことがメインだったんだから。テルミは今の段階になって、そのレベルなのかって怒ってたけど、次回以降の実務者レベルの教義になってからが本番よ」
随分と悠長な話だ。
何となく想像はついていたし、期待できないことなんて分かっていたはずだったが、それでも少なからず落胆している自分がいることはセージにとって驚きだった。
「ステファンたちが天文班を代表して出て来てくれた理由の一つには、会議の後に日本の国立天文台へ行ってもらって専門的な話を詰めてもらう必要があったからなの」
「じゃあ、ステファンはまだ戻ってきてないってこと?」
「えぇ。なにか約束でもしてるの?」
「大したことじゃないんだけどさ、預かり物をしてて」
「なら一週間は先になるでしょうね。リモートではやり取りしづらい技術的な問題が幾つか残ってるってことだったから。〝伝声管〟で連絡してみたら?」
「もうしたよ。艦に戻ってからで良いってさ」
「なら仕方なし。なんでも優先順位をつけて対応していかなきゃいけないの」
「急ぎでもない郵便物より竜星群の観測に優先順位がある。わかってるよ」
「そういうこと。対応するにもしないにしても落下の兆候を掴まないことにはどうしようもないし、来るなら来るで落下予測地点が分からないと動きようもないから」
竜星群の落下は、その流出点(通常の流星群に見られる放出点とは区別される。)の観測をもって確認される。
ロコラの艦上観測台も含め、活動を再開した世界各地の天文台は、国連宇宙平和利用委員会《COPUOS》の|InternationalAsteroidWarnningNetwork(これは、竜星群以前の時代から隕石防衛を目的に発足していた団体だった。)として夜空の哨戒を協同実施し、地球のどこかの空に流出点が現れていないかどうか、探索を続けている。
その成果はリアルタイムに国連竜星群機関とも共有されており、現実に流出点が現れ、人々が住み暮らす地域へ、その落下が懸念されるのであれば、UNOPはただちに、国連宇宙局や国際天文連合と連名で当該国へ通報し、対応行動を勧告することになるし、そこがインド太平洋地域(海域)であれば、コーチ協定に基づき、イニシエイト・ロコラも実働隊として急行することになる。
そうしたフローや情報共有の仕組みは、制度的にも技術的にもテルミたちがこれまで続けて来た活動の成果であって、身近でずっと見てきたセージも良く知るところだ。
もっとも、UNOPはあくまで国連機関の一つであって超国家機関ではないのだから、イニシエイト・ロコラもまた現地政府側の呼応なくして独自の行動をとることはできない。
「日本では、竜星群への対応をどうやって法整備するかってことで、かなり揉めたみたいね。竜星群は災害なのに安易に防衛力を行使してしまってよいのか、仮に災害だとしたら落下が予想される地方政府の知事からの要請で出動することになるのか。そういうことで議論になってたそうよ。資料は英語と日本語で二通りあったんだけど、日本語の方には詳しく書いてあったの。久しぶりに日本語の勉強と思って読んでみたんだけど、後でテルミに訊いたら苦い顔してて、余計なこと言っちゃった」
ぶすっとしたテルミの顔を思い出したのか、アイノは苦笑しながら続けた。
「でも、さすがにそれじゃあ、いざ竜星群が落下してきた時に対応が遅すぎるってことにはなったみたいね。そこで、他の国から何か飛んできた時と同じ解釈をして対応するって方針にしたら、今度は竜星群を軍事扱いするな、政治利用するなって大騒ぎになったらしいの。どこの国でも、悪いことをしなければ竜星群は落ちてこないって信じてる人はいるけど、日本でもそういう人は多かったのね。その辺りのことは前に国際ニュースで見たことがあったから憶えがあるなって思っちゃった」
たしか内閣が総辞職したとか、そういう話よね。知ってた?
訊かれたセージは知らない振りをして、できるだけ興味なさそうに首を横に振った。
「仕方ないか。貴方はまだ子供の頃だったから」
アイノは小さく微笑むと、すぐに話を戻した。
「他にも議論はあったみたいよ。国連機関とはいっても国外で集団で対応することに問題があるんじゃないかとかね。ロコラを建造して、海岸線を共有する国々で竜星群への対応も共有していこうと推していたのは日本人のテルミだったのに皮肉な話ね。これに関しては、本人も口には出さないけど大変な思いをしたんじゃない?」
「さぁ、どうだろうね」
セージはできるだけ関心がなさそうに首を傾げてから、すっかり温くなってしまったカフェモカの残りに口を付けた。
「なにはともあれ、今はロコラも日本の艦隊と一緒に動けることになったんだから一安心ね。そうじゃなかったら私たちはそもそもこの横須賀へ入港することもできなかったわけだけど。ただ、制度を整えたからって対星装備が降って湧いてくるわけじゃないもの。二〇世紀の後半に栄華を極めたかつての技術大国でも、予算と生産設備、それに熟練工の不足に悩まされていたのは世界中の国と一緒だったのね。資金の出どころは同じにしても、別枠の予算でロコラが対星設備を確保して持ってきてくれたことについては日本側からしても助かるっていう認識はあるみたい」
「勝手だよ。厄介者扱いしておいて、困った時にはよく来てくれたなんてさ」
セージがぼやくと、アイノは微笑んだ。
「そう? 日本人のテルミが国連の事務所という事務所を走り回って、更にその予算の半分近くを故郷の日本から引っ張って来て、ようやく出来上がった制度で、最初にその故郷を守ることになるなら、収まるべきところに収まったんじゃない?」
そう言われても釈然としないものはしなかった。
むすっとした表情で窓の方を見ているセージを見ながら、アイノは両手でマグカップを傾け、微笑む口元を隠した。
「とにかく、そういうことだから、セージ、あなたにとっては悪い話になるかもしれないけど、この艦も明日から日本とアメリカの艦隊に並んで沖に出ることになったの」
「随分、急だね。もう艤装、というか対星特装の調整は済んでるの? 火器班はまだ作業中で間に合ってないみたいなこと言ってたけど」
「テルミの判断よ。火器班には悪いけど海上で作業を継続してもらうことになるわね」
「また勝手なこと言って。大丈夫なの、それ?」
「艦隊運動の訓練をしないわけにもいかないでしょ。本番で竜星群に当たるより先に他の艦にぶつかってたら大変よ。この点に関してはシュクラ艦長もマニー首席補佐官も同意見。御三方が揃って同じ結論を出したなら私たちが文句を言うことなんてないんじゃない?」
「そりゃそうかもしれないけどさ」
セージは頭の後で手を組んで、そこでふと別の影響に思い至った。
「そっか、それじゃあオレの通学任務もここで終わりか」
「その点は安心して。ちゃんと夕方には戻って来て、朝まで横須賀港にいるから」
「なんだよ。別に要らないよ、そんな配慮。ますます通学バスじゃないか」
セージは大袈裟に溜め息をついて見せたが、アイノが次に口にしたことからすれば些細な問題でしかなかった。
「それと、あなたのデンゲイもトーキョーの上空に待機させておくことになったから」
「え、噓でしょ?」
突拍子のない話にセージは耳を疑った。




