第2部 Tokyo Ophionids - 9
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布良セージとしても、担任の教師に滅茶苦茶な主張をされて言いたいことはいくらでもあったが、それ以上に、安海ナオが俯いたまま何も言わずにとぼとぼと歩いていくのを見て、セージも声をかけないわけにもいかなかった。
セージはできるだけ言葉を選んで、竜星群にまつわる様々な誤解や偏見の問題を離してみせた。あまり詳しい話をし過ぎても、きっと簡単には理解してもらえないだろうと思ったから、できるだけ平易な表現を心掛け、それこそ国連竜星群機関が一般向けに用いているような説明を(メディアによって日本国内でも盛んに報じられたであろう世界的なトレンドになった実例を交えながら)したつもりだった。
特に、セージ自身に関わることは、出来るだけ客観的な〝フツーの人〟の視点から見た話になるように心掛けたつもりだったが、やはり当事者にはそれが難しかったし、うまく出来たかどうかは分からない。兎にも角にも、セージなりに苦労して、慰めの言葉をかけたつもりだったし、今後の対処についても方針を示してみせたつもりだった。
ところが安海ナオはすっかり意気消沈して悄気かえっていたのかと思いきや、いきなり一人で走り出して、そのまま去っていってしまったので、セージは唖然としてしまった。
全くもって意味が分からなかった。虚をつかれて、咄嗟に体も動かなかった。
後を追いかけようと思ったが、急な脱力感に襲われてセージは靴箱を出たところで立ち止まってしまった。脳裏をよぎったのは、以前アイノとマリアがWEB配信されているドラマの話題で、追いかけるべき時とそうでない時があると話しているのを横で聞いていた時のことだった。
少々文脈が異なる気もするが、今は追いかけるべき時ではない、とセージは解釈することにした。溜め息をつきながら気の抜けた足取りで駐輪場へ向かった。
安海ナオが逃げるように去っていったタイミングは、セージがちょうどデンゲイと共辰者について言及した時だった。
傍目に見ても何か触れられたくないことがあるように見えて、事前情報通り、安海ナオはやはり例の竜星カルト団体と繋がりがあるのだろう。少なくともその説は補強された。
だが、安海ナオについて分かったことはそれだけだ。
これまで学校へ通う中で、それとなく周囲の様子を伺ってみたが、クラスではほとんど孤立している状態らしく、他のクラスメイトも彼女については話したがらず、明確に避けている節が伺えた。
かといって本人に探りを入れようにも、安海ナオは昼休みになると何処かへ行ってしまって、話しかける機会をなかなか見つけることができない。たまたま、ふらりと立ち寄った校舎の隅にあるテラスで彼女を見つけられたのは本当に偶然だった。
もっとも運が良かったのはそこまでで、あれから色々と話しかけてはみたものの、まるで要領を得ない。というより会話がうまく成立しなかったという方が正しいだろう。
このままではとてもではないが、文化人類学者のチャールズが言っていたラポールの形成というところまでは道のりが険しいと言わざるを得ない。
助っ人でも頼みたいところだったが、テラスの辺りまでやって来た人と言えば、一度きり姿を見せた三年生の男子だけだ。
あの場にあのタイミングで現れたということはきっと親密な仲なのだろう。
しかし、マニラという都市名を口走ったこと、それと安海ナオに対する態度は注視を要するものに思えた。少なくとも、ラダマがこっそり交際している(少なくとも当人はそう思っている)ニューオーリンズ出身の航海士と話している時の態度とはまるで違っていて、そこのところがどうにも気になった。
今回の通学任務において、一日の終わりに簡素な完了報告をテルミに直接あげることになっているが、念のため、このことは記しておいた。
クラスメイト達から聞く限り、あの三年生は成瀬アケルという名前で、校内では有名人らしい。成績優秀、スポーツでも活躍のシーンをしばしば作り、更にファッションセンスにも優れ、見た目も良いため、校内美男子コンテストでは三年連続で優勝した、という。
SNSでも積極的な発信を続けていて、最近ではWEBメディアにも一〇代の代表として取り上げられ、ますます知名度が高まっているとのことだった。
そこまで詳細が分かったのは良かったが、困ったことにセージの二週間近い通学任務の中で判明した点はそれくらいのものでもあった。
肝心の安海ナオよりも、その周辺に一度だけ現れた三年生のことばかり情報が出てきてしまう。率直に言って、成果らしい成果は何も挙げられていない状況だ。
駐輪場に着いたセージは自転車のロックを投げやりに外して、やる気なくハンドルを手で押しながら、校門までタイヤを転がしていった。
夕方とは言っても空はまだ明るかった。
9月はまだ夏だった。
高層ビルに切り取られた額縁のような頭上に、星の光も月影も見出すことはできない。
仮に陽が沈んだとしても、大した夜空は望めないだろう。
二〇世紀の後半に繁栄の頂点を極めたというトーキョーの街は、今でも現在進行形でアジア有数の大都市ではある。
確かに、登下校の間に見かけるトーキョーの街並みは、映像資料で見たことのあるネオンサインで光り輝くパンデミック以前の光景とはかけ離れていたが、それでも、ささやかな街灯と、控えめに点灯する店先の看板、企業のロゴサイン、それに引きも切らない自動車のライトで引き延ばされた蒸し暑い夜は、往時の姿を偲ばせるに十分なものだった。
銀画の再掲も過去の話になりつつある。
今頃、艦では皆が昼夜の区別なく準備に追われているはずだった。
補給班の物資積み込みは目処がついたということだったが、火器班は対星ミサイルの最終調整で大わらわだし、航空班と救急班もいざという時に備え、綿密な打ち合わせと出来る範囲での演習を繰り返しているという。言わずもがな、天文班はケアンズを出港した時から〝当日〟まで各国の天文台と情報共有を進めながら竜星群の動向を探っている。
テルミたちも現地政府側との協議を終えて、そろそろ艦に戻って来る頃だった。
一方、学校ではどうかと言えば、中間テストと、中止になってしまったという修学旅行の話題で持ち切りだった。修学旅行に行けなくなってしまったのは一学年上の二年生たちで、先輩たちが可哀想だけど、来年自分たちの番になってもまた中止になってしまったらどうしよう、とクラスメイトたちは嘆いていた。
担任の教師も思想が強いタイプだと思ってはいたが、さっき呼び出された時はさすがに問題点に気づいて善後策について協議するのかと思えば、極めて消極的な話に終始して、それどころか侮蔑的な表現まで言われて、あそこまで話が通じないのは想定外だった。
それに、安海ナオは言い返すどころか、ずっと俯いたままで一言も喋らなかった。
セージがどれだけ声をかけてみせても、返事一つなかった。
安海ナオはあのままで、いや、このままで本当に良いと思っているのだろうか?
学校に来ている時と艦に戻った時とで。
一緒にいる人々の空気や感覚が違い過ぎて、風邪を引きそうだった。
そうして、セージは自転車を押しながら一人、空を見上げていた。
だから、駅までの道すがらに突然声をかけられた時は少々驚いてしまった。
振り返ると、見覚えのある二人組がジャパニーズファーストフードレストランの前に立っていた。クラスメイトの中でも、言葉を選んで言えば、特に地味なタイプの二人で、確か名前はそれぞれ太田と細川といったはずだ。
二人の同級生ははセージが慌てた様子を見せると、顔を見合わせてニヤニヤと笑った。
セージも情けない姿を晒してしまったところを取り繕おうと、努めて明るく元気の良い声を出して言った。
「やぁ。二人はこんなところで何をしてるの?」
太田と細川はまたも顔を見合わせて小声で何かを示し合った後、太田が代表するようにぼそぼそとした声で提案してきた。
「ウチらこれからメシにするけど、どう?」
セージが背後を返り見ると、そこには和食ファーストフードの店舗がひっそりとライトを灯して営業中を示す看板を照らしていた。
視線を二人の同級生に戻すと、太田も細川も黙ったままセージの反応を伺っていた。
そういえば東京に来てから、まだどこかの店に入って食事をするということをしていなかった。それを思い出したセージはおもむろに頷いた。
すると、二人は「じゃ、入ろう」とだけ言って店に入っていった。
セージも自転車を折りたたんで中に持ち込もうとすると、顔を出した太田が「外に置いておいて大丈夫だから」と言った。
「盗まれると困るな」
セージがそう言っても、太田は遅れて顔を出して来た細川とまた顔を見合わせて低く笑うと「鍵をかけておけば大丈夫」とだけ言って引っ込んでしまった。
セージは悩んだが、ひとまずローマではローマ人のするようにしてみることにして、タイヤのロックだけはかけてから二人に続いて暖簾をくぐった。
店の入口付近には券売機があったが、太田と細川はその前を通り過ぎて、さっさとカウンター席に向かって行ってしまった。
ちょうど人数分の席が空いていたので、セージは二人と並んで腰かけたのだが、太田も細川も例によってニヤニヤと笑いながら互いに言葉を交わしつつ、スマートフォンを操作していた。何をしているのか、と訝しく思ったが、どうやら良くあるカフェと同様に、アプリから料理の注文ができるようだった。
セージも二人に声をかけてアプリを教えてもらい(幸いアプリは英語にも対応していて慣れ親しんだ言語を選択することができた。)、同じようにしようとしたが、いざ注文するとなると思った以上にメニューが多く、何を選んだら良いのか分からず、おとなしく二人が選んだ料理を聞いて、深く考えずにカートへ放り込んだ。
しかし、いざ決済となると、画面に表示される決済サービスが全てローカルなものでセージはまたも選択に窮してしまった。普段使用しているモバイルウォレットやスマホ決済サービスは全て対応していなかった。
そうなると、もう店の入り口にある券売機でチケットを購入する他ないようだった。
セージは仕方なく財布を取り出して席を立った。
券売機を操作している途中、何を注文するんだったか分からなくなって、また二人のところへ行って画像を見せてもらわなくてはならなかった。
何もかもが嚙み合っていなかった。
チケットと釣銭を得て席に戻ったセージは溜め息を漏らしてしまった。
すると、太田と細川はまた顔を見合わせ、ニヤニヤと笑った。
どうしてこの二人が、安海ナオとはまた違った様態で、他のクラスメイトから距離を置かれているか、少しだけ分かった気がした。




