第2部 Tokyo Ophionids - 7
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とにかく静かに、そっとしていてほしい。
変に絡んだりきたりして注目を集めたりしないでほしい。
ナオの心境とは裏腹に、転校生はその後も自由な行動をとり続けた。
三年生とのことがあったのだから、もうやって来ることはないと思っていたのに、次の日の昼休みにも、顔も見たくもなかった人が何事もなかったかのようにひょっこり顔を出してきた時、ナオは絶句してしまった。
そして、もう絶対に無視することにした。
できれば他のところに行きたかったけど、この半年近くの間に校内で他に行き場所なんて無いことは良くわかっていた。
ナオがそんなつもりでいることも知らないで、件の転校生は一人勝手に喋り続けていた。
ナオが小鳥たちにパン屑を与えていると、安易に観光客が野生動物へ餌をあげてしまうと、悪い意味で人慣れしてしまって、人身被害を引き起こしてしまうことがあるとか言い出して、果てには、アラスカの自然や文化、星空の撮影で知られていた有名なカメラマンがシベリアで餌付けされていたクマに食い殺されてしまったみたいな実例まで挙げて来て、ナオは気分が悪くなってしまい、ムリと思ってしまった。
転校生がそんな風に自由気ままで、とぼけた言動を見せるのは昼休みだけではなかった。
ある日のホームルームもそうだった。
政府の広報資料だというチラシみたいなプリントを抱えてやって来た担任の教師は「配れと言われたので仕方なく」皆にそれを配り始めた。
あまり気分が良くない、やる気も出ない朝の時間帯。
誰もがSNSのやり取りや隣の席に座る友達との談笑にうつつを抜かしながら、前から後ろにプリントを回した。これくらいタブレットにしてよ、と文句を交えながら。
「先生もそう思います。政府は未だに電子化を真剣にやろうとしてない」
苦笑しながら、担任の教師も皆の文句に同意した。
「この内容だってそうでしょ。もっと真面目に考えてほしい。本当に形だけ、やってる感を出してるだけ。なにこの『竜星群が降ってきたらどうする?』って」
担任が、プリントのオモテに大きく描かれたポップなマスコットキャラクターの台詞をおどけた調子で読み上げたので、教室には笑いが広がった。
「じゃあ、転校生の布良君。竜星群が落ちて来たら、あなたはどうしますか?」
「隠れます」
わざわざ立ち上がって即答した転校生に失笑が広がった。担任も笑っていた。
「隠れるってどこに?」
「近くの物陰に」
「竜星群が降ってきてるのに?」
クラスの〝ウケ〟をとれて気分が乗って来た担任がわざわざ子供を諭すような口調で言ったから余計に笑いの波が教室に溢れた。
「怖いのは本当に同じことが書いてあるんですよ、この政府のフライヤー。隠れたってムダでしょ。子供だって分かりますよ。こんなの何の意味もない。よく平気で出せますね。もっと他に考えること、いくらでもあるだろうに。政府は何もできませんって自白してるようなものじゃないですか。結局ね、政府も政治家も、とにかく権力者って連中は国民からお金を奪うことしか考えてないんですよ。ろくにやるべきこともやらないで、自分たちの利益しか考えてない。皆さん、とにかく竜星群なんて降って来ちゃったら、すぐ逃げてくださいね。権力者の言うことなんてゼッタイ聞いちゃダメですから。迎撃する、とかなんとか威勢の良いことだけは言ってますけど、そんなの無理に決まってるんだから。命が一番大切なんですよ。自分の命が最優先。それなのに、政府はいかにも聞こえはよさそうな、ウケがとれそうなことばかり言って。フツーに考えて、隕石に人間なんかが勝てるわけないじゃないですか。自然に逆らっちゃダメですよ。ムダな抵抗したって何の意味もない。それなのに、権力者たちは一般の人たちに無茶苦茶やらせてる間に自分たちだけ、さっさと安全な場所に逃げるつもりでいるんですから。ホントにくだらないですよ、こんなの。布良君も隠れてないで、早く逃げてくださいね」
担任が話の〝オチ〟に転校生を持ってきたので、皆はまた笑った。
それなのに、転校生はまだ立ったままでいて、しかも至極真面目な顔で口を開いた。
「竜星群が直接、地表へ落下する事態は実はレアケースです。竜星が地面に衝突する際に急減速がかかる現象は観測されていますし、実際にはその多くが落下の途中で、星体崩壊を起こして空中で分裂爆発します。竜星災害の大半はこの時に生じる衝撃波や熱線が原因です。破壊された建物や窓ガラスの破片が飛んできて大怪我をしたり、ひどい火傷を負ったりする人が出ます。運悪く、音速を越える竜星体の破片に当たってしまったら、もっと悲惨なことになる。そんな時に遮蔽物が一枚あるだけで命が助かるかもしれないんです」
転校生が引き下がらず言い返してきたのが気に入らなかったのか、あるいは苦笑を漏らす子がいたせいか、担任は顔をしかめてクラスの新顔をたしなめた。
「君ねえ、そんなのは政府がやるべきことなんですよ。だいたい、初めから竜星が降って来ても大丈夫なようにしておくのが政府の仕事でしょう。降って来るなら降って来るで、そういう大事なことはもっと早く国民に知らせれば良いんですよ。まったく、都合の悪いことはなんでもすぐ隠して。国民の知る権利を侵害してる!」
止せばいいのに(ナオとしては、本当に止めて欲しかった。隣の転校生が注目されてしまうと、皆が自然とナオの方を見ることになってしまってナオまで視線を集めてしまっているみたいでイヤだった。)、転校生は担任の話を遮って更に言い返した。
「世界全体で、天体観測が規制を受けたり、自粛したりする傾向にある中で、竜星群の精密な落下予測は困難です。落下が確認されて、警報が発せられた時には既に逃げる時間がないかもしれない。自分が今いる地域へ竜星群の落下が観測されたら、自分自身の身を守るためにも、まず近くのどこでもいいから身を隠せる場所に隠れるべきです」
教室に大きな笑い声があふれた。さっきから転校生の口ぶりはまるでテレビのお堅いニュース番組に出て来るアナウンサーのようで、全然高校生らしくなかった。
皆が転校生を笑ったからか、担任は気を取り直すと殊更呆れたように言った。
「いるんですよねぇ、そうやって何かにつけてすぐ天体観測とか宇宙開発を再開しろ、って言い出す火事場泥棒みたいな人たちが。人間なんかが良く分かりもしない科学技術を振りかざして、神様みたいになったつもりで。それで程度の低い政治家たちは文化も芸術も全く理解しないから、金儲け優先で大企業に仕事をやってばかりで。そんなんだから竜星群が降って来るようになったんじゃないですか。これはね、天罰なんですよ。いや、政府がちゃんと国民を守ろうとしてないんだから、ほとんど人災でしょう。それなのに懲りて反省するどころか、デンゲイとかいう竜星から出て来たとか言って、本当かどうか知らないけど、生き物なんだかそうじゃないんだか良く分からない化け物まで自分たちの利益のために利用しようとしてる。まったくどこまで意地汚いんだか。人はね、清く正しくいるのが一番なんですよ。欲をかいちゃダメ。そんな悪いことを考えるくらいだったら貧乏のままでいいんです」
生徒にもデキる子やデキない子がいるように、先生にも当たり外れはある。ナオたちのクラスの担任は〝外れ〟と言われていたから、とにかくメンドクサイことを言い始めたら聞いている振りをしながら無視しておくのが一番だと誰もが知っていた。
それなのに転校生はそれを分かっていないから余計なことを言う。
「理解できません。竜星群は現実の天体災害であって、宗教や道徳上の概念ではありません。誰かのせいで起きた現象ではないし、デンゲイどうこうだって、竜星群の被害を最小限に抑えようというトピックに直接的な関係は」
「いいから、君はもう。ちゃんと勉強して。早く座りなさい」
いい加減うんざりした様子で先生が遮り、皆が笑った。
転校生はまだ納得していない様子だったけど、再び先生から促されて渋々と席に座った。
「あぁもう。日本に比べて海外は進んでる、という話をしようと思ってたのに、どうしてこうなっちゃうかなぁ」
担任がいかにも困った風にぼやいてみせたのでクラスにはまたしても笑い声があふれた。
転校生はずっとそんな調子だった。
普段はいかにも帰国子女みたいなとぼけた言動をするくせに、どうしてそこで反応するのか、他の子たちからすると全く良く分からないところでムキになったりする。目立とうとしてやっているのか、こだわりがあるアピールをしたいのか。
そういうところに反感を持つ人もいたりするし、もちろん、そこまで悪しきざまに捉えてしまうような人はごく少数でも、とりあえず空気の読めない人だというのが、なんとなくクラスメイトの間で共有される転校生への認識になりつつあるみたいだった。
だから、初めの頃は英語ですごいスピーチがデキたり、理系科目だけでなく世界史や地理といった文系科目の一部までデキたり、それに運動まで得意だったりして、人気が出そうだったのに、転校生は自分のおかしな言動でそれを台無しにしてしまって、皆からも少し距離を取られ始めていた。
もっとも、周りからどう思われようと、皆から笑われようと、担任の先生から嫌われようと、転校生本人は全く気にしていないみたいだったけど、ナオからすればもっと気にしてほしかった。
別に転校生がどう評価されようと、どうだっていい。
転校生の変わった言動も、クラスメイトたちの相変わらずの反応も、ナオにとっては全てが上辺だけで、どうせムダに終わってしまう、無意味なやりとりでしかなくて、そんなバカバカしいやりとりはナオと関係のないところで好きなだけやっていればいい。
ただ、クラスで浮いてしまっているナオと、その隣の転校生までそういう風になって来ると、話は変わって来る。席が隣というだけで、なんだか同じような括りのものとして一緒くたの扱いになってしまいそうで、想像するだけでも無理だったし、そう思えばこそ、昼休みまで転校生が勝手にナオの居るところへ来ているところをクラスの誰かに見られたりしたら変な勘違いをされそうでイヤだったので、いい加減、転校生には痛い目を見てほしいだけだった。




