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第1部 Night Flight - 12

 *


 すぐに次の任務が与えられるとはセージにも予想できた。

 観測班の予測結果を待つまでもなく事態が差し迫ったものであることは明白であったし、この艦のクルーになった以上は望むところとさえ思ってもいた。

 しかし、いざ与えられた任務が期待していたものとはまるで違うものであったとなれば、簡単には納得できそうになかった。もちろんクルーであるのだから飲み込まなくてはならないのだが、少なくとも他のクルーたちと苦楽を共にするものではない。

 セージは彼個人に割り当てられた居住区の船室へ戻る気にもなれず、やる方なく格納庫(ハンガー)へやって来て、そのままデンゲイの(ヌクレオ)へ潜り込んだ。

 そうして、やる気もなくチェックシートを確認している振りをしていると、ラダマが近づいてきて、タブレットに視線を落としたまま声をかけてきた。

「何が不満なんだよ」

「なんでもないよ」

「なんでもないんだったら、なんでそんなとこでウダウダやってんだ」

「チェックシートの続きをしてるんだよ」

「だったらいつも省略しないで、最後までやってほしいもんだな」

 セージは舌を巻いた。見ていないようで良く見ている。

「それで、何を言われたんだ?」

 言いながらラダマは相変わらずタブレットに表示されたレポートにチェックを入れる作業を続けていた。セージは観念してチェックシートを表示したARスクリーンのプロジェクターを切り上げると、身体もシートに投げ出して言った。

「行けってさ」

「どこに?」

「学校だよ」

「いいじゃねぇか」

 ラダマはタブレットから顔を上げずに、それだけを言った。少しだけ頭を傾けて、その横顔を見たセージは思わず舌打ちしそうになって、やっぱり体を起こすことにした。

「いいわけないだろ。何で今更学校なんだよ。なんでそんなとこ行かなきゃいけないんだ」

「行けって言われたんだから行きゃあいいじゃねぇか」

「他の任務はどうするんだよ。イニシエイト・ロコラは国連の対星プラットフォームだから東京まで出てきたんであって、通学バスじゃないんだ。極東方面にいつ竜星群が降って来るかも分からないっていうのに、呑気に学校なんて通ってられるわけないだろ」

 セージは格納庫にいる他クルーの目を気にしながら、ラダマにそう食って掛かった。

 もっとも周囲のクルーはみな自身が受け持った作業や打ち合わせに集中していて、デンゲイの腹回りで起きている会話を意識すらしていない様子だった。

「あのな、セージ。そんなことは誰だってわかってんだよ。それでも行けって言われたってことは、テルミや艦長、それに海軍から来た眼鏡のおっさんの三人が考えて必要だって判断したってことなんだろ」

「わかるもんかよ、そんなの」

 セージが口を尖らせると、ラダマはタブレットに口を苦笑の形に曲げた。

「行きたくないのか?」

「だから、そういうんじゃないんだよ。別に行く必要なんてないし、今はそんなことしてる場合じゃないって言ってるだけで」

「だが勉強しなかったら仕事にならねぇぞ。オレたちだって三角関数は使うんだからな」

「tan1。が無理数だっていうのは聞いたよ」

「良く知ってるじゃねぇか。お前がガキの頃から一緒に船に乗ってた研究者やら学者やらに英才教育を受けてたって話は本当みたいだな」

「英才教育かどうかは知らないけど、色々教わったよ」

「だから学校には行く必要はないって?」

「とっくの昔に知ってることを今さら勉強もクソもないだろ。しかも、竜星群がいつ降って来るかも分からない状況でさ。それにコイツのことだってあるんだし」

 セージがデンゲイの内壁を小突いてみせると、ラダマは横目でその様子を一瞥した。

「別に今はもう、ちょっとくらいデンゲイから離れてたって平気なんだろ」

「そりゃ一日や二日は大丈夫だよ。あんまり良い気分はしないけどさ。コイツだって勝手に動き出したりはしないよ。ケアンズにいた時からそうだったろ」

「良い話だ。成長してるってことだ」

 ラダマの口振りにセージは顔を顰めた。何か根本的な誤解があるとしか思えなかった。

「なんか違うんだよな。そういう言われ方、っていうか思われ方がさ」

「今まで出来なかったことが出来るようになった。それが成長じゃないって言うんだったら何だって言うんだ。お前自身はどう思ってるんだ?」

「そうだけど、そういうことを言ってるわけじゃないんだよ」

「心配するな、お前が言いたいことは分かってる」

「分かってないだろ」

 セージはぞんざいな物言いに食って掛かったが、ラダマ自身は態度を変えなかった。

「分かってるさ。少なくとも理解はしてる。共辰者の生理に関する論文(ペーパー)をいくつか読んだんだからな。この艦にいる人間にしたって陸のヤツらに比べりゃ理解はあるだろうが、論文まで目を通すヤツはそう多くはないだろう。んで、その論文に書かれていたのはデンゲイと引き離され、隔離された共辰者の精神に起こった変調、明らかな体調への影響。オレたちフツーの人間の肌感覚としては全く想像もつかないものだが、それでもあれだけ入念なサンプリングと客観的なデータ、冷静な分析を読まされたら理解できなかったとは言えないもんさ。テルミたちだって、それを根拠に日本政府と交渉して、お前を保護したんだろ。違うのか?」

 その話をされてしまったら、セージは口ごもるしかない。

「とは言っても、確かにオレたちにはお前たち共辰者に世界がどんな風に見えているのかは分からない」

「なんだよそれ」

「逆に一度きいてみたかったんだが、お前には分かるのか、フツーの人間のことが」

「別に共辰者として生まれてきたわけじゃない」

「そうだろうな。だが、それをどれだけの人間が知っていると思う?」

「そんなの」

 それこそ分かるわけない、とセージは言いたかった。

「お前だって、この相棒と一緒になってから今までずっと船に乗って、色んな人間を見たり、聞いたり、会ったりしてきたはずだ。そいつらは全員が全員、お前やお前の相棒のことをちゃんと理解していたのか」

「知るわけないだろ、他の人がどう思ってるかなんて」

 それがわかるんだったら、誰だって苦労はしない。

「そりゃそうだ、誰だって皆ちがうんだからな」

 煙に巻いたような言い方をされて、いい加減セージも苛々していた。

「さっきからなんなんだよ、何が言いたいんだ?」

 ラダマはタブレットにチェックサインを入れつつ、肩をすくめて答えた。

「人間っていうのな、セージ。結局、自分のことくらいしか分からないもんだ。いや、自分のことすらも分かってないというのが正直なところだろうが、まぁそれは今はいい。とにかく人間っていうのは自分と似たような相手なら日常的な感覚として共感できるし、同じ仲間だと思える。だが、そうじゃない相手には共感できないわけだ。だったら理解するしかないだろう。そうじゃなかったら、そうできなかったら、この艦だって色んな国の色んな人間を乗っけて、それどころか竜まで乗っけて、まともに運航できるはずがない」

「だから、それとこれに何の関係があるっていうんだよ」

「わからないか?」

「わからないから、訊いてるんだろ」

 セージが少なくない怒りを込めて言うと、ラダマは聞こえるように溜め息をついて、ようやくタブレットから顔を上げた。

「いいか、セージ」

 ラダマは半目で睨むような視線を寄越して言った。

「世の中には学校に行きたくたって行けねぇヤツがいくらでもいるんだ」

「お説教かよ」

「そうだ、お説教だ」

 ラダマは核珊の縁に両腕を乗せて、セージを真正面に捉えた。核珊(ヌクレオ)のシートに座っているセージを見上げるような姿勢なのに、随分とラダマは偉そうだった。

「聞きたくないだろうが聞け。オレだってこんなことはあんまり言いたかねぇけどよ。だが、こんなオレだってマダガスカルに帰れば、ちょっとは裕福な家の御子息ってわけだ。だから大学に行って工学を学んで、ついでにちょっと海外に出て技術の研鑽と仕事の実績とやらを積んで、そのうち国へ帰ろうかなんて余裕のある真似ができる。今こうして、この艦(ロコラ)に乗って他のヤツらと一緒のユニフォームを着て、お前と英語で話ができてるのも、そういう教育の賜物(ギフト)ってわけだ」

「エジプトはナイルの賜物(ギフト)みたいに言うなよ」

「なんだ、歴史学者にも教わってたのか」

「どうでもいいだろ、そんなこと」

 セージは少しでも言い返そうとしたが、ラダマには笑って流されてしまった。

「なら、はっきり言ってやるけどな。チャンスなんてそうそうあるもんじゃないんだから、見逃すな。これから先、学校に行く機会なんて限られてるだろう。特にお前の場合はそうなんじゃないのか。いや、そうじゃなくたって観測班の予測通り、日本へ竜星群が降ってきちまったら、もう故郷の学校へ通える機会なんて永遠にないかもしれない。だったら、少なくともオレなら、絶対にこんなチャンス見逃さないね」

「でもヴィクトリアは学校には行かなかった」

「そうだよ、だから彼女の団体ヴィクトリアズ・ヴェセルはマフィアだとか反社会的勢力だとかが看板を変えて合流してきていることにも気づかなかったし、発展途上国や貧しい階層の人間をこき使っておきながらメディアの上では良い顔をしていたいグローバル企業から寄付された金で最新の機材を買い漁って、小国並みの装備を持った示威団体になっておきながら、それをおかしいとも思ってない。そんな特権階級気分で、気に入らない国や都市、企業相手にドローンをぶつけてパフォーマンスして見せればSNSでは拍手喝采だ。最近は軍用ドローンを売り込みたいベンチャーが積極的に機材を提供しているみたいだし、聞くところによればデンゲイまで保有してるらしい。ほらな、世界はオレたちにとって都合良く単純には出来ていない。なんとなく悪い支配者がいたり、自分たちの正義に共感しない酷いヤツらがいて、そいつらをやっつければ全て良くなるなんて今時ゲームアプリのシナリオでも見たことないぞ。まず、世の中のそういう有り様を理解できるようになるためにも学校へは行った方がいいんじゃないか」

「政治家みたいなこと言うじゃないか」

「多少は言うさ。オレたちの世界だからな。何も考えないわけにはいかない。とは言ってもオレにできることって言ったらヘリやティルトローター機をちゃんと飛べるようにしたり、お前の相棒につけるオプション装備がまともに動くようにしてやることくらいだがな」

「全然ダメじゃないか」

「ダメってことはないだろうが。じゃあ聞くけどなセージ、お前に出来ることはなんだ。これから先どうしていくつもりなんだ?」

「急になんだよ。関係ないだろ」

「おおありだよ。どう転んだって、お前はその相棒と一緒にやっていくしかないんだ。だったら、世界に、少なくとも自分が住む国や街の人々にそのことを受け容れてもらうしかないだろう。だったら、デンゲイのこと、竜子場のこと、竜星群のこと。オレたち人類にわかっていないことなんてたくさんある。それどころか、大して知りもしないくせに有害だの、政府の陰謀だのデマを流すヤツらもたくさんいる。それでいて、大半の人間は自分には関係ないと思って無関心だ。そんな世界中の人間たちに英知を期待するよりかは、お前が自分でどうにかした方が手っ取り早いって思わないか。別に勉強なんてしたって、しなくたって、どっちだって構わないさ。将来お前がやりたい仕事に必要な分だけあればいいんじゃないのか。だけどな、そんなことよりもまず世の中には自分と違う人間が当たり前にいるってことを知る必要があるし、お前だって他のヤツらに、世界には自分みたいなヤツがいるんだってことを教えてやる必要はあるんじゃないのか。だいたいお前、同年代の友達ほとんどいないだろう。子供の頃から大人に囲まれてたっていうのは良くもあり、悪くもあり、だ。同期っていうのは良いもんだぞ。オレだって学生時代の友人とは今でも連絡を取ってる。これから先の短くない人生、苦楽を分かち合える仲間がいるっていうのは案外心強いもんだ。んで、学校っていうのはそういう仲間を探すにはちょうど良い場所なんじゃないのか?」

 ラダマの長い話にセージは辟易してしまって、途中からは顔も見ていなかった。

「だからさ。立派な演説してもらったところ悪いんだけど、そういう話じゃないんだ」

 ラダマもデンゲイから体を離して、呆れたように腕組みをしていた。

「だったら、どういう話だって言うんだ?」

「この際、どうしても学校へ行けって言うなら別に行くけどさ。でも勉強しろとか友達と仲良くしろとか、そんな単純なこと言われてるんじゃないんだよ」

「じゃあ他に学校へ何しに行くんだ?」

「情報収集、それと護衛だって」

「はぁ、護衛?」

 ラダマは明らかに気の抜けた声を出した。

「そうだよ。同じ年の女子がいるから探りを入れて、ついでに護衛して来いって」

「なんだよ、そりゃ」

「だから言ってるんだろ」

「まぁわかった、わかった」

「何がわかったんだよ。どうしろって言うんだ」

「どうするって決まってるだろうが、そんなもん」

「情報収集はまだしも、護衛の仕方なんて知らないだろ」

「知らないが、そんなに難しい話じゃない。相手は同じ年の女子で、同じ教室なんだろ」

「そうだよ」

「だったら話はシンプルだ。最初にはっきりガツンと言ってやりゃ良いんだ。キミのことは絶対にオレが守るってな。そうすると、その辺でなんか良い感じのさわやかな青春映画のテーマソングが流れて来る。ほら、お前も知ってるだろ。竜星群どころかパンデミックより前の映画だったけど、日本の映画だったはずだ。あれ、名前なんて言ったっけな。いや、確かそうだ、そんな感じのタイトルだった」

 自分で言い出しておいて、勝手に盛り上がり始めたラダマは一人で鼻歌を歌い出し、それどころかデンゲイの脇でステップを踏み始めた。

 そんな気楽な様子を見て、セージはもう馬鹿馬鹿しくなってしまった。

 初めから自分のことを他人に相談しようと思ったのが良くなかったのだ。

 共辰者の少年は投げやりな、しかし慣れた動作でデンゲイのヌクレオから飛び降りると、脇で軽快に躍る整備班の若手リーダー格を置いて、格納庫の出口に向かった。

「おい、どこ行くんだセージ。映画はもう良いのか?」

 映画のことなんて気にしてるのはラダマだけだ。

 セージは一瞬だけ振り向いて肩をすくめてみせると、ラダマは腕を振り上げて抗議の姿勢を示した。だが、艦内通信に紛れこんでしまったラダマの鼻歌を聞いて、すぐに整備班の主任が静かな怒りと共にラダマを呼び出したので、二人のやり取りはそこで終わった。

 セージはもう一度だけ振り返って意地悪く笑ったが、焦って主任に弁明を繰り返すラダマがそれに気づくことはなかった。

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