第1部 Night Flight - 9 - B
そこでは以前から、海水面上昇によって土地を失った人々が同じように船上生活を強いられていて、混乱に陥った港湾都市はますます混迷を深めていた。(海水面上昇に関しては、20世紀の頃から懸念されていたように気候変動の影響によるものとの見方が強い。一方で、竜星群は地上に墜落した時だけ注目されがちだが、地球の表面積に占める陸地の割合は3割程度に過ぎず、大部分が海である以上、地球全体を覆うほどの竜子場を発生させている竜星物質の大半は海面に墜落したものと考えられている。それだけの大質量が海底にあれば生じるであろうアルキメデスの原理による海水面への影響については幾つかの仮説や試算が提示され、また異論や反論が提出されているが、議論に決着をつけられるだけの全地球的な調査は未だ実施されていない。)
バングラデッシュ南部の港町チッタゴンで、セージは人だけでなく船の墓場を見た。
茶褐色に濁った海。暑いというよりは痛いというような日差し。饐えた臭い。木とタイヤで造られたボート。着る物もままらない人たちが流木やガラクタが浮かぶ海で体を洗い、洗濯物をしていた。
そこから幾らも離れていない場所で巨大な船の解体作業が行われていて、耳障りな金属音が丸一日中鳴り響き、いやな金錆びの臭いが漂ってくることもしばしばだった。
竜星群やそれに伴う高潮によって破壊された世界中の船舶がここに運び込まれている、とセージは聞かされた。
同じ船に同乗していた国連職員たちは、解体工事が与える自然環境への悪影響と、劣悪な労働環境の両方に目くじらを立てていたが、産業基盤を破壊された街は即金を欲してスクラップを受けいれ、日々の糧を得るためにボートピープルたちはその危険な仕事に飛びつく以外に選択肢はなかった。他にどうすることもできないのだ。
解体工事の現場にはセージと殆ど変わらない年頃の子供たちも出入りしていた。セージはそれを見ながら、どうして自分がそこにいないのか理解できなかった。その子供たちと自分とで何が違うのか分からなかった。
帰る場所は誰にでもあるはずなのに、それが船でしかないのなら、あの人たちと自分とで何が違うのか理解できるはずもなかった。
セージは一度だけ、その工事現場に入ろうとした。当たり前だが、柵で区切られた出入口で留められてしまった。そこには先客もいた。抗議にやって来た環境保護団体が現場の人たちと今にも喧嘩になりそうになっていた。
セージは必死の形相で乗り込んできたテルミに連れ戻された。
怒鳴られたセージは理由を訊かれて渋々と答えざるを得なくなった。
細かな表現までは良く憶えていないが、デンゲイで動かせばちょっと重いものくらいは動かせる、重機の代わりになるかもしれない、という意味のことを言ったと思う。それを聞いた途端、テルミは急にセージを抱きしめてきて、どうして殴られないのか、セージは困惑して泣いた。
記憶が正しければ、その時テルミは泣いていたはずだ。重要な会議を途中で切り上げなくてはならなくなったからだろう。後にも先にもテルミに抱きしめられたことはその一回だけだった。(気持ちが悪いので、その一回でもう十分だったが。)
チッタゴンを出た船がポートクランを経由してマラッカ海峡を抜けた後も、似たような光景が続いた。沖合に出れば、ほとんど黒に近い深い青色に染まった海。岸辺に近づけば、波に抉られ、時には星に潰された破壊の痕。
引き千切られたマングローブ、薙ぎ倒された熱帯雨林。
崩れ落ちた人家。水浸しの廃墟と化した近代的なビルの数々。
人々が話す言葉、身に着ける衣服、建物の様式、看板や標識に記された文字がどれだけ変わったとしても、起こってしまった出来事は地球のどこへ行っても変わらなかった。
セージはいつしかそれに何も感じなくなっていた。それはあまりにもありふれた日常でしかなかった。ポートクランでも、ジャカルタ付近のパティンバン港でも、マカッサルでも、ヨーロッパやインドで見た光景が繰り返され、自分はただ単に運が良かっただけなのだと改めて知っただけだった。大都市圏を有するスマトラ島やジャワ島を離れた後、貿易風を向かい風にした船がスンバ島のワインガプやティモール島のクパンで日用品の補給を求めた時、港はもはや被害を受けたというよりはただただ忘れ去られ、取り残されただけの文明の残滓のようで、寂しい限りであった。
だから、ティモール海に乗り出した船が、雷雲をかいくぐりながらウェーバー線を越えて、一足早く復興を果たしたダーウィン港の灯火を見つけた時、セージを含めて船の乗員たちは皆、安堵の溜め息を零したのだ。
あれから何が変わったというのだろう。
竜星群は今なお、散発的にではあるが地球に落下を続けている。
イニシエイト・ロコラが強引にスケジュールを繰り上げ、急ぎ北上しているのも、稼働を再開し始めた各国の天文台と、それに加えてロコラの艦上構造物の頂点に設置された観測台によって、活発化の兆しを見せ始めた大規模竜星群が東アジア方面へと襲来する予測が為されたからであった。
他のクルーからは故郷が心配だろう、と言われる。
セージには今一つ実感が湧かない。本当に子供の頃にいただけの国だ。
船の上にいた時間の方がずっと長い。
どんな場所だったかも知らないし、憶えてはいない。
だからといって同じ日本人のテルミへ訊く気にもなれない。
セージにとっての故郷とは、誰もいないアパートの一室、空っぽの冷蔵庫、手の届かない流し台、冷たく固いフローリングの上に敷かれた安物のビニールシート、それから星が隕ちた後の瓦礫の山、それらが全てだった。
少年の追憶はほんの一瞬でも、記憶の中の光景は永遠だ。
あの時、オーストラリアの北口玄関に見出した輝きを、雲の下にあるであろう彼の生まれ故郷に見出すことはできるのだろうか。
晴天の大海原で白い積雲を見つければ、そこに島があるという航海士たちの口伝のように、光の在り処に人間たちの土地を見つけることができるのだろうか。
セージは何故か飛行の緊張とはまた別の奇妙な胸騒ぎを覚える自分を自覚した。それでも、救急コンテナの医療班に着陸準備を勧告することを忘れはしなかった。応答は是。今度は補助士の声だった。
雲の坂を滑るように、メラ・デンゲイは降下を開始した。
星々の瞬きに一時の別れを告げ、マナに包まれ、またそれに乗って優雅な羽ばたきによって灰色の引幕を開いたセージたちを出迎えたのは、相変わらず黒一色に染まった海だった。
子供の頃は世界と自分の区別なんてつかなかった。
でも、だからこそ世界と自分は地続きで、全てを感じ取ることができると思っていた。
そんなセージにとって、見えない夜の海は得体のしれない暗黒世界の怪物が開いた大顎と同じだった。
それは昼間の水面とはまるで異なる姿をしていた。
波の切れ目が燦めき、光の肌理が揺らめき、時には魚がその水面を飛び跳ねる様から一転して、海は底知れぬ奈落の闇そのものと化していた。
もし気づかずに、足を踏み外してしまったらどうしよう、もし海に落ちてしまったところをサメやクジラやダイオウイカに飲み込まれてしまったら、あるいはジョーが聞かせてくれたアマゾン河の探検隊を襲ったピラニアのように、小さな肉食魚が無数に集まってきてしまったら、と恐怖の想像を逞しくもした。
だから、初めて夜間飛行を試みることになった時には、セージは自分が底なしの淵を命綱もつけずに綱渡りしようとする孤独な大道芸人か、あるいはワニの大口の周りで何も知らずに飛び回る無邪気な小鳥と重なって見えてしまった。
だが、それは最初だけだった。
ひとたびデンゲイと共辰すれば、文字通り世界は輝いて見える。
ヒトの網膜が光粒子を受け取って視界を構成するように、デンゲイの知覚野は光波としての竜子場を、おそらくはヒトにとっての可視光領域を遥かに超えた電磁波を受容する。
詳細は未だ検証中、とは研究者たちの慎重な見解だが、地球上に漂う竜子場そのものから情報を得ている、と言う者もいて、それは共辰者の経験とも一致する。
実際、デンゲイと比較するまでもなく、ヒトに見える光の領域は限られている。
例えば、色。
天文生物学者のショウが言うには、ヒトを含む一部の霊長類や、数種の有袋類は光の三原色、つまり青と赤と緑の三色を識別する色覚を持っているが、他の多くの哺乳類は二色でしか世界を視覚的に認識できない。
一方、爬虫類の多くや、鳥類、魚類は四色の色覚を持ち、ヒトには見えない紫外線領域の光まで知覚できる。更に、魚類は多様な色覚を持つというだけでなく、水深をはじめとした水中の環境に合わせて色覚を使い分けているというし、鳥類には五色の色覚を持っていると考えられる種もいるという。
その話を聞いた時、セージは、鳥や魚が見る世界がどんな風な見え方をするものなのか、気になって仕方がなかった。
ヒトには見えない光が跳ね回る世界は、デンゲイと共辰した時に彼が知覚し、認識する輝く世界と同じものなのだろうか。
それとも、もっと別の光に彩られたものなのだろうか。
日没後にデンゲイと空を飛んだセージは知っている。
夜の地球にはヒトが知らない輝きに満ちている。
海だけでなく、空にも。海と空に限らず、陸にも。
昼にさえ、明るいからこそ見えていない光はきっとある。
この世界そのものに驚異と未知の光が溢れている。
いつ、いかなる時も。今だって。
そうして、彼が飛び続ける先に。
幾千、幾万の光を灯して、燦然と輝く陸地がある。
かつては空の脅威を恐れて、慎まし気に、ひそやかに明かりを灯していた人々が今や堂々と、あるいは破れかぶれに、自らの都市へ、港湾へ、空港へ明りをつけて、文明の光を浩々と輝かせている。暗闇の中で自分たちはまだ健在なのだ、と暗雲を照らそうとしている。
あれから十年以上の月日が流れていた。
それは幼くして竜と共辰し、海上と外国を彷徨することになった幼な子が青少年となって再び生まれ故郷へ巡り着くのに十分な時間であった。




