申し訳ないがガチンコ勝負はNG
月明かり照らす穏やかな草原――普段は「対魔騎士団」が訓練に使っているというその場所で、センパイとドスケベ催眠おじさんは向かい合う。
僕って転生してレベル1になってるんだよね? 一撃で即死したりしないかな? と不安でソワソワするドスケベ催眠おじさん。
センパイは苛立ちを隠さず言葉をぶつける。
「……おい、ふざけてんのか」
「は、はいィ!? 違っ、いいえ!! ふざけてなどおりません!!」
センパイは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「フン、俺ごとき、『正装』でなくとも余裕というわけか。つくづく英雄気取りだな」
「せいそう……?」
ドスケベ催眠おじさんはリナに視線を向ける。リナはセンパイを止めもせず、ノリノリで審判ポジションに立っていた。
「我々ムートポス人が慣れ親しんだ、下着一枚のお姿のことを言っているのでしょう」
「ああ……そっちが正装って認識なのね……」
初期装備をブリーフ一丁にしてからというもの、常にあの姿で竜とも魔王とも邪神とも戦っていたから無理もない。
ドスケベ催眠おじさんはセンパイの機嫌を損ねないよう、しぶしぶ軍服を脱いだ。露出が激増した皮膚に、ムートポスの柔らかい夜風がしみる。
「お預かりします」
「あっスイマセン」
反射的に脱いで畳んだ服をリナさんに渡したが、そんな気遣いをするくらいなら決闘を中止させてほしいなぁ……とドスケベ催眠おじさんは思う。
しかし、当のリナは「このガキ生意気なこと言ってますよ勇者様ヤっちゃってください」みたいなイキイキした目でこっちを見ている。何でもすると約束した手前、ムードを壊すのも忍びない。
再びブリーフ一丁に戻ったドスケベ催眠おじさんは、晒した肌を夜風に吹かれ……意外に寒くはないと感じる。まるでブリーフが、股間のみならず全身を包んでくれているかのようだ。
ゲーム内通貨と希少な魔物素材を湯水のごとくつぎ込んだ結果、初期装備の白ブリーフは【聖衣『裸一貫』+99】と名を変える進化を遂げている。すっぽんぽんに見えても、意外なほどの防御力を発揮してくれるはずだ……ゲーム通りであれば、という但し書きがつくけれど。
そしてゲームとしてのムートポス(正式タイトルは「ムートポス〜天と地と海の物語〜」という)においては、身体のいずこかに防御ステータスの高い装備を着けてさえいれば、見かけの露出度にかかわらずダメージは軽減される。ブリーフ以外を殴られても、ブリーフが軽減してくれる都合のよいシステムだ。
それらが現実ムートポスにおいても成り立つかは、これから実地で確かめることになる。
やっぱこわい。ドスケベ催眠おじさんはセンパイに恐る恐る尋ねた。
「さ、流石に殺したりはしませんよね?」
「何だ、命の取り合いを望むのか? 野蛮なヤロウだ」
「そっちじゃなくて! 死なないなら良いんです、死なないなら……」
「俺は簡単に殺されてなんかやらねぇ。テメーの心配してろよ……ッ!」
はじめから完全に己の死を恐れるセリフでしかなかったが、「あっさり死んでくれるなよ?」的な挑発に聞こえたらしい。センパイは剣を――いちおう非殺傷だが当たると痛そうな木剣を握りしめる。
というか結局、殺害禁止という確証が得られない微妙なやり取りで終わってしまった。えっ、コレどっち? どっちなの?
再度問う間もなく、センパイは急かしてくる。
「テメーは丸腰かよ! 素手喧嘩上等ってか!? 英雄サマは余裕綽々だねぇ!! 俺は自惚れちゃいねぇから普通に剣ぶん回すぞ良いのかア゛ァン!?」
「待ってタンマちょストップ! カームダウン! ウェイトァミニッ!?」
ドスケベ催眠おじさんは恐怖でおかしくなりつつ、リナが差し出してくれた木製の武器から握りやすそうなやつを選ぶ。
というか、ブリーフ以外の装備とかアイテムとか、ゲーム時代に使ってたヤツはどこ行ったんだ。「肌を隠さない」というポリシーに違反しない限り、杖でも魔導書でも割とフレキシブルに使ってたはずだぞ!?
半泣きでしめやかにキレかけていると、リナが「あっ」と声を出した。
「それは……睡神時代の杖! まだお持ちだったのですね!」
「うわ、ホントだいつの間に」
リナに指摘されて始めて、突如として手のひらに現れた感触に気がついた。
ドスケベ催眠おじさんの右手には、いつの間にやら、見覚えのある杖が握られている。一メートルばかりの、いかにもおとぎ話の魔法使いが持っていそうな、ねじくれた木製の杖。画面越しにしか見たことがなかったそれは、今や自分の手の中にある。
【聖杖『人魚わからせ棒』+99】
同時に脳裏へ浮かんだ文字列は、見なかったことにする。この武器に名前をつけたときの思い出が蘇ってしまうから。そして、ロクな記憶じゃないことが分かっているから……。
しかし、聖杖があるなら心強い。裏ボスとの連戦にも持っていった、所持品のなかでも最強装備のひとつだ。
ドスケベ催眠おじさんは「人魚わからせ棒」を握りしめ、幾分マシな表情で、睨んでくるセンパイを見つめ返した。
「パフォーマンスは済んだかよ?」
「お、お待たせしてスミマセン……」
センパイは真剣な面持ちで木剣を正眼に構える。
「我こそは対魔騎士団が先鋒、ケヴィン」
「あっ……ど……ドスケベ催眠おじさん、です……たぶん」
言い淀んだドスケベ催眠おじさんに、リナから声援が飛ぶ。
「たぶんじゃありません! あなたはドスケベ催眠おじさん様。本物のドスケベ催眠おじさん様ですよ! 自信を持ってください!」
自信うんぬんの問題ではなく、そもそも名乗るには屈辱的すぎる名前だった。むしろ否定したい。負けてニセモノと判断されるならその方が楽かもしれないと思うほどに。
「この剣をもって真実を暴く」
「こ、この剣……杖を……杖であの……アレします」
言葉に詰まったせいで何かイケナイ行為をするみたいな前口上になってしまったが、ともかく決闘の作法としての、名乗りと宣誓は確かに成された。
「わたしの投げたコインが地面に落ちたら開始ですよー」
リナが合図する。ドスケベ催眠おじさんはゴクリと喉を鳴らす。そのときが、近づく。
「はい、スリー。ツー。ワン……ほりゃ!!」
カウントダウンが終わるや否や、リナは全力投球でコインをセンパイの顔面にぶつけた。
しかしセンパイこと対魔騎士ケヴィンは瞬きひとつせず、頬で跳ね返って落ちゆくコインを待った。そしてチャリンと――あっヤバッ
「オラ!」
「んごっ……」
先に仕掛けたのはケヴィン。呑気にコインを観察していたドスケベ催眠おじさんは、地面に落ちてもボケーッと見ているだけで身体を動かせなかった。反応速度もおじさんのソレなのだ。
ハゲた脳天を木剣で強打される。痛い。衝撃で声も出せない。鼻から空気が押し出され、豚のように鳴くことしかできない。
「先手は譲ってやるってか!? どこまでコケにしやがる!」
そう言った頃には、ケヴィンは後退し、距離をとっている。反撃の催眠を警戒したらしい。対魔騎士団の基本戦法、ヒットアンドアウェイである。ドスケベ催眠おじさんの背中を見て学んだ……ということになっているが、実際には敵と味方が入れ替わり立ち替わり行動するバトルシステムが現実に都合よく解釈された結果そうなっただけ。
無論ドスケベ催眠おじさん本人に戦闘の心得などない。ひたすら涙目で頭頂部を抑えている。
「いったぁ…………死ぬ……コレ死んだんじゃ……?」
ついさっきまで永眠していたドスケベ催眠おじさんは、些細なことで死を感じてしまうようだ。さっきリナの部屋で椅子ごと後ろに倒れ込んだときも「死んだ」と思ったし、なんなら決闘場の原っぱへの道中、下草に足をとられたときさえも「死んだ」と思った。
わが身を案じるドスケベ催眠おじさんの眼前に、ゲーム画面そっくりの表示が浮かぶ。生命力の残数と最大値を示すHP表示だ。
HP 99/100
「ダメージ『1』……? あんな痛くてダメージ、1だけ……?」
あと百回近くは死を感じられるらしい。ブリーフの防御力に感謝すべきか、楽に逝かせてもらえない地獄に絶望すべきか。
ブツブツと現状を嘆いていると、その声に気付いたケヴィンが、わずかな焦りを見せる。
「ッ! 詠唱か! させるかよ!」
素人おじさんのボヤキを、何らかの大掛かりな魔法の準備であると勘違いしたらしい。ケヴィン
すぐさま間合いを詰める。またしてもアワアワするドスケベ催眠おじさん。今回はケヴィンの動き始めに反応できているだけマシだが、振りかぶられた木剣に対処できなければ同じこと。
結局、防ぐことはできず――そのまま十発、二十発とタコ殴りにされながら、ドスケベ催眠おじさんは思考を巡らせる。
いくら一発あたりのダメージが低くても、何十発と無抵抗で受け続ければすぐHPが尽きてしまう。このまま負けるのか? 負けたほうが楽なのか? HPが尽きたらどうなる? また死ぬ? その前にやめてくれる? 誰かが、リナさんが止めてくれる? きっとそうだ、リナさんだって言ってた、なにもしなくていい、たたかわなくていいんだって……
せめて少しでも痛くないよう、身体を丸めるドスケベ催眠おじさん。その耳を、冷や水のように打つ悲痛な叫び。
「ああっ!! ドスケベ催眠おじさん様ぁ!!」
リナの声。そこには決して、失望も嘲りもない。ただひたすらに、敬愛するひとが傷ついてゆくさまを、見ていられない善意の叫び。
木剣の嵐のなか、もしドスケベ催眠おじさんがちゃんと目を開くことができていたなら、今にもケヴィンへ飛びかかろうとするリナの姿があっただろう。
閉じた目に、その姿は届かない。
しかし耳に、その声は届いた。
――《スリープスモッグ》――
握りしめた杖の先から、薄緑色のキラキラ輝く煙が噴き出す。
「むッ!?」
至近距離にいたケヴィンはもろに煙を浴び、その正体を察してたまらず跳びのく。
ケヴィンの視界がぐらりと傾き、まぶたが急激に重くなる。
「ヤロウ……やられたフリして催眠を……っ」
本人にそのつもりがあったかはともかく、ドスケベ催眠おじさんは成功した。あの頃、多用していた催眠魔法を発動することに。
《スリープスモッグ》は魔法の煙霧を発生させ、命中した敵に「睡眠」の状態異常を付与する。「睡眠」は単純に相手を眠らせて一定時間行動不能にするだけで、暗示や操作といった効果はないので、厳密には催眠というより「眠らせ魔法」といえる。効果がシンプルなだけに使いやすい初級魔法だ。
「クッソ……眠ぃ……」
片手で頭を抑え、うめくケヴィン。それを横目に、しこたま殴られて逆に冷静になったドスケベ催眠おじさんが再び立ち上がる。リナから黄色い歓声が上がるけれども、応える余裕はない。
ドスケベ催眠おじさんは思案する。
「一発で眠らない……催眠耐性が高いな……」
ケヴィンはふらつきながらも二本の足で立ち、ギリギリのところで眠気と抗っていた。完全には「睡眠」に陥っていない。
よく見ると、ケヴィンの耳には、円形の飾りがついたアクセサリーがゆらゆら揺れている。
「懐かしいな。『御縁魂イヤリング』」
安価な割にそこそこ優秀な催眠耐性を得られるので、よく仲間のNPCやペットなどに装備させていた。それが現在は、対魔騎士団の標準装備として支給されているのだ。催眠耐性のある相手には、「睡眠」状態も付与しづらい。
「でも、方法はある」
催眠耐性の高い相手に、無理やり催眠をかける手段。それはまさに、いまドスケベ催眠おじさんの手中にある。
【聖杖『人魚わからせ棒』+99】――なかなか催眠にかからず、逆にこちらを呪歌で眠らせようとしてくる生意気なモンスターを屈服させるために誂えた逸品。
その能力は「耐性貫通」。たとえ耐性が高くとも、たとえ眠りを司る邪神であっても――
「何度でも、何度でも、何度でも」
――諦めず挑戦し続けることで、非効率でも、泥臭くても、いつかは成功へ導ける。
「ヤってやるよ! お望み通りなッ!!」
若かりし頃の加虐性を呼び覚まされたドスケベ催眠おじさんが――反撃する。