第四十三話 シュージューノ・ローゼンベルグ④
「――『水霧』」
校庭の花壇に向けて杖を構えたジョンが詠唱すると、杖の先端からまるで霧雨のような水が噴き出した――そのまま花全体に水がかかるように杖を動かす。
「よーし、次」
列になっている生徒たちの先頭から退いたジョンは、同じように水やりの魔法を終えた他の生徒たちに合流する。
先日の決闘でミアと話したように、一般科の生徒たちが学ぶ魔法は日常生活で使用するようなものがほとんどだった。
昼休みを挟んだ午後、最初の授業はレオンハルトが講師を務める魔法学だった。
レオンハルトは本来魔法科でのみ授業しているのだが、ジョンやアルジーノら四年生になった一般科の生徒たちは、翌年に控えた専門科所属に向けて、各科の担当教員の授業を受けることになる。
「――『水霧』……っておわ!」
他の生徒たちに倣うように詠唱したアルジーノの杖からは、大粒の水滴が無数に溢れ出す。
これまで使えなかった魔法を使えるようになり、以前よりも魔法の授業で冷笑されるようなことは無くなったものの、繊細にコントロールするという点についてはまだまだ改善が必要だった。
「ローゼンベルグ、水滴が大きすぎる。もっと小さくなるようコントロールを――」
「で、できたらやってます……」
慌てて杖を足元に向けて水を止めたアルジーノだったが、彼の服は飛び散った水滴によって濡れてしまい、彼ほどではないが、それは周囲にいたクラスメイト達も同様だった。
――くそ……。あの優等生なら、これくらい難なくこなすんだろうな
自分を見下しているライバの憎たらしい顔を想像しただけで、アルジーノは苛立ってしまう。
それに追い打ちをかけるかのように、アルジーノに服を濡らされた男子生徒が声を上げる。
「お前、わざとやってんのか?」
わずかに怒気が含まれた声の主にアルジーノが目を向けると、教室では隣の席に座っているヨナス・コリントが彼を睨みつけていた。
今朝、同じような目つきで自分とジョンに冷たい言葉をかけてきたのを思い出し、その時に抑えた不満も同時に沸き上がり心の中で舌打ちしてしまう。
「魔法は得意じゃないんだよ。悪かったって」
「得意じゃないくせに、生意気に決闘なんかやってるのか? できるようになったことを見せびらかすために関係ない奴らを巻き込むなよ」
「は……?」
魔法科に所属したての生徒ですら、戦闘に使えるような魔法はあまり覚えておらず、決闘をすることなど滅多にない。
ましてや、一般科の生徒ともなるとなおのことだ――先日のライバとの決闘は、一般科生徒同士の決闘という点でも、他の生徒たちの関心を引いた。
同級生の扱えない魔法を駆使して決闘をしていた二人が、そのまま謎の巨大生物の退治に貢献した――
この事実に対して尊敬や称賛の声が聞かれる一方で、一般科の生徒のくせに生意気だという意見もそこかしこで囁かれていた。
そして、普段隣に座っているヨナスも、後者の意見を持つ一人であるということをアルジーノは知っていた。
「別に見せびらかそうと思ってるわけじゃないし、決闘場にあのネズミが乱入してきたのは偶然で――」
「お前たちが女の取り合いなんていうくだらない理由で決闘なんかしていなければ、あそこにいた連中は巻き込まれずに済んだんだよ」
「あのなぁ……。そもそもミアを取り合っていたわけじゃないし、会場にいた連中も俺たちが呼んだからそこにいたわけじゃ――」
「決闘をしなければ、そもそも誰も危険な目になんか合わなかっただろうな」
「お前なぁ!」
自分の言葉を遮るように意見をぶつけてくるヨナスに対して、それまでは呆れたため息しか出なかったアルジーノも流石に苛立ってくる。
「何をしてる。終わったならさっさと下がれ。邪魔だ」
互いに睨み合い、今にも殴り合いを始めるのではないかという勢いの二人を、冷たい声でレオンハルトが制する。
「ローゼンベルグ、感情の揺らぎは魔法の制御に大きく影響する。繊細に魔法を使えるようになりたいなら、まずは感情をコントロールする術を身につけろ」
――なんだよ……。どいつもこいつも……!
レオンハルトは教員としてごくごく当たり前のことを口にしただけだったが、ヨナスの言動で苛立っていたこともあって、さらに怒りがこみ上げてくる。
この様子を見てくすくす笑っている女子のクラスメイトたちも、普段は気にならないのに今のアルジーノにはひどく不愉快に感じられた。
黙ってヨナスから目を逸らしジョンのもとへ歩み寄ろうとすると、背後から呆れたように鼻で笑うヨナスの声が聞こえてきた。
振り返らずに、わざと聞こえるような大きさで舌打ちをした。
放課後、授業が終わるや否や荷物をまとめて図書館へと向かう。
魔法の授業での出来事が尾を引いて、アルジーノはまだ機嫌が直らなかった。
――感情をコントロールする術を身につけろ
レオンハルトの言葉が頭の中でこだますると、さらに腹が立ってくる――おそらくそれが、正論であると分かっていることも一因だ。
些細なことで苛立ってしまう自分に対しての苛立ちが募り、その悪循環から抜け出すことができないまま昇降口を出る。
図書館へ足を向けようとしたその瞬間――
ドオオオオオン
「おわっ!」
突然の出来事に思わず後ろに飛びのいた――目の前に、巨大なつららが降ってきたのだ。
驚きのあまり心拍数が上がったが、落ちてきた氷を見て、先ほどまで心を満たしていた苛立ちが、今度はその犯人に対して向けられる。
「シュージュ兄!」
アルジーノが叫ぶと、校舎二階の窓から氷の上にシュージューノが飛び降りてきた。
「よお、アル! 今日は逃がさねぇぜ?」
つららの上で犬がおすわりをするような体勢になったシュージューノは、いつものように不気味な笑みを浮かべている。
彼のせいで昨夜寝不足になったことも含め、兄の行動に対して次第に怒りがこみ上げてくる――当然、同じように兄も寝不足のはずなのに、いつも通りの彼の態度からはそんなことは微塵も感じられない。
「いい加減にしてよ……。しつこいにもほどがある! 俺に何の用があるんだよ!」
「だから言ってんだろぉ? 遊ぼうぜって。キングーノや学年トップをねじ伏せたその力、俺にも見せてくれよ! ――『氷鋭牙』!」
――くへへへへへ! と笑うシュージューノの周囲に鋭く尖った氷が生成され、アルジーノのもとに飛来する。
――いい加減にしろよ!
昨夜も自宅内で同様の魔法を詠唱され続け、しつこく追い回された結果が今日の寝不足だった。
『障壁』を張ったとしても、驚くべきことに、彼の魔法はそれを砕けるほどの威力を持っている。
攻撃魔法で立ち向かうという方法もあるが、ここで同じように魔法攻撃をやり返そうものなら、魔法を使用した兄弟喧嘩だと思われ、学園からは両成敗の判決が下るだろう。
明らかに悪いのは向こうなのに、自分も同じように罰を受けなければならないのは気に食わない。
「おいおい、逃げんじゃねぇよアル! もっと楽しませてくれよー! くへへへへへ!」
――くそ……! 本当に――
「きゃっ!」
「いて!」
アルジーノが走りながら兄に注意を払っていると、目の前に迫っていた生徒にぶつかってしまう。
衝突で互いにバランスを崩すと、二人とも地面に両手をついてしまう。
「ごめんなさ……ってミアか」
「なによ、危ないじゃない! 怪我させるつもり?」
――ごめん、ともう一度謝罪したアルジーノは、ぶつかったのが顔見知りの生徒で少し安心する。
アルジーノがミアの手を取り立ち上がらせると、その様子を見ていたシュージューノは――くへへへへへ、と笑い声をあげる。
「アルぅ? お友達かなぁ?」
二人が立ちあがったのとほぼ同時に、シュージューノはミアに対して杖を向ける。
「――『乱氷鋭牙』」
無数のつららが生成され、瞬く間にミアへ向けて飛んでいく――兄から気を逸らしていたアルジーノは、視界に迫るそれに気づくのが一瞬遅れてしまう。
――しまった……!
兄の攻撃がミアに直撃するのを防ごうと、アルジーノは咄嗟に彼女の前に躍り出る。
その瞬間――
ガキンッ
またしても、アルジーノの意図を汲み取るかのように、両手を広げた彼の全身を覆うような『障壁』が生成される。
「おいおい……なんだよそりゃあ!」
目の前で弟が無詠唱で発動させた『障壁』に対して、シュージューノの顔から初めて笑顔が消える。
つららがすべて命中しひび割れた『障壁』が消滅すると、シュージューノは自身の体を震わせながら今までよりも一層大きな笑い声をあげる。
「くへへへへへ! アルぅ! お前は最高の弟だなぁ! もっと俺を楽しませてくれよ!」
「くそ……。いい加減にしろ!」
既に苛立ちが抑えられなくなったアルジーノは、もう学園のことなど気にならなくなっていた。
ただ目の前の敵を倒す――そのために杖を取り出そうとしたが、次の瞬間にその必要がなくなった。
「いい加減にしろ! ローゼンベルグ!」
昨日と同じように、レオンハルトがやってきてシュージューノに対して杖を構えている。
キングーノの時と同じように、魔法科に所属している彼も流石に担当教員には逆らえないのかと思ったが、教員に対してもアルジーノと変わらぬ態度で接している。
「おいおい、これからって時に邪魔すんじゃねぇよ。興ざめだぞ、レオンハルト」
「いい加減にしろと言っている。ここで退学になりたいのか?」
「あぁ? 逆に聞いてやるよ――ここで退学にしたいのか?」
「ちょっと……何言ってるのあの人……」
シュージューノの言葉を聞いたミアがアルジーノの横で呟く。
問題児に対して退学を宣告している教員に対して、あろうことか、その問題児がそれを逆手にとって教員のことを脅しているように見える。
兄に対して苛立っていたアルジーノはそんなことどうでもよく、早くレオンハルトにシュージューノを対処してほしかった。
この時の兄の言葉の真意をアルジーノが知るのは、もう少し後の話である。
「早くその氷を処理して家に帰れ。そうすれば退学だけは免除してやる」
「けっ! 教育者ってのはどいつもこいつも無粋だな」
口では文句を言いながらも、シュージューノは自身の足元にある巨大なつららを魔法で溶かし切ると、アルジーノの方に歩み寄り、一言呟いてから学園を後にした。
「家で楽しみにしてるぜ? アル――」
もはや呆れを通り越し、兄の言葉にアルジーノはため息すら出せなかった。




