第一話 アルの日常
帝都ヘルムントにあるホープシュレール国立総合学園――この国では、十二歳になる少年少女のほとんどがこの学園に入学する。
魔法師、騎士、商人、農民などの数ある選択肢から自らの進路を決定し、二十一歳の卒業までに二千人近い生徒が、優秀な講師陣から専門的な教育を受けている。
とある日の休み時間、四年生の教室が並ぶ学園内のフロアの一室で、一人の男子生徒がクラスメイトに羽交い絞めにされていた。
「おら! どうしたアルジーノ? もうギブアップかよ?」
その言葉と共に、羽交い絞めにされた黒髪の少年――アルジーノ・ローゼンベルグの腹部へ、本日五発目の強烈なパンチが入る。あまりの痛さに他の生徒だったら根を上げてしまいそうだが、アルジーノ――皆がアルと呼ぶその生徒は、決してそれを表情に出そうとしない。
「おいどうした? もう声も出ないか?」
パンチを食らわせた張本人であるジーグという生徒は、すっかり首の力が抜けうなだれているアルジーノの頭を、髪の毛を引っ張り持ち上げる。茶色の虚ろな目をした貧弱な男子生徒の顔を見て勝ち誇った笑みをジーグが浮かべていると、突然アルジーノが唾を吹きかけた。
「うわっ! てめぇ……ふざけんじゃねぇ!」
「おい、ジーグやっちまえ!」
激昂したジーグを羽交い絞めにした生徒も煽る。ジーグは三歩ほどアルジーノから距離を取ると、制服の胸ポケットから杖を取り出して構えた。
「『炎塊』で服を燃やすとまた面倒になるぜ? ジーグ」
「分かっているさ。しっかり押さえていろよ、お前ら……!」
ジーグはそういうと杖を振りかぶり呪文を唱える。
「食らいやがれ! 『風塊』!」
ジーグが構えた杖の先端から空気の塊がアルジーノの胸部へ直撃し、そのまま教室の後方まで吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。巻き起こった風によって、周囲の長机や椅子がいくつも倒れる。教室の外から様子を見ていた女子生徒からは悲鳴があがり、男子生徒の一部からは歓声があがっていた。
「何をしている!」
騒ぎを聞きつけやってきた教師の声に、野次馬たちが一斉に散り散りになる。
「やべっ! 逃げるぞ!」
ジーグとその取り巻きも慌てて教室から出ていくと、野次馬たちに紛れてどこかへ消えていった。廊下に残った数人の生徒たちが見守る中、教師はアルジーノのもとへやってくる。
「大丈夫か、ローゼンベルグ君。誰にやられた?」
壁に体を打ちつけたことで噎せ返っていたアルジーノはようやく呼吸が落ち着くと、肩に置かれた教師の手を振りほどき、黙ったまま立ち上がりその場を後にする。
「おい、待て!」
前回ジーグの魔法によって制服が燃やされてしまった時も、同じように教員が駆けつけて職員室で話を聞いてくれた。しかし、状況は何も変わっていない。それどころか、口頭で注意しただけで、それに逆上したジーグたちの行為はさらにエスカレートしていた。
この学園に来て四年、こうなってしまったのは、アルジーノに魔法の才能が一切ないことが原因だった。平均的な十五歳であれば火を起こすなどの魔法は誰でも簡単に使用できるのだが、アルジーノにはそれすらできなかった。
学園では卒業後に就く職業に関する様々な知識を学ぶことができるのだが、その中でも魔法師と騎士は、卒業後の進路として花形であるのは間違いなかった。帝国直属の機関で働ける可能性も高く、それによって稼ぎが良く安定しているのだ。
アルジーノら四年生は、まだ広く浅く教育を施される『全般科』の生徒だが、来年の五年生になるとそれぞれの希望進路に応じた知識を学べる『専門科』に所属することになる。生徒たちに人気なのはもちろん、『魔法科』や『騎士科』だった。
当然、それら花形の二科で必要とされる魔法や剣技の才能が高い生徒は、まだ『全般科』の生徒であっても、他の生徒たちから尊敬される存在であった。ジーグもその一人であり、魔法の才能がある彼を慕う生徒たちとよくつるんでおり、アルジーノがされているような仕打ちを他所でも繰り返しているようだ。
「くそっ……」
殴られた痛みが残る腹部を抑え、ジーグに対する憎しみで心を満たしたアルジーノは、重い足取りで学校を後にする。
これが、アルジーノ・ローゼンベルグの日常であった。
「なんじゃ、また殴られてきたのか」
薄汚れた白い白衣を身につけた男性が、学校から帰ってきたアルジーノを家に入れるなり尋ねた。
露になった頭頂部をかきむしっており、残った白い頭髪はひどく縮れている。
呆れたように専用のデスクで行っていた作業に戻ると、ひどく濁った液体同士を混ぜ合わせて小さな爆発が起きていた。
――また失敗じゃ、といって呆れたように残った液体を窓から庭に捨てている。
「別に大したことない。これ、新しい発明?」
物でごった返して足の踏み場もない木製の家屋の中で、アルジーノは昨日までは見なかった新しい物を、白髪の人物が来客用に置いている机の上に見つけた――来客は基本的にアルジーノしかいないため、事実上それはアルジーノ専用の机になっている。
「おーそうじゃ。『魔力目覚まし時計』じゃ」
机の上には拳二つ分ほどの時計が置いてあり、その上には木でできた鳥の彫刻が縦に伸びた棒の上にくっついている。棒は逆さ振り子になっていて、時計の手前へ倒れるようになっているようだ。
アルジーノが入り浸っているフォックス博士の家――本人は研究所と呼んでいるこの場所で、彼は様々なものを発明していた。
町の人々にとって博士は、発明品という名のガラクタをいつまでも放置するし、何日も体を洗わない不潔で迷惑な人でしかなかったが、アルジーノにとってはこの家が唯一心の休まる場所だった。
「これで目が覚めるの?」
「そうじゃ。まず、時計についたその鳥を立てた状態で固定する。そのあと、寝転がった自分の頭の真上に時計をセットすれば準備完了じゃ。魔力を時計に注入すれば、その棒が勝手倒れてきて、寝ている人をつっつくという代物じゃ」
――ふーん、と生返事をしたアルジーノだったが、一瞬考えて根本的な疑問に辿り着く。
「これ、寝ているときにどうやって魔力なんか注入するの?」
「おお! 鋭いのぉ、確かにそれがこの時計の課題なんじゃ。寝たまま魔力は注入できんからな! ははは!」
「いや作る前に気づくでしょ……」
呆れたようにアルジーノが言うと、博士は補足する。
「もう一個ちょっとした課題としてのぉ、鳥の嘴は鋭いし、倒れてくる勢いが思いの外速いしで、自分で試したら額から血が出てしまったわい。 ははは!」
――いや、それも致命的な課題じゃないか……?
アルジーノは呆れたように時計を元の位置へ戻すと、荷物を持って立ち上がる。
「今日はもう帰るよ。久しぶりに父上が帰ってくるから、できるだけみんなで夕食にしようって」
「ほぉそうか。楽しんでくるんじゃぞ」
フォックスの言葉に返事をせず、アルジーノは研究所を後にした。
久しぶりの家族での夕食――アルジーノにとって、それは決して楽しいものなどではない。
憂鬱な気分を通りの上にまき散らすように、アルジーノは重い足取りで自宅へ向かうのだった。




