時代移ろぅた
その時、皆が賑やかに自分の名で騒いだのだ。
突然何事かと驚いてはみたものの、誰もが辛そうにしているわけではなく、むしろどこかそわそわと忙しない。どこか無関心な人もそうではない人もさほど変わりなく心のどこかをそわりとさせている様子に、自分のつま先がムズ痒くなった気分になる。もちろん気のせいだと知っているものの、この一瞬にして起こった祭のような騒ぎは何だろうかと首を傾げる。
ああ、と声を出した。つま先が僅かばかり光っているのを見つけ、かつて同じ光景が別の誰かにあったことを思い出したからだ。ゆらりと揺らめく光はやがてこの身を包んで影へと誘うのだろうが、それがいつ頃かまでは分からないし、決めるのは自分自身ではない。だが、予感だけはある。恐らくその日になれば自分の前へ現れるだろう新しきモノへこの場所を明け渡すのだ。別れでは無く決別、決別という過去への部屋。自分を決めた彼らにすら訪れる終わりの時がやってきただけの話だ。だから扉の向こうから声を掛けられたとしても別段驚くようなことではなく、「やぁ」と声を投げ返す。
扉の向こうから「楽しかったかい」と訊ねられ、さて、とばかりに首を捻る。思い返せば色々とあった。始まりはとても悲しかった記憶があるのだけれど、ここまでの道中はどうだっただろうか。なので訊ねてきた声にこう返す。思い出の感情は悲しみのほうが強く残るけれど、思い返してみると楽しいことも沢山あった。移ろう流れを感じ取れた。長く短く休む間もなく彼らは変わっていった。その気持ちに些かの変化は無いけれど確かに変わったことが多かった。始まりから終わりまで、まるで休ませてくれない時間が続くのだ、と。
扉の向こうから届く声は「それはとても楽しみなことを聞けたよ」と弾むように応えてくる。ああ、自分の時はそんな意気揚々と替われなかった。突然出番がやってきて、名を授けられ、時の流れに身を任された。いっそ羨ましくも在る。
「それでもこの時間は僕が共有してきたものだ」
結局はこうなのだろうと、誰にでも誇れるぐらいはっきりと告げる。誰にでもない、誰かが決めたこの名を与えられ、その時代の初めから終わりまで自分がここにいた。その事実だけは未来永劫残るのだ。故に最高に誇れる時間を過ごしたのだと、扉の向こうに話して聞かせる。
扉の向こうからは俄に高揚するような空気が滲み出てきているようだけれど、きっと高揚だけでは済まない時もあることだろう。時に激しく揺れて、時に沈み、時に弾けるような場面に何度も出会う筈だ。どうなるかはわからないけれど、と向こう側の――次のモノへと語りかけ、そっと席を立つ。
「そろそろだね」
交わることのない扉の向こうへ語りかける。「そうだね、お疲れ様」という声に、どことなくほっとした気分になる。自分は前の扉のモノを知らないからこそ、次の扉のモノに会えると最初は思っていなかったのだから。もちろん会えることはないが、声は届けた。気持ちも届けた。あとは次に繋がるだけだ。
「じゃあ、僕は向こうで待っているから。何年か、何十年先かは分からないけれど、その時にまた会おう」
ゆっくりと歩く。境界線はそこにあるから、あとは時間に合わせてその一歩を踏み越えるだけだ。自分が居たこの部屋を名残惜しそうに見回す時も残されていないけれど、時代が時代として記憶され続けるのならば寂しくなどないのだろう。
だから零時に一歩を踏み出して、扉の向こうのモノに今の時代を明け渡すのだ――