きっと、運命のヒト。
銀糸を思わせる淡い輝きが少女の周囲を包み、彼女の動きに合わせてドレスの裾が柔らかに舞っている。
彼女が手にした白金の杖の痕跡を描くように、黄金色の光りが床に張り付いている。彼女は手を止める事なく描いている。
――それは、舞うかの如く。
薄桃色の唇が動く。
――まるで、歌うかの如し。
彼女は躊躇う事なく円陣の中央にストンと、杖を降ろした。
床に張り付いた黄金色の光は渦のように一時で立ち昇り始め、部屋中を満たしてゆく。
天を目指した光りは下降を辿ると、床に向かって跳ねては消えるを繰り返す。
光りは次第に消失し、元の色を見せてゆく。
上品な調度品に囲まれた、少女の私室。
群青の絨毯の上には唯一つ、白金の杖が残された。
*
「召喚したつもりが……この有り様。情けないったらないわ」
私は重い溜め息を落とし、ベッドから立ち上がる。
「まさか逆召喚されるなんてね。それにしても……」
部屋を自体は一見何処にでも有るような作りであるものの、一つ一つが上等の品が使用されている。それを証明するかのようにリネン類の手触りの良さ、ベッドの寝心地と言ったら、驚くばかり。逆召喚主の趣味が良いのだろう。直接危害を加えるつもりがない事も窺える。
丸いサイドテーブル上には、白い箔押しのカードがあり一言書かれている。
『ご機嫌いかがですか?』
「……最悪よ」
私が応えるとカードから白い煙が上がる。何かの花の甘い香りが漂う。煙と同時にカードは消失した。
これは、監視する為のものか。単に私の反応が見たかったのか。
どちらにせよ、最低の気分だった。
床に敷かれた、くすんだ朱を見る。
……何のために?
私が召喚しようとしたのだから、問うたところで何か変わるとも思えなかった。
扉を、開ける。
*
私は食堂のような場所にある椅子に腰掛けている。
ような、と言うのも初めての場所であるし食堂と銘記された看板が有る訳ではないから。
一通り屋敷内を歩いてみたものの、私が入れた場所は三ヶ所だけだった。
寝室に書庫、いま居る食堂。後はフェイクなのか扉は開かない。屋敷内の大半が閉ざされている。
玄関や窓なんかも開かないから、私を直ぐに解放するつもりはないのだろう。
その証拠に、目の前にはサンドイッチ。
銀の食器の横には、カードが添えられている。
『どうぞ、お召し上がり下さい』
夕食の時間にしては遅すぎる位だから、夜食なんだろうか。白いカップからは、ハーブティーらしき香りがする。
毒を警戒するつもりはない。殺すつもりであれば、私はこうして目を覚まさなかっただろう。けれど、睡眠薬程度の物なら有り得るのかもしれない。
テーブルの上に置かれたカードから、さらさらとペンの走る音がする。
『原材料:食パン・ハム・レタス・バター・マスタード。ルイボスティー・マリーゴールド・パイン・オレンジピール。以上』
カードに黒い文字が追加されている。
安心して食べなさいという意味なんだろうけど。直ぐに食べるのは私の癪に触るし、ここは拒否しておきたいところ。
ぎゅろろろろ〜。
けれども、私のお腹は正直なもので。可愛げの欠片もない音で、返答している。
ぐぎゅるるる〜。
なんせ、歩き回ったのだから。
相手の思う壺のようでご免だけど、生理現象には勝てない。
銀の皿に盛り付けたサンドイッチは、一際輝いて見える。
『忘れて申し訳ない。パセリ』
どうでも良いような事柄が書き加えられた。
こうして新たに文字が浮かぶうえに状況に合っているのだから、私は何処かから監視されているに違いない。
一流の教師達に魔術を教わっている私ですら、検討もつかない。つまりは確実に相手は私よりも格上であるし、下手をすると別格どころか破格の魔術使いの可能性もある。
魔力を高める杖のない今は、私に勝ち目などは微塵もない。元より、勝負するつもりもないのだけれど。
それならば、素直に空腹を満たした方が良いのかもしれない。
「……頂き、ます」
私の敗北宣言に対し、カードは甘い花の香りの余韻に変える。
サンドイッチは、悔しい程に美味だった。
*
広い屋敷を歩き回って、分かったのは此処に存在するのは私だけらしい事。屋敷には檻の役割があるのか、自由に行動出来る事くらいのものだった。
脱出を試みたいものの、綻びが見当たらない。結界を破らない限り、脱出は不可能だと言える。
余程の自信なのか、逆召喚主は私に自由を許している。 処遇を決めるまでとりあえず、といったところか。
私は歩き回る事を断念し、書庫に入った。
壁一面に本棚が有り隙間なく本が詰まっている。
中央の螺旋階段を除く部屋のあちこちに、本棚が規則的に並んでいる。
何か参考にならないものか、そんなつもりで棚の一つからじっくりと探すものの、規則性は見られない。
本の背の高さもバラバラならば、タイトルにも統一感は見られない。適当に本棚に置いた、そんな感じがする。
試しに目の前の一冊の本を手に取り、開いてみた。
……何も書かれていない。
もう一冊を手に取る。
……やはり、何も書かれていなかった。
何の意味もなくこの部屋に入れたのか。私が分からないだけで、脱出のヒントでも有るんだろうか。
書庫内を見渡す限り、本ばかり。
螺旋階段の裏手に回ると、机と椅子がちょこんと置かれている。
机の上には何も置かれていない。椅子も変わったところは見られない。
引き出しを開けてみる。一段目は何も入っていない。二段目も同様だった。三段目、暗い空間があるばかり。私はそのまま引き出しを閉めた。
ひらり。
……舞う白。
『運命は変わるもの。既に変わってしまったのかもしれないね』
手にしたそれは、カードだった。
私が召喚したのは“運命の人”
そこまで分かっていて何故、姿を見せないのか。
「私は貴方に会いたくて、召喚したの。分かってる?」
ひらり。
『君が必要としているのは、“僕”じゃない』
――だから。何だと言うの。
私は2つのカードを重ねると、上の両端から力を込めた。
四枚に別れたカードがゆらゆらと、音もなく床へ落ちる。
床には破れたカードが、そのまま留まっている。
――なんて、呆気ない。
「……だとしたら、貴方が私を必要としているんじゃないの? 私はそれでも構わないわ」
――背後から小さな忍び笑いが、聞こえた。
きっと、それは。
――私はゆっくりと、振り返る。
そこに居るのは、私の運命の人。