動揺
熱い。そう思った次の瞬間には、鋭い痛みが僕の体を貫いていた。
「い、ぎ、がああああ!!!!」
なにが起きたのか理解できないまま、僕は前へと倒れていく。
ガンッという、鈍い音が廊下に響くが、そんなことを気にする余裕なんてない。
ぶつかった痛みももちろんあったが、それ以上に背中に突き刺さったなにかが身の危険を全力で訴えていたのだ。
それに従い、半ば本能に流されるまま、暴れるように背中に手を回すのだが、その手は突如誰かによって掴まれた。
「ダメだよ、みーくん。暴れたら困っちゃうよ」
同時に聞こえてくるのは、女の子の声。
僕がとてもよく知っている子のものであると、頭より先に感覚で理解する。
「あ、やの?なん…」
なんで?そう聞こうとしたのだが、それは出来なかった。
ズルリと、背中からなにかが抜き取られる感覚が、僕の体を襲ったからだ。
それに耐えられず、思わず悲鳴をあげてしまう。
「い、ぎいいいい!!!」
「あ、ごめんね、みーくん。痛かった?」
のたうち回る僕に、綾乃はそんな声をかけてくる。
それはひどく場違いなほど呑気なもので、これが現実ではないんじゃないかと、一瞬だけ思ってしまう―――綾乃の手に握られた、赤い包丁を見るまでは。
「ひぃっ!」
「ごめんね。ホントなら、すぐに楽にしてあげるつもりだったんだけど、つい…」
「綾乃!!」
悲鳴をあげながら恐怖に駆られる僕を前に、彼女は頭を下げてくるのだが、そんな僕と綾乃の間に、立ち塞がる影があった。
それは金の髪をした女の子で―――間違いなく、渚だった。
「アンタ、いったいなにしてんの!?湊を刺すなんて…そんな、なんで!?」
後ろ姿しか見えないけど、今の渚がひどく取り乱していることは声でわかる。
いつもの渚からしたら考えられないほどに、切羽詰まったものだったからだ。
「え?そんなの決まってるじゃない」
対する綾乃の声は落ち着いていた。
渚の言葉が確かなら、僕を刺したのは綾乃であるはずなのに。
まるで他人事のように、平然とした態度を保っている。
「だって、こうしなきゃ渚ちゃんに勝てないから」
そしてますますわからなくなるんだ。
綾乃の言っていることが。
今綾乃がなにを言っているのか、僕にはさっぱり理解出来なかった。
「はぁ!?勝てないってなにを…」
「みーくん、渚ちゃんのことが好きなんだもん。そして渚ちゃんもみーくんのことが好き。なら、私の入り込む隙間なんて最初からなかったってことでしょ?そしてきっと、これからもない」
わからないまま、その言葉を聞いた瞬間、僕の思考は止まってしまう。
(す、き?渚が、僕を―――?)
こんなことを考えている場合でないことはわかってる。
刺された場所から、今もドクドクとなにかが外へ流れている感覚がある。
今すぐ止血しないとまずいことも。必死で手で抑えているけど、まるで止まることなく溢れているのも、わかってはいる。
離れた場所にいる、おそらく夏葉さんであろう人も、今どうなっているかわからないのに。こんなことに思考を割いている余裕なんてあるはずもないってのに。
だけど、それが本当のことなのかもわからないまま呑み込んで。
体の痛みさえ置き去りにして、一瞬、なにもかも僕は忘れてしまっていたのだ。
「え。みなと、が…?」
あるいは、渚も僕と同じ気持ちだったのかもしれない。
僕と同じように、驚いて動揺しているのがわかる。
だからだろうか。この場で気持ちを共有していない唯一の存在が動いても、咄嗟に反応出来なかったのは。
「だから、私がみーくんを連れて行くの。渚ちゃんには、邪魔をさせない」
「!なぎ―――」
動き出した綾乃の手が大きく振るわれたことに気付いても、僕は声をあげることしかできなかった。
時間が空いてしまってすみません