気に食わなかったんだよ、佐々木さん
「が、あああ…」
私は声にならないうめき声をあげました。
ギリギリと首に食い込む指先が喉を圧迫し、思わず吐き気がこみ上げます。
いっそこのまま吐いたなら、この指を彼女は離すだろうか―――そんなことを考えてしまうくらいに、今の私は追い詰められていました。
「いい顔してるね、佐々木さん。すごく苦しそう。もっともっとその顔を見せてよ。きっと私も、これくらい苦しんでいるんだろうなぁ」
霧島綾乃。私の首を締め上げるこのクソ女が、ひどく楽しそうに嗤い続けているから。
(ふざける、なぁ…!)
苦しんでる?どこがですかこのヤンデレが。言動と表情がまるで一致してないじゃないですか。
苦しいのは私。貴女はじたばたともがく私を見て喜ぶ、イカレたサイコパスでしかない。境遇に天地の差がありますよこの野郎…!
「私ね、なんか変なんだぁ。さっきから、心がおかしいの。いつもの私ならできないだろうなって思うけど、歯止めが利かないんだよね。佐々木さんをこうしたいって思ったら、体が勝手に動いちゃった。ごめんね、佐々木さん。だけど、仕方ないよね」
謝るくらいなら離しなさいよ。なにが仕方ないのか意味不明にもほどがあります…!
ああっ、くそっ、苦しい。頭がチカチカしてくる。酸素が足りない。思考が鈍い。
そんな回転の遅れた今の私の頭じゃ彼女の考えなんて、まるでまったく理解できませんが、それでもわかるのはひとつだけ。
―――この女は、私を殺そうとしている
今の霧島綾乃は、狂ってる。私を殺すことなんてそれこそ躊躇がないくらいに。
それだけは、朦朧とし始めた意識の中で、ハッキリとわかることでした。
「っか、はぁっ!」
くる、しい。
息が、できない。
振りほどきたいのに、力が、強い。
元々インドアの私に比べ、テニス部である霧島さんのほうが体力があるのは当たり前のことですが、それでも相手は同性。腕力に絶望的な差があるとは思えません。
そこに希望を見出して、文字通り死に物狂いであがいているというのに、それでも彼女の両手を引き剥がすことができずにいます。
体のリミッターでも外れているのか、明らかに今の彼女の力は普通では考えられないものでした。
「ぎ、ぃぃぃ!!」
何度も何度も彼女の手に爪を立て、思い切り引っ掻いているというのに、まるで締め上げる力が弱まることがないのです。
血が出ているはずなのに。皮膚に食い込んでいるはずなのに。
それでもひるみすらしない。この女、本当に私と同じ生き物なのかと、そう思ってしまうくらい、今の霧島さんの力は異常でした。
「あははは、すごい声。女の子が出す声じゃないよ佐々木さん。きっとこんな姿をみーくんに見られたら引かれちゃうね」
明滅する視界のなかで、聞こえてくる笑い声。
まるで友人と会話しているかのような気軽ささえ感じるその声は、明らかに場違いなものでした。
本当に、彼女のなかでなにかが壊れてしまったのでしょうか。
だとしたら、そのきっかけを与えてしまったのは間違いなく私です。
けど、だからといって殺されるほどの罪を犯したとは、私にはどうしても思えないのです。
「はな、せ…はなせ、ぇ…!」
生きたい。
私は、どうしても生きたい。なにがなんでも生きたかった。
私には死ぬわけにはいかない理由があるのだから。
(湊くん…)
思い浮かぶは彼の姿。私の好きな人の顔。弱々しい彼の微笑む顔が、私に力を与えました。
私が死んだら、きっと湊くんは苦しむはずです。罪悪感に包まれるはず。
そう思うと、胸がどうしようもなく苦しいです。首の痛みを忘れてしまうほど、どうしようもなく後悔が襲ってくるんです。
「みなと、くんを、わたし、がぁ…」
守らなきゃ、いけないのに。
弱いあの人を、これ以上苦しめたくなかったから、私はここにきたというのに。
「……みーくんの名前を出さないでよ、むかつくなぁ」
「かはっ……い、ぎぃっ!」
私が彼の名前を呼んだ途端、霧島さんの様子が変わりました。
不機嫌な声でそんなことを呟いた直後、彼女は私の首から手を離し、そのままドンッと思い切り私の体を床に叩きつけたのです。
その勢いは強く、開放感を味わう間もなく肺の中に残っていた僅かな空気が半ば強制的に体外へと吐き出されました。
「が、ふっ!がぁぁっ……」
「私ね、ずっと気に食わなかったんだよ、佐々木さん」
それでも生きようと必死に空気を取り込もうとする私を見下しながら、霧島さんはしゃべり続けます。
その声は抑揚はなく、感情も乗せられていない、ひどく無機質なもの。
とても冷たい声でした。
「貴女がみーくんと付き合ってから、私たちの関係はおかしくなった。ヒビが入った。貴女さえいなければ、もっとなにかが違ってたかもしれないのに。私が先に付き合えていたかもしれないのに」
だけど、最後の言葉だけは―――
「みーくんと、ずっと一緒にいられたかもしれないのに」
なんだか、ひどく寂しそうに聞こえました。
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