恋する乙女
オレンジ色に薄く灯る提灯が吊るされた参道を、表の大鳥居に向かって僕は歩いていた。
祭りの終わりにはまだ早いが、それでも帰り道は屋台で買い物をする客と、晴れやかな笑顔で家路につこうとする祭り客で結構な賑わいを見せている。
僕ははぐれないように、隣にいる彼女の手をしっかりと握り締めた。
「大丈夫?夏葉さん」
「大丈夫です。湊くんが、前を歩いてくれてますから」
そう言って佐々木夏葉は顔を赤らめ、僕の方へと笑いかけた。
僕の手を握り返し、嬉しそうに微笑んでいる。
それを見て、僕も彼女に笑みを返した。
あの時、僕が選んだのは夏葉さんだった。
意識したわけではない。実際、僕の心は綾乃に傾きかけていた。
それでも、口から出た名前は、夏葉さんのものだったのだ。
つまりは、そういうことなのだと思う。
実際僕が告げた時、夏葉さんは目を見開いて驚いていたし、綾乃は明確に表情を落としていた。
その時ばかりはこちらに駆け寄ってくる夏葉さんよりも、綾乃のほうが気がかりで、思わず視線を綾乃に向けてしまった。本当に夏葉さんには、失礼なことばかりしている。
綾乃は先ほどまでの穏やかな表情は鳴りを潜め、下を向いて俯いていた。
間接的にとはいえ、僕はたったいま綾乃を振ったことになる。
安堵の気持ちと罪悪感がごちゃまぜとなり、僕の胸を掻き毟った。
それでも、謝りたくなる気持ちだけは必死に抑えた。
それだけは、口にしてはいけないと思ったから。
だけど、なにか声をかけなくてはいけない。だがなにを言えばいいのか分からない。
答えは出したものの、これではさっきの焼きまわしだ。
考えあぐねている僕に、綾乃がゆっくりと近づいてきた。
僕の腕にしがみついてきた夏葉さんは体を硬直させ、怯えるように体を震わせている。
さっきまでの綾乃とのやり取りで、綾乃に対し苦手意識が生まれたらしい。
痛いほどに僕の腕へと、指先の爪を喰い込ませていた。
「やっぱりまだ早かったみたいだね。おめでとう、夏葉さん」
「…え?あ、ありがとうございます…」
綾乃の声は穏やかだった。先ほどと変わらず、怒りや悲しみといった感情を感じさせない、聴き慣れた幼馴染の声だ。
こうなることがわかっていたかのように、わずかな諦めだけが滲んでいた。
そんな綾乃に律儀に答えるあたり、案外夏葉さんも図太かったりするのだろうか。
こんな修羅場の真っ最中に考えることでは、ないのだろうけど。
「綾乃、僕は…」
「なにも言わなくていいよ、分かってるから」
その先の言葉を、綾乃は喋らせてくれなかった。
僕の顔を見ることなく、彼女は通り過ぎていく。これで終わったのだと、安堵したその瞬間、綾乃は僕らに振り返った。
「まぁある意味すっきりしたよ。やっぱりこそこそやるなんてダメだよね。これからは正々堂々、みーくんにアプローチかけていくから。よろしくね、佐々木さん」
「は…?」
僕と夏葉さんは、思わず耳を疑った。綾乃は、なにを言ってるんだ。
「な、なに言ってるんですか!今の言葉、聞いてなかったんですか?湊くんは私を選んでくれたんですよ!!」
「うん、そうだね。まぁそれは分かってたことだし、そこまでショックじゃないから別にいいんだ。だから私もこっそりみーくんに私を意識させようとしてたわけだし。それに私、おめでとうとはいったけど、諦めるなんて一言も言ってないよ?」
けろりと、綾乃は言った。なんでもないことのように、そんなことを言ったのだ。
それはつまり、僕の言葉で彼女が引くことはないという、一種の意思表示でもあった。
思わず背筋が総毛立つ。
「それって、僕のことを諦めるつもりがないってこと…?」
「うん、絶対にね」
その言葉だけでもう、全てわかってしまった。
綾乃は頑固なところがあり、どうしても譲れないことに関しては意見を曲げないところがある。
今の綾乃の言葉には、これまで聞いてきたどんな彼女の言葉より、強い想いがのせらせていた。
「僕の気持ちは、無視するのか?それじゃストーカーと、変わらないだろ」
「ごめんね。本当に悪いと思っているんだよ。みーくんにも、佐々木さんにも。だけど私は、どうしてもみーくんが欲しい。あなたの全部が欲しい。絶対に誰にも渡したくない。あなただけは、誰にも譲れないの」
僕の精一杯の抵抗は、無意味に終わった。
きっともう、綾乃は止められない。その想いを、僕ははね退け続けることができるのだろうか。
「えっと…それってその、私や湊くんを刺したり、湊くんを監禁したりとか、しちゃうんでしょうか…?」
不意におずおずと夏葉さんが綾乃に質問した。しかも、えらく物騒な内容をだ。
僕は思わずぎょっとして、身を引きながら綾乃を凝視したが、綾乃はきょとんとした表情を浮かべている。なにを言われたのか、分からないという顔だった。
「え、なにそれ。なんでそんなことするの」
「いや、だってヤンデレならそうするのかなって…」
「しないよ。ヤンデレがなにか分からないけど、みーくんが死んじゃうなんて考えたくもないし。自分の気持ちを自覚できたのも、みーくんが倒れたことがきっかけだから刺すなんて絶対しないよ。それにうちは一軒家で両親いるし、監禁できる場所なんてないもん。トイレだってお世話するの厳しいし、みーくんにはやっぱり清潔にしていてほしいなぁ。こんなに綺麗な顔なんだもの」
「あ、そうですか。そうですよね…」
えらく現実的な答えが返ってきた。
まぁ冷静になればそうだよなと胸を撫で下ろす。こればかりは綾乃の常識的な対応に感謝した。
最後の言葉は余計だったが。
夏葉さんの質問で、場が少し弛緩したのを感じる。
少なくとも、先ほどまであった重苦しい雰囲気はなくなったと思う。
綾乃もそれを感じたのか、ふっと表情を和らげた。
「やっぱり佐々木さんって面白いな。改めてごめんね、こんなことになっちゃって。私佐々木さんのことは嫌いじゃないけど、絶対みーくんは返してもらうから」
「…絶対渡しません、霧島さんには」
綾乃を睨む夏葉さんにそっか、とだけ告げて綾乃は歩き出した。
もう立ち止まる気はないらしい。それでも、思い出したかのように最後に一言だけ僕らに投げかけてきた。
「佐々木さん、渚ちゃんにも気をつけといたほういいよ。私より、渚ちゃんのほうがずっと怖い子だから」
「渚さん…?」
「まぁ、小さな仕返しって感じかな。あとはライバルへのお詫びってことで。じゃあねみーくん、佐々木さん」
意味深な言葉を残して、今度こそ綾乃は去っていった。
その後ろ姿を見ながら、ここにいない渚のことが、急に気になってきた。
綾乃は渚に協力してもらって二人きりになったと言った。
夏葉さんは渚に言われて僕らを探しにきたと言っていた。
渚は、なんだ。なにを考えてるんだ?
「みーなーとーくーん?」
思考の渦にはまりそうになった時、右腕から伝わる強烈な痛みで、そちらに意識をそがれてしまう。
思わずそちらに目を向けると、ジト目で僕を見上げながら、腕をつねり上げる夏葉さんの姿があった。
「夏葉さん?痛っ、痛いって」
「そりゃ痛くするためにやってますから。ていうかなんなんですか!霧島さんとキ、キスしてたり、告白されてたり、なんか勝手にライバル宣言されちゃったり!あの人なんなんですか!湊くんも、なんなんですかぁっ!」
そう言って癇癪を起こした夏葉さんは、今度は足まで踏んでてきた。
今日は浴衣のため、靴ではなく普通に下駄であり、素足は剥き出し。
相手も草履とはいえ、ぶっちゃけかなり痛かった。夏葉さんも泣いていたが、僕も違う意味で泣きそうだ。
「ごめん、夏葉さん。綾乃とのことを話すよ、話すから」
「今ここで全部話してください!なにも誤魔化さず、ほんとのこと全部話してください!」
…全部、か。
「わかったよ。でもここだとまた誰かきちゃうかもしれないし、一度神社から離れてからでもいいかな?この先に公園があるんだ。そこで、全部話すよ」
「…ほんとですね?」
「うん、約束する」
僕の目をじっと見つめていた夏葉さんは小さく分かりましたと呟いて、ようやく腕を離してくれた。
僕はその手を逃がさないよう掴み取る。
そのままできるだけ優しく、手を握った。
「じゃあ、行こうか」
「…はい」
そして僕らは歩き出す。僕は覚悟を決めた。
全部、話そう。僕の本心を、そして彼女をどう思っているのかを。
許してもらえるかは分からない。また泣かれるのかもしれない。
でも、もう誤魔化して、嘘をつくのは止めよう。
僕は、夏葉さんと今日心から向き合う。
そう、決めた。
彼女はまだ僕の本心を知らない。だけど、僕の手をギュッと握り締めてくれた。
「…あんなことがあったけど、ちょっと嬉しかったですよ。湊くんが、私を選んでくれたこと」
顔を俯かせ、優しい声で言ってくれた言葉が、ただ嬉しかった。
「やっぱり綾乃は駄目だったかー」
あたしはスマホを未だに震動させている名前をみて、事態を察していた。
まぁこうなるとは思っていた。湊は頑固だ。
足場も固めず突貫したら、こうなることは目に見えていた。
今の恋する乙女な綾乃は我慢が足りない。まさに恋の暴走特急だ。まさか親友がこうなるとは。
恋というものの恐ろしさと激しさを、改めて思い知ることになっていた。
夏葉も今頃安堵していることだろう。そのまま勢いに任せてベッドイン!…それはないか、さすがに。あの二人だし。
「ま、とりあえず綾乃に見つかったら面倒だしここから離れますか。延々と愚痴聞かされそうだし」
「さっきからなにやってんのよあんたは」
その声に顔をあげると、呆れた顔をしたつかさの姿があった。
後ろには同級生も何人かいる。夏葉と別れたあと、彼女のグループに合流したのだ。
「ちょっと綾乃達と連絡とっててさ。あっちは先に帰るって。捨てられちゃったし、あたし達もここからどこかに遊びにいかない?」
「あんた達仲いいのか悪いのか分かんないわね…」
「あ、じゃあファミレスいかね?俺奢るからさ!」
「いや、俺が奢るって。ほら、早くいこうぜ」
数名の男子が早速食いついてきた。
奢るかどうかはどうでもいいけど、この場を早く離れるというなら好都合だ。
乗らない理由はないし、あたしはすかさず場を煽る。こういうのは得意分野だ。
「あ、それじゃ今日は男子の奢りね。あたしまだまだ食べるから期待してるよー!」
「まだ食べるのあんた…」
あたしはつかさの背を押しながら神社から離れていく。後ろからはグループの面々ももちろん付いてきているが、それよりも遠目に見えた白い浴衣姿の女の子のほうが気がかりだった。
綾乃が不機嫌そうな目でこちらを睨んでいるのが見て取れた。
こちらに合流する気はないのだろう。今日は逃げ切り。あたしの勝ちだ。
こういう時、周りの肉壁というのは便利だ。数は力。ただいるだけで、役に立つこともある。
綾乃はそこらへんはまだまだで、アメとムチも使い分けることができていない。
ほんとは教えてあげたかったけど、袂を分かった今、もう綾乃に力添えしてあげる理由はなかった。
あたしが湊を好きだと打ち明け、協力しようと手を差し出した、あの日。
あたしは、きっと綾乃なら手を取ってくれると思った。
あたし達が揃えば、なんでもできる。
二人なら絶対湊を幸せにできる。
他の人じゃ駄目だ。あたし達三人の間に入ることなんて許せないし、許さない。
ずっと三人一緒だと、あの時あたし達は約束したのだ。
きっと綾乃も約束を覚えている。だからこの手を、きっと握ってくれる。
そう、信じていたのに
―――渚ちゃんのことは大好きで、親友だと思っているよ
―――でも、みーくんだけは駄目。みーくんは私だけの人にしたい。渚ちゃんでも、譲れない
―――だからごめんね、渚ちゃん。二人でみーくんを分け合うなんて、できないよ
私の手を、綾乃が取ることはなかった。
その後、お互いに必要な時は協力することは約束したけど、綾乃曰くあたしはもう恋のライバルであるらしい。
親友でもなく、幼馴染でもなく。
湊を巡る、恋のライバル。
あたし達の関係は、変わってしまったのだ。
そんなの、望んでいなかったのに。
「世の中上手くいかないなぁ…」
思わず呟いてしまった言葉に、つかさが目ざとく反応する。
怪訝な顔をする彼女を、なんでもないよと軽くいなした。
そして今度は気づかれないよう小さくため息をつく。
人前では滅多に弱みをみせることはないが、あたしもいろいろ疲れていた。
湊が付き合ってから、あたし達の歯車が狂いっぱなしだ。
ずれてしまった歯車はきっと、もう戻ることはないのだろう。
なら、あたしも前に進むしかない。
わかってる。人生なんてこんなもの。人の気持ちも移り変わる。
だからこれも、仕方ないことなんだ。
綾乃も夏葉も、どうか恨まないで欲しい。
最後に勝つのは、あたしだから。
あたし達はずっと同じものを見てきた。
同じことを体験し、同じ気持ちを共有してきた。
だから同じ人を好きになった。
ずっと一緒にいたのだ。お互い、手の内は分かっている。
綾乃もあたしの考えを、ある程度は把握していると思う。
でもね、綾乃。あたしと綾乃じゃ、とても大きな、そして決定的な違いがある。
夏葉もそうだ。それが分からない限り、二人はあたしに届かない。
だからどうか頑張ってほしい。二人でたくさん湊を取り合って、奪い合って、たくさん傷つけてあげてほしい。
だってほら、言うじゃない?
――恋する乙女は盲目って
――――あたしはただ、待てばいい
いつもありがとうございます
短編含め、書いた4作全てジャンル別ランキング入りしていました。素直に嬉しいです
感想もらえるのもうれしい
これからもいくつか短編書こうと思います、よろしくお願いします
一応今日投稿した短編三作目はこちらです、よろしければお願いします
https://ncode.syosetu.com/n6415fx/