罪と別れ、そしてケジメ
引き続き綾乃視点です
「健人くん、ちょっといいかな?」
次の日、みーくんのいない教室で、私は朝のHRが終わったばかりの休み時間に、前原くんに話しかけていた。
本当は朝のうちに話したかったのだけど、今日の前原くんは遅刻ギリギリの時間に登校してきたため、話しかけられなかったのだ。
私達がみーくんと一緒に保健室に行った後、前原くんは先生に連れられて、事情を聴くために職員室に行ったらしい。
その後、保健室まできたところで、渚ちゃんが追い返したところまでは知っているのだけど、戻った教室でクラスメイトから責められたらしかった。
詳しいことは聞かなかったけど、なかでも圭吾くんがすごい剣幕で前原くんに詰め寄っていたことを、つかさちゃんから教えてもらっていた。
それもあってか、いつもは私達よりも早く登校しているはずの前原くんが教室の扉を開けた時、クラス中が刺すような視線を彼に向けていた。
少し前まではいつも一緒にいた圭吾くんも、前原くんとは目も合わせず、近寄ろうともしなかった。
どうやらみーくんは、私が思っていたよりも、ずっとみんなから好かれていたようだ。
不謹慎だと思いながらも、その事実が私には嬉しかった。
本来なら前原くんが謝ってみーくんが許すことで、きっと場は収まるんだろうけど、肝心のみーくんは今頃病院にいっているはずだ。
謝まる相手がここにいないという事実が、教室に重い空気を生み出している原因だと思う。
こういう時に率先して場を明るくしてくれる渚ちゃんも、まるで動く様子はない。
机に頬杖をついて、つまらなそうに前を見ていた。
きっとこのままいけば、前原くんは孤立するだろう。
いじめまではいかないだろうけど、明らかに彼をクラスの異分子として扱う空気が蔓延している。
今この空気を壊せるとしたら、それはきっと私だけだ。
仮にもひと月以上、前原くんとは恋人同士として接してきたのだ。
彼に優しく笑いかけ、みんなにも気にしないよう一声かければ、きっとこの空気は払拭される。
前原くんも安心するだろうし、クラスの雰囲気も元通り。
明日みーくんが戻ってきたら、いつもの騒がしい教室が、彼を迎えてくれるだろう。
前原くんもきっとそれを期待している。その証拠に、今も背後から前原くんのすがるような視線を感じていた。
昨日までの私なら、きっと前原くんを助けることを選ぶだろう。
みーくんもそうすることを望むだろうし、私達は多少ぎくしゃくしながらも、恋人として初めての夏休みを迎えているはずだった。
―――だけど、それはもう無理なんだよ
私はもう、気付いてしまった。自分の本当の気持ちを知ってしまった私は、もう前みたいに動けない。
わざとではなかったとしても、みーくんを傷付けるきっかけを作った前原くんを、私は許すことができなかった。僅かに芽生え始めていた彼への好意は、あの瞬間どこかへ行ってしまった。
多分もう、戻ることはないだろう。
なんとなくそれが、分かってしまった。
だから、せめてケジメだけはちゃんとつけないと。
そう思って、私は前原くんに声をかけたのだ。
これが前原くんをさらに突き落とすことになると、わかっていながら。
「あ、な、なに?綾乃ちゃん!」
私の言葉にどこか安堵したような愛想笑いを浮かべて、前原くんが食いついてきた。
ほっとしているのが手に取るように分かる。前原くんには、ちょっと小心者なところがあったことは知っていた。そんな彼には、やはり今の空気に耐え切れなかったらしい。
私が話しかけなかったら、前原くんのほうからこちらの席まできたかもしれない。
今この教室内で彼の味方をする可能性があるのは、彼女である私だけだと彼も分かっているのだろう。
その時、ガタリと誰かが席から立ち上がる音が響いた。
目の前に座ってこちらを見ていた前原くんの肩が、ビクリと跳ねる。
怯えた表情をしながらも、その視線は私の後ろを向いていた。それを見て、私は振り返る。
立ち上がってこちらを見ていたのは、渚ちゃんだった。
射抜くような目で、前原くんを見ている。
こんな表情の彼女を見たのは、みーくんをいじめていた子達に制裁した時以来だった。
「渚ちゃん」
大丈夫だから、という思いを言葉にのせて、私は親友を制した。
気持ちが伝わったのか、じっとこちらを見た後、渚ちゃんは席に静かに席に座った。
それを見て、私はまた前原くんに視線を戻す。彼はほっとした顔をしていた。
私が助けてくれたと思っているのだろう。自分の責任は、自分で取りたいだけなのに。
「あ、ありがとう。綾乃ちゃん…」
「ううん。それで、話を戻していいかな?」
お礼を言う前原くんの言葉を半ば聞き流しながら、話を進めることにした。
休み時間も残り少ない。この空気の中、あとでまた彼に話しかけるのは、正直苦痛だ。クラス中の視線が、今私達に集まっている。
「もちろん大丈夫だよ!なんでも話してよ。俺、綾乃ちゃんの彼氏なんだし!」
それを無視するように、前原くんが大きな声で答えた。
もう私にしか頼れない。目がそう言っていた。
そんな彼に、私は笑いかけた。これが、彼氏に向ける最後の笑顔かもしれないから。
「なら良かった。それじゃ放課後、屋上まできてくれないかな?話したいことがあるんだ」
「え…は、話したいことって」
前原くんの言葉を遮るように、途中でチャイムが鳴り響いた。
これ以上ないタイミング。それを聞きながら、私は自分の席へと戻る。
先生がくるまでの間、教室のざわめきは収まらなかった。
私の言葉を受けて、ヒソヒソと話す声も聞こえてくる。
屋上で私達がどんな話をするのか。それはきっとみんなの想像通りだろう。
休み時間のたびに話しかけてこようとする前原くんをあえて無視して、今日の放課後を迎えた。
渚ちゃん達がずっとガードしてくれていたのも大きいと思う。
屋上まで野次馬がこないよう見張るから安心して、という声を受けながら、私は教室の扉を開く。
少しだけ視界に映った前原くんの顔は、どこか青い顔をしていた。
七月の空は澄み切っていた。雲ひとつない快晴で、遮蔽物のない屋上で浴びる日光は肌には毒だ。
早くこないかな、とぼんやり思いながら、私は空を見つめていた。
思いが通じたのか、ガチャリとドアから音がする。
現れたのは予想通りの男の子。前原くんだった。
約束はちゃんと守ってくれたらしい。
そんな前原くんに、私は薄く笑いかける。
こんなに外は暑いのに、彼は僅かに震えていた。
「きてくれてありがとう、健人くん」
「いや、呼ばれたらくるのは当然だし…」
まずはお礼の言葉。彼に告白された時もこんなやり取りをしたっけ。
私がやることになるとは思わなかったけど。
「それで、話って…」
「うん、それなんだけどね」
前原くんはずっと目を合わせようとしなかった。きっとこのあとなにを言われるのか、分かっているのだろう。
私はすごく残酷なことをしようとしているんだ。
今まで告白は何度もされてきて、ずっと断ってきたけれど、今から言うことは、断りの言葉を述べるよりもずっと勇気のいることだった。
それでも、言わなくちゃいけない。
これは私のケジメであり、罪なのだから。
「健人くん、ごめんなさい。私と別れてください」
そう言って私は頭を下げた。
関係を結んでからそれを壊すことの辛さを、私は始めて味わうのかもしれない。
この気持ちを、みーくんにもさせてしまうんだろうか。
それでも、私は―――
「な、なんで」
その言葉に、私は顔を上げた。
目に見えて動揺している前原くんの姿がそこにあった。顔も青ざめ、信じられないという表情を浮かべている。
罪悪感で、胸が締めつけられそうだった。
「やっぱり、昨日のことが原因なのか?ほんとごめん!反省してるんだよ!俺、あの時どうかしてて…もう絶対しないからさ!湊にもちゃんと謝る!だから、別れるなんて…」
叫ぶように、すがりつくような声で前原くんが懇願の声を上げた。
今にも泣きそうな顔。認めたくないという顔。
ごめんなさいといいたくなる。このまま逃げ出したくなる。
でも、できない
私は、私の罪とちゃんと向き合わなくちゃいけない。
そうでないと、きっとみーくんの隣にいることだってできないから。
私はゆっくりと首を振った。
「ううん、違うの。確かにそれが原因と言えなくもないんだけど、私はむしろ感謝してる」
「感謝って…」
私の言葉を受けて、前原くんは怪訝なそうな表情を浮かべる。
当然だろう、分かるはずがない。私だって、ずっと気付かなかったことなんだ。
「あの時、みーくんが倒れたのを見て、私は自分の本当の気持ちに気付いたの」
「え…」
なにを言っているんだろうという顔。
それでも、私は言った。これだけは、言わなくてはいけないことだから。
「私は、ずっとみーくんが好きだったんだ。自分でも分かってなかったけど、倒れたみーくんを見てようやく分かった。私が本当に好きだったのは、みーくんだったんだって」
「湊、を…?いや、だってあいつ佐々木と付き合って!それに綾乃ちゃんのことはただの幼馴染だって、あいつ言ってたぞ!そういう目で見れないって、あいつは言ってたんだよ!」
前原くんの言葉は、きっと真実なんだろう。
私のことをただの幼馴染としてしか見れないから、離れたんだ。
それでも
「だろうね、でも関係ないんだよ」
「は…?」
そう、関係ない。
それでも、私は、みーくんが好きなのだから。
「それでも、好きだから。自分の気持ちに、これ以上嘘をつきたくないんだ」
そう告げると、前原くんは俯いた。伝えるべきことは全部伝えた。
これ以上、どう言葉をかければいいのか、私には分からない。
「…だよ」
「え?」
不意に、声が聞こえた。
顔を上げた前原くんの目は、血走っているように思えた。
「嘘ってなんだよ!俺のこと、好きだって思ったから付き合ってくれたんじゃないのかよ!俺だって頑張ったろ!綾乃ちゃんのこと、誰にも渡したくなくて、俺だけ見てほしくて空回りしちゃったけどさぁ!俺、ほんとに綾乃ちゃんのこと好きなんだよ!」
「…ごめんなさい」
間違いなくそれは、本心からの叫びなんだろう。痛々しくも、真っ直ぐな想いが伝ってくる。
それでも、私にはその想いを、もう受け入れることはどうしてもできない。
今はもう、ただ謝ることしかできず。
最後の本音も、私はさらけ出すしかなかった。
「…前原くんと付き合ったのは、みーくんに嫌われたくなかったからなんだ。これ以上、みーくんから離れたくなかった。佐々木さんと付き合ってるみーくんと、距離を置くようなことしたくなかった」
「なんだよ、それ…」
前原くんの声は震えていた。
体もぶるぶると震えている。でもそれはきっと、さっきまでとは違う震えだった。
彼は今、怒っている。なら、私はそれを受け入れなくてはいけないんだろう。
前原くんが一歩踏み出し、私はギュッと目を瞑った。
その時
「はい、そこまで」
いつの間にか、私達の間に割り込んできた渚ちゃんが、前原くんを制止していた。
前原くんが怒りの声を上げる。
「どけよ、月野。俺は綾乃に用があるんだよ」
「悪いけど、それはできないかな。明らかに今の前原くんは冷静じゃないしね」
渚ちゃんが淡々と答える。今の前原くんに対し、一歩も引き下がらない。
そんな意志を感じる声だった。
昔、ガキ大将だった頃の渚ちゃんの背中を、何故か思い出してしまっていた。
「どかないなら、容赦しないぞ」
「別にどうぞ。負けるつもりないけど、やっぱり今の前原くん冷静になれてないよ。下に私の友達もいたこと忘れたの?女の子に暴力振るったなんて広まったら、きっと学校いられなくなっちゃうよ」
「…くそ」
冷静に諭す渚ちゃんの言葉を受けて冷静になったのか、前原くんはこちらに背を向けて、屋上から去っていった。
…結局傷付けてしまった。丸く収まるなんて思ってなかったけど、後味の悪さは拭い切れない。
泣く資格なんて私にはないのに、急に涙がこみ上げてくる。
「う、あああ…」
泣いている私の背中を、渚ちゃんは何も言わずに、ずっと優しく撫でてくれた。
渚ちゃんは、本当に優しい。私も、渚ちゃんみたいになれたらよかったのに。
放課後の屋上で、私は涙が枯れるまで、ただずっと泣き続けた。
去っていく前原くんがどんな表情をしていたのか、気付かないままで
ブクマと評価ありがとうございます
好きじゃないのに付き合ってたと言われたらこんな反応する子もきっといるよね
ラブコメの友人ポジは大人すぎます
次回で完結の予定です
第一部とかプロローグ的な意味で
話はちゃんと続きます
さぁ頑張れ湊くん