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うちのパーティありがちでして   作者: 阿古あおや
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紅鴉

 「ふむ…通常の火球に比べ、やはり発火は控えめか…」


 男は目を細め、もうもうと粉塵に包まれる建物だった場所を観察していた。

 そこには商品の残骸と、冒険者、などと名乗っていたクズがいる、はずである。


 とは言え、男は実際にそのクズを見ていない。

 性懲りもなくやってきた冒険者…三人だったか、四人だったか…のうち一人を魔獣の餌にしたら、残りが命乞いを始めた。残飯掃除に使おうと思うが良いかと連絡がきたので、好きにしろと答えただけだ。


 どうせ商品も何もかも、実験の終わりには片付けるつもりだった。


 クバンダ・チャタカラの生き残りもあとは女王と数匹だけだろう。

 やはり、この辺りでは実験に使える時間が短い。

 完全に屋内へ収納しても、低温で死んでいく。

 火をたくなりすれば気温は上がるが、煤や煙で死ぬ。


 魔獣の面白いところはそこだ。


 魔獣は、非常にアンバランスだ。

 異界とのはざまに生きる生き物なのだからなのか、その身に宿す魔力がそうさせるのか、この世界の生き物のように安定していない。


 クバンダ・チャタカラほどの大きさの虫がいるとして、その虫がちょっと燻されたくらいで死ぬだろうか。

 もっとずっと小さな虫ですら、鍛冶場の片隅に巣食っているというのに。


 あの恐ろしく強大な竜でさえ、本来棲息する地域から離れれば脆い。


 雪山に住む氷竜をこの辺りに連れてくれば、熱でのぼせて死ぬという。

 逆に火山の火口に住まう火竜なら凍死だ。

 大海を泳ぐ海竜は、陸に上がれば自重を支えられず内臓を吐き出す、と文献に記されているし、湖沼に棲む水竜は僅かな塩分の差で溺れると聞く。


 なんと面白く、愛しい生き物なのだろう。魔獣という存在は。


 今回は飼育が容易なクバンダ・チャタカラを用いてみたが、機会があればもっと違うものを飼育、観察してみたいものだ。


 そのための実験も、今日でとりあえずの結果が出せる。


 うまくいくとは、ほとんど思っていない。

 だが、もし、男の仮説が正しければ、明日の朝にはこの山で、新種の魔獣が発見できる可能性がある。


 そう考えると、男の口角は自然と上がった。


 周囲の弟子には、男の実験については教えているが、その結果何を期待しているかまでは教えていない。

 まして、更に周りを囲む下僕どもには。

 教えても、理解すらできないだろう。


 クバンダの蜜と言う商品を使った副業は、まあまあうまくいっていた。

 もうひとつの商品と餌の調達は下僕に任せてあったが、ここ一月二月は随分と杜撰だったようだ。

 うまくいきすぎるのも考え物だ。緊張が緩む。


 その結果、どうやらアスランの猟犬に嗅ぎつけられたらしい。


 やはり、アスラン国内…いくら国境の街とは言っても、アスラン王の直轄領であり、代々の一太子が任される要衝の地に持ち込んだのは拙かった。


 そっちの方が高く売れるからと言う下僕にやらせてみたが…三日前に処刑されたようだ。

 その報告を実験場を整理しつつ聞いた時、手間が省けたとは思ったが。


 下僕どもをどうするかは、まだ決めていない。

 実験が成功すれば自然と死ぬだろうし、失敗したときは始末を考えなくてはならない。

 弟子たちの実力を試す機会と思えば、無駄にはならないか。


 そんなことを考えつつ、男は収まりつつある粉塵を見ていた。


 狭い建物の中で火薬を炸裂させると威力が数倍になる…それを聞いてから、やってみたかったことだ。


 あの資材置き場には、火薬を仕掛けて置いていた。

 本来なら、精々樽を吹っ飛ばす程度の威力でしかない量だ。

 それを間隔をあけて仕掛けてある。


 あとは、そのうちのひとつに火をつけるだけ。

 発火、という見習い魔導士でも出来るような初歩の初歩の術を遠くから発動させるだけだ。


 結果は、建物が一つ吹き飛んだ。


 面白い。

 一ヶ所に大量の火薬を仕込めば目立つし、威力が大きすぎて着火時に自分にも危険が及ぶ。

 だが、この方法ならばうまくいくかもしれない。


 大学の、あの学者面をした臆病ものどもを、醜悪な建物と共に吹き飛ばす。


 それを想像すると、ますます男の口角は吊り上がった。近くに立つ、男の言う下僕が薄気味悪そうに視線を逸らす。


 男の研究を外道と罵り、研究室を破壊し、論文を火にくべ、男と弟子を皆殺しにしようとした臆病ものども。

 人が次の存在になるために、魔を研究し、その力を取り入れることが必要なのだと、どうしてわからぬ。


 ここは人が学び、世界を識るための場所だ。人でないものになるというのなら、排除するしかない。


 そう傲慢に宣い、男を罪人と判じた、学長でございとふんぞり返る老人ども。


 今に見ていろ。

 その自慢の脳もクソもわからなくなるほどぐちゃぐちゃに吹き飛ばしてやる。


 視線を背けた下僕は、今度は距離をそろりと開けた。


 それを見咎め、弟子の一人が口を開く。

 粉塵は身に纏う暗灰色のローブを白く染めており、鬱陶しそうに弟子はフードを降ろした。それだけの仕草でふわりと周囲が白く煙る。


 爆発により周囲に飛び散る瓦礫などから身を守るため、防護壁は展開しておいたが粉塵までは防げない。

 その防護壁も、もう効果時間が切れたらしく消滅していた。


 時折、小さな礫が…おそらく、かなり上空に巻き上げられたのだろう、ぽつんと降ってきて地面や下僕たちの上で弾ける。


 もうもうと、津波のように粉塵は押し寄せ、世界を白く染めていた。


 その白く煙る空間に、散る赤。


 「!?」


 男は己の頬に叩きつけられたそれを、反射的に手で拭った。

 どろりと赤い、液体。

 血。


 中にいたクズの肉片が液化したものか、という仮説は、すぐに否定される。


 フードを外した弟子が、どう、と音を立てて倒れた。

 左右別の方向を見ている…否、眼球を向けている目のその間に、一本の矢が突き刺さり、矢羽根を震わせているのをみれば、その血の出どころは疑いようもない。


 眉間の骨を、彼の教えを詰め込んだ脳を。

 そのたった一本の矢が破壊したときに飛び出した弟子の欠片が、彼の頬を赤く汚している。


 男の脳裏に過ぎるのは、彼の聖域に吹き込んできた愚者どもの蛮行。


 あの愚者どもの百倍は価値がある弟子たちを、まるで獣のように無造作に破壊し、ただの肉塊へと変えていった、許しがたい行為。


 何故だ。なぜ、また、わたしからうばっていく?


 男の沈黙を、下僕どもは構っていられなかった。

 視界は悪く、敵は飛び道具を持っている。

 こちらは密集している。今、弓が当たったのが偶然だったとしても、次に射貫かれるのは自分かもしれない。


 「弓だ!伏せろ!」


 一瞬の沈黙ののち、誰かが叫んだ。

 その声に引っ張られるように身を伏せる者、その場から飛び離れて一番近くの建物の陰に隠れる者、一瞬にして指揮が崩れる。


 「うろたえるな!今、守りを固める!」

 男のすぐ後ろで他の弟子が、叱咤と共に手をかざし術式を展開させた。

 風壁の守り(シルフィンプロテクト)

 矢を防ぎ、風の流れで粉塵を払って視界を広げるつもりだろう。いい判断だと内心に弟子を誉める。


 だが、その術式が展開しきるよりも早く、力ある言葉を紡ぐ口を、矢が貫いた。


 「おのれ…!」

 目を見開き、男は指に嵌めた輪をこする。

 その瞬間、突風が吹き荒れ、男たちを守った。


 これ以上、私からは奪わせない。

 愚か者が賢者を弑すなど、あってはならないのだ。

 どこのくずかはわからぬが、この矢を放ったものは絶対に許さない。

 死を懇願するほどに思いしらせる。


 下僕どもは二十八人残っている。

 所詮は下劣な生き物だ。大した働きはできないが、そこは期待していない。

 期待しているのは、報復の手段だ。塵のような存在でも、何かの役には立つものだ。


 風は粉塵を巻き上げ、散らしていく。


 その中に混じって、一本の矢がくるくると回っていた。

 指輪に込められた陣が発動するのがあと僅かに遅ければ、矢は誰かを貫いていただろう。


 (この視界の中、何故弟子を狙い撃てた…!)


 矢は、崩壊していく建物の方角から飛んできたように思えた。

 ならば、あちらからもこちらは見えていない。


 いや、その前に。

 なんで、生きている?


 怒りで赤黒く濁っていた思考が元々の明瞭さを取り戻すと、真っ先に浮かんだのはその疑念だった。


 建物の中にいなかった。それが一番妥当な答えだろう。


 だが、突然建物が爆発し、瓦礫が周囲を破壊する中で、何故、男たちを攻撃するという思考に達する?


 まともな思考能力があれば、退くだろう。


 男への追手か?隣国までわざわざ、大学が追手を差し向けたのか?

 ありえない。

 結局、あの老害どもは自分たちの領域を守ることしか頭にない。

 どこかへ立ち去ったなら、敢えて追うことはしない。


 下手に追及して、王家の介入を招きたくはあるまい。

 学問の発展にとっては妨げにしかならない。


 王族の誰だかが、彼が追放される前の年に学者の称号を得ていたが、反吐が出る。


 どれほど特別な血を引こうと、学問の前では皆等しく無力だ。

 それなのに、王族と言うだけで二十歳になるかならぬかという若造が、学者の称号を得る。なんという悍ましい忖度だ。


 どれほどの金が積まれ、圧力がかかったのか。


 許せない。やはり、あいつらは愚者だ。

 腐り切っている。腐ったものは処分しなくては。

 それが己の、学問の徒としての使命でもある。


 王族には王族の使い道があるのだ。

 それは、神聖な学問の道を物見遊山で踏み荒らさせることではない。


 その興奮を伴う決意が、僅かな動揺を鎮めた。死んだ弟子はもったいないが、これから役立てればいい。まずは、何が起こったのかを把握するべきだ。


 男は懐から眼鏡を取り出した。視力強化の術式が込められた魔道具だ。

 もちろん粉塵で遮られていては何も見えないが、間もなくそれも晴れる。


 問題は、距離だ。肉眼で見えにくくては観察もできない。


 建物までの距離はそれほど離れてはいない。

 爆風で近くの建物が連鎖倒壊する可能性もあったので、目標の建物を広場で挟んだ反対側にいるだけだ。


 その広場の北側に、かつて聖女神殿と呼ばれ、今は男の実験場へと至るための階段がある。


 材料が単体でやってきたときには流石に少し驚いたが、別に不都合はない。

 他の商品がついてこなかったことについても気にはなるが、下僕と違って男は副業にそれほど熱心でもない。

 必要なだけの金は手に入ったのだから、商品の未配などどうでもいいことだ。


 いや、今はそんなことは本当にどうでもいい。


 男は視線を、倒れた弟子へと向ける。


 口を撃ち抜かれた弟子は、藻掻きながら矢を抜こうとしているが、流れる血と共にその動きは弱弱しくなっていく。

 あと、数呼吸で絶命するだろう。


 否、その呼吸ができないのだ。

 矢と流れる血は気管を塞ぎ、呼吸を妨げる。死因は窒息だ。


 中々優秀だったのに、惜しいことだ…そう思いながらも、男は弟子の壮絶な死に顔ではなく、その命を奪った矢を観察した。


 それは、西方諸国(このあたり)で使われる矢ではないように見える。

 おそらく猛禽のものであろう矢羽根や、矢柄に用いられている木材が違うのだ。長さそのものも随分と長い。


 「やはりアスランの犬か…!」

 再び赤黒い怒りが思考を染めかけるが、男の観察中であるという自制がそれを押し止める。


 大学の追手ではなくとも、アスランには彼を追う理由がある。


 クバンダの蜜は、禁制の品の中でも特に追及が激しい。

 交易相手ではあるが、潜在的な敵国であるメルハ諸国が裏にいる可能性があるからだ。


 今回もそれに引っかかるかと思ったが、どうやら処刑される前に下僕は洗いざらい吐き出したようだ。

 舌打ちしつつも、男は疑念を拭い去れなかった。


 早すぎる。


 下僕が処刑されたのが三日前。

 アスランでは明らかに罪があると判じられれば、捕縛したその日に処刑も珍しくはない。

 もし、その間に男のことを吐いたのだとしても、アスラン国境からここまで三日で辿り着けるものではない。

 馬を飛ばしても十日はかかる。もっと前に捕縛されていたなら、男の元になんらかの報告があるだろう。


 それならば、これはなんだ。


 男の視線は、再び風の向こうへと向き直る。


 粉塵は吹き飛ばされ、土台と壁の一部だけを残した建物の残骸が現れていた。

 瓦礫は近くの建物に降り注ぎ、破壊している。

 広場にも転々と、屋根や壁の一部だったものや、それにべしゃりと張り付く肉片が散らばっていた。


 その、破壊の中心地。

 そこがうっすらと光っている。


 「御業か…」

 さらに舌打ちを漏らしつつ、男は目を細めた。


 『聖壁』なら、爆発にも耐えきっただろう。

 だが、それなら相手は神官が最低五人必要だ。

 前後左右に上部、場合によっては下部にも展開させなければ、堪え切れるものではない。


 だが、それなら何故、立っている人影は、四人しかいない?


 先頭の人影が、円形の小振りな盾を掲げている。


 盾?盾だと?

 男は、身を乗り出した。


 盾を起点に発動するなら、それは『聖壁』の御業ではない。

 騎士が行使する御業、『盾』だ。


 「ありえん…」


 『盾』は神の声を聞けなくても、ある程度の素質があれば行使することができる。

 神の力を受け止めるのは、騎士ではなく、その手が持つ盾だからだ。


 だが、その分なのか、発動元が盾だからなのか、まさに「盾」としての働きしかできないはずだ。


 今の爆発ならば、襲い来る瓦礫からは身を守れる。

 だが、爆風や高熱の前には無力だ。

 それになにより、前方の僅かな範囲、発動体の盾よりも一回り二回り広がった範囲にしか出現しない。


 こんなふうに。


 すっぽりと、四人を覆って、まだあまりあるほどの範囲で。


 柔らかな光を放ちながら、存在しているなど。


 「ありえん!」

 男は茫然と呟き、さらに目を凝らした。


***


 白い光が、視界を焼く。

 同時に鼻を打ったのは、火薬の臭い。


 「クロム!」


 退避は、間に合わない。

 この場で、凌ぐしかない。


 ファンの脳裏に弾けた答えは、彼の守護者の名を呼ばせた。


 だが、例えその声がなくても、クロムは躊躇わず同じことをしていただろう。


 盾を前に構えると同時に、応える。

 主の呼び掛けに、その信頼に。


 「『砦』よ!」


 額にびしりと痛みが走った。

 微かに感じる生ぬるさは、おそらく額から鼻筋にかけて血が流れたためだろう。


 だが、そんなことは心底どうでもいい。


 光が、それこそ光の速さで広がっていく。

 構える盾を起点に、すっぽりと、彼と彼の主と、仲間たちを覆うように。


 『砦』と言ってはいるが、この御業を発動するときクロムが思い出すのは、アスランの遊牧民が住居とする天幕だ。


 ユルク、と呼ばれるその住居は円形で、どんな寒風も冷たい雪も、その中には入ってこない。


 幼いころに白い死から逃れ、招き入れられた絶対に安全な場所。


 その記憶が、この『砦』の形を作っているのかもしれないとクロムは思う。

 そうであったとしても、検証はできないが。


  これを行使できるのは、世界にただ一人、自分だけのはずだ。

 あの胡散臭いのが嘘を言っていなければだが、嘘を吐く理由もないだろう。


 何も、この中に入れない。白く荒れ狂う爆発も、軽々と宙に浮いて凶器と化している瓦礫も、家具が燃え出すような高熱も。


 それら主を害するものは全て、光に阻まれ『砦』に沿って流れていく。


 それは、クロムの意思だ。

 守る、決して傷付けさせないという、守護者としての意志だ。


 クロムは、神などに縋るつもりはない。


 これを信仰心の現れだという輩がいたらぶん殴る。

 額を裂いて血を流させる刻印を授けた神を、クロムは信奉してなどいないのだから。


 「騎士神リークス…」

 敬意もなにもなく、唸るように、その名を呼ぶ。


 腕が押し返されている。周囲で荒れ狂う破壊の渦が、『砦』を圧しているのだ。


 「『砦』を、もっと硬くさせろ…っ!」


 笑いながら頷かれた気が、した。随分と苦笑に近いものではあったが。

 だが、それと同時に腕を押す力が弱まる。否、盾を掲げる力が増す。

 それを証明するかのように、光が輝度を増した。


 背中に庇う仲間の様子はわからない。

 誰も何も言わない。全員、静かにクロムを見つめている。


 信じているのだ。クロムのことを。


 その信頼に応えようなんて言う殊勝さはないけれども。

 圧し負けて「あーあ」なんて言われたらぶっ殺したくなるし。


 ここで雑魚どもとは違うことを見せつけておくのは悪くない。

 いや、何時も見せているが、思い知らせてやるのだ。


 そんなことでも考えていないと、意識が曖昧になっていく。


 御業は本来、神が信徒の身体へ己の力を流して発動するもの。

 しかし、天界という異界に住まう神々の力は、地上にもたらされる頃にはずっと弱まっている。

 だから、奇跡の力とはいえ万能ではない。


 刻印はその神の力を直接受け止め、発揮させるのだという。

 本来なら、そこに信仰心などの受け入れる下地が加わり、負担の軽減がなされることで、刻印の保持者は強力な御業を行使できるのだと。


 逆に言えば、対応する神に対して信仰心もなく、無条件に受け入れることができないものが刻印を通して御業を発動させた場合、刻印周辺の体組織が神の力に耐えきれず…破壊される。


 今のクロムの額が、鮮血に塗れているように。


 その強すぎる力は、クロムの魂を曖昧にしていく。

 自分を保てなくなった場合どうなるのかは知らないが、愉快なことではないだろう。


 そっと、主の手が背中に触れた。

 見ていなくてもわかる。その手が伝える暖かさは、ずっと昔から知っている。


 最初は、白く染まる世界で。

 あの後高熱を出したせいか、本人としては別に大したことではなかったという認識からなのか、ファンは最初の出会いを覚えていないけれど。


 再会したのは、大都で。

 すぐにあの時の人だと、クロムにはわかった。

 他の友人らと一緒に奴隷商人に捕まって競売に出される寸前に、助けてくれた。


 そしてそれから、少しだけ大きくなって、運命を突きつけられた。


 その運命を掴んだ右手が、背に添えられている。

 百万の大軍を従えるより、ずっと、ずっと、心強い。


 その手が温もりを失わない限り、命の鼓動を紡ぐ限り、クロムは負けない。


 騎士神の刻印は額を裂き、新たな血が流れて顔と服を汚し、痛みが火花のように散っている。

 だが、そんなものなんでもない。むしろ、意識を刺激して明瞭にさせてくれる便利なものだ。問題ない。


 クロムの口許が、不敵な笑みを形作る。


 曖昧になりつつあった『クロム』が明確な輪郭を取り戻し、それに応じるように『砦』を形作る光は、ますます強く明るくなっていく。

 微かに感じていた熱や焦げ臭さすら締め出して、微塵もゆるぎなく『砦』を形作る。


 荒れ狂う破壊の中、彼らが立っている場所だけが、床も壁も敷物すら、すっぱりと切り取られたように変わっていなかった。


 「クロム、よくやった」

 背中から手が離れる。


 視線だけを向けると、ゆっくりとファンが矢を弓へ番えているのが見えた。


 その表情は、いつもの柔らかさを拭い去っている。


 きり、と弓を引き絞り、クロムには見えない標的を狙うその顔は、冒険者の頭目(パーティリーダー)のものではない。学者としてのそれでもない。


 紅鴉(ナランハル)

 地上で唯一、その名を許されるものの顔。


 『砦』にかかる圧が消えていることにクロムは気付いた。

 どうやら、破壊の嵐は収まり、今『砦』に加わっている攻撃は、吹き上げられたもろもろが落下してきている衝撃のようだ。


 断言できないのは、粉塵と黒煙で視界がまったく効かない為だが、その中でも、ファンの満月色の双眸は何かを見ている。


 いや、何か、というのはおかしい。そこは、断言できる。


 矢の先にあるのは、敵だ。

 主が敵と断じたクソどもが、この煙の先にいる。


 口に入ってきた己の血を、クロムはぺっと床に吐き出した。


 『砦』はまだ解除しない。

 先ほどまでの強度は不要だろうが、もう少しは持たせるべきだろう。

 敵にも飛び道具を持っている輩がいれば、乱戦になるまでは維持が必要だ。


 「まずは、弓で先制を取る。敵の規模はわからないが、減らせるだけ減らそう。その前に、ユーシン、ヤクモ。彼女たちを連れて森の中に。避難させたらすぐ戻ってきてくれ」

 「心得た。ヤクモ、そっちの娘を持て」


 ファンの指示に、ユーシンは素早く応じた。言うなり、衝撃で失神した少女を肩に担ぐ。


 「うん!」 

 裸の少女を担ぐのは、ヤクモにとっていろいろな意味で大変な作業だが、そうも言ってはいられないことはもちろん理解している。


 微かに震える手に力を籠め、ヤクモもぐったりと弛緩した少女を肩に担いだ。

 本来なら、少女特有の甘い匂いのするだろうその体から漂う生臭さは、彼女が受けてきた仕打ちの結果だ。

 そう思うと、哀しくなる。涙が滲んで視界が揺らぐ。


 それでも、彼女たちは生きている。

 助かることが最善かは、ヤクモにはわからない。

 けれど、ここで殺されていいわけでもないだろう。


 ユーシンは視界の悪さなど何でもないというように、小走りに駆けていく。

 その背中を、ヤクモは必死に追った。


 建物の敷地だったであろう場所から抜けると、そこには唖然とする光景が広がっていた。


 楢の木には瓦礫が突き刺さり、何本もの木が折れて木目をさらしている。

 調度品の残骸に混じって、人の身体らしきもの一部もへばりついていた。


 それは、あの二人の不快な男だったものかもしれないし、彼女たちの仲間の、息絶えた娘だったのかもしれない。

 もう、どちらのものか、調べることもできないが。


 折れた木の奥、まだ梢を揺らす楢の木の根元に、二人はそっと少女たちを降ろした。

 ここが安全だという保障はないが、あの場所に留まるよりいいはずだ。


 どちらにせよ、自分たちが死ねば、彼女たちも同じく死ぬ。

 自力で下山は不可能だ。赤紫に腫れあがった少女の足を見て、ヤクモは唇をかみしめた。


 「戻るぞ」

 「…うん!」


 ユーシンに返答しながら、ふと思いついてヤクモは纏っていたマントを脱いだ。

 いろいろ汚れているけれど、裸よりはましだろう。


 「絶対、たすけるからねぃ…」


 そっとマントを少女たちにかぶせ、ヤクモもユーシンに習って踵を返す。

 敵と自分たちを隔てる粉塵は、不自然な風に煽られて散らされつつある。


 「敵、やっぱりいるんだね」


 魔力と呼べるものはなく、魔導の発動を感知できないヤクモから見ても、その風は不自然だった。

 その前に、あの爆発も絶対に自然に起きたものではない。

 きっと魔法とかその類の攻撃だ。


 「ああ」

 くるりとユーシンは振り返り、笑う。


 煤と粉塵で汚れていても、その美貌に翳りはない。


 いやむしろ、増しているかのようだ。

 天色の双眸は獰猛な気配に爛々と輝きを放ち、口角は微かに上がっている。


 「数も、多そうだ。気配が多い。五十はいないだろうが、三十かそこいらはいるな!」


 「…怖いね」

 「俺の分まで恐れていてくれ。俺はそれを知れぬから」


 白い歯をのぞかせて、ユーシンは笑う。肉食獣のように。


 「戦いの基本は、敵より多く兵数をそろえることと言う」


 『砦』は行使するクロムが味方と判断したものを拒まない。

 随分薄くなった光の内側へ、二人はするりと潜り込んだ。


 「だが、それだけではないことを、見せてやろう」 


 そこだけ冗談のように残った壁に立てかけておいた槍を、ユーシンは握りこんだ。

 鞘は既に外されている。

 特に強い光源もないというのに、白刃は担い手の双眸のようにぎらりと輝きを滴らせた。


 「攻撃に、移る」 

 ファンの号令は短い。


 普段の冗長な話の時とは全く違う声音に、軍を経験したことのないヤクモですら背筋が伸びた。


 それに応え、ユーシンが口を開く。


 「矢の次は、俺が行こう」

 「ああ。おそらく、三の矢はあたらない。あちらには魔導士がいるから、防がれると思って間違いはないな」


 弓を引き絞り、ファンは何かを見据えたまま答える。

 その白目が、じわりと赤く染まった。


 「なら、直接叩く。ユーシン、頼んだ」

 「任されよう。イダムよ、ターラよ、照覧在れ。ウルカよ、ヘルカよ、此度こそ、闘争を捧げよう」

「乱戦になったら俺も突っ込む。いいな」

  盾を構えたまま、クロムも宣言する。


  露わになった額には、盾と剣が重なったように見える紋様が刻まれ、幽かに赤い燐光を放っていた。

 鼓動にあわせて明滅するそれが濃くなる度、新たな血が滲み出る。


 右手で、クロムは血を拭った。

 赤く染まった袖口は、出血の多さを物語るが、血が足りなくなる程ではない。

 つまり、問題はない。


 「ああ。そうなれば防御魔法も維持できない。弓で援護する。ヤクモは、こっちに来る敵を迎撃してくれ」


 「うん!」


 戦力外と言われたなどとは思わない。弓兵は当然接近戦に弱い。

 ファンに接敵されたら、弓の援護は途絶える。

 ヤクモも敵陣に突っ込むより、一方的に遠距離から攻撃できる手段を確保する方が有効だろう。


 集団戦では、一手増やすことが何よりも重要。

 それをもう、ヤクモは忘れない。完全に自分の中に取り入れている。

 

 「開戦!」


 宣言と同時に、矢は放たれた。


 ほぼ間髪を開けず、ファンは二の矢を番える。

 先ほどより長く狙わずに、矢は粉塵を突き抜けていく。


 くるりと掌で弓を回し、ファンは三の矢を矢筒から引き抜き、放つ。

 こちらは先ほどの二本とは違い、アステリア製の量産品だ。


 薄くなった粉塵の先で、三の矢が不自然に舞い上がり、空中でくるくると回り出す。


 「風壁の守りかな」

 ファンの声に落胆の色はない。予想出来ていたことだ。

 矢は番えても撃たずに、ちらりとユーシンに視線を送る。


 「突撃する!」

 一声、ユーシンは吠えた。

 その声すら、取り残すかのように。


 駆ける。


 瓦礫や、建物の残骸など、彼の足を止める要因にもなりえない。

 身長より長い金属製の槍を持っていることが信じらてないような早さで、ユーシンは広場を駆け抜けた。


 「ぁが!?」

 男は、決して油断していたわけではない。


 風壁の守りは、矢などの防御には絶対の効果を発揮する。

 だが、人の移動を妨げるものではない。

 多少、鈍くなるのと、吹き荒れる風の中に舞う砂利や木の枝は、容赦なく侵入者を攻撃するというだけだ。


 だが、当然無数の攻撃にさらされれば、よほどの戦士でも動きは鈍る。

 目に当たれば眼球を抉られるだろう。

 そう思ってしまえば、その恐怖は足を縫い留め、腕を攻撃ではなく防御へと向かわせる。


 砂利はユーシンの美貌を切りつけ、服を裂き、乱す。

 だが、それだけだった。


 目をしっかりと開き、足を止めることなく、槍を下げることなく、暴風をユーシンは突破した。


 痛みなど、我慢すればいい。目をやられても耳がある。鼻も効く。


 何より恐怖という感情をユーシンは持っていない。己を縛る鎖は、もとからないのだ。


 低い位置から薙ぎ払われた槍は、藁束かのように敵の胴を断ち割る。

 男は茫然と、風に舞いあげられる己の臓物を見ていたが、その意識が消え去るまでどうしてそうなったのかを理解していなかった。


 ユーシンも、もう殺した敵のことなど見ていない。


 跳ね上がった槍の穂先は迅雷の速さで振り下ろされ、次の相手の首から脇にかけてを切り裂いた。


 「囲め!」


 この間相手にしたような破落戸なら、既に戦意を喪失して逃げに移っていたかもしれない。

 しかし、この眼前の敵たちは、もう少しやるようだった。


 ガタガタに乱れつつも武器を抜き、ユーシンに向ける。

 その間にも一人を突き殺し、飛びかかってきた男の顔を蹴り飛ばしつつ、ユーシンは笑みを深くした。


 そうでなくては。戦いとは、一方的な蹂躙ではない。


 ここで死んでも恨みはしない。戦いとはそう言うものだ。

 相手を殺すのだから、自分だって殺されるときもある。

 何、そうなったら死ぬだけだ。なんということもない。


 ただ、強くなれなかった己のせいだ。誰を恨むというのか。


 勿論、死ぬ気はない。

 相打ちを狙ったつもりもない。

 当然、勝って帰還するのだ。仲間たちと。


 くだらない話をして、食べたことのないものを食べて、知らないものを見るのだ。

 楽しいと思える毎日に戻るのだ。


 そのために、戦う。負けない。負けるわけがない!


 「おおおおおおお!!!」

 咆哮が咽喉から迸る。


 それにわずかに怯んだ敵に、ユーシンは突っ込んだ。


 ぶつかる寸前に身体を捻り、体を入れ替える。

 たたらを踏んで前へ押し出された男に、仲間の武器が突き刺さった。


 それを最後まで確認せず、ユーシンの手は腰のベルトに伸びる。

 引き抜いたククリが、陽光を乱雑に跳ね返した。


 嘗て父が、祖父が、曽祖父が、その更に前の祖先たちが振るった、キリク王族の男に伝わる刃。


 王太子の象徴としてのククリではない。

 戦士であることが認められて、引き継がれた刃だ。


 それをユーシンは、無造作に見える所作で投げた。


 狙うのは、暗灰色のローブを纏う数人の塊。

 何かをしようとしていた一人の胸に、湾曲した刃は吸い込まれるように突き刺さった。


 『戻れ!』


 主の声に応え、ぐるん、と一回転してからククリは宙に浮かび上がり、広げたユーシンの掌に収まる。

 その動きで胸から腹までを裂かれたローブの男が、血と臓物をまき散らしながら斃れた。


 「魔道具だ!」

 悲鳴のような声に、敵兵がじわりと下がる。


 風は消えていない。どうやら、屠ったのはこの風の壁を作った魔導士ではなかったらしいと気付いて、ユーシンは僅かに口を尖らせた。


 敵は怯えている。だが、数は多い。魔導士が術を使うのなら、そちらも脅威だ。


 「相手は一人だ。魔道具は封じる。構わずやれ」

 かけられた声に、敵兵どもは武器を構え治す。どうやら、今の声の主が頭目のようだ。

 怯みかけた兵を叱咤で立ち直らせたか。悪くない戦ぶりだ。


 「遅くなったが、改めて名乗ろう」

 ククリを鞘に戻し、槍を構えなおす。


 「キリク王国、シーリンが子、ユーシン!

 貴様らを殺す男の名と顔を、冥官にしかと伝えよ!」


 そうだ。これは戦なのだから、名乗らなくては。

 あの世で連中が誰に討ち取られたかわからなくては、武勲が減るというものだ。


 「シーリンの子…ユーシン?キリク王国の、だと」

 頭目の男がうめくように呟く。


 「恐れを知れぬもの(ナラシンハ)…!」


 「そう呼ばれることもある!」

 それはどちらかと言えば、畏敬と言うよりは畏怖をもって、僅かな侮蔑と共に味方からも呼ばれる名ではあったが。


 「キリクの王子が、何故、アスランの猟犬などやっている…!」

 「お前が何を言っているのかはわからない」


 つ、とユーシンは首を傾げた。目の前で仲間を惨殺された男たちですら、思わずその顔に見入る。


 アスランの猟犬?犬になった覚えはない。

 それに今は、自分はキリクの王子ではない。恐れを知れぬものでもない。


 「俺は冒険者だ!」


 冒険者。敢えて危険を冒すもの。

 恐れを知れぬもの(ナラシンハ)より、ずっといい。ずっと自分がなりたいものに近い。


 「俺がお前たちへ槍を向けるのは、お前たちが俺の敵だからだ。人を攫い、虫に食わせ、女を嬲るようなやつだからだ」

 獰猛な闘志に燃えていた双眸の光がすうと落ち着き、笑みが微笑みに変わる。

 それは、常に盛り上がってはいるが、激昂はしないユーシンが怒りを覚えている時に見せる表情だと、男たちは知らない。


 「お前たちは、俺の敵だ。許しがたい、敵だ」


 「…吠えるな。キリク王家か。遡れば黄金の血も混ざっているやもしれんな。なるべく殺したくはないが…」


 男の指が挙がる。同時に、風の壁が消えうせた。

 「まあ、半分も残っていれば、資料にはなる」


 男の指が宙を滑る。

 その動きに応じ、何もなかった場所に光が生まれ、それは矢のような形をとった。


 「あ、アンダさん、俺たちにもあた…!」

 「だから、なんだ」


 ぴん、と指が弾かれた。

 同時に迸る、無数の光の矢。


 それは、無造作にユーシンのいる方向へと降り注いだ。


 「『盾』よ!」

 その、無感情な力が、ユーシンを刺し貫く前に。


 光の盾が、全てをはじく。


 盾の外を走る矢は、怯む敵の腕を、胴を、頭を貫き、穴を穿った。

 だが、ユーシンには届かない。


 「遅いぞ」

 盾を構え頭目へ向くクロムに背を預け、ユーシンは槍を残る男たちへと向けた。


 恐れを知れぬもの、と呼ばれていたころには知らなかった事を、今のユーシンは知っている。

 背を預け、預けられる仲間がいれば、それだけで強くなれるのだという事を。


 「俺はお前と違って顔に自信があるんだ。あのクソみたいな風の中を無理やり抜けて傷でもついたらどうしてくれる」


 まだ乾かない血を顔に張り付けたまま、クロムが答える。


 「なに、少しは見られた顔になるのではないか!」

 「ふざけんなテメェ、ぶっ殺すぞ」


 軽口の応酬は油断に見えなくもなかったが、誰もその隙に仕掛けようと動く気配はない。


 新手だ。

 一人が二人になっただけだが、駆け抜けてくる間に、クロムは二人切り捨てていた。

 その剣技と、見せつけられたユーシンの剛槍、そして味方を容赦なく攻撃した魔導の前に、動けるはずもなかった。


 「おまえ、騎士か…答えろ。先ほど、あれは何だ?どうやって攻撃を防いだ」


 「お前が雑魚で、俺が強いからだろ」

 まともに答える気がないと判じて、男の顔が怒りに歪む。


 「思い上がるなよ、知性もない愚者が…答えさせれば良いだけの話だ」


 「やってみせろよ、クソが」

 クロムの構える剣が、まっすぐに男の喉へと向く。


 「俺の主を殺そうとした。それだけで、お前は万死に値する」


 「キリクの近衛騎士か…」


 男の呟きに、おもいっきりクロムは眉間に皺を寄せた。

 「はあ?何で俺があんなド田舎の小国に仕えねばならん?

 まさか、この馬鹿の護衛騎士とでも思われたのか?ンなわけないだろ。そんなことになるくらいなら素直に魔法薬屋の婿になる」


 「キリクを侮辱したことについて、この一件が終わったら(はな)し合うぞ、クロム!墓穴は掘ってあるしな!」


 「自分で自分の墓穴を掘るとは、殊勝な心掛けだな」


 かなり本気のユーシンの声に軽口で返すと、そのやり取りはさらに男の怒りを煽ったようだった。


 「…なら、お前は何者だ。お前も冒険者だとでもいうつもりか…」

 泥のような声が絡みつく。


 それをクロムは鼻で笑って弾き飛ばした。


 「クソ虫に名乗ってどうする?人間様の言葉が解るのか?」

 血塗れの顔で、見下し哂う。


 傍から見れば、軽傷とは言え傷を負った戦士二人と、その十倍以上の敵に、複数の魔導士。

 勝ち目などないとしか思えない状況であるのに、クロムが浮かべるのは勝者が敗者に向ける嘲笑だ。


 「俺は名乗ったぞ!」

 「お前はどっちかって言うと虫寄りだからいいんじゃないか?」

 「今すぐ(はな)し合うか!」

 「後にしろ。きっちり息の根とめてやるから」


 「…茶番は、もういいい」

 頭目の男から、何かが放出される。


 いつでも『盾』を『砦』に切り替えられるように構えつつ、クロムは頭目を見据えた。


 その何かが、魔力であることはうっすらとわかる。

 だが、なんの術式の発動かまではわからない。


 魔導士と思われるのは、頭目を含めてあと六人。全員魔導士とすれば、厄介は厄介だ。


 だが、自分の仕事は、もう果たしている。


 「ぎゃう!」

 悲鳴を上げて、頭目の横に立つ魔導士がのけぞった。

 倒れたのは、そのすぐ後ろにいたもう一人だ。目を貫いて矢が突き立っている。


 ファンは、弓の名手とは言い難い。

 目を瞑っていても当たるとか、どんな体勢からでも連射して当て続けるとか、そう言うことは出来ない。


 だが、しっかりと狙って射れば、目標を外さない程度にはできる。


 その鷹の目をもってすれば、狙えない的はない。

 視野が粉塵で覆われていようとも、乱戦で標的が見え隠れしようとも、鷹の目は見ようとするものを見せる。


 鷹の目が捉える限り、ファンの矢からは逃げられない。

 これ見よがしに魔導士らしい格好をしていれば、まずはそこを狙うのは当然だ。


 ただ、頭目がいまだに健在であること、そしてすでに、ファンの眼が限界に近付いていることが気がかりだ。

 もう、できれば鷹の目は使わせたくはない。


 頭目はさりげなく、射線を防ぐ位置にいる。

 今の一射で穿った穴を明らかに意識して、位置を変えていた。 

 周りの魔導士を盾にしている。


 悲鳴を上げた男とは別の男が、腕を振った。途端に、風の壁が出現する。魔導士たちを囲むように。


 「来い、下僕よ…」

 べちょりと、頭目の口が言葉を紡ぐ。 


 「クロム!いったん撤退だ!なにかくる!」

 「おう」


 戸惑う男たちの群れに、二人は全速力で突っ込んだ。


 男たちにすでに抗戦の意思は薄い。無差別攻撃に巻き込まれ、防御魔法から外された。それだけで萎えるには十分だろう。


 いや、それだけではない。

 すり抜けながら、どろりと濁り出した男の目を見て理解する。


 何かが、男たちから奪われている。

 すぐに離れなければ、おそらく自分たちからもそれは奪われる。


 「クロム、ユーシン!」

 広場の中ほど、瓦礫に身を寄せるファンとヤクモの元へ、二人は全力で駆けつけた。

 

 先ほどまで、武器を構えていた男たちは、一人、また一人と膝を折り、倒れていく。


 「なんの魔導だ?毒か?」

 「いや…その割には痙攣や吐血がない。むしろ…吸気(ドレイン)だな」

 真っ赤に充血した右目を眇めつつ、ファンはそう判じた。


 「ヤクモ、これ使って布を冷やせ。ファンの目に当てろ」

 腰の水袋を外し、クロムはヤクモに突きつけた。

 少しでも冷やさなくてはならない。


 「う、うん!」

 ひったくるように水袋を受け取り、ヤクモはポケットから出した手巾に向けて口を傾けた。軽く絞って、ファンの右目に押し当てる。


 「ありがとうな。まだ大丈夫だから、そんな顔すんなって」 


 「別にお前の弓がなくても勝てる。休んでろ」

 「いや、この距離なら、普通に当てられるさ。俺がへぼくても」


 ファンは苦笑するが、ヤクモは押し当てた布を外さない。代わりに、口を開いた。


 「ねえ、あの人、何してるのぅ…?」

 「吸気なら、あれはなんかの準備だ。けど、攻撃じゃない気がする…」

 「それならとっととやってそうだもんな」


 「…なんだ?この気配は…」

 槍を構えたままのユーシンが、珍しく戸惑ったような声を上げた。


 「へ?なになに?」

 「…変な気配がする」 


 困惑しつつ気配を探るユーシンの視線が、広場の先…魔導士らのさらに後ろへと向いた。


 何かが、廃屋の屋根を、掴んでいる。


 そう、それは、確かに「手」だ。

 五本の指の形は、人のそれ。


 だが、人の手は、屋根に置かれた魔よけの石像よりも大きい、なんて言うことはなく、筋肉がむき出しにもなっていない。


 屋根をへこませ、壁を握りつぶしながら、「それ」は立ち上がった。


 二階建ての建物を超える巨躯。


 だらりと長い手は、膝下まで届いている。

 頭は体に反してとても小さかった。

 頭だけを見れば、普通の人間と変わらない。むしろ、醜悪な肉の中に、人が埋め込まれているようにすら見えた。


 ゆっくりと、閉じていた目が開く。


 白く濁った眼球がぎろぎろと動き、動きを止めた。

 冒険者たちを見下ろして。


 「なに…あれ…」

 ヤクモの口から、ひゅう、と喘鳴が漏れる。


 「ゴーレムだ…」

 その喘ぎを、正体を断言するファンの声が押しのける。


 「ごーれむ?って、あれ?なんかさ、聞いてたのと違くない?」


 土くれで出来た、動く像。

 それがゴーレムのはずだと、昔話に出てきた怪物を思い出しながらヤクモは目を瞬かせた。


 「ゴーレムには種類があって、あれは動物の死体で作る肉起動兵(フレッシュゴーレム)だな」

 口調はいつものファンのものだが、声音は硬い。


 ゴーレムの体表は皮で覆われている場所と、筋肉がむき出しになっているところが半々だ。

 その質感やらを見る限り、何が原料かは一目瞭然だった。


 「犠牲者の遺体をどうしていたか、これが答えか…」


 「やはりあれは、人間の死体で出来ているのか?」

 「大部分はな」


 右目に押し当てた布を、ファンは外した。

 まだ充血してはいるが、鋭く煌めく瞳が醜悪な巨人を見据える。


 「起動兵とは、本来命を持たない土くれや金属へ疑似的な魂を吹き込み、動かしているものの総称だ。アスランが百年前に征服した、カリフタン王国で発展した魔導技術だ」


 「死体を土くれ扱いか」

 「いや」

 吐き捨てたクロムの言葉を、ファンは否定した。


 「大部分は、そうだ。だけど、完全に無生物から作るその他のゴーレムと違って、アレは、主要器官に生きた生物を必要とする。

 具体的には、脳、心臓、肺、そして血管」


 「え…じゃあ、あれ、あの人…」

 「あの頭部に使われている人は、まだ生きては、いる。分離は不可能だし、もう自分の意志も…胸から下の身体もない。あれだけの巨体だから、心臓や肺は数人分使っているだろうな」


 冒険者たちを見下ろす頭は、まだ若い男のように見えた。

 彼らと同年輩か、少しだけ年上か。

 

 「逃げようなどとは考えるなよ、愚者どもよ」

 沈黙に包まれた冒険者たちへ、頭目の泥のような声が振りかかった。


 「…アイツ、ドヤってるぞ。ムカつくな…」

 歯ぎしりと共にクロムが呟く。


 剣ではなく盾を前に構えているのは、すぐにでも御業を発動させるためだ。

 イラついているクロムにすら、防御を優先させるだけの存在が、足音を響かせながら歩き出す。


 「逃げれば、麓の村にこれを向かわせる。これが明日まで動いているかはわからんが、村ひとつ壊滅させるのには十分だろう」


 特に声を荒げるでもなく、頭目はそう告げる。


 「燃料は、残りこれだけか。しかし、十分だ。愚昧な貴様らにはわからぬだろうが、肉起動兵とは…」


 「生きた人間の生気で動く。此奴らに何か仕込んでいたな」

 頭目の声を、ファンの声が遮った。


 返答に、頭目は僅かに顔を顰めた。口舌が遮られたことが不愉快だったのだろう。

 そのなんとも言えない不発感は、ファンもよく知っている。


 だが、尊重してやるつもりはない。


 コイツに語らせれば、犠牲になった人々はただの材料、燃料として語られる。

 自慢話の一部として。


 そんなことは、許せない。


 それに、自慢だと?この、本来のものとはかけ離れた代物が。


 「ゴーレムとは、命を持たない無機物に、仮初とは言え命を吹き込む魔導」


 「その通り。神の技に近しい、愚者には真似できぬ至高の技よ…」


 「だが、お前にはできない。できていない」

 びしりと、ファンは弓を頭目に向け、断じた。


 「得意ぶるな、無能。

 肉起動兵(フレッシュゴーレム)は、カリフタン王国でもその技術と学術を受け継いだアスラン王国でも、禁忌の技だ」


 「無能、だと…」

 頭目の顔が、赤黒く染まった。


 「ああ、無能だ。お前は、仮初の命を作れなかった。

 肉起動兵は、起動兵の中で唯一、その粋とも言える技を必要としない。

 犠牲者の命でもって代用するからだ。


 そんな出来損ないの技術を生み出したことを、カリフタンの魔導士たちは恥として戒めた。


 その技術を受け継いだアスランの魔導士たちもまた、同じだ。これは起動兵の名をつけられただけの、似て非なるものだ」


 ファンの双眸は、再び肉起動兵へと向く。

 頭目へ向けていた鋭さはない。憐れみが込められた視線。


 「材料があるからやったというなら、ここにはもっとたくさんの材料がある。土も木も、煉瓦もなにもかも。

 だが、お前はそれを使わなかった。肉起動兵は、他の起動兵に比べて稼働時間が短く、脆い。

 他の起動兵が造れるなら、手を出す意味がない」


 「き、さま…!」


 魔力の起こした風ではない自然の風が駆け抜け、ファンの帽子を攫う。


 露わになった顔は、無傷ではない。

 右目は真っ赤に充血し、開けているのがやっとだ。

 日にやけた肌は薄汚れ、瓦礫がぶつかってできたのであろう傷や、痣が散っている。


 ファンだけではない。四人ともそうだ。


 複数の魔導士と、巨大な肉起動兵に対して、たったの四人。無傷ではなく、既に戦闘と行軍を重ねて疲労もしている。


 それでも、傲然とファンは立っていた。男を断罪する側として。


 頭目は、理屈ではなく悟った。

 あの、盾を掲げた騎士の主は、この男だと。


 傲慢にして不遜な態度が、そっくりだ。

 弓を手にしているところを見ても、弟子を射殺したのはこの男だ。許してはならない。


 赤黒い怒りが思考を侵食していく。

 だが、怒りすぎると思考はかえって明瞭になるものだ。


 頭目は、口角を釣り上げた。


 嘲笑うのはこちらの方だ。

 もうすぐ、この不愉快な愚者は命乞いをするだろう。

 そのあと、傷み始めた頭部の代わりにでもしてやればいい。


 「ずいぶんと、吠えてくれるな…」

 見せてやろう。肉起動兵が、どんな存在なのかを。


 頭目の念に従い、肉起動兵は緩慢な動作で、腕を振り上げた。


 轟音。


 振り上げる動きとは比べ物にならない速度で振り下ろされた拳が、建物の屋根から床まで打ち崩す。


 「これが、見た目通りのろまかと思ったか?脳はひとつだが、心肺は五人分。高速機動に十二分に耐える。これでも、私を無能と見做すか」


 「ああ」


 破壊が生んだ衝撃に、僅かに顔を顰めつつもファンは退かない。

 怯む様子もなく、頭目らを見下(みくだ)す。


 「なんだ、その目は…」


 断罪者の目。

 引き出された罪人を裁く、眼。


 「なんだその目は!わたしが罪人だと言うのなら、お前は何者だ!冒険者風情が、何をもって人を罪と決め付ける!」


 「冒険者だろうと農夫だろうと、関係ない」


 響く声は、普段の彼のそれとは全く違う。

 草原を吹き抜ける突風のような、誰も遮ることの叶わない声。


 す、とクロムが片膝を折り、その足元に跪く。

 ユーシンは膝こそ折らなかったが、槍を引き寄せた。その柄を己が胸につけ、直立する。


 「お前は、無能だ。その無能をもって罪を犯し、非道を行った」


 弓が、男を指す。


 「思い出したぞ。アンダ・グロサス。三年前、逃亡した狂者だ」


 「私の名を…何故、何故知っている!」

 「お前の研究については報告を受けている。

 討ち漏らしたと聞いた時には、それほど危険とは思わなかったが…今は後悔するしかないな…」


 大学の関係者か。学長の犬か。


 だが、報告?聞いている?何故、そんなに上からモノを言う?


 頭目…アンダは、眼を見開いて己を断罪する不遜な冒険者を観た。

 風に煽られる、淡い色の金の髪と、それよりは濃い色合の双眸。


 朝日の髪と、満月の目。


 その単語が、赤黒く怒りに染まった脳裏に弾ける。


 「まさ、か。ありえぬ…ありえるはずがない…」

 「師匠?」

 よろけるアンダの肩を、弟子の手が支える。


 「どうなされました…!?あの弓兵を知っているのですか?」


 「いや、違う…ありえるはずがない…」

 知っているかと言われれば、知っている。


 顔は、知らない。

 はるか遠くから見たことはあるが、覚えてはいない。声など、聞いたことはない。


 だが、知っている。知らないはずがない。

 彼が、誰か、ということではない。

 彼が、なんなのか、それを知っている。

 

 「これは、俺の罪だ。

 罪は、償わねばならない。

 この地で亡くなった人々の為にも。踏みにじられた尊厳の為にも」


 朝日の髪と、満月の瞳。

 黄金の血を引く者(アルタン・ウルク)の、証。


 家柄を重視しないアスラン王国で唯一、絶対視される血筋。特別な姓をもつ一族の証。

 

 「ファン・ナランハル・アスランの名に於いて」


 アスラン王国二太子(ナランハル・アスラン)


 大きな声ではない。

 だがその名乗りは、清風に似て広場を渡り、罪人たちを打ち据えた。

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