「完璧じゃないから人間なんでしょう」
工学部の校舎が林立するキャンパス奥で、砂糖 朱芽亜【さとう しゅがあ】が自作のロボットと歩いていた。殆ど本人と見分けがつかないヒューマノイドは、表情が少し硬いということ以外は、知能・知識・知覚、そして運動能力が人間を遥かに凌駕していた。
『サトー シュガー』
それが、このヒューマノイドの名前だ。命令に従って、自己判断で行動する機能を搭載されていた。しかも経験を重ねることで、より複雑な思考力を得て、瞬時に最適な行動を実現させている。躊躇の片鱗も無い行動だ。もし命令が少しでも誤っていれば、大事故が起きる。そして、もしも命令に従わなければ、大事件を引き起こす。
「おはようございます、ジョウさん。今朝の一講目は欠席でしたね」
満面の笑みで、二人が近付いて来た。無表情でいられれば、錠にもそのどちらが生身の朱芽亜なのか、ヒューマノイドのシュガーなのか見分けることは困難だった。だが、笑みという表情には、まだシュガーの経験値が不足していた。
「よう、シュガー。講義の録画を見せてくれよな」
「お易い御用です。ジョウさんにメールを送ります」
そう言われた途端に、鞄の中に押し込んでいるパソコンが受信を知らせた。
「ありがとう、助かったよ」
錠はそう言って、シュガーに笑顔を向けた。朱芽亜が嬉しそうに錠の顔を覗き込んで微笑んだ。いろいろな感情の表現をシュガーに見せて学習させている。複雑な心の移り変わりを読み取らせて理解させているのだ。それが出来なければ、ヒューマノイドは人間には近付けない。
「砂糖よりも、可愛い笑顔をするよね」
「何、言ってるんですか。これは私の物真似をしてるんですからね」
「だとしたら、本物を超えたっていうことだな」
ゲラゲラと、錠は下品に笑った。
「ぎゃははは」
突然、シュガーが手を叩いて馬鹿笑いをし始めた。
「あん?」
下品に笑っていた錠が口を開けたまま、不思議そうにその馬鹿笑いを見た。自分が笑っていたことを忘れている。
くすりと、朱芽亜が笑った。手先を口元に添えている。
「今度は鍵屋くんの真似をしてるんだよ」
朱芽亜は可笑しさに耐えられなくなって、今まで口に添えていた手を下ろして、両腕で腹を抱えた。くすくす笑う無邪気な声が止まらなくなってしまった。おおらかな笑い声が、いつまでも天へと響き続けているのだった。
「授業が、始まるわね」
はぁはぁと、荒い息遣いをしながらも、まだ笑っている。技術者としてのコミュニケーション能力は、他人の気持ちを正確に察することだと朱芽亜は理解している。だから、この時の錠がいつもの表情との微妙な違いを見抜いていた。何か嫌なことがあった。そんな感じがしていたから、本人が言い出さない限り訊くべきではないと思った。
「いつか鍵屋くんの完璧なヒューマノイドを創るのが、私の夢なんだよ」
胸元にぶら下がるSSのデザインのペンダントを指先で触っている。
「完璧って、俺は完璧じゃないのかよ」
「ふふふ、完璧じゃないから人間なんでしょう」
朱芽亜は錠を見詰めた。ボーダー柄のシャツにグレーの上着を羽織っている姿は、いつもの錠らしくて、最も錠らしい格好をしていた。
朱芽亜は笑い続けている。それは錠が好きな異性は、ぽわんとした雰囲気を漂わせている女性なのだからだ。
「行こうか」
「うん」
自然と手を繋いで歩き出す。別に恋人同士ではない。付き合っているのでもない。気が合う異性同士。友だちの延長線上にいる二人だった。