「そんなの嘘に決まってるよ」
「仲良しって、いいよね」
身長差で錠が林太に抱き付いている格好になっていた。誤解されている。ムカついているのに、何が仲良しなものか。誰が一体そんな戯言を言っているのかと、怒りで頭の中がふらふらしていた。しかも先程からずっと鼻腔をくすぐる香りがしている。林太が胸ポケットに入れている木片からだった。伽羅という。香木の一種である。
「誰がこんな奴と、仲良しだ! 襟袖、いい加減なことを言うな」
「うわぁ、錠が怒ったよぉ」
襟袖 衣布【えりそで きぬの】が、白い両脚を抱きかかえて蹲った。食堂の照明を反射して、長い素脚がきらきらと眩しいくらいに輝いていた。黒いトートバックを肩に掛けているので、明度の対比で更に脚の白さを際立たせている。
「何で、ここにいる?」
「えっ、今日の講義はお休みだよ。一般教養の経済学なんて、ウチら工学部の学生たちには興味ないしねぇ」
衣布は立ち上がって、白い腹のヘソを見せた。縦長で形がいい。引き締まった腹部が、ショート丈のクロップドシャツから覗いていた。
「えっ、あの教授は絶対に休まない筈だって!」
「そんなの嘘に決まってるよ」
衣布は短いシャツの裾をひらひらと両手で揺らして、お道化た表情をした。
「どれが?」
どれが嘘なのか。教授が休まないというのが嘘。それとも休講になったというのが嘘。それとも興味がないというのが嘘なのか。
「そんなことよりも、お取込み中だったのかな?」
そう言いながら、トートバッグに手を突っ込んだ。手作りの人形アクセサリーが鞄の肩口で揺れている。この人形は何体もあって、日替わりで付け替えられていた。
衣布はチューブを取り出すと、慣れた手つきで蓋を外して中身を掌に出した。白いクリーム状のスキンケア剤のように見えたが、チューブには何のラベルも貼られてはいなかった。
衣布は両腕を伸ばして、得体の知れないものを薄くに塗り付けていく。伸びが良く、肌のすべすべ感と白さが増していくのが見ていても分かった。
肌の透明感。くすみ一つない透き通った肌の色は、錠だけではなくもう一人いる男の視線をも惹き付けてしまう。
「衣布さん、おはようございます!」
林太が顎を押さえながら、少し涙目になっていた。
「君は、木森くんだね。凄くいい香りがしているね。それに、いい体してる。ちょっと脱いでみなさいよ」
衣布は林太の瞼に手をやって、僅かに溢れ出た涙をぬぐった。
「伽羅です、衣布さん。いつも着る服には焚き込めているのですよ。それにしても、俺のことを覚えてくれていたんですね。感激です」
林太は目の前に立っている邪魔な錠を押し除けて、二人だけの空間を作り上げた。
「衣布さんの為なら喜んで脱ぎます」
シャツをはだけると、伽羅の香りが更に漂った。林太の肩から上腕部への筋肉をさらした。スポーツで鍛え上げられた肉体は、ひ弱な錠とはまるで対照的だった。
「きゃー、男の子はこうじゃなくっちゃねぇ」
衣布は両手で顔を覆いながら、指の隙間からしっかりと林太の腕を覗いていた。
「きゃーっ、きゃーっ、きゃーーー」
五月蠅いほどに騒いでいる衣布に、錠はいらいらした。
「騒ぐなよ。食事中なんだぞ」
「やだ、ご免なさい」
覆っていた手を外すと、衣布は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。意外なほどに純真なのだ。その外見に貞操観念が見受けられないが、間違いなく衣布は純潔だった。
「もう、いいよ。お食事の邪魔なんだって。行こうよ、木森くん」
「感激です。行きましょう、衣布さん」
にやけてだらしない顔になった林太が、馬鹿に見えて仕方がない。先程まで扇ちゃんと言っていたのを完全に忘れてしまって、艶っぽい眼差しを向ける衣布のしぐさに、林太は打ち砕かれていた。しなやかに伸びる透き通った二本の脚に、目が眩んで追い掛けるようにして行ってしまった。