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さよならテルース  作者: Bunjin
一 大学生たち
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「おっと。やばい、やばい」


古都・京洛市。


私立『左文字館大学』【さもんじかんだいがく】のキャンパスは、京洛市の北西にある衣ノ笠山の麓に広がっている。街の喧騒から少し離れた所在が、学生たちに親しまれた。この土地の古から続く落ち着いた雰囲気に、人は好んで染められていくからなのだろう。


衣ノ笠山前の正門から真っ直ぐに行くと、法学部の研究教室棟が威容を誇るかのように建ち聳えている。その地下に潜って生協食堂で朝食を摂ろうと、鍵屋 錠【かぎや じょう】は寝不足の目を擦りながらゆるりと歩を進めていた。


残念ながら、一講目は寝坊してしまっていて、遅刻は確実だ。どうせなら空腹を満たして、もっと遅れてしまえとばかりに、開き直った気分でいるのだった。


 地下の生協食堂は広々としている。錠と同じように遅刻した学生かどうかは分からないが、ちらほらと食事をしていた。腕時計を見ると、九時十三分を差している。何とも中途半端な時刻だ。授業が始まってから、まだ十三分しか経っていない。二講目は十時四十分からなので、この学生たちはそれまでの時間をどう使うのだろうかと、錠は詰まらないことを心配してしまった。


「もっと部屋で寝ていれば良かったかな」


 時間をどう使うのかを分かっていないのは、錠のほうだった。寝坊したと焦って登校して来たものの、部屋を出る時から遅刻するのは分り切っていた。それなのに体が勝手に急がせてしまう。自分の意志ではなく、体が今の自分をここに居させているのだった。


「おはよう、オバちゃん。朝定一つ、大盛りでお願い」


 どんぶり御飯に味噌汁と鮭の甘塩焼き、それに生野菜の小鉢と生玉子が付いた朝限定のセットメニュー。貧乏な学生たちには救世主的な価格で提供されていた。


「おっと。やばい、やばい」


 支払いをしようと財布をポケットから出す拍子に、真鍮製の鍵を落としてしまった。


「これを失くすと、部屋に入れない」


 狭い一間の下宿の鍵だ。実際的には少し乱暴に押し開ければ、簡単に侵入できてしまう程度の入り口だった。しかしながら、かといって押し入っても利を得るものがない。貧乏学生の部屋にそもそも厳重な鍵など必要ではなかった。


 錠は工学部の学生特有の大きめのショルダーバッグを右手で押さえながら、トレイを左手に持って狭いテーブル席の間を縫って、一番奥の壁際に向かった。ここならば他の学生たちと離れている。壁に向かってゆっくりと食事が出来る気がした。


「眠いな」


 別に他人が嫌いという訳ではない。ただ単に、昨夜は同期生の呑み会で夜を明かしてしまっただけだった。


 テーブルの端に大きな鞄を置いて、その奥の席に座った。壁に硬式野球部の勧誘ポスターが貼られていて、ぼんやりとそれを眺めながら生玉子を割った。


「おっ、二黄卵!」


 黄身が二つ入った鶏卵は貴重だった。普通は出荷前に撥ねられる代物だ。


「大当たりだね」


 オバちゃんたちの発注ミスがあるのだろうか。いつもより大きなサイズの鶏卵が、たまに提供されることがあった。


 プラスチック製の箸を片手に、味噌汁を一口すすると、無性に空腹感が増してきた。生きているって実感がする。焼き鮭の身をほぐして骨をすべて取り除く作業に没頭した。そうするのが癖で、要するに面倒なことを先にやってしまいたい性分だった。


「骨なしの魚って、いないものかねぇ?」


 現代科学で作り出せば、大金持ちになれるかもしれない。そんな馬鹿げたことを、ちまちまと箸を動かしながら考えていた。


 ゆっくりと優雅に食事をする。この生協食堂で豪勢にとはいかないけれど、それくらいの余裕をもって、貧乏学生の味方の朝定を味わいたかった。


「あのぉ!」


 唐突に気を遣って話し掛けてくる声がした。しかし、語尾に少しばかりの力強さがある。


「あのぉ! 動かないでください」


 小さく鳴る電子音がした。そして、一瞬遅れて閃光が走る。


「もう一枚ですぅ」


 そう言って、彼女はぱっちりとした瞳で、ファインダーを覗き込んだ。大きなカメラで顔が半分隠れているが、錠の知っている顔だった。

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