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小説への稚拙なことほぎ

作者: 皿日八目

 はじめに――わたしはこれから二九○○文字ほどつづる。しかし、わたしが言いたいことは最後の一文につきる。だからもしあなたが忙しいならば、最後の一文を見るだけでもかまわない。それがわたしの伝えたいことだ。




 人生にはなんの意味があるのか。

 これはひとりひとりが考えることなのだろう。

 あなたはもう見つけたか?

 わたしは見つけたぞ。

――すくなくとも三つは。

 そのなかのひとつ、「小説」について語る。耳でもかきながら聞いていただきたい。

 あ、目でもいいぞ。


 わたしが初めて小説を読んだのは、小学二年生のころだったと思う。それは『デルトラクエスト』というファンタジーで、小学校の図書室で借りて読んだことを覚えている。それまでわたしは、表紙に興味をひかれて本を手に取り、中身が文字だらけなことを知ると、読みもせずに返却してしまっていた。まったく愚かな行動であったと言わざるを得ない。それは、ハンバーガーのバンズについているゴマだけを食べ、あとは全部捨ててしまうのに似ている。


 なんの気まぐれかは忘れたが、ある日突然、この本は全部読んでみようかと思ったのだ。それが『デルトラクエスト』の「第五巻」だった……そう、「第五巻」だったのだ。当時のわたしがなぜ途中から読もうと思ったのかは、たぶん神ですら知らないだろう。とにかく、わたしはそれを全部読んだ。今から言うことはまったく誇張ではないのだと強調しておくが、その結果――


 世界が変わった。


 こんなにも面白いものがこの世にはあったのだと、そのときようやっと気づいたのだ。電車の乗り方もわからない(実は今もよくわかっていない)小学二年生のわたしでも、『デルトラクエスト』がとても面白いファンタジーであることが理解できた。作者であるエミリー・ロッダ氏と、訳者の方々の巧知には、つくづく頭がさがる。「第五巻」を読み終えたわたしは、そのあとちゃんと一巻目からすべて読んだ。


 わたしと小説との出会いは、以上のようなものだった。最初に読んだものがファンタジーだったためか、わたしはしばらくファンタジーを好んで読んでいた。『ハリーポッター』、『ブレイブストーリー』、『パーシージャクソン』、『ドラゴンラージャ』、『ダレン・シャン』、『バーティミアス』……とくに『ドラゴンラージャ』はかなり記憶に残っている。巻末に、武器やアーティファクト、魔法の用語解説が載っていたのが印象深い。そういう知識が乏しかった当時(今も)のわたしは、夢中になって読んだ。


 ファンタジーばかりを読んでいたわたしだが、これもほんの気まぐれで、他のジャンルの小説も読みはじめた。そのきっかけとなった本は、おそらく貴志祐介氏の『青の炎』だ。それももちろん面白かったのだが、次に読んだ『クリムゾンの迷宮』にハマった。たぶん四、五回は読んだと思う。この二冊を読んだのはたしか小学五年生のころだった。これをきっかけとして、わたしは色々な本を読み始めた。ファンタジー以外のジャンルは、わたしが読んでもつまらないだろうと思っていた。しかし、高い技量を持つ者が書いた小説は、どのようなジャンルであっても面白いのだ。そのことに気づかせてくれた『青の炎』、『クリムゾンの迷宮』は、わたしにとって思い出深い二冊である。


『天使の囀り』、『硝子のハンマー』、『新世界より』、『ダークゾーン』、『告白』、『少女』『悪魔の辞典』、『現代語裏事典』、『星を継ぐもの』、『パプリカ』、『模倣犯』……どれもきわめて面白い小説だった。そして、本を読み続けているうち、わたしはとうとう見つけた――わたしの人生の意味を定義してくれるような本、この本を読めただけで生まれた甲斐があったと思わせてくれるような本に。


 その本の存在を知ったのはいつだったか――おそらく中学生のころだったと思うが、実際に読んだのは高校生のときだった。一度目に読んだときは、面白いとは思ったものの、特にずば抜けているとは感じなかった。当時(といってもほんの数年前だが)のわたしはナメクジにも劣る知性しか持ち合わせておらず、作者が文章へちりばめた巧みなジョークの数々にまったく気づけなかったのだ。その本を今読み直していて、そのことにようやく気づいた。読み直さなければ、わたしはその本の真価に気づけぬまま死んでいただろう。ぞっとする。


 もったいぶってしまったが、超有名な小説であるため、知っている者がほとんどだと思われる。その本はまったく驚くべき本であり、おそらく銀河最高の書なのだ。そしてそのまったき内容は、わたしの野菜くずみたいな言葉を連ねるまでもなく、ただの一言で言い表せる。それは――


 四十二


 もうおわかりいただけただろう……え? わからない? そういう者はいますぐ最寄りの大型書店を訪ね、「『銀河ヒッチハイク・ガイド』はありますか!」と店中に響き渡る大声で店員に訊け。

 それはともかく、この本は本当に本なのかと本心から思うほどに面白い本なのである。どのページをめくっても面白いうえ、たいていは吹き出すことになる。わたしはこれほど笑える本に今まで出会ったことはなく、今後もめったに出会うことはないだろうが、もし出会うことがあるとすれば――それはまだ読んでいない四巻の続編だろう。


 そうは言っても、わたしは誇るほどたくさんの小説を読んできたわけでもない。どんなに数を盛っても、せいぜい二〇〇冊くらいだろう。わたしが「小説」についてどこまで知っているのかというと、それはやっぱりバンズについたゴマ程度である。


 わたしは今小説を書いている。そう、「小説」だ。二進数の不燃ゴミではないぞ。しかし、自分で読み返してみると、やっぱりそれは二進数の不燃ゴミだった。今のところはそのようなものしか書けていない。というかまだ一つしか書けていない。頭脳が大便をするのなら、ちょっと便秘ぎみといったところだ。だが、この頭脳は下痢もしやすい。とくに、すぐれた文章を消化したときなど、ほぼ確実に見るも無残な文章を排泄する。

 

 どんなに見目よい食物を口にしても、出るときは一様に茶色い塊となるのは当たり前だ。しかし、文章を消化したときもそれと同じではいけないと思う。上に挙げた数々の秀作を読んだからには、それと同じとはとうてい言えないまでも、せめて百分の一程度の、元作品のおもしろさをほのかにでも感じさせる文章を書くべきではないか。


 わたしに文才はまったくないのかもしれない。けれど、わたしはおもしろい小説を知っているし、読んだこともある。その経験、知識は活かせると思う、というか活かさなければならない。あんなにおもしろい作品を読んでおいて、あんなにつまらない文章を書くというのは、あまりにも無礼ではないか。現在のわたしの肩書きは無礼者だが、いつかは胸を張れるような作品を書きたいと思っている……できれば。


 冒頭に記したことを覚えているか? 色々と書いてしまったものの、つまるところわたしが言いたいことはこれなのだ。いちどしか言わないから、耳をかくのも目をかくのも中止してよく聞いてほしい。わたしが言いたいことは――




 小説、大好き!

 


 


 


なんか偉そうになってしまいました。ごめんなさい。

※2019/07/09 修正

よく考えたら絶対に五〇〇冊など読んでいないことに気づきました。

すみませんでした……

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