第6話:外套の敵
隣にいる相棒以外の気配が全く感じられない屋上で身をかがめる、一組の少年少女。
「こちら、獅子神タクト。栗三等兵、状況の説明を求む。オーバー」
その場は緊迫した空気に包まれていた。
「え? あっはい、こちら、クリ……じゃなくて渡良瀬智春。現在、犯人と思われる人物が壁どんしまくっています。オーバー」
「え? だれ?」
「え?」
「え?」
と、思ったのだがどうやら思い違いだったようだ。
「え? なに? わたらせちはる?」
「いや、わたしの名前だけど」
「え?」
「え?」
二人は大胆不敵にも、今にも破壊されそうな扉のまん前でそんなやり取りを繰り広げていた。肝が据わっているというか。仲の良いバカコンビというか。
「あーー。お前やっちまったな」
「え? 何が?」
「お前、やっぱ、ここに残っとけ」
「え!? 何で!?」
いや、もしかしたら少しでも恐怖を和らげようとしているのかもしれない。二人は今から未知の敵陣へと突っ込んでいくのだ。その胸中は計り知れない。
「いいか? 名前っていうのはなキャラにとって大事な要素なんだよ」
「うん?」
少女改め智春はタクトが何を言いたいのかわからないといった様子で首をかしげる。
「特にヒロインの名前っていうのは物語において重要な役割を果たすんだよ」
「うん?」
やはり智春は何を言っているのかわからない。というか、こんな状況で何を言っとるんだこいつはという顔をしている。
「例えばだ。入れ替わりをした二人がなんやかんやあって、村の人々を救い、なんやかんやあって、記憶をなくし、なんやかんやあって、運命の再会を果たし、階段でのあの名台詞、はい!」
「え? あーえっと、君の名――――」
「はい、じゃあ次の例。ある日、異世界召喚され、死に戻りの能力を得た少年。そこで少年はあることを知るために、命を懸けて戦う。はい、その知りたかったものとは?」
「え、えーーと。ヒロインの名前?」
「はい、正解。よくできました。お前、なかなかやるな」
「そりゃあどーも。で、結局何が言いたいの? 獅子神くんは」
タクトの意味不明すぎる質問にもはやあきれてしまう智春。ちなみに、今この時も扉は破れんばかりの勢いで叩かれ続けている。
「つまりだな。こんなしょうもない兵隊ごっこの最中で自分の名前をさらすお前は俺という物語においてヒロインにはなれないということだ」
「しょうもないっていう自覚はあったんだ!? 『俺という物語』って何!? 言ってって恥ずかしくないの!?」
「うっせーなお前は。人の話は最後まで聞けって母ちゃんに教わらなかったのか?」
タクトがあきれた口調でそう言うと、しぶしぶながらも、智春は引き下がった。
「で? わざわざこの状況で獅子神くんは何を言いたいんですか?」
若干なげやりな感じで智春が訊くと、タクトは喉の調子を整え、こう言った。
「つまりだな。お前はモブキャラとしてすぐに死ぬことになるだろうから隅で丸くなっとけってことだ」
「さっきより言ってることひどくない!? さっき『人の話は最後まで聞け』的なこと言ってたよね!? 今の部分って本来、落として上げる戦法の上げる部分じゃないの!?」
あんまりな言われように、涙目になる智春。するとタクトは真顔で答えた。
「何でお前なんかのために上げなければならないんだ?」
「ジーーザス‼」
さらにタクトは追い打ちをかける。
「お前、間違っても俺に告白なんてするんじゃねーぞ。主人公とくっつくのはいつの時代もメインヒロインなんだからな」
「獅子神くん、実はバカなんでしょ!? そうなんでしょ!? 出会ってまだ二時間も経ってない女の子相手に普通そんなこと言う!? ほんと、意味わかんない‼️ それに、自分のことを主人公だなんて、どんだけ自意識過剰なのよ‼」
タクトは前髪を掻き揚げて爽やかなスマイルを浮かべると言った。
「人は誰でも物語の主人公なんだぜ!」
ちなみに、扉はドンドンされている最中です。
「いや、さっきわたしのことモブキャラ扱いしてたよね!? 何でそんな一瞬で論破されるようなこと言うの!? 獅子神くんやっぱバカだ。バカかつ性格破綻者のやばい奴だ!?」
智春の怒号の突っ込みに対して、タクトは静かな声音でこう言った。
「でもお前、ちょっと俺のこと好きになりかけてたろ?」
「だから何を…………え? い、いまなんて? わ、わたしがしししがみくんをすき? そ、そんなことあるわけなきにしもあらずなわけないじゃじゃん。わた、たたしそんなチョロインじゃないし」
「冗談です。そんな事が本当にあったら、あまりのアレさにじんましんが出ます。あと栗、『し』が一個多い。それから、お前はチョロインじゃなくてモブキャラだからな。チョロインになれる資格もない」
「な!?」
顔を真っ赤にさせて、煙まで出していた智春は、今度は怒りで顔を真っ赤にさせ、拳を握りしめる。だが、
「はあああああ。わたし何やってんだろ? 何か一気に力が抜けちゃった」
そう言うと智春はタクトとしゃべっている間もずっと胸元で握りしめていた鉄パイプをゆっくりと下ろした。緊張、あるいは恐怖によるものか。鉄パイプを握っていた手の内側にはくっきりと爪の跡が残っていた。
「そっか。それはよかった」
タクトは自分の耳にしか届かないような、本当に小さな声でそう言うと、さっきまでとは打って変わった真剣な声で智春に告げた。
「作戦は把握してるな? カウント3でいくぞ」
「え? え? そんないきなり! ちょっと待って!」
突然の指示に慌てふためく智春だったが、タクトは容赦なく、そのカウントを減らしてゆく。
「サン」
智春は必死で息を整える。
「ニイ」
少々不格好ながらも、鉄パイプを構える。
「イチ」
扉が開くその瞬間に向けて神経を張り詰める。
「――――ゼロ」
タクトは言いながら、すでに地面を蹴りつけていた。
作戦はこうだ。扉が開いた瞬間、タクトが犯人のあごに全身全霊のアッパーをぶち込む。体勢を崩したところに、智春が鉄パイプをお見舞いする。そのまま走って校舎に侵入。
相手の不意を突き、戦闘は最小限に抑え、リスクも時間もあまりかけない。
とてもシンプルなものだが、効果はあるように思えるし、成功の確率も高いだろう。
…………しかし、それは常人が相手だった場合のみだ。
ドッゴ――――――――――――――――――――ン‼
とんでもない音がしたとタクトが認識した時にはすでに、扉とともに空を舞っていた。
タクトは自分の身に何が起きているのか理解できなかった。ただ、智春が自分に向かって泣き叫んでいるのを見て作戦が失敗に終わったことはわかってしまった。
長いようで、ほんの数瞬だった空の旅が終わると、タクトは背中から地面にたたきつけられた。肺の中の空気が強制的に押し出される。目の奥がちかちかする。それでも、智春が自分の身を案じて駆けてくる音はしっかりと聞こえていた。
「ダメだ。お前だけでも先に進め」そう言いたいのに、うまく舌が回らない。声が喉で詰まって、智春のところにまで飛んで行ってくれない。
そうこうしているうちに、智春がタクトのもとにたどり着く。
「獅子神くん大丈夫!? しっかりして! 獅子神くん!」
そう叫んで、タクトの体を抱き起こす。タクトはもうろうとする意識の中、目を無理やりに開き、意識を気合でつなぎとめた。そこで、初めて今の状況が確認できた。
タクトは扉と共に、三メートルほど飛ばされていた。それだけで、相手の異常さは十分にわかるが、タクトは自分と共に飛ばされてきた扉を見て愕然とした。扉は原形をとどめてはいなかった。もはやそれが扉だとは思えなかった。そこにあったのはただの真っ黒な鉄くずだった。
扉はタクトの盾になってくれたのだ。もし、扉がなかったらと思うとタクトは冷や汗が止まらなかった。今こうして生きているばかりか、四肢が欠けることなく、五感もなんとか機能していることが奇跡にしか思えなかった。
入り口には焦げ茶色の外套を頭からかぶった、男とも女とも判断できない人物が立っていた。
おそらく、電話の相手が言っていた『マントの奴』とはこの人物とみて、間違いないだろう。
どういう原理か、本来ならば顔があるはずの位置には闇しか広がっておらず、相手の顔をうかがうことはできなかった。
その格好は非常に奇妙なものだったが、タクトは他の部分に気を取られていて、それどころではなかった。
(凶器はどこだ?)
タクトは必死に視線を走らせる。
先程、ダメージを受けはしたものの、致命傷がなかったのは奇跡だ。そう、奇跡なのだ。つまり、二度目はない。ならば、ここで対策を立てなければ死の可能性だってある。なのに、
(なぜだ!? なぜ凶器がない!?)
本来扉があるべき場所に立つ人物が凶器を持っている様子はなかった。
その外套にはポケットなどの物を収納できる部分は見当たらない。しかも見たところ、外套には奇妙なふくらみなどない。つまり、外套の内側に何かを隠し持っている可能性もないということだ。
だが、それはおかしい。あれほどのことができるのだ。あれほどの破壊力があるのだ。だったら、爆弾の一つや二つがなければおかしい。そうでなければ、その人物そのものが兵器だということになってしまう。笑えない冗談だ。
おかしな点はもう一つある。扉を破壊してからというもの、その人物は何も行動を起こさなかった。タクトたちのことを見るでもなく、ただただ立っているだけだった。
「動くなら今か?」とタクトは思案するが、うかつには動けない。
向こうがどのような手段で攻撃をしているかわからな上に、あの破壊力だ。一発くらえば、重傷必至な賭けに出ることはできない。さらに致命的なのは唯一の出入り口を向こうに抑えられている事だ。校舎に入るには外套の人物を倒すか、注意を自分たちから遠ざけなければならない。だがそれも、攻撃手段がわからないことには、リスクの高いものだった。
しかし、タクトたちには時間がないのも事実だった。
電話の相手は『マントの奴ら』と言っていた。つまりは目の前にいる奴が複数人いるということだ。「もし、他の奴らも何らかの手段を用いることで、目の前の奴のような事ができるのでは?」と思うと、タクトはユアが心配で気が気じゃなかった。
ここでいつまでも手をこまねいているわけにはいかない。
栗もさっき「多少のリスクは負うべき」って言ってたじゃないか。
そして何より、今こうしてうじうじしている間に、もしユアに何かあったら、俺は自分を許せない。
だったら、俺のすべき事は一つだけだ。
タクトは覚悟を決め、相手に気取られないように体勢を立て直していく。
ゆっくりとした動きで体勢を変えだしたタクトに気付いた智春はタクトの考えがすぐにわかった。あまりに危険すぎる行動にタクトを止めようとする智春。しかし、すぐに思いとどまった。
わたしたちの目的はユアちゃんの救出だ。そのためなら自分を犠牲にしてもかまわない。いや、喜んで差し出そう。それは、獅子神くんも同じはず。
だったら、わたしのすべき事は一つだけだ。
智春はゆっくりとした動きでパイプを握りなおす。
その動きに気付くタクト。
二人の視線が交差する。
お互いの目を見つめあう二人。そこからお互いの真意を読み取ろうとする二人。
数瞬後、かすかにうなずきあった。
準備は整った。
相手は圧倒的な破壊力を有する何かを保持している。
こちらの武器は鉄パイプ一本だけ。
それを取ったら自分たちに残るのは貧相な肉体、覚悟、ユアへの強い想い、助けたいという強い思い。
笑っちまう。
余裕すぎる。こんだけそろってりゃ、あんな奴ぶっ倒すなんて余裕すぎて笑っちまう!
二人は獰猛に笑った。
それは獣だった。高い知性を持つ人間とはとても思えない、獣のそれだった。
だが、だからこそ二人は強いだろう。だからこそ目的のために何だってするだろう。
それは人間が進化の過程の上で失った何かを呼び覚ますだろうから。
それは人間のプライドを捨てさせ、何にだって成り下がらせ、何にだってしてしまうだろうから。
外套の人物は未だに何の行動も起こさない。
神経を限界まで尖らせる二人。
ここで絶好のタイミングを逃すわけに訳にはいかない。
ゆっくりと息を吸い、止める。
下から爆発の重低音と軽い衝撃が伝わってきた瞬間。
二人は一切躊躇せず、正面から飛び掛かった。
そして、その時だった。
外套の人物がおもむろに腕を上げる。手のひらをタクトたちに向ける。
そこには殺気などなかった。一切の感情などなかった。
手のひらの前に緑色の円が浮かび上がる。そこに複雑な図形や見たことがない文字列が加えられていく。
そう思った次の瞬間には謎の円は光を放っていた。
最初は弱く。そしてだんだんと強いものへとなっていく。光が強くなっていくにつれ、顔の部分の闇が色濃く映る。
それは不気味なものだった。恐怖心が掻き立てられた。だが、同時に安心感を与えてくれた。まるで、炎のような存在だった。
智春は足を止めようとはしなかった。光に導かれるがままにどんどん加速していった。
タクトは強烈な既視感に襲われた。それはマンガやアニメでよく見る物だったからかもしれない。
しかし、それはタクトの本能を揺さぶった。
タクトの恐怖心を掻き立てた。
マンガやアニメで見た事があるからという、生易しいものから来るものではなく、本物の恐怖だった。
記憶の奥底から何かが鎌首をもたげる。
タクトを何度も絶望させてきた何かが、再び地獄へと誘おうとしている。
タクトを何度も殺した何かが、再び襲いかかろうとしている。
再び………………何かが始まろうとしている。
それが目が開けられないほどの光になった瞬間、タクトは必死に智春を巻き込むようにして横に飛んだ。
それとほぼ同瞬、
ドッゴ――――――――――――――――――――――――ン‼
もう数えるのも嫌になるぐらいの、だが何度聞いても慣れることのない、そして今までで一番大きくて一番死を感じさせる爆音が空気を震わせた。