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君が散るならば、俺は  作者: 隼加うみ
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第4話:始まり

「おいっ! 誰かいねーのかよ! おいっ、誰か!」

 タクトの必死の呼びかけに答える者は誰もいない。

「おいっ! 誰か、誰か! クソッ!」

 最初の爆音が聞こえてから、すでに十分余りが経過している。その間、タクトは声を張り上げ、扉を拳でたたいているのだが、一向に反応はない。

「獅子神くん! そっちはどう?」

 タクトが声を張り上げていると、少女が息を切らしながら駆け寄ってきた。

「こっちはだめだ。全く反応がない。そっちは?」

「ダメ。全部の壁を見て回ったけど、下に降りられそうなところはなかった。あとは、雨どいぐらいなんだけど…………」

「この学校、かなり古いからな。人の重さに耐えきれるかわかんねーよな。クソッ」

 タクトたちは屋上からの脱出を試みているのだが、成功の兆しが全く見えない。

 助けを呼んでも反応がない。自分たちで逃げようとしても、ルートが見つからない。

 それに加え、


ドッゴ――――――――――――――――――――――――ン! ドゴ――――――――――――――――――――――ン!


「キャッ!」

「クソッ。またかよ!」

 腹の底に響く重低音が先ほどから鳴りやまない。

 音から察するに、何かが爆発しているようだったが、一度目の音からすでに何十回目かもわからない。

「おい! 下の奴らとは連絡つかねーのか!」

「何度も片っ端から電話してるけどダメ! 誰も出ない!」

 タクトの問いかけに、少女はスマートフォンを涙目で握りしめながら答える。

「クソッ。いったいどうなってんだよ」

 タクトは焦っていた。爆発らしき音は鳴りやむ気配もなく、今何が起きているのか、全く把握できていない。自分たちがここにいていいのかもわからないし、この建物もいつまで持つのかわかったもんじゃない。

「やっぱりこんなのおかしいよ」

 少女は今にも泣きそうな顔で続ける。

「なんで、何の放送もないの? もう、最初の爆発から結構立ってるよね? 先生たちの指示は?」

「ああ、確かに変だ。だけど、それだけじゃない」

 そう言って、タクトは深刻そうな顔で続ける。

「やっぱり、誰も電話に出ないっていうのも妙だし、誰も避難をしていないのはなぜだ。校庭か体育館。もしくは屋上。何か緊急事態が起きたなら、避難は最優先なはずだ。ここから、校庭も体育館も見えるが、誰かが避難している様子はない。もちろんこの屋上にも誰も来ていない。まずそもそも、この爆発は何だ? ガス爆発、化学薬品の何らかの事故、機械トラブルもあるか。最悪の場合も考えれば、何らかの事件、もしくはテロに巻き込まれた可能性もある。だが、もし、何かの事故だとすれば、それこそ避難誘導があるはずだ。放送がないのと電話に誰も出ないという今の状況に一番合致しているのが事件かテロだが。……………………………。やっぱり爆発の数が不自然だな。だったら、どう動くべきか――――」

 タクトのつぶやきを真剣な顔で聞いていた少女は、今自分たちの置かれている状況の可能性を理解していくにつれて、その顔色を青くしていき、今ではかわいそうなくらいに震えている。

「よしっ! やるぞ栗!」

「え? な、何を?」

 一人でぶつぶつつぶやいていたタクトは突然に顔を上げると、自分の考えを話し出した。

「まずは、何か武器になりそうな物を探すぞ。本当に、校舎の中に凶悪犯やらテロリストやらがいたとして、苦労して屋上から脱出した瞬間にゲームオーバーとかなったらシャレにならんからな」

 少女はオーバーなくらいに頷きながら聞いている。

「で、次にここから脱出する方法なんだが、正直思いつかなくてな」

 少女の動きが止まる。

「そこで、シンプル・イズ・ザ・ベストの精神に乗っかって、扉をぶち破ることにした」

 少女の口がみっともなく開く。

「説明は以上だ。そっから先の行動はおいおい決めていく感じでよろしく。それじゃあ、さっさと武器探すぞ。屋上っつっても何かしらあるだろ」

 タクトがさっさと歩き始めたとき、少女は再稼働する。

「ちょっと、待てやコラーーーーーー‼」

「うおっ、何だよ栗」

 少女は唾を飛ばす勢いで――――彼女は本作において、重要な女性キャラクターです。よって、実際に唾を飛ばしたりなどはしません。あくまで『勢い』です。唾を飛ばすようなことは決してありません。重要なことなので、二度書きました――――まくし立てた。

「何よ、その『扉をぶち破ることにした。キリッ』は!」

「おい、その変顔やめろ。俺はそんな顔じゃない」

 少女はタクトの言葉など一切耳に入らない。

「さっきまで、あごに手なんか当てちゃってかっこつけてたくせに! 何が『シンプル・イズ・ザ・ベスト』よ! ただの破壊工作じゃない!」

「あごのやつに触れるのはやめてくれ。言われると、猛烈に恥ずかしくなってくる」

 少女はまだ止まらない。

「しかもその後の行動はおいおい決めていくってバカなんじゃないの! バーカ、バーカ、アーホ、アーホ、カーバ、カーバ。お前の母ちゃんでべそ」

 最後に小学生みたいなことをまくしたてると、やっと少女の口が閉じた。というか、息切れで何も言えなくなった。

「もう言いたいことは全部言ったか? 言ったよな? よし。……じゃあ全部聞いた上で言うんだが、俺は今の案を変える気はない」

「な、なんでよ」

 少女はもう息も絶え絶えといった様子だ。

「じゃあ、お前はここからどうやって出るつもりだ? 壁から降りるのは無理な上に、助けがくる見込みもない。この校舎も古いんだし、いつまでこの爆発に耐えられるかわからないんだぞ」

「うっ。そ、それは」

 タクトの言葉に、少女は何も言い返すことができない。

「それに、ユアが心配だ。電話もつながらないんだろ。クソッ。あいつに何かあったら」

 タクトが思わず漏らしてしまったのであろう言葉。もちろん、少女が聞き逃すはずがない。

「え? 今、何て? ユアちゃんが心配?」

 少女がニヤニヤしながら言うと、タクトは思いっきり顔を真っ赤にさせた。

「あ、いや、ちがう! あのバカは何をしでかすかわからないから保護する必要があって、別に心配してるとかじゃ――――」

 あたふたしだすタクトを少女は先程までのバカにした雰囲気を一切感じさせない、慈愛に満ちた目で見ている。

「そうだね。早くここを出ないと。きっとユアちゃんも待ってるよ」

「お、おう? よし。そうと決まれば、さっさと武器探して、さっさとぶち破るぞ。二、三回タックルかませばいけるだろ」

 少女があまりにも簡単に意見を変えることに驚きつつ、タクトはさっさと行動に移る。

「ちょっと待ったーー!」

「何だよ。お前もこの案でいいっつっただろうが」

 少女の謎のしつこさによって、またもや出鼻をくじかれたタクトは語調を荒げる。

「タックルはダメ」

「はあ? てめぇ、さっきの話聞いてたか? 急がねえといけねぇんだよ。そんな意味わからんこだわりに付き合ってる暇はねーんだよ」

 少女の意味不明な発言にタクトは苛立ちが募る。

 しかし、

「タックルはダメ! 獅子神くん、肩痛めてるでしょう?」

 その思わぬ発言にタクトは虚を突かれた。それから、そういえば、と話し始める。

「朝の頭痛なんかはきれいに治ってんのに、左肩の重みだけは残ったままなんだよな。お前、よくわかったな」

「へっへーー。獅子神くんが左肩をかばいながら動いてるのに気づいたから」

 少女はタクトの言葉に少し自慢げに照れたように言う。

「タックルがだめなら、けりでも入れるか? それでも大丈夫、だよ、な?」

 タクトが首をかしげながら考え込んでいると、


ピリリリリリ。ピリリリリリリリ。ピリリリリリリリリ。


 電子音が鳴り響いた。

「おい、うるせーぞ。今、考え事してんだよ」

「あっ、ごめん。わたしだ」


ピリリリリリリ。ピリリリリリリリ。ピリリリリリリリリ。ピリリリリリリリリ。


「何してんだよ。早く出ろよ」

「し、獅子神くん」

「だから、うるせーっつってんだろ。電話ぐらい早く出ろ…………ん? 電話?」

「し、獅子神くん。これ、クラスの子からかかってきてる」

「はあ⁉ お前、何してんだよ! 早く出ろよ!」

「う、うん」

 少女は震える手でスマートフォンを操作すると耳に当てた。

「も、もしも、うわっ!」

 だが、耳に当てると同時に、床に落としてしまった。

「おい、栗! 何してんだよ! もう貸せ!」

 タクトは床のスマートフォンを腹立だし気に拾い上げると耳に当てる。

 ここで、タクトは気付くべきだったのかもしれない。

 少女は何も、ただ手が滑ってスマートフォンを落としたわけではない。それは少女の顔を見ればすぐにわかることだった。…………その恐怖に染まった顔を見れば。

 もし、気付けていれば心構え程度ならばできていただろう。その、あまりにもおぞましい電話の向こう側に対して。

「もしもし」

「――――――――――――――――――――」

「何だ? 落としたせいで壊れたか? 全然聞こえねー。おーーい、もしもーし」

 現状での唯一の情報源を失った可能性に、タクトは少し不安を覚えてしまう。

『――――――――――――――――――げて』

「あっ、もしもし? 悪いんだけど、そっちで何が起きてんのか教えて―――――」

 やっと聞こえてきた声にタクトは安堵する。しかし、

『――――――だずげて。だれがだずげでうわああああああああくるなくるなくるなくるなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』

 聞こえてきたのは聞くに堪えない、おぞましい絶叫だった。

 タクトは固まった。

 おそらく、たった一枚の扉の向こう側で起きているであろう『何か』をタクトはとてもじゃないが信じられなかった。いや、信じたくなかった。

『ああああああああああああああああいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだくるなあああああああああああああああああああああああああああああああドッゴ――――――――――――――――――――――――――――ン‼』

 なんの予告もなしに耳元でとどろいた爆発音は、タクトの意識を強制的に現実へと引き戻した。

「おい! 大丈夫か! そっちはどうなってる! 頼むから、返事をしてくれ!」

 タクトの必死の懇願は虚空へと吸い込まれていく。

「たのむ。たのむよ。いったい何なんだよ! 何が起きてるっつうんだよ!」

 タクトの呼びかけに答える者はいない。握りしめるスマートフォンはもう、一切の音をタクトに届けようとはしなかった。

「クソッ。クソッ! クソックソックソッ! クッソがああああああああああ!」

 今のタクトには拳を床に殴りつけ、胸の中の焦燥感を痛みで少しでも和らげることしかできなかった。

「俺は…………俺はどうすれば………………」

 自分の無力感にタクトは打樋しがれていた。今の自分は圧倒的に情報が不足している。もし、先の作戦通りに動いたとしても何もできない可能性のほうが高い。今、この学校ではおそらく、自分の想像などが全く及ばないことが起きている。そんなものにどう対処すればいいんだ。電話の様子だと死人は出ていると判断せざるを得ない。そして、電話の相手の『くるな』という発言から察するに、今の状況を意図的に作り出した人物がいるとみて間違いないだろう。この爆発もその人物によるものというところまでは想像がつく。しかし、そこから先が分からない。これは単独によるものなのか。グループだとしても何人構成によるものなのか。用いている武器は何なのか。交渉をする余地はあるのか。日本人か。外国人か。はたまた多国混合か。そもそも目的は何だ。何のためにこんな学校を狙う。金の貯え何てないだろうし、何か歴史的価値があるものを保管しているなんて話も聞いたことがない。世間への見せつけ、あるいは政府への交渉のためか。では、なぜこんな田舎の中学校を狙う? わからない。この事件に何の意味がある? わからない。犯人は何を考えている? わからない。今、何人が死んだ? わからない。この建物はいつまでもつ? わからない。俺にいったい何ができる? わからない。そして何より、

「あのバカは。ユアは無事なのか?」

 …………………………わからない。何も。俺には、俺には何もわからない。










ザ、…………ザザ…………………ザザ……………………………

「――――――――――っ!」

 タクトの気持ちが完全に死ぬ直前、床に放り投げられていたスマートフォンから小さな、それでも、確かな音が聞こえた。

 タクトはそれを乱暴につかみ取ると、電話口に向かって叫んだ。

「おいっ! 誰か! 誰かそこにいるか!」

『…………ザ………ザザザ……………ザザ………………あ』

 タクトは目を見開いた。ノイズがひどくて聞き取りづらいが、確かに聞こえた。人の声だ!

 まだ。まだ終わってない! まだ終わってなどいなかった! チャンスは残されていた! この一本の電話が最後の希望だ!

「頼む! 状況を教えてくれ! そっちでは今、何が起こってるんだ!」

『…………………ザザザ……ザ……あ』

「すまん。もう一度頼む。うまく聞き取れな――――」

『ユア………………………』

「え?」

 突然出てきた思わぬ単語に、タクトは動揺を隠せない。

『は、葉山………………ユア』

「お前、ユアを知ってんのか‼ 教えてくれ‼ ユアは‼ ユアは無事なのか‼」

 タクトは本来ならば、校舎内で起こっていることを事細かに聞き出すはずであった。しかし、相手の出したその単語によって、必死に押さえ込んでいたはずの様々な感情が爆発し、タクトはもう正常な判断など下せない。

『あいつのせ………………。葉山のせ……であいつら……が…………』

「クッソ。何言ってんのか全然わかんねー」

 タクトは焦っていた。この電話もいつまで持つかわからない。原因はわからないが、電波が不安定になっているようだった。

 しかし、その時、タクトの強い意志のおかげか。はたまた神のいたずらか。ノイズが消え、相手の声が鮮明に聞こえた。

『葉山ユア。あいつのせいだ。あいつのせいで、あいつらみんな死んだんだ! あいつのせいで、マントの奴らはこの学校に来たんだ』

「は? お前何言ってんだよ?」

 タクトは笑い飛ばそうとした。しかし、できなかった。こんな状況でそんなシャレにならない冗談を言える奴がいるとは思えない。

 それに、タクトは知っていた。もしかしたら、ユアにはそれほどの価値があるのかもしれないことを。

 それに、タクトは考えていた。もしかしたら、騒動を起こしてる奴らの目的は『人』なんじゃないかと。金もない。宝もない。建物もぼろい。だったら、この学校に残るのは『人』ぐらいだ。奴らは俺たちを人質として欲しがっているんじゃないかとも考えた。しかし、その可能性はすでに切り捨てていた。人質は生きていてこそ価値があるのだ。だったら、何度も何度も爆発を起こす意味が分からない。

 そうすれば、残る可能性は一つ。奴らは特定の人物を欲しがっている。しかも、どれだけの犠牲が出てもかなわないという狂った考えのもとで。いや、もしくは…………

 そこまで考えが至ったタクトはスマートフォンにかじりつく勢いで叫んでいた。

「おいっ! ユアは! ユアはどうなってる‼」

 スマートフォンを握りしめた拳は力の入れ過ぎで真っ白になっていた。

『あいつが狙われてんだよ。この……ザザ……く発も死人もあいつのせい…………ザザザ……』

 その言葉はタクトの一番合っていてほしくなかった仮説が正しいことを証明してしまった。

『ザ……ザザザ……ザ………………ザザ……――――――――――――』

 またもやスマートフォンは沈黙してしまったが、今のタクトには心底どうでもよかった。

 今は何も考えることができなかった。ただ、本能のなすままに、

「ふっざけんなああああああああああああああああああああああ‼」

 扉に向かって突進していた。

「おらああああああああああ‼ 開けや‼ 開けや‼ さっさと開きやがれえええええええ‼」

 扉を何度も何度も何度も何度も殴りつけ、蹴りとばし、頭突きをし、タックルをうちこむ。

 皮膚が破れ、足が悲鳴を上げ、額が割れ、肩が外れても。

何度も何度も何度も何度も……………………。

「クッソ。なんでだよ。何で開いてくれないんだよ!」

 しかし、それでも目の前に立ちはだかる扉はタクトを通そうとはしなかった。

 タクトの今の精一杯では、打ち破ることはできなかった。だが、

「なめんじゃねーぞこの野郎。ここで、諦めるわけにはいかねーんだよ!」

 タクトは不敵に笑うと、

「おっらああああああああああああああああああ‼」

 どこから拾ってきたのか、巨大なコンクリートの塊を投げつけた。

 コンクリートの重量とタクトの渾身の力が相まって、扉はとうとうきしみ始める。

 しかし、それでも届かない。扉は開いてくれない。

「何でだよ。何でだよ! 開けよ! 開いてくれよ! 何でここまでやっても開かないんだよ‼」

 タクトは拳をふるい続ける。さっきの一撃でコンクリートの塊は砕けてしまった。それでも蹴るのをやめない。体中ぼろぼろだ。皮膚が裂けて血まみれだし、扉を全力で殴り続けているせいで拳は砕け、頭を打ち過ぎたせいで意識ももうろうとしている。それでも全力で頭突きをする。この扉は異常だった。これだけタクトがやっても壊れないのだ。人の力では壊せないように作られているのかもしれない。それでも体をうちつける。何度も何度も何度も何度も何度も。例え、動けないほどの重傷を負ってもタクトはやめないだろう。意識を失ってもその強い意志だけで動き続けるだろう。

「何で?」

今まで体育座りをし、自分を守るようにして頭を抱え込んで震えていた少女は問う。

「何でそこまでできるの!? そこまでぼろぼろになって!? あなたは何で諦めないの!?」

「大切だからだ」

 意識がもうろうとしているはずのタクトは間髪入れずに答えた。

「愛おしいからだ」

 きっとそれが彼にとっての当たり前で、彼の行動すべてにおいての理由なのだろう。

「俺はユアのことを見捨てるなんてできない。ユアは俺のすべてだ。人によってはキモいと言う奴もいるだろう。バカらしいと鼻で笑う奴もいるかもしれない。それでも、俺は今までそうやって生きてきた。あのバカが泣けば、すぐに飛んで行って。何か危ない事に巻き込まれそうになってたら、必死に守った」

 そして、これが彼の本当の気持ちなのだろう。

「辛いんだよ。ユアの鳴き声を聞くのが。耐えられないんだよ。ユアが危険な目に合ってると思うと」

 彼が、捨てようとしても捨てきれなかった思いなのだろう。

「だから、俺はあきらめない。何としてでもあいつのもとへ行く」

 少女は泣いていた。

 自分が情けなかった。

 電話の向こうの悲鳴を聞いて足がすくんでしまった。

 電話の向こうの助けを求める声を聞いて怖くて仕方なくなってしまった。

 誰が同じ立場でも、皆こうすると自分に言い聞かせた。

 自分なんかが助けに駆けつけても、この体では何もできないと逃げる理由を作っていた。

 怖かった。自分が可愛かった。傷つきたくなかった。痛いのは嫌だった。

 しかし、目の前の少年はどうだろうか。

 彼は学校一の嫌われ者だ。みんなから軽蔑され、そういう扱いをされて当然なことをした少年だ。

 しかし、大切な人を救うために、必死に戦っている。

 ふらふらで血だらけでみっともないけど、それでも逃げずに、本当はあるはずの恐怖なんてものともせずに立ち向かっている。

 葉山ユアだったらどうしていただろうか。

 考える必要もない。彼女だったら迷うそぶりも見せずに走り出す。彼女はそういう人だ。

 では、自分は何をしているのだろうか。

 みっともなく泣きべそをかいて、ガタガタ震えて、自分が傷つかないように隅っこで丸くなっている。

 ふざけるな。

 彼女は自分にとっても大切な人だったはずだ。暗闇のどん底にいた自分をその太陽のように明るい笑顔と太陽のように温かい心で照らし、救い出してくれた人のはずだ。それなのにこの体たらくは何だ! わたしはいったい何をしてるんだ!

 ふざけるな!

 二人のそばにいたいんじゃなかったのか! 二人の見る光景を自分も見てみたかったんじゃなかったのか! 彼と彼女の隣に自分も立って、笑い合いたいんじゃなかったのか! 今の自分のどこにそんな資格がある! 今の自分のどこに彼らに誇れるものがある!

 ふざけるな。ふざけるな! ふざけるな‼

「…………どいて」

 少女はそう、低い声でつぶやくと、


ダッ――――――――――ン‼


 扉に向かってありったけの力と思いを込めてぶつかっていった。

「お、おい! 何してんだよお前⁉ こんなの女の力でどうにかなるもんじゃ――――」

 タクトの戸惑いの声を二度目の突進でふさぐ少女。

「うるさいなーー」

 彼女は何でもないような声で言う。

「あんなの見せつけられて、あんなの聞かされといて黙って座ってられるわけないじゃん」

 先ほどまで流していた己の恥をタクトに見られないように顔をそらしたままで言う。

「獅子神くんはどっか隅にでも座っといてよ」

 タクトの言う通り、女の力では無謀なのかもしれない。それに、自分には女ほどの力もない事は少女が一番わかっていた。

「迎えに来た王子様がそんなぼろぼろだと、ユアちゃんがかわいそうだよ」

 それでも、やめるわけにはいかない。諦めるわけにはいかない。

 歯を食いしばってでも、血反吐をまき散らしてでもやり遂げてみせる!

 できるかできないかじゃない。やるか、死んででもやり遂げるかだ! 努力と気持ち。気合と根性! 死ぬ気でやれば何でもできる!

「………………ははははは。あっはっはっはっはっはっはっ」

 あろうことか、タクトは彼女の覚悟を前にして笑い出した。

 悲鳴を上げる体を無視して突進していた少女もタクトのそれには動きを止めてしまった。

「ちょっと獅子神くん。今の笑うところじゃないんだと思うんだけど」

 少女が怒り気味の口調でタクトに食って掛かる。自分の本気の想いをバカにされたような気がした。

「悪い、悪い。いやー。さっきまで泣きべそかいて、震えてた奴が何をかっこつけてるんだろーなーと思って」

「それ、まったく弁明になってないからね!?」

 タクトのあんまりな言い草に涙目になる少女。

 顔をうつむかせて、「わたしだって…………」とぶつぶつ言いだした少女の頭に手を置くとタクトは言う。

「でも、俺はそういうの好きだけどな」

 タクトの思わぬ行動と発言に少女はプルプル震えていた。――――その、耳まで真っ赤になっている顔を見られないようにうつむいたまま。

「きれいごと上等。バカ大歓迎。偽善なんて俺の中では正義と一緒だ」

「いや、最後のはちょっと違うんじゃない?」

 タクトの展開するなぞ自論にしっかりと突っ込みを入れる少女。しかし、タクトの手は頭に置かれたままのため、顔は真っ赤なままである。

「まあ、つまりはそういうことだよ」

「いや、どういうことなのよ」

 最後にタクトは少女の髪の毛をわしゃわしゃすると言ってのけた。

「お前の中でどんな葛藤があったのかは知らんし、聞こうとは思わんし、正直そんなどうでもいいことに俺の脳みその容量を使いたくない」

「をい!」

 またもやひどいことを平然と言ってのけるタクトに対して、きれいな突っ込みを入れる少女。タクトと出会ってから、少女はお笑いの才能に目覚めたのではないだろうか?

「まあ、つまり…………………………ありがとな」

 あまりにも長すぎる前置きの末に言われた、たった五文字の言葉。しかも、顔を背けながらボソッと。

 しかし、少女の耳にはしっかり届いたようで、真っ赤だった顔がさらに真っ赤になっている。

「さ、さあ! 早くこの扉どうにかしないと! 獅子神くんは邪魔だからどっか行っといて」

 照れ隠しのように、というか、あからさまな照れ隠しで突進を再開しようとする少女。

「まあまあ落ち着けって」

 しかし、そんな少女をタクトは軽い調子で止めにかかる。

「こんなの一人でどうにかなるわけないだろ? 君はおバカちゃんなのかな?」

 そんな人を小バカにするようなタクトの態度に少女はムッとして返す。

「は? あなたこそ何を言ってるんですか? これは先ほどまであなた様がおやりになっていたことではありませんか。もう、お忘れになられたのですか? あなたの脳みそは鶏以下ですか?」

 少女のムカつく切り返しにタクトは真剣な口調で答える。

「ああ。確かにそうだな。さっきまでの俺は冷静じゃなかった」

 タクトは少女のことを何か大切なものでも見るような視線で見つめると、言った。

「だから、ありがとな」

「ぼふんっ」

「ん? 何だ今の、『アニメで使い古されたテンプレ効果音』みたいなのは?」

 タクトの的確過ぎる例えに、少女は慌てて顔をそらしながら言う。

「じゃ、じゃあ、どうやってここを出るの?」

 タクトは不敵に笑うとこういった。

「そんなの二人で殴りまくって、気合でどうにかするに決まってんだろ」

 そんなタクトに少女はため息をつくと言った。

「まあ、どうせそんな事だろうとは思ってたけど。…………獅子神くんってじつは脳筋?」

「バッカ、お前。俺の脳みそに筋肉があると思うか?」

 少女はタクトの体を一目すると言った。

「ごめん。今の忘れて」

「だろう。俺の体には脳みそに回せる筋肉何てねーよ」

「『何でそんなに偉そうなの?』っていうのは置いとくとして。だったら、早くしよう。ユアちゃんが狙われてるんでしょ?」

 タクトは真剣な顔になると、うなずく。

「ああ。さっきの電話の奴の話だと、そう見て間違いはないだろう」

「でも、何で? 何でユアちゃんが狙われるの?」

 少女のこの問いに対してはタクトも首を横に振る。

「それはわからん。でも、もしかしたらあのバカにはここまでのことをやってでも手に入れたい価値があるのかもしれないとは思ってる」

「それって、ユアちゃんがとてつもなく可愛いってこと?」

「いや、そうじゃなくてだな…………」

 言葉を濁すタクトに、首をかしげる少女。

「…………俺、見たんだ………………」

 そこまで言ったタクトは再び言葉を詰まらせる。

 今、タクトが口にしようとしている事はそれほどに彼にとって重要なことなのだ。

 それは、タクトの人生を変えた。

 タクトの今まで信じていた何もかもをぶち壊した。

 それのせいで…………タクトは変わらなければならなかった。失わなければならなかった。捨て去らなければならなかった。

 今まで誰にも言わなかった。いや、言えなかった、今まで一人で抱え込んできたこと。

 でも、目の前の少女には言ってもいいと思った。

 ただ、楽になりたかっただけかもしれない。ため込んできたものをすべてぶちまけたいだけだったのかもしれない。

「お、俺な………………」

 この少女だったら自分を救ってくれるかもしれないと思ったのかもしれない。自分を縛り付けている呪縛から解放してくれると思ったのかもしれない。

「すべてを捨てると決めた日、見たんだ………………」

 いや、理由なんてどうでもいい。

 タクトはついに決断したのだ。運命に逆らおうと。

 タクトはついに覚悟を決めたのだ。この世の不条理などぶち壊そうと。

(熱い。左腕が熱い。焼けるようだ。熱い。熱い。熱い)

 タクトの今朝から調子の悪い左腕は内部で何かが燃え盛るかのように熱くなっていた。

 タクトの気持ちの高ぶりのせいか。はたまた炎症のせいか。それはわからない。

 しかし、それは不快なものではなかった。タクトの背中を押してくれるような。そんな熱さだった。

 そして、

「家の床下に、た――――」


ダッ―――――――――――――ン‼


 今や開かずの扉になりかけている扉が謎の乱入者によって、破らんばかりの勢いで叩かれた。



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